第14話 情と論
鷹丸は飛び起きた。
自身の周りには瓦礫と人間だったものが散らばっている。ポチャンポチャンと水音に目を向ければ、そこに血溜まりができていた。
その光景を見るだけで事態がわかる。
あの時、彼女達は三体の鬼に囲まれたはずだ。その生存をいち早く確かめなければ。
その焦りがすぐに鷹丸の視線を彼女達の元へ運んだ。
遠くにある本堂。その前で二人は呆然とこちらを眺めている。
かけがえのない仲間の無事に、鷹丸はフーっと長く息を吐いた。
そんな束の間。
「なかなかに面白かったぞ」
そう言って天狗が降り立った。
鷹丸の様子など気にもとめず、ドカドカと近づいて来る。その勢いのまま彼の裾を掴むと、曇天へと放り投げた。
気がつけば、鷹丸は空から大地を見下ろしていた。無数の瓦屋根が地面にへばりついて見える。遠く離れていたはずの大きな本堂の屋根が足元にある。豊月と晴姫は米粒のように小さかった。
そんな空中散歩も長くは続かない。
すぐに、宙に浮かす力は無くなり、陸へと引き戻そうとする微量な力が、その身体を引っ張っていく。
ここはお前の居場所ではないのだと、この曇天が拒絶している。
そう鷹丸が感じるほどに、どんどんと足元の屋根が大きくなり、空が遠ざかっていく。
彼女達の表情が鮮明に見える頃には、また悪戯に殺されるのかと悲観していた。
だが、そうはならなかった。
カラスの鬼人が空中でその身を拾うと、石畳の上にそっと置いたのだ。
そして、すぐに二体の鬼人が三人の目の前に降り立った。
「鷹丸とやら。確かに内なる鬼は、奥州の餓鬼であったぞ」
そう平然と語る天狗に、突然晴姫が喰ってかかった。
「あの者達は死ぬ必要がありましたか!? 貴方のその身勝手が信じられません!!」
弟子である白飾様は、人を思い行動していた。民達との共存をその喜びとしていた。
故に晴姫は、少しばかり期待をしていたのだ。もしかしたら、その師もそうであるのかもしれないと。
「晴姫と言ったか……? 」
つまらなそうにその名を呼ぶと、深くため息を吐く。天狗はそのまま言葉を続けた。
「喰ったのはわしではない。餓鬼だ。彼奴はイカれているが、赤子ではない。その選択にまで責任は持てん」
「貴方が誘導したのでしょう!? 必ず喰うと知っていて餓鬼をあの者達の近くに……。なんて酷い……!!」
その言葉に天狗は呆気に取られていた。
だがすぐに嘲笑うように晴姫を見る。
「小娘……。鬼が人を喰うのは悪だと思うか?」
「当たり前です!!」
山間の町で守る事ができなかった人達。その人達には未来があった。家族がいた。
それを奪い、悲しませる事を悪以外になんと呼べる。
晴姫はそう心から思っている。
「では鳥や鹿、魚を喰う人間は悪か?」
その問いに晴姫は言葉をつまらせる。
さらに天狗は続けて言った。
「喰う事を悪とするのは道理に合わない。この世の全ての動物は平等に何かを喰っている。ならば果たして、鬼と人の関係を善と悪で語れるか?」
「じゃあなんだ? 私達は黙って喰われていろと!?」
今にも殴りかかりそうな豊月を天狗は鼻で笑う。
「そこまでは言っておらん。どんな動物も喰われると分かれば抵抗する。むしろその点で言えば、被食者が捕食者を倒す事ができる我々の関係は、むしろ鬼にとって不運と思うがなぁ」
豊月にはその言葉が、「喰われたくなければ、しっかり抵抗しろ」と挑発しているように聞こえてしまう。そんな鬼にとって厳しい世界で、長く生きているからこそ、自分は強いのだと言っているように思えてしまう。
それが一人の封師として悔しかった。
豊月が下を向く横で晴姫はその小さな拳を強く握りしめている。そしてその想いを言葉に乗せた。
「でも私達は、命を粗末にして喜んだりはしない!!」
天狗はまた一つ、ため息を吐いた。
「お前の話はつまらんなぁ……。あの人間共は、別にわしが攫ってきたわけではない。
晴姫はハッとした。
それは死罪人である。
自身の行いで命の価値を下げた者達。殺されて皆から喜ばれる者達。
「奴らが悲しませた者達を思えば、粗末に扱われるくらいがちょうど良いと思わないか? いただきますと、感謝の言葉が必要か? 」
この言葉は晴姫に突き刺さった。
自身の両親を殺した、あの賊達を思い出したからだ。
確かにあの時、憎しみを覚えていた。悔しさを覚えていた。
奴らが牛鬼に殺されて何を思った? 何を感じた?
いろいろな事が瞬く間に起こった為に、喜びはしなかった。だが、当然の死とは思っていたはずだ。
故に晴姫はただ黙る事しかできなかった。
「傲慢な娘よ。そんなに討論がしたいのなら、まずは知見を広めよ。他者に善悪を語るには、お前はまだ若すぎる」
そう天狗に吐き捨てられ、晴姫は肩を落とした。その華奢で柔らかな体を豊月は抱きしめる。
少女は小さく震えていた。
もう彼女がこれ以上傷つかなくて良いようにと、豊月は話題を変える。
「天狗、もうわかった。だが一つ教えてくれ。鷹丸に潜む鬼はどうすれば封じれる?」
天狗はその白い髭を撫でる。
「心当たりはあるぞ。だがなぁ、タダでは教えられんなぁ」
そう白々しく放った言葉に、豊月は苛立った。
完全に足元を見られているが、こちらに相手の優位を崩せる手はない。
また鬼の好きなようにされる。
封師として、これを許す自分が堪らなく腹立たしい。
「何をすれば良いのでしょう?」
そう言ったのは鷹丸だった。
ここまで、彼が黙っていたのはこの展開があまりにも予想外だったからだ。
まず驚いたのは天狗が思いのほか、彼女達の話に付き合っていること。
その次に、明らかに好意的ではない二人の言葉に機嫌を損ねないこと。
鷹丸はその目的を達成するために、その様子を注視し考えていた。
そして、ようやく気づいたのだ。
最初から、天狗はこちらに好意的だったのかもしれないと。
ならば、天狗の提案には乗っておいた方が良い。
「鬼を二体封じてくれぬか? 相模との取引なのだが、わしは短歌作りで忙しくてなぁ」
鷹丸の予想通り、悪くない条件。
咄嗟に二人の方を見た。
豊月と晴姫はそれぞれの感情をその表情に出し、冷静とは言えない状況であった。
故に鷹丸は彼女達のために、これ以上の長居は無用と判断し、これを即座に了承した。
「ただし、餓鬼は使うな。石を相模に提出するのでな」
鬼の詳細な情報を聞いた後、天狗のその言葉を背に三人は山を降りていく。
足取りは登りの時よりも重く、晴姫と豊月は足元を見るばかりであった。
「利がある取引とは思えませんが……。珍しいですね」
天狗は本堂に入るべく、その襖に手をかけていた。そのカラスの言葉に振り返ると、ニヤリと笑う。
「あれらは中々に逸材だ。育てばきっと面白くなる。特にあの晴姫という娘だ……!!」
そう言ってクククと笑う。
ところが次第に視線は足元に行き、口角も徐々に徐々にと下がっていく。
すると、ポツリと呟いた。
「
哀愁を噛みしめる天狗の顔。
それを上げさせたのは、周囲に生える木々であった。
そよ風に揺れて、小さく葉が擦れ合っている。
どこか優しくも、小馬鹿にしているようなその音は天狗に笑顔を取り戻させた。
「
相模国には、一人の封師と一体の鬼が建てた寺がある。
残された彼は、その思い出を易々とは語らない。
大雄山に訪れる四季の如く、荒々しくも美しい喜怒哀楽を思い出して笑う姿に、どこか寂しさを覗かせる。
「いい加減語ってはくれませんか? その了庵様との思い出話を」
カラスの鬼人は優しく微笑み、主人に尋ねた。
彼の弟子達は今まで、何度も何度も問いかけたのだが、天狗は決まってこう返す。
「いつの日か話そう。その時を、鼻を長くして待っておれ!」
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