終息

 佐久間さくまは幼少期より、父親にコンプレックスを抱いていた。


 毒草の栽培所持、使用の罪で捕まった父の存在は彼にとって汚点以外の何物でもなく、その汚点が佐久間大介だいすけという個人の核を作り出した。


 おまえは父親のようにはなるなと、口を酸っぱくして言っていた母親の影響もあった。

 父のようにはなるまいと、父のような犯罪者にはなるまいと、幼少期から覚えて過ごしてきた彼は小学校に上がる頃には、自分がそうなるはずはないと思っていた。


 自分は犯罪者とは違う。ルールを犯すのではなく、ルールを守る者。

 人の言いつけを守り、ルールを犯す人間を咎める資格を持つ者であると。そういう人間になるための努力を続けてきたし、続けている。


 犯罪者の息子という肩書を背負ったからこそ、父親のようにはなるまいとしてきた生活習慣が、自身は絶対そうなり得るはずもないという絶対的な自信を生んだ。

 元々存在したプライドの高さも相まって、中学を卒業するころにはすっかり佐久間大介という存在は完成していた。


 体育館で全校集会が行われれば全員が喋っている中一人黙って、いつまでも喋り続けている皆を嘲笑し、愚弄していた。

 連帯責任として自分をも巻き込んで叱責する先生に対してまで見る目がないと蔑み、軽蔑の眼差しを向けた。

 学校のルールすらも守れない連中と一緒くたにされることが、我慢ならなかった。


 大学に入っても真面目に勉強に励んだ。

 励んだというよりは、大学は勉強するために行く場所なのだから、勉強する以外にしてはいけないと思っていた。


 父の逮捕以来、女手一つで自分を育ててくれた母親が死んだのもこの頃か。

 父のようにはなるなと言い聞かせ続けていた母親に、絶対にならないと誓ったのがこの頃の話である。

 故に警察官になったのは、彼にとってはごく自然な流れとも言えた。


 警察になって世の中のルールを守れていない犯罪者を片っ端から捕まえる。

 父親という存在を軽蔑し続けた果て、父親を含めた犯罪者の存在を完全に否定する。

 自分ではなり得ない存在を否定し、拒絶し続けることで自身が彼らとは違うのだという証を得ようとした。


 その過程で、異世界出張という道を知った。


 警察組織の中でもいわゆるエリートだけに許された出世コース。

 この世界の警察組織を代表する顔として選ばれるのは、警察組織そのものに選ばれたも同じこと。これ以上ない現代警察の模範である。

 故に選ばれるのはごく少数。

 異世界に関しての知識はないものの、資格の取得には組織ぐるみで協力してくれるし、勉強することには自信があった。

 むしろ適当に仕事するような連中に負けるはずがないと思っていたのに――


 選ばれたのは、ただ異世界が好きというだけの奴だった。

 受験にも失敗して、異世界に行く機会をずっと手に入れられなかった落ちこぼれのような奴だった。

 それこそ高校の全校集会で、いつまでも注意されるまで喋り続けているような奴だった。


 ふざけるな。僕の方が適任だ。


 おまえにエリートコースなんて似合わないし見合わない。


 たかが異世界に行きたい程度の学生気分で、仕事を穢すな。


 不真面目な奴が嫌いだ。

 そう言う奴はすぐに現実に耐え切れず、魔の手を借りる。それこそ父親のように。


 どうせこいつも、異世界で扱かれれば耐えかねてやめるに決まってる。

 そんな適当で意志の弱い奴に、自分が負けるはずなんてない。負けるわけがない。


 消さなければ。


 こんな奴に負けたなんて歴史は自分の中には要らない。真面目に仕事に取り組んでいる自分が、ただ好きという理由で仕事してる奴に負けるはずがない。


 消さなければならない、この事実を。


 受け入れるわけにはいかない。

 負けるはずがない。

 負けたわけがない。


 だから、消してしまおう。こんな嘘偽りの事実なんて――


 そうして父の書斎に隠されていた毒草から作った粉を手にした佐久間は、実験台が欲しかった。

 最初は父親を実験台にしたのだが、後から考えれば一度毒を飲んでいる父親が今の毒で苦しんでいるのか、それとも過去の毒物の影響で発作しているのかわからなかった。


「は? 今なんて……?」

「本人から頼まれてな。生徒達に無駄な不安を煽らせるようではいけないと言われた。もう少しベテランの奴らに任せるから、おまえらは戻れ」

「し、しかし――」

「なぁに、気にするな。今回は少々状況が特殊だしな。今後には響かんよ」


 ふざけるな。


 今後に響かないから心配要らない?


 その程度の責任感で、仕事なんてしてるんじゃない。


 そして依頼人も依頼人だ。僕を外すとは何事だ。


 僕が誰だかわかっているのか。僕はただの新米警官じゃない。


 僕は違う。

 僕は他とは違う。

 僕が降ろされるはずはない。


 僕を降ろす連中が愚かなのだ。これは立派な名誉棄損だ。


 消してやる。

 消さねばなるまい。

 消すしかない。


 ならば彼女にしてやろう。

 本当はあいつを殺すのに使うつもりだったが、仕方ない。

 殺してしまっても文句はあるまい。

 僕にケチなんて付けるような、浅はかな人間だ。


 僕は――おまえらのように愚かではない。

 こうして、佐久間大介という犯罪者が生まれた。


「往生しろ!」


 正義の味方気取りか、女の前で格好つけたいだけか、目の前に立ちはだかる若者。

 右手には何も持っていないが、左手に鞘を握り締めている。

 異世界転移の資格者は帯刀を認められているが、彼はそうではないらしい。


 舐められたものだ。


 毒の影響で動きが鈍っているアルフォンシーノ自ら赴いて来るのも、称号持ちマスターの誰かではなく、資格も持たない学生に任せたのも、舐められているとしか思えない。


 ふざけるな、僕はそんな適当に捕まるほど弱くはない。


 佐久間はナイフで斬りかかる。


 青年は鞘で受け、弾く。


 身を翻して、裏拳の形で鞘を振り回す。

 だが警察で剣道を学んだ佐久間にとって、自由形の踏み込みも甘いただの棒振りなど躱すに易い。

 一歩下がれば容易に躱せる。下がった一歩を直前に踏み込めば、ナイフが届く。


「死ね、クソガキ!」


 鞘一本で止められると思われていることに腹が立つ。

 自分を舐めてかかっている時点で殺す。


 ただ好きというだけで中途半端に勉強するような、適当な奴とは違う。

 その場の勢いに任せて、エネルギーを使っているだけの奴とは違う。


 綿密な計画と計算の上で、自分に可能な行動範囲で存在を証明する。

 何も考えずに勢いだけで生きているような連中はすぐに死にたいというが、自分はそれが乗り越えられる壁だと知っている。


 おまえらとは違う。

 だから死ぬのだ。


 何も考えず、格好つけたいがために飛び出してきただけの子供一人など、自分の手にかかれば容易に殺せる。これが現実だ。


 佐久間のナイフが、青年の腕を掠める。それで充分。


 このナイフは斬るのではなく、毒によって殺す暗器なのだから、これで彼は死んだも同然。

 毒が体内に侵入した時点で、勝負は終わったのだ。


「舐めるなよクソガキ。僕を誰だと思ってる。佐久間大介だぞ!」

「っ……! し――らないっ!!!」


 何が起こったのか、佐久間はすぐにはわからなかった。

 脇腹に走る鈍い痛みに視線を落とすと、青年が振り払った鞘が佐久間の脇腹を抉っていた。

 先ほどと同じく裏拳の要領で振り回された鞘の先の鉄の装飾が、佐久間のあばらに亀裂を入れかねない凄まじい衝撃を生んで、一瞬で立つための力を刈り取った。


 仰向けに倒れた佐久間は、あまりの衝撃に呼吸を忘れる。

 息が吸えず、吐き出せない。酸素が得られなくなった体は絶えず痙攣して、何も考えられなくなる。

 何故毒が効かないのか、何故最後の最後でそんな力が出せたのか、何もわからないまま、佐久間は完全に、意識を消失した。


 * * * * *


「……あなたが、やったのですか?」


 摺り足同然の歩き方で遅れて来たアルフォンシーノは、倒れている佐久間と彼の両腕を後ろで縛っていた恭弥きょうや青年を見下ろして青年に問う。

 同時、彼の袖が破けていたのを見てまさか、と想像してしまったが、青年は腕をまくって腕にまいていた鎖帷子くさりかたびらを見せた。


「こんなこともあるだろうと、用心して来ました。あなたが病院を抜け出したと聞いて、心配で」

「ゾッとしました」

「それは僕もです。せめて警察を呼ぶとか、ガビーロール先生に相談するとかしてください。毒も残ってるのに、単身犯人の下へ向かって行くだなんて。どれだけ心配したことか。もうしないでください、二度と」

「それは時と場合によって――」

「約束してください」

「……わかり、ました」


 思わず約束してしまった。

 彼の強い眼差しに負けて、つい。


 本来ならば殺人未遂犯に単身で、しかも鞘一本で対峙した彼を講師として叱らなければならないのだが、そもそも自分がやってしまって先に叱られてしまったので、面目も何もなかった。


「まったく――無事でよかった」


 ポン、と頭に手が乗せられる。

 梳くように撫で下ろされて、アルフォンシーノの乳白色の頬が徐々に朱色を帯びていく。

 ずっとオドオドしていた彼の突然の女性扱いに、完全に不意を突かれた形でアルフォンシーノは硬直してしまった。

 人形のように動じなかった彼女の表情が、柔く茹っていく。


「な、何を……」

「あ、あぁ、ごめん、なさい……安心して、つい。と、とにかく、無事でよかったです」

「だ、だけどよくここがわかりましたね」

「ガビーロール先生のくれたスクロールのお陰です。アルフォンシーノ先生が抜け出すことをある程度想定していたようなので」

「そうでしたか」


 オドオドした彼に戻ってしまったなと、少し残念に思うアルフォンシーノは、恭弥青年が呼んだ警察と救急に保護されて再び入院。

 四日後に正式に退院し、講義に戻る。


 犯人も捕まり元通り。

 なのだが、アルフォンシーノにはちょっとした変化があった。

 それが後の、鞘師さやしアルフォンシーノ誕生のきっかけとなる――と大袈裟に言ってしまえばそうなのだが、単純に言ってしまえば、彼女に恋人ができたのである。


 その噂はすぐさまゲートにも広がったが、アルフォンシーノが狙われた事件よりも現実味に溢れているというのに、最初は誰も信じることができなかった。

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