第13話 愉悦

 カラスの鬼人の後を追い、辿り着いたのはお堂が建ち並ぶ寺であった。

 そのひとつひとつに重みがあり壮大で、もし快晴であればどれほど美しく山と調和するのだろうと、鷹丸は視線を空に移す。


 だが、三人は曇天の中にいる。周囲を建物に囲まれ、空すらも雲に防がれているような、そんな閉塞感。


 石畳の上でしか生きていられないような、そんな緊張を鷹丸と豊月は感じてしまう。


「中で主人がお待ちです」


 石階段の先には、荘厳たる本堂が構えていた。

 真っ黒な入母屋いりもや造りの瓦屋根をいくつもの太い柱が支えている。分厚い雲を背にしてみせる雰囲気はとても威圧的で尚更緊張を二人は感じてしまう。


 彼らが最上段まで昇りきったところで、カラスの鬼人は本堂の障子を開けた。


「お連れ致しました」


 すると、その奥から人影が近づいてくる。

 カツンカツンと下駄の足音がその者の登場を知らせると、すぐにその姿が二人の目に映った。


 長く蓄えられた白い髭。山伏の服装に長い下駄。そこだけを見れば仙人ように思える風貌。だが白翼を持ち、その赤い肌と長い鼻を見て、鬼人だと確信できる。

 その目は険しく、ギロギロと三人を見定めていた。


 そして、すぐに厳威で風格ある声がその口から放たれる。


「畏れではなく警戒が先に来るか……。三人とも戦える者のようだな?」


 その心情を読み取られ、鷹丸と豊月の心臓が跳ねる。


 だが、煌術が使えるとわかっても天狗は何をするでもなく、ドカッと腰を下ろすだけである。


「吸血鬼……。奴は元気にしておったか?」


 この鬼は我々を取るに足らない存在だと認識している。鷹丸と豊月はそう理解した。


「はい。とある城の城主となり、人間と共存をしています」


 答えたのは晴姫だった。


「カラスよ。聞いたか……?」


「はい。まさかそんな事になっているとは……」


 天狗は大きく笑う。

 だが、その笑いは嘲笑ではなく、どこか懐かしんでいるように鷹丸は思えた。


「いやはや、面白い話を聞いた……。 で、お主らは何をしにきた?」


 少し機嫌が良くなった天狗に向かい、鷹丸は頭を下げた。


「私の中に鬼がいます……。それを討つ方法を教えていただきたいのです!!」


 二体の鬼人は一瞬、目を見開くとまじまじと鷹丸を観察し始めた。


「カラスよ。何か感じるか?」


「いえ。私にはただの人間にしか見えません」


「鷹丸とやら。お主の中に、どんな鬼がいると言うのだ?」


 鷹丸が奥州の餓鬼の名を口にすると、天狗は立ち上がり、長い鼻が触れそうになるほど彼の顔に近づいた。


 険しい目。その真っ黒な瞳には一人の人間しか映らない。


「あれほどの鬼が全く気配を見せないか……。嘘をついているようには見えない。理由もない……。であるならば、どうすれば餓鬼は出てくる?」


 天狗はその長い顎髭を撫でながら聞いた。まじまじと鷹丸を観察している。


「私が死に瀕すれば自ずと……」


 その瞬間であった。




 果実を握りつぶしたような音が鳴る。真っ赤な腕を伝い、ポツポツとその肘からは赤黒い果汁が滴り落ちる。


 天狗は何の躊躇いもなく、鷹丸の頭を握り潰した。




 *


 話には聞いていた。鷹丸の中に潜む悪鬼の恐ろしさも、醜さも理解したつもりだった。


 濃淡のある黒い炎に包まれた鬼。その爪を立てては大口を広げ暴れる姿は、到底正気とは思えない。

 強く輝く目前の煌を執拗に破ろうと足掻いている。



 私は晴姫に生かされた。彼女が咄嗟に抱きついてくれなければ、あの牙とあの爪はこの体を引き裂いていたはずだ。


「鷹丸!聞こえるか!鷹丸ッ!!」


 強く呼びかければ何か変わるかもしれない。

 そう思ったが、その声は漆黒に阻まれる。


 暴れ狂うその姿を目に焼き付ける。

 そして、すぐさま空を睨んだ。



「見ろカラス! あれが奥州の餓鬼だ! 」


「なんて禍々しい……。さすが伝説の鬼です」


 天狗の笑い声が曇天に響く。


「なんと懐かしい……! 随分昔にもこうして、奴の暴走を眺めていたものだ!」


 遥か上空で二体の鬼が羽ばたいている。

 安全圏で笑い、厄災を見下ろしていた。


「カミカゼ! このままじゃ、この寺は滅茶苦茶になるぞ!!」


 豊月は力一杯に叫んだ。

 人が喰えないとわかると、餓鬼はあらゆる物を捕食対象とする。それは晴姫からの情報だ。


「カラスよ。わしはその呼び名を禁じたと思うが?」


「恐れながら、七日で周知は不可能かと……」


 それもそうかと天狗は呟く。


「娘。あの逸話は事実ではない。故にその名は好かんのだ。わしのことは天狗と呼べ」


 余裕綽々しゃくしゃくと語る天狗に豊月の心は荒れていく。

 これほどの寺院を奴はどうでも良いと思っている。あの表情から豊月はそう読み取った。

 その根底には、壊されても人間に作らせれば良いという傲慢があるように感じとれ、尚更彼女の心は荒波となる。


「天狗! この状況をどうするつもりだ!?」


 怒気が混じった言葉に天狗はため息で返した。


「生意気な小娘だ。まぁ、流石に見飽きたのも事実か……。奴はどうすれば引っ込む?」



 【満足するまで喰わせれば良い】


 そんな事で良いのかと天狗は鼻で笑う。そして、その懐をまさぐると深緑の葉で作られた団扇を取り出した。葉付きの枝を数本束ねただけのそれは、自然物に近いとは到底思えない不穏を醸し出している。


 天狗は狙いを定めるように、団扇で餓鬼を指し示す。すると、ヒョイっと手首だけを使って、下から上へと仰いで見せた。



 そのふざけた姿を見て、豊月は尚のこと苛立ちを覚えた。ありとあらゆる罵倒が喉元を通り過ぎようとしている。あとは口を開くだけ。


 そんなときに、襲ってきたのは目も開けていられないほどの突風であった。舞い上がった砂埃が極小のつぶてとなり、彼女達の柔肌に当たる。


 その痛みがおさまると、豊月は恐る恐る目を開けた。


 気がつけば、目前にいた餓鬼が消えている。


「餓鬼は!?」


 思わずそう声が出た。

 答えたのは晴姫だった。


「上空に気配を感じます……」


 豊月は咄嗟に顔を上げると、餓鬼は宙に浮いていた。いや、地面へと回転しながら落ちてきている。


 ここで初めて、あの天狗の動作が餓鬼を空に打ち上げるためのものだと豊月は理解した。晴姫と共に受けた風はその余波だったのだ。


 執拗に襲いかかってくる餓鬼。その餓鬼だけを空高く飛ばす暴風を天狗が起こした。

 それでも二人には、砂埃を痛いと感じる程度の風しか認識できていないことが、その精密さを物語っている。



 するとまた、天狗は団扇を仰ぐ。

 まだ餓鬼は上空で溺れている。そんな悪鬼に抵抗の余地はない。


 局地的な横からの暴風が、餓鬼を吹き飛ばした。いや、地面に叩きつけたとでも言ったほうが適切か。


 本堂からはだいぶ離れた土蔵に墜落し、餓鬼はやっと大地に戻る事ができた。大きな音と共にその土壁と瓦屋根は崩れ去る。


 その砂埃をそよ風がさらった。


 少しの静寂。

 豊月はその瓦礫の山を注視している。


「餓鬼は無傷だ……」


 そう豊月が言葉を漏らすと崩れた屋根を投げ飛ばし、餓鬼がその姿を現した。

 所詮は風と言わんばかりに健在で、かすり傷すら負ったようには思えない。


「豊月様! あそこには多くの人の気配が!!」


 悪鬼は周囲を見渡すと瓦礫を掻き分け、何かを探し始めた。


「天狗!! それが狙いか!!」


 豊月は急いで鉄砲を構えた。狙いを定め砲煌を放つ。


 天狗は、あの土蔵へと餓鬼を運ぶために風をおこしたのだ。

 そもそもが喰わせる目的なのを完全に忘れていた。



 餌を今、餓鬼は見つけだした。

 軽快に崩れた壁や屋根を退かす姿は、握り飯を食べる際の葉包みをほどく所作を連想してしまう。


 鉄檻に囚われた者達が、現れた悪鬼から逃げるように身を寄せ合って震えている。二十人くらいか、距離のせいで豊月に正確な人数はわからない。


 餓鬼は豊月の砲煌を気にも止めず、その鉄檻を暖簾のれんでも潜るかのように歪めては、逃げ場所のない人々に襲いかかった。


 悲鳴が、恐怖が晴姫の耳にも届く。

 それだけで事態を察する事ができた。



「すまんなカラス。お前の食事を台無しにしてしまったようだ」


 そう言って天狗は笑っていた。


 豊月は必死に砲煌を撃ち続けている。

 だが、彼女の煌では餓鬼の食事を妨げる事ができない。


 そしてついに、最後の一人が肉塊に変わると、無念だとばかりに豊月は鉄砲を地面に置いてしまった。



「なんと興味深いことか!! もうじき人間に戻るぞ! 気配が移り変わっている!!」


 相変わらず、上空の外道は楽しそうに笑っている。



 私はそんなクソどもを睨む事しかできない。



 つまらない!!

 つまらない!

 つまらない……。



 この世界はどれほどまでに私達を蔑むんだ。

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