アルフォンシーノという先生

 皆は大学講師の個室と言われると、どんな部屋を想像するだろうか。


 歴史の講師ならば世界地図が丸め込まれた状態でたくさん部屋の片隅に刺さっていて、数学講師ならば講義で使うのだろう定規などが棚に積み上がっていて、社会学講師ならば昔も近代も関わらぬ年代の本がズラッと並んでいるとか、芸術系講師ならば資料という資料が山のようにあって足の踏み場もないとか、色々あることだろう。


 ゲートの講師陣の部屋も様々な個性が見られるが、アルフォンシーノの部屋も例外ではない。


【魔導剣士】の称号を得た際、祖国フランスから送られた甲冑が両脇で剣を掲げた状態で客人を迎え、壁に打ち付けられている形の本棚には彼女がこれまでに渡った異世界の書物が鎮座し、彼女の履歴を物語る。


 仕事用のパソコンが置かれたデスクの前には来客用のソファと机があるのだが、机の上には異世界にて発掘した水晶石が飾られている。

 本棚の反対側には馬に乗せる鞍が置かれていて、その側には八本もの刀剣。

 彼女が普段から腰に差している刀剣とはまた形状も長さも用途も異なるものばかりだ。

 鞍は、異世界にて馬を飼いならし、移動に使うために作らせたらしい。

 どんな状況だろうとも対応できるようにと、あらゆる方面での準備を怠らない彼女の性格が、実によく滲み出ている部屋だった。

 かといって物の多さには関わらず、きちんと整頓されているのもまた、彼女の性格が表れている気がする。


 さらに言えば、女性の部屋特有の甘い匂いが漂っていて、恭弥きょうや青年は部屋に入るときに若干の緊張を強いられた。

 彼にとっては彼女の部屋に入ることは、単なる講師の部屋に入ることと少し違くて、そのためまた異なる緊張感を持たなければならなかったのである。


「どうぞ」


 単と発せられる彼女に誘われ、部屋へ踏み込む。

 促されるままついたソファに、緊張のあまり寄りかかることができない。

 何せ目の前の彼女が両脚を綺麗に斜めに揃え、背もたれなど不要と言わんばかりに背筋を伸ばして座っているからだ。


 彼女自身、自分のあまりにも正し過ぎる姿勢が生徒に緊張を与えていることなど理解し切れていない。

 異世界にて王宮剣術を学んだ際、同時に学んだ王宮のマナーが体に染みついていて、未だ抜けていなかった。


「粗茶ですが」と定番の文句を添えられて出された紅茶が、甘い湯気を立ち上らせるのに一瞥をくれた恭弥は茶を啜る。

 それが熱いことはわかっていたが、しかしそれでも今ここで潤しておきたいほど、彼の喉は渇きを訴えていた。


 緊張のし過ぎで、ここに来るまで何杯水を飲んでも癒えなかった渇きは、喉を焼くように熱い香草の香る紅茶によって締められる。

 自分のうちでは絶対に出てくることはないタイプのお茶に、青年が最初に抱いた感想は、甘い香りに反対して苦い、以外の何物でもなかった。


 彼女は果たして、この紅茶をどう思って飲んでいるのかわからない。

 人形じみて美しく整った顔立ちは、苦いと眉を顰めることも甘いと綻ぶこともなく、まったく何も思っていないように変わらなかった。


「さて、では時間も惜しいので単刀直入に伺います。どんな話が聞きたいですか?」

「……その刀」

「刀?」

「授業中、先生の右腰に差していた紺色の刀の鞘が、気になって……」


 今は座るのに邪魔なため、彼女のすぐ側に立てかかっている一本。


 青色の柄に銀色のつば。そして何より紺色の鞘。

 恭弥の興味はその奥の刀身ではなく、鞘に向いている。


 彼の熱心な目を見て、アルフォンシーノは彼にその刀を差し向けた。


「いいん、ですか……?」

「はい。問題ありません」

「し、失礼、します」


 万が一彼が抜刀して来たところで素人の剣くらいは無刀でも返せるし、何より彼女の側にはまだ他七本もの刀がある。返すのは容易い。


 が、そもそもそんなことを考える必要性もなかった。

 恭弥は確かに刀を抜いたがすぐに戻し、また抜いては戻しを繰り返す。


 鞘は刀を収めるものであるが、それだけでは意味がない。

 鞘走り――刀を抜く際の滑りの良さや、刀を収めているときに如何に刀を傷付けず、刃を守るかなど、鞘一つとっても様々な見方がある。


 何より青年が感銘を受けているのは、刀を収めるための入れ物としてありながら、自らの存在を主張することも忘れない鞘の美しいフォルムである。

 デザインやフォルムなど、誇張すればいくらでも美化できるものであるが、あくまで刀に重きを置き、脇役に徹しながらも自身の存在を証明するようにあるその鞘は、父親どころか祖父でもなかなか作れる代物ではない。


 まさしく一級品と呼んで相違ない見事なつくりに、青年は感動を隠し切れなかった。


「これも、異世界の代物ですか」

「この世界でも神話に名を遺す鍛冶の神、ヘパイストスの血を継ぐ職人の作品です。刀身はもちろん、柄も鍔も鞘ですらも、彼の作る作品は一級品と劣らないでしょう」

「僕も職人の端くれです。これが一級品であることはすぐにわかる。やはり異世界は広い……この世界だけでは、やっぱり終われない」

「……もしかしてそのために、ゲートに? ならば私よりも、【創手メイカー】の授業を受けた方がいいのでは?」


創手メイカー】レイチェル・スピット。


 ゲート所属の称号持ちマスターの一人で、称号通りあらゆるものを作り上げる創造主である。

 装備品も含めて何もかもを作り上げる彼女は、素材の調達から配送まですべて一人で行う自己完結型で、それで一級品も作るものだから誰も真似できない。

 故に彼女の授業が一番辛く、逃げ出す者も多いと聞くが。


「確かにあの方の下で教われば、僕も少しは立派になれるかもしれません。だけど僕はまだ、自分の流派すらものにできていない。だからまずは自分の流派をしっかりと身に着けて、自分の鞘を作りたいんです。あの方の下へは、後ででも弟子入りでもなんでもすればいい」


 一言一句力強く放たれる彼の主張を、アルフォンシーノは黙って聞いていた。

 ずっともごもごと話していた彼が、初めて自分の考えを主張した瞬間を見逃すまいと、聞き逃すまいと彼に意識を向けていた。


 このとき彼が刃を向けてきたとして、対応するだけのことはできるものの、しかしそれは彼女の対応が迅速というだけの話で、前もって構えるような余裕はない。

 彼女の全神経が、彼の全力の姿勢に向いていた。

 それだけ彼の主張が、力強いものだったからだ。

 彼女の強い視線に気づくと、彼は怖気づいて引いてしまったが、しかしアルフォンシーノは見逃さなかった。彼の本気の姿勢を。


「僕は、まだまだ未熟者です。だから見聞を広めるためにも、ここに来ました。先生の下へ来たのは……まずは、刀を使う人のことを知ろうと、思ったからです。不純な動機で、すみません」

「どこが不純なのですか?」


 彼女は問う。


 青年は突然の問いに答えられない。


 アルフォンシーノが今まで見てきた人間の中でも、彼が自己否定の強い人であることは、今までのやり取りの中でなんとなくわかっていた。

 自己否定の強い人間の中でも、自己肯定力の弱い人はどんな理由をも否定の材料にするから、何故そんなに自分を否定するのですかと言われると答えられない。

 自分を否定することが当たり前過ぎて、疑うことをしなくなってしまっているのは酷い悪癖と言えるだろう。

 彼はまさに、その典型例だった。


「自分の家業を継ごうとしない若者は多いと聞きます。その中で、あなたはきちんと自分の家と向き合い、それを継ごうとなさっている。それはとても立派なことなのです」


「確かに、私の下へ来る生徒は魔導剣士を目指す人が多いでしょう。しかしだからといって、私の教えを受ければ魔導剣士になれる保証はないし、ましてや魔導剣士にならなければならないわけでもありません。講義も授業も、すべては生徒達が自分の道を行くための踏み台なのです。だからあなたが鞘師として立派になるのなら、私を踏み台にしてくれて構いません」


 一切目を逸らすことなく断言する。

 彼女の玲瓏な声音は、授業中にもないくらいの力強さで言い切った。


 それこそ青年が、言葉の端から端まで余すことなく呑み込んでしまうほど、彼女の言葉は深く青年の心に潜り込み、突き刺さる。

 自分の力の無さ、不甲斐なさに悩む青少年の黄昏時に、彼女という存在は橙色に沈む日差しの眩しさなど霞むほど明るく、彼の心を照らしたのである。


 後に彼は、子供に語る。


 このときこそ、自分はアルフォンシーノという人に惚れたのだと。

 自分よりも、自分を強く肯定してくれる人に、このとき初めて会えたのだと。

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