第29話 復活の番長と氷の王子

「おーい、ソラぁ!」

「え?」

 後ろから呼ばれて、空は振り返った。歩道橋の階段を、1台の自転車が駆け下りてくる。その姿には見覚えがあった。

「鹿番長さん」

「おう。久しぶりじゃねーか」

 ディスクブレーキが音もたてずにロックし、鹿番長の267が急停止する。車体が前後に揺れるのは、タイヤが前後交互にバウンドしているからだ。

 そのタイヤは、以前見た4.0inよりさらに太い。4.8inだ。よく見ればフロントフォークの色も、鮮やかな緑色。そして三角形の穴が、等間隔でリムの内側に並ぶ。

「なにそれ?267?」

「ああ、驚くよな。こいつは壊れた267に、キラから借りた部品パーツを組み込んだんだ。えーと、なんて言ったかな?NHK?」

「KHSだよ。KHS ATB-1000の部品だ」

 上から、自転車を担いだ青年が叫ぶ。

「綺羅様」

「よう、空君。言ったはずだ。俺様とお前は再び再開する。俺の予言は当たるだろう?」




 昨日の夜。鹿番長の壊れた車体を修理するため、綺羅は速達で自転車を送ってもらっていた。持ってきたのは、KHS ATB-1000というファットバイク。綺羅のお気に入り18台のひとつだ。

 この大会では、自転車自体の乗り換えは認められていない。ただ、部品の組み換えや修理は認められていた。事実、史奈もホイールを何度か交換しているし、天仰寺もフレーム以外の全てを予備機と換装している。

 267のダイヤモンドフレーム自体は生き残っていたため、そこにATB-1000のフロントフォークとホイールセット。そしてリアディレイラーを組み込んだら完成。ほとんど50/50のニコイチだ。




「まあ、俺様の自宅から配送してもらうのに手間取ってな。気付いたら今日の昼も近くってわけだ。そこからものの20分で組み上げて、すぐに走り出して今に至る」

「綺羅に会えなかったらヤバかったぜ。絶望んだと思ったからよ」

 さらに一回り太くなったタイヤとリム。そしてフロントフォークには丈夫なクロモリを採用。本来の特性を残したまま、このバイクは大きく変貌していた。

「さて、それじゃあ行くとしよう。ミスり速報を聞いていたが……茜君に追いつかないといけないんだろう?」

 綺羅が笑って、手を差し伸べる。

「え?」

「一緒に行こう。俺様と鹿番長なら、きっと茜君の助けになれる」

「支度が済んだら出発ハシりな!一瞬マッハで追いついてやる」




「追いついたぞ。トライク!」

 空と別れた茜が、ついにトライクに接近する。ギアは最大まで上げた。身体は少し左右に揺れる。手はドロップハンドルの一番端を握り込んでいた。これ以上ない本気だ。

「ほう、速いな。クロスファイア」

 一方、同じだけの速度を余裕で維持するトライク。ペダルを止めているにもかかわらず、30km/hから減速する気配を見せない。

 電動モーターは、あくまでペダルアシストモードだ。一度でもペダルを止めると、モーターも停止する。それでも前に進むのは、41kgの車体重量から生み出される慣性によるものだった。

 一度スピードに乗ると、この車体は圧倒的な慣性を生む。だからこそ、ペダルを止めてもモーターを止めても、さらに進むのだ。

「チート性能め……」

「特殊兵装、とでも言ってほしいものだな。もっとも、チャリチャン以外の戦場では、国際条約で禁じられている兵器だがな」

「そりゃ、スポーツで電動モーターを使ったらダメだろ。競うことにならない」

「そうでもないさ。モータースポーツと言う分野もあるし、最近ではビデオゲームすらEスポーツなどと呼ばれているのだろう?」

「ちっ。減らず口を……」

 横並びで、二人で走る。どちらも前を譲らない。

(まあ、国際条約で禁じられるのも分かる気がするがな……)

 と、トライクは思う。隣を走る少女は、息を切らせながら必死についてくる。その苦しそうな表情を見れば、自分が使っている車体がどんなものか分かる。彼女を苦しめているのは、間違いなくこの自転車、ジャガーノートなのだ。

 ああ、だとしたら自分の自転車は、どんなに素敵な車体なのだろう。

 こんなに必死に頑張る相手の、努力や時間を無に帰せる。この優越感。万能感。圧倒的な無双プレイ。それこそ、トライクが最も求めていたものなのだから。

「ところで、茜よ。俺は思うのだがね?」

「はぁ――はぁ――っ何だ?」

 本気で走り続ける茜が、息も絶え絶えに聞く。それを見ながら、トライクはまるで演説のように語る。


「すべての乗り物は、人間社会をより便利にするためにある。歩くより速く、楽に移動する。それこそが乗り物の存在意義だろう?

 だからこそ、蒸気機関車が淘汰され、電車が発展した。帆船は絶滅して、ディーゼルが生き残った。だと言うのに、だ。

 なぜ、自転車は淘汰されない?オートバイや自動車がある世の中に於いて、便利でないことは悪だ。便利な事こそ正義だ。ならば、自転車は絶滅するべきではないのかね?

 シートベルトも、エアバッグもついていない危険な乗り物だ。自動アシストブレーキも、自動運転サポートシステムも研究されていない、時代に取り残される乗り物だ。だからこそ、自転車は道路から消えるべきなのだ。

 別に、スポーツとしての自転車まで否定はしない。サーフィンやスケートのように、場所をわきまえて遊ぶ玩具としては良いだろう。だが、実用品であるかのように言われるのは気に入らない。

 俺はこの大会に優勝して、すべての自転車の無意味さを訴えてやる。所詮、モーターには勝てないのだとな」


 自分の理論に酔ったらしいトライクは、大きく両手を広げて見せた。その演説は、中継ドローンを通してすべて放送される。

「――くはっ、黙って聞いていれば、何だそれ?」

 茜は、ついに笑った。いや、怒っているのを、笑い飛ばす表情で見せた。

「なあ、トライクさんよ。お前が今使ってんのも自転車だろうが。自転車を否定するために自転車を使うなんて、皮肉だよな。お前が仮に優勝しても、世間は自転車の便利さを再確認するだけだろうぜ」

「違うな。俺のジャガーノートは、自転車のように見えてオートバイだ。今まで進化を拒んできた自転車が、ついに21世紀に合わせて進化した姿。これは、すでに君たち旧人類の言う自転車ではない」

「他の人の目にはどう映るかな?確かに個性的なデザインだけど、アタイに言わせれば同じチャリだぜ。だからこうして、アタイのチャリでも追いつけるんだ」

「今に引き離すさ」

 再び、トライクがペダルを漕いだ。時速32km/hまで、一瞬の間をおいて加速する。

「再開だな」

 茜も再び、ハンドルを自分の胸に引き寄せる。前輪が浮き上がるほどの力が加わり、弾かれたように速度を上げる。


 雪が降り始める。路面はシャーベット状からパウダースノーへ変わりつつあった。タイヤは真っ白に色づき、路面の抵抗は増えていく。

(くそっ、やっぱファットバイクの方が有利か……)

 茜の乗るフレームは、タイヤとの間に隙間がない。タイヤに付着した雪の塊が、フレームに引っかかって回転を止める。まるで登り坂を走っているような気分だ。あるいは常にブレーキがかかっているような乗り心地の悪さ。

 ペダルを一瞬でも止めれば、車体はあっという間に減速する。漕ぎ続けるしかない。でも、どこまで……

(ふん。この程度の雪で動けなくなるか。所詮は、シクロクロスだな)

 トライクの乗るファットバイクは、フレームの隙間を大きくとっている。そのため、着雪によって一回り太くなったタイヤを、余裕で回せるのだ。ごっそりと雪をつけた極太タイヤは、もぞもぞと不気味な音を立てて進む。

(まだだ。アタイはまだいける)

 チェーン、変速ギア、ペダル。そして茜本人。容赦なく雪だるまになる中、それでもペダルを漕ぐ。

 乾燥した空気が喉を通り過ぎていく。肺が焼けるように痛い。

 冷たい風が頬に当たる。肌が凍るようだ。

 後ろ頭が重い。ひっつめた髪が雪玉になっているのだろう。それも倍くらいは大きく膨らんでいそうだ。

 それを見て、トライクの感情はより昂った。にやりと笑い、茜を見る。

「やはり、自転車は不便だ。君のような美少女を、こうまで台無しにするのだからな」

「ああ?」

 茜は何を言われているのか、少し意味が分からなかった。ただニュアンスだけは喧嘩を売られた感じだったので、不機嫌に返す。ところで、トライクは何を言ったのだろう。美少女が台無し?大きなお世話を……

 ……

「え?アタイのこと?」

「他に誰がこの場にいるんだ?」

「いや、目が腐ってんのか?それとも動揺を誘う戦術か?卑怯な真似を……」

「俺の目は正常だろう。それに、ここまで馬力に差があるなら、心理戦を仕掛ける必要はないぞ」

「無ぇよ……」

 そんなことを男性から言われたのは初めてだ。だと言うのに、トライクはさらに茜を持ち上げる。


「女の子らしく、教室の片隅で本でも読んでいれば、さぞ可憐だろう。男子たちも放っておかないんじゃないか?」

 そんなことは無い、と茜は思った。普段からそのように過ごすことの多い茜だが、別に男子から何かを言われたことは無い。もっとも、読んでいるのは自転車関連の専門雑誌など、女の子らしさからはかけ離れるが。

「髪もひっ詰めたりせず、下ろして梳いておけば美人だろうに。聞けば今、中学3年生だそうじゃないか。この機に伸ばしてみてはどうかね?」

 空力抵抗と重量が増す。そんなことを気にしてしまうから、自分は女の子らしくないのか?そんなことを考えてしまう。髪なんか下ろしたところで、自分は美人になるだろうか?

「そうだ。いっそ自転車に乗るのをやめて、高校からはバスで通学などどうだろう?素敵な男子との出会いが増えるかもしれないぞ。あるいは、恋人の漕ぐ自転車の後ろに座るのもいいだろう。青春だぞ」

 青春――

 確かに、そんないいものを中学校では味わってなかったように思う。暇さえあれば自転車に乗っていたし、一緒に走ってくれるのも空くらいだった。ああ、考えてみれば、少女漫画みたいな憧れの学生生活なんかしてないな。

(でも、仕方ないな。アタイが恋したのは、男じゃなかったんだからさ)

 このクロスファイアに比べたら、どんなイケメンも霞む。王子様の壁ドンより、獣道を駆け下るこいつの方がドキドキさせてくれる。どんなマッチョよりもタフな身体。どんなハンサムよりもシュッとしたデザイン。

 そっちの方が、自分によく似合っていると思った。だからこそ、女の子らしさはいらない。

「せっかく褒めてくれてんのに、悪いな。アタイはやっぱ、そんなの似合わないぜ」


 長期戦になればなるほど不利。それは茜にもよく分かっていた。ゴールまで、あと何キロメートルあるだろう。それまで茜の体力は持たない。

(ここまでだな……アタイの負けか)

 そっと諦めた茜は、しかし加速する。

「な、何ぃっ」

「はっ、せめて一矢報いてやらないと、おいてった空に悪いからな!」

 車輪一つ分、茜がリードする。残された体力を全部出し切った猛攻。車体を大きく揺らして、力任せに漕ぐ。

「ガキが。調子に乗るか」

 強がった少女が必死に頑張って、しかし自分には絶対に勝てない。そう思っていたからこそ、トライクは気分よく一緒に走っていたのだ。その少女が牙をむくならば、話は変わる。

 せっかくの優越感に水を差されたトライクは、必死にペダルを漕ぎ始めた。それでもこの鈍重な車体は、32km/hより上の速度が出ない。

(トライク。この勝負はお前の勝ちだ。それでも、一瞬だけのリードはアタイが貰ってくぜ)

 茜の後輪が、トライクの前輪と並ぶ。まだ、さらに少しずつ、差を広げていく。もう少しで茜の車体が、すっぽりとトライクを追い抜く。

(どこにそんな力が残っているんだ?怪物少女め)

 トライクは無意識に、左手をコントローラーに当ててしまっていた。そのまま全自動スロットルモードを選択すれば、間違いなく失格になる。この切り札だけは切ってはいけない。

 それを、トライクは使おうとしてしまった。茜の気迫に押されて、つい指をかけてしまった。

(小娘ごときが、俺をここまで苛々させるか)

 もどかしい。どんなに力を入れても、ペダルが回る速度が変わらない。

 もどかしい。どんなに本気で漕いでも、速度制限がかかってそれ以上進まない。

 もどかしい。目の前にいるのは、か弱い女の子だ。なのに追い抜けない。

(はっ、いい気味だ……ぜ)

 走り疲れた茜が、ついにペダルを止める。すでに10センチほどまで積もっていた雪にタイヤを取られて、すぐさま減速。


 ――びたんっ


 そのまま転倒した。痛みは無い。柔らか雪が緩衝材となり、茜を優しく包み込んだ。もっとも、水分を多く含んでいたせいで、凍り付くように冷たいが。

「はぁ――はぁ――はぁ――っく。こ、ここまでかよ……」

 ビンディングを外して、茜が立ち上がる。そこにはもう、トライクの姿は無かった。




「いいね、空君。感覚を取り戻してきたんじゃないか?」

 綺羅が言う。その前を鹿番長が走り、最後尾を空が走る。綺麗に一列だ。

 鹿番長がタイヤで雪を潰し、綺羅がさらに圧雪し、空が走りやすいように道を整備する。その後ろを、空は綺麗に走っていた。十分な速度と、安定した感覚。そこには恐怖などは無いようだ。

「何となくですけど、圧雪されていると、ちょっと安心します」

「共感するよ。本当は圧雪前の方が滑らないんだけど、気持ち的には不安なんだよな」

 綺羅が頷く。それに対して、鹿番長が振り返らずに声を張った。

「つーか、雪がくっついてくるから走りずれーんだろ?俺も子供ガキの頃ママチャリでやったことがあるからな。あれはひでーや。その点、このファットバイクなら安心だ。雪払いは俺に任せとけ」

 ごっそりと雪をタイヤに付けたファットバイクは、それでも前に力強く進む。フレームに多少のゆとりがあるおかげだ。

 とはいえ、もともとは4inタイヤを前提に作られたフレームに無理矢理4.8inを組み込んだ弊害として、思った以上にクリアランスが狭くなっている。おかげでペダルにも負担がかかる。

「番長。もっと速度を上げてくれ」

「うるせぇ。やってんだろうが、キラ!」

 ギア比も問題だろう。後輪は丸ごとDEOREに付け替えたが、実はTourneyと大差ない32-11でスプロケットが組まれている。7速から10速にグレードアップしたとはいえ、最大速度や最大パワーが変わったわけではない。その中間が小刻みになっただけだ。

「これじゃあ、7速の安物ターニーとあんま変わらねえな」

「まあ、本来ならフロントも併せて交換するべきところだからな。DEOREの28Tフロントなら、もっと馬力も出ただろうよ」

 と、綺羅は解説する。鹿番長の267改は、フロントチェーンリングを交換していなかった。そこだけは未だに48Tの折り畳み式自転車用だ。

 ちなみに、もともとついていた36Tは、鹿番長が数か月前に壊してしまっている。そのため大会参加時からこれだった。

「鹿番長さん。頑張って」

「分かってる。アカネに追いつきてぇんだろ?ぶっ加速トバすぜ!」

 相も変わらず、力任せな走りをする鹿番長。ただ、中学生にしては大きな身体と筋力が、ただただ理屈抜きの加速を実現する。

 これができてしまうからこそ、彼は世にいう『正しい走り方』を実践しなかったのだろう。見た目に反して勉強熱心な鹿番長は、必要な知識は取り込むし、必要なさそうな知識は取り込まない。自己流でどうにかなるところは、結局自分で解決してしまう。

「いいね。その速度を維持できるかい?番長」

「いや、キツイな。やるだけやってみるけどよ……」

 走ることに集中する鹿番長に代わって、綺羅が作戦を練る。

 考えること数秒。

「空君。鹿せんべいと糸を持ってないか?」

「え?いや、無いです。でも、どうして?」

「うん。俺様の作戦なんだが、番長のリーゼントの先端。あれに釣り糸を垂らして、鹿せんべいを目の前に……」

「オウ。喧嘩パーティの時間かコラァ!ここで脱落者ひとり決定キメっか!?」

「くっ、ふふっふっ――く」

「ソラ!テメェも笑いこらえてんじゃねーぞオイ!」

 ちなみに、リーゼントとは両サイドの髪を後ろに撫でつける髪型の事であり、前髪を膨らませて突き出すのはポンパドールと言う。綺羅が先ほど言った台詞、正確にはリーゼントの先端ではなく、ポンパドールの先端だろう。

 まあ、日本国民の多くが誤用しているし、

「俺のリーゼントは釣り竿じゃねぇんだよ。ったく、整髪セットに毎回なん十分かかってっと思ってやがんだ」

 当の本人さえ、自分の頭についている物体の正式名称を知らないようだ。

「ちなみに、どのくらいの時間がかかるの?」

 空が訊くと、鹿番長は答えた。

一回転ひとまわり

「え?」

「ああ、番長は多分、60分と言いたかったんだろうさ。馬鹿だから時計の見方が分からないんだ」

「おいコラ。さっきから俺に失礼だろうが。時計の見方くらい解るっての!こう、文字盤まるいのに文字が書いてあんだろ?1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13ってよ」

「13って……」

「……うっせー。俺んちの時計は高級だから、数字が一個多いんだよ」

「お次は針も一本増えそうだな」



『おおっと、空さんが鹿番長さん、綺羅さんコンビと合流。連結して走っているようです。男3人で連結。男3人で連結ですぅ。

 昨日のアクシデントの後、すぐに結成された新コンビ。すでにネットでは『シカ×キラ』とか『キラ×シカ』とか呼ばれて人気ですねぇ。ちなみにどっちが右なのでしょうかぁ?

 そのうち『キラ×ソラ』とか『シカ×ソラ』とかも出てきそうですねぇ。空さんが右ですね。分かりますぅ。

 それにしても、鹿番長さんの新マシン、凄い走破性ですねぇ。綺羅さんの太くて大きなタイヤが、鹿番長さんのフレームにずっぽり入って……「見てごらん、番長。繋がったよ」「お、俺とキラが、ひとつになってる」的な……』


「「おえぇぇぇえええ!」」

「うわぁ。汚いですよ二人とも」

 鹿番長と綺羅が、二人で同時に吐く真似をする。最後尾にいる空は驚いた。

「ミスり姉ちゃん。いつも余計な話を挟むけど、今日のは特別余計さいあくだな」

「え?ミス・リードは、自転車の話をしていただけだと思うけど?」

「空君は良いな。ピュアでさ。ずっとそのまま育てよ」

「え?綺羅様、それってどういう意味ですか?」

 どうやら本当に分からないらしい空に、綺羅は安心する。

「なあ、キラ。ソラ――」

「誰がキラ×ソラだよ!」

「言ってねぇし!それより、天気がやべぇ。俺の予想だけど、吹雪になるんじゃないか?」

 分厚い雲が、空全体を覆う。風も出てきたようだし、先ほどから降っている雪は、徐々に粒を大きくしている。

「まずいな。たしかに天気予報でも、夕方から雪だと言っていたが……」

「急ぎましょう。鹿番長さん」

「やってるっての!ったく、後方ケツについてくるだけのやつは良いけどよ」

 視界が悪くなる中、先頭を走る鹿番長は慎重だった。もう二度と、愛車を道から落とすようなことはしたくない。




(そっか。空は鹿番長たちと、合流したか)

 茜は、ミスり速報を聞いていた。自転車は少しずつなら進むものの、すぐに減速してしまう。細身のタイヤしか持たないシクロクロスの限界だ。

 雪に埋まった車体を、それでもモゾモゾと動かす。

(よかった。鹿番長がリタイアしていなくて……ったく、心配かけやがってよ)

 既に単独で相手を追う気力は無い。仮に気力だけあったとしても、あの化け物のような自転車に勝つことは出来ないだろう。現状では。

(鹿番長。悪いが、アタイも列に加えてもらうぜ)

 勝算まで捨てたわけではなかった。このまま待っていれば、鹿番長と合流できるはずだ。そうすれば、空と同じ方法で雪道を走れる。

 それまで、せめて体力を温存しながら走る。ちなみに、トライクが残した轍を走ろうとも思ったが、出来なかった。三本のタイヤは三つの轍を残したが、それぞれが浅い。体重を三分割していることや、前輪と後輪が違うラインを引いていることが原因だろう。

 せめて相手が二輪であれば、前輪が通った跡を後輪が、さらに踏み潰すことになる。そこまで圧雪されれば走りやすかった。多分……

(何にしても、相手の作った轍を走ってりゃ追い抜けないな)

 問題は、鹿番長がどの程度の速度で走れるのか。そして、どのくらいのタイム差で追いついてくるのか、だ。茜がこうしてくすぶっている間にも、トライクは着実に差を広げているはずである。


「見つけたぜ。アカネよぉ!」

「お、本当だな。やはり俺様は、茜君とも再会する運命だったか」

「茜、迎えに来たよ」

 丁度いい。三人とも、茜の後ろから合流してきた。

「待ってたぜ。空。それとシカ×キラ」

「「おえぇぇぇえええ!!」」

「うわぁ、汚いですよ二人とも」

 空が慌てて車間距離を開けた。その中に強引に茜が入る。

「これならタイヤの太さ順で並べるな。さあ、鹿番長。早速だけどトライクを追ってくれないか?事情は後で話す」

 茜が横柄に言った。それに対して鹿番長は後ろ頭を掻く。伸ばした襟足がわしゃわしゃと揺れた。

「まあ、いいけどよ。事情ワケならミスり速報で多少は聞いているし、何よりお前のやりそうなことは理解ワカるぜ」

「安請け合いしていいのか?俺様たちは相当体力を消耗している。それに、相手のトライクってやつ、電動アシストだぞ?」

 綺羅が真剣な声音で言う。それほどまでに電動アシストとは、持久力に優れたシステムだった。

 プロのロードレーサーが、フレーム内に小さなバッテリとモーターを仕込んで失格になった話は有名だ。たかがシートチューブ内に格納できるほどの、BBを直接内部から回すモーター。この程度の大きさでも、勝敗を大きく揺るがす。

「まあ、確かに鹿番長の後ろをついて回っても、あいつに追いつけるか分からねぇけどさ……アタイはやってみたいんだ。力を貸してくれ」

 先ほどの戦いで、トライクは焦っていたように見えた。顔こそMTB用のフルフェイスヘルメットで見えなかったが、態度やペダリングに不審な点があった。それを見落とす茜ではない。

 確証はないが、この戦いは勝てるかもしれない。理屈ではなく気持ちの上で、茜はそう感じていた。

「まあ、俺様たちも、ここまで来たら協力しようとは思っていたけどさ。出来る範囲で、だぞ?」

「ああ、よろしく頼むぜ。綺羅。鹿番長」




 電気自動車ならぬ、電気オートバイの開発。それはアメリカなどを中心に実現していた。とはいえ、その形状はどう見ても自転車だ。

 そもそもガソリンエンジン搭載型のオートバイの場合、燃料タンクが大きくなる都合で、車体も大きくなる。エンジン自体も重量が重いので、馬力がある割には速度が出ない。あれは思った以上にエネルギー効率が悪い乗り物であると言える。

 その点、電気モーターとバッテリで動く電動オートバイは、無駄に大きくする必要がない。自転車のように軽量なフレームで構成できる。

 エネルギー効率の良さはもちろんの事、燃料が切れた場合には人力で運べる軽さも持ち合わせる。そう言った意味では、このEバイクはガソリン式オートバイより優れた乗り物だ。

 だからこそ、便利さを求めるトライクも納得して購入したのである。

 だと言うのに……


(くそっ、どうなってる?)

 最大充電で航続距離100kmとも言われたジャガーノート。そのバッテリが、今にも切れそうなのだ。

(宿を出るときには、確かに半分ほどの残量があったはずだ。それなのに何故、たかがこの程度の距離で……)

 トライクの計算では、茜たちと決めたゴール地点まで持つはずだった。それが突然消費した理由は、二つある。

 ひとつは、バッテリーパック自体が冷却されたため。

 多くのEバイクがフレーム上部にバッテリを搭載するのに対して、このジャガーノートはフレーム下部に搭載している。2本の前輪が巻き上げた雪は、バッテリーパックに付着して一度溶ける。そして寒風にさらされて再び凍り付くのだ。

 いくら大容量のバッテリでも、冷やされれば十分な電力を賄えない。

(仕方ない。電動アシストの一時停止を行う。人力のみで稼働。モーター停止――っ!?)

 モーターを止めた瞬間、脚に大きな負担がかかる。思っていたよりも、雪が重い。

(これほどの馬力を必要としていたのか……道理でバッテリに負担がかかるわけだ)

 自分の脚で感じて初めて分かる。この雪は重く、硬い。だからこそ想定外のパワー供給が必要となり、電力消費を早めたのだ。

(だが、これも計算内だ。もうすでに茜たちに体力は残されていないだろう。ならば俺の勝利は揺るがない。作戦遂行に支障はないと判断する)

 あくまでクレバーに、勝利への道筋を考える。速度を大きく落とし、ギアを最大まで下げてペダリング。今まで温存してきた筋力を、そこに大いに使える。

 安心して呼吸を整え、ミスり速報に耳を傾けてみれば、耳を疑う情報が流れてきた。


『鹿番長さんと綺羅さんのペアが、茜さんとも合流。4台が並んで走ります。雪をかき分けて走る列車が、トライクさんを追撃。これ、追いつくんじゃないですかぁ?

 一方、トライクさんは何故かモーターを停止して……ああ、今慌てて再稼働しましたぁ。ちゃんと見張ってますからねぇ。分かりますよぉ。

 バッテリ切れですかねぇ。もう果てちゃうんですかぁ?早い男は嫌われますよぉ。

 さあ、ここで逆転となるのか、それともトライクさんがリードを保ち続けてゴールするのか?この勝負、最後まで分かりません』


 なんの冗談かと思う。この雪道を茜のシクロクロスで……まして空のクロスバイクで走れるわけがない。自転車は、このジャガーノートに勝てないはずだ。

「生意気な……全戦力を以て叩き潰してやる。バッテリの温存は必要ない」

 再びパワーを上げたトライクだったが、これも裏目に出る。一度速度が落ちてからの再稼働は、バッテリにさらなる負担をかけた。

 恐怖心から、後ろをこまめに振り返る。いつ追いつかれるのか気にして、その度にペダリングをおろそかにする。

 最初は、小さなイレギュラー。それが雪だるまのように膨らんで、いつしか大きくなってしまう。

「燃料、エンプティ……限界か」

 ついに、モーターからの馬力を得られなくなった。


「追いついたぜ。トライク」

 茜が声を上げる。トライクのバッテリが切れてから十分ほとが経過していた。

 あたりは吹雪に近い状態になっており、視界が悪い。雪国育ちの鹿番長の予想が当たりだ。

「つーか、アカネ。お前視力良いな。視認みえんのかよ?」

「俺様の位置からも見えない。真っ白だ」

「はぁ?アタイより前を走ってて見えねぇのかよ。空には見えるよな。あそこにトライクの自転車が……」

「ごめん、茜。僕は余所見をしている余裕がなさそうだよ」

 なんにしても、茜が幻覚を見ているわけでもない限り、追いついたのだろう。鹿番長は路面だけを気にしながら進む。十分に近づけば、嫌でも視界に入るはずだ。

「こういう時、ライトは点けた方が良いのかな?」

「まあ、使えば手元は照らせるかもな。ただ、太陽光ですら雪に遮られてんだ。過信はするなよ」

 茜のアドバイスに従って、空がライトを点ける。暗かった視界が白くはなったが、確かにあまり変わらない。幸いにも、茜の背中は見やすくなった。あとはついて行くだけでいいはずだ。

「分かっているとは思うが、車間距離は大事にしろよ。俺様からの忠告だ。離れすぎればタイヤ痕は消えてしまい、合流は難しくなる。かといって追突は論外だ」

「はい、綺羅様」


 その様子を、トライクも捉えた。着実に、4人で隊列を組んだ敵が追い上げてくる。

「後ろにつかれたか。振り払うぞ」

 トライクが、さらに必死にペダルを漕ぐ。変速ギアを上げて、力の限りで踏みつける。しかし、車体は思ったように動かない。ギアの重さと必要以上の踏みつけ。そのせいで雪にめり込んでしまったようだ。

「しまった!」

 思った頃には、もう遅い。すでに鹿番長が後ろについていた。

「アカネ。お前の目視、当たりだぜ」

「っく、相手もファットバイクか」

 フルフェイスヘルメット越しに、鹿番長の姿を見る。もともとはリーゼントだったのだろう雪玉を頭に付けて、同じように力任せに漕ぐ鹿番長。しかしトライクと違って、彼は減速しない。

「なぜだ?そんな子供だましの玩具みたいなルックバイクで、なぜ俺についてこれる。これが根性とか気迫だとでも言うのか?」

 トライクが問いかける。それに対して、鹿番長はにやりと笑って答えた。

「お前の自転車チャリは、タイヤが3本とも違うラインを取るだろう?だからそれぞれのタイヤが、常に新雪を踏んでいるんだ。俺は違う。前輪で踏みつけた雪を後輪でもういっぺん圧雪ふみつぶしてるからよ。路面抵抗は1/3だぜ!」


 !?


「な、何で特攻服にリーゼントのくせに、理屈を語れるんだ?」

 トライクが驚く。

「ああ、俺様も最初は驚いたよ。サルが日本語で喋るくらいには驚いた。だから気持ちはわかるぜ?えっと、トライク君?だっけか」

「アタイも初めて会った時は同じ反応したな。自転車が空を飛ぶくらいには不思議だったよ。トライク」

「二人とも、鹿番長さんに失礼だよ。えっと、僕は大丈夫だよ。鹿番長さんが鶏みたいなのは髪型だけだって知っているから……」

「おい待て。フォロー入れてくれたソラがダントツで失礼ブッこいてんじゃねーかコラ!」

 ボケて、ノッて、ツッコむ。まるで中学校の雑談みたいな会話。こんな出来損ないのコメディアンみたいな連中が、トライクを追い詰める。

「ふざけるな!動け。動けジャガーノート!」

 トライクがハンドルを叩く。コントローラーを何度もいじくり、慌てふためいてギアを切り替える。どれもこれも、何の意味もない。

 鹿番長が彼を追い越し、その後ろの綺羅が並ぶ。綺麗な顔立ちをした青年だ。彼以外の3人が中学生で構成された敵チームの中では、一人だけ大人びている。

「気を落とすなよ、トライク君。誰だって性能を発揮できないことはあるさ。ただ、まあ前を向けとは言わない。そうやって俯いていれば、俺様に頭を垂れているように見えるからな。それがちょうどいい頭の高さだ」

「言わせておけば……何様のつもりだ」

「俺様か?綺羅様とでも呼ぶんだな。まあ、そう呼んでくれるのは空君だけなのだがね」

 綺羅が、トライクを追い抜く。そして、茜がトライクの横に来てしまった。憎たらしく、勝ち誇るような笑いを浮かべながら。

「よう、トライク。お前好みの美少女が来たぞ」

「やかましいわブスが!」

「え?」

 茜がポカンと混乱する中、前方からは綺羅と鹿番長の遠慮ない爆笑が、後ろからは空のこらえるような笑い声が聞こえる。なぜだろう。この瞬間だけは、茜が1の方の4対1になっている。

「な、なんだよ!?アタイの事、可憐だとか美人だとか言ったのはお前だろうが!」

「ふん。俺に追いつけずに泣きべそでもかいていれば可愛かったさ。ガキが反抗しおって。俺はこのような交戦結果は認めない。認めないからな!」

 ああ、そういうことか。と、茜は納得する。トライクは自分の車体に心から自信があったからこそ、あれほど余裕があったのだろう。強くて器の大きな男だと思ったが、実際には自己顕示欲の塊。認識欲求の権化とでも言おうか。

「ああ、そうかよ。じゃあアタイはブスでもいいぜ。生憎と、女の子らしい生き方とか分かんねぇからな」

 茜が言えば、続いて鹿番長、綺羅、空がそれぞれ、

「ぷいっ」

「おこだぉ」

「ぷくーっ」

 茜のセリフに余計な一言を足していく。茜はこのレースが終わったら、とりあえず全員一発ずつ殴っておこうと思った。特に可愛かった空には二発進呈しよう。

 そんな茜も、トライクを追い抜いていく。後ろからは、空が迫っていた。

「俺が、負けるなんて……認めるかぁ!メーデー、メーデー、メーデー、動いてくれ。動け!ジャガーノートぉ!」

 ハンドルを叩き、がむしゃらに蛇行する。雪に埋まっていく中、それでも這いずり出そうと必死に蠢く生き物のようだ。

 そんな無茶な走りをするうち、地面が消えるような感覚があった。車体が落下するようにバランスを崩す。


 ばさっ――


「がぁっ!」

 2本の前輪のうち、左側が落ちる。道路の横の側溝だ。蓋が外れていたらしい。雪に埋まっていて見落とした。

 いくら重量のある3輪とはいえ、車輪が一つ落ちたら落車する。このまま、成す術もなく転がる。

 そう、思った時だった。

「トライクさん!手を」

 空が手を差し出す。トライクはとっさにその手を取りつつ、すぐに思い直した。果たして空とエスケープ程度の重量では、一緒に転ぶだけではないか。

 しかし、空はエスケープのタイヤを大きく左に投げ出す。そのまま身体を右に倒して、限界まで体重移動する。エスケープのタイヤが、ジャガーノートのタイヤとぶつかった。

 組体操で言うところの扇のような姿勢を保ち、重たいジャガーノートを引き上げる。


 ずざざっ!


 引き換えに、空が地面に転ぶ。雪の影響で、大した怪我はない。

「空っ!大丈夫か?」

「おいおい、空君。無茶し過ぎだろう」

「あ?何があったんだ。見てなかったぞ、ソラ」

 先行していた3人も、空の落車に気づいて自転車を降りる。それに対して空は、

「ああ、ごめん。大丈夫だよ。痛くはないから」

 と、笑顔で答えていた。心配ないというアピールだろう。

「よし。エスケープは大丈夫か?ディレイラーハンガーとか折れてないか?」

「どれよ?……お、SRAM-X3じゃねーか。激マブだぜ。あー、でも壊れたら交換部品の取り寄せがムズいんじゃねーか?」

「まあ、その時はshimano-ALTUSでも組み込んでおけば動くだろうさ。俺様のコレクションの中にあったから、最悪の場合は輸送だな」

 寄ってたかって、今度はクロスバイクの心配。そんな彼らを見て、助けられたトライクは、ただ茫然と立っていた。

「どうして俺を助けた?」

 ヘルメットを脱いだトライクが、そう問いかける。

「え?えっと、助けたかったから?」

 助けた空自身も、よく分からない。何でと言われても困るし、冷静になれば理由なんかなかった気がする。

「僕はただ、せっかく一緒に走ってるのに、怪我をする人がいたら嫌だ。って思っただけです。えへへ……まさか僕が転ぶなんて、予想外でしたけどね」


 ああ、これも子供らしさ、なのか。仲間に引っ張られて輪に戻っていく空を見て、そう思う。

 理想ばかりを追い求めて、同じ年ごろの友人と集まって、気の合う仲間を作って、こうして大人に反抗してくる。それもまた、子供の在り方なのかもしれない。そして、時にはそんな子供に負けるのも大人……なのだろう。

「やれやれ。今回は俺の負けだな。撤退するぞ。宿を見つけて明日に備える」

 ジャガーノートに近づき、そのまま今夜は休もうとする。一晩充電すれば、まあ8割は溜まるはずだ。

「おっと、どこに行こうとしてんだ?」

 逃げようとするトライクを、茜が引き留める。

「お前らの勝ちだ。それでいいだろう」

「良いわけないだろう。ゴールしないで勝敗も何もあるかよ?なあ、みんな」

 茜が大仰に訊く。その芝居がかった身振りを見れば、本気で言っているわけじゃないだろう。ただ、トライクをたきつけるための芝居だ。

 分かったうえで、しかし乗らない者はいなかった。

「ここからが本番ですよ。ね、トライクさん」

「仕切り直しか。それなら、俺様たちも混ぜてもらおうかな?」

「言っとくけど、このメンツで雪道なら、俺の独壇場ステージだぜ?」

 全員が、同じ思いだったようだ。

(ふっ、こいつらは……)

 不思議だ。たかが子供に、自分が巻き込まれていく。彼らと一緒にいると、なんだか自分まで子供に戻ったような気分になる。しかし、悪くない。




『さあ、本日の空さん、茜さん、トライクさんのレースも大詰め!ですかねぇ……

 ゴールまで、あと5kmを切ってます。おっと、ここで鹿番長さんが、雪に線を引き始めました。足でガリガリと……仕切り直しですかねぇ。5台の自転車が横に並びますぅ。

 あ、でも一回避けてもらってもいいですかぁ?中継車と、ニーダさんが通るので』




「ニーダ?」

 5人がミス・リードの放送を聞いて、首を傾げつつ後ろを振り返る。すると、そこには一台のスズキ ジムニーが迫ってきていた。どうやら中継車らしい。後ろのドアは取り外されて、そこからカメラマンが身を乗り出している。

 その車体のすぐ後ろに、ぴったりくっつく形で走っている一台の自転車(?)も見えた。空とトライクは、彼女を初めて見る。

「え?何あれ?」

「しらん。あんな兵装、俺も初めて見る。ミス・リード。詳しい情報をくれ」

 言っている間に、ニーダは通り過ぎてしまった。雪煙だけが、その場に残される。

 あまりにもスムーズな走り。この雪の中であることを考えれば、まず出ない……いや、出せない速度。

「あいつ、あんな装備を持っていたのか?」

 茜は、彼女を知っている。駅で出会い、一緒に線路を走った友達。

 バイザー付きのヘルメットからはみ出す、ぼさぼさの長い黒髪。細い身体に張り付く防寒ジャージ。大きな、しかし何を考えているのか分からない黒い瞳。それは以前見た通りだ。

 しかし、彼女が乗るMTBだけは、見たこともない姿に変化していた。



『――ミス・リード。私はこれから、一位を取りに行く』

 放送で、ニーダの声が聞こえる。凸電機能を使ったらしい。

『お、好戦的ですねぇ。それじゃあ、最後まで中継させてもらいますよぉ。頑張ってくださいねぇ』

『――うん。だから教えて。アマチタダカツまでの距離』

『はいはーい。現在は……残り80km差ですねぇ。これならすぐに追いつくかもしれませんよぉ。今のニーダさんなら』

『――ありがとう』

 ニーダが、暫定一位の伝説に挑む。あっけにとられた空たちは、しばらく固まって動けなかった。

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