第2話 一人

 あれから数日が経った。 

 まだ牛飼いの老爺の無惨な姿が青年の脳裏に焼き付いている。 


「まただ……。またあんなに大勢を……!! 本当は、味噌を分けてもらうだけのはずだったのに。それなのに何故俺は町になんて……」


 青年はこれまで、人とできるだけ関わらないようにと町を避けて旅をしていた。そんな中、偶然見つけた民家に立ち寄るとその家主である老爺に助けを求められた。そんな経緯から彼の看病と牛の世話を始め、気がつけば二週間が経っていた。


「楽しかったなぁ……」


 溢れ出す涙が大地に染み込んでいく。

 

孤独ひとりがつらい……」


 ポツリと溢れた言葉に青年はハッとした。


「俺は……。俺は町に行きたかったのか? 人と関わりたくて? 二週間、何事もなく過ごせたから、きっと大丈夫だと油断したのか?」


 青年はうずくまり、ガッと頭を掻きむしるとゆらゆらと立ち上がる。


 それからまた青年は、獣道をあてもなく彷徨さまよっている。そびえ立つ眼前の崖を見上げ、迂回するために深緑の森へと進む。


「あの町の封師達は、内に潜むこの鬼に手も足も出なかった……。あの惨状を見れば嫌でもわかる……」


 この鬼を封じるためには腕の立つ封師を探さねばならない。栄えた町や市場のような人の多く集まる場所は必然的に鬼に狙われやすく、優秀な封師が集まる。だが、もしその猛者でさえこの鬼に太刀打ちができないとすれば、多くの犠牲が生まれてしまう。青年にはその最悪を引き起こす覚悟がなかった。


 こうして、人と関わらないように、犠牲を出さないように。そして、この鬼を封じることができる封師との出会いを祈りながら、彼は道無き道を歩む。


 変わり映えのない深緑の景色が続く中、ふと現れたのは酷く損傷した牛車と既に息絶えた一頭の黒牛。崖から落ちたことはその潰れたように折れるなかえや車輪を見れば明白であった。

 

 青年は慈愛を込めて、まだ少し温かい牛の頭を撫でる。つぶらな瞳があの老爺の牛とどこか似ていて、青年の瞳には涙が滲む。光を失ったその目によって呼び起こされる死の思い出を振り払うように牛車へと向かった。ふと、彼の目に映った牛の臀部には一本の矢が突き刺さっている。


「事故ではないのか……?」


 そんな時、牛車の中からガサゴソとなにかが動く音がした。

 青年は急いで牛車へと駆け寄り、その鶯色うぐいすいろのすだれをめくる。彼の目に映ったのは、高貴な着物に身を包んだ三人の男女。ぐったりと横たわり、その美しい布地は悲惨な赤色で染められている。


 その三人は密集していた。中心にいる若い女に中年の男女が抱きついている。

 その姿を見て、青年はハッとする。

 この三人は親子なのだ。両親が娘の全身を包み込み、墜落の衝撃から身を挺して守ろうとした。


 いや、守り切ったのだ。その娘は生きている。


 彼女の白く細い腕と足がゆっくりと動き始めると、強く抱かれた両親の腕を解き、熱が失われたその体を優しく惜しむように整える。そして、娘はゆっくりと涙を流した。


 青年はその姿に目を奪われていた。だが、彼はすぐにその娘に話しかける。


「ただの事故には見えません。何があったのですか……?」


 娘は目を瞑ったまま青年に顔を向ける。流れる涙は柔らかな白い頬を伝い、美しい輪郭を経て地に落ちる。小さな口に乗る柔らかでふっくらとした唇が少し動いた。


「どこのどなたか存じませんが、ここを離れて下さい……。私達を襲った山賊がもうすぐここに辿り着きます……」


 彼女の言葉に青年は全てを察した。山賊が名家と思わしき彼女達を襲い、今に至ったのだ。


「ならば、貴方も一緒に逃げなければ!」


 その娘が、目を瞑りながら紡ぐその返答は涙に震えていた。


「私は目が見えません。きっと足手まといになります……。せめて関係のない貴方を巻き込むわけには……」


 その時である。

 ぞろぞろと男達が草木をかき分け現れた。


「こりゃひでぇや、娘が死んでなきゃ良いですね……」


「死んでたら金は貰えねぇぞ!!どう責任を取るんだ?」

 

 数にして十人。それぞれが手に武器を持ち、血と泥で汚れた賊である。


「他の奴らにも見つけたと知らせろ」


 首領と思わしき大男がそう言うと二人減り、人数は八人。

 幸いにも奴らが現れたのは牛車を挟んで青年の反対側。賊には彼女のことも見えてはいない。


 今の人数であれば戦って勝つ自信が青年にはあった。だがもし、内に潜む鬼が出てしまえば彼女もきっと死んでしまう。そんな彼の思考の濁り。行動の遅れの最中にして、彼女は牛車から飛び出した。


「父と母は死にました……。最早私に抵抗の余地はございません……」


「こりゃぁ結構な別嬪さんだぁ……。無事で何よりだぜ?」


 青年は歯を食いしばった。彼の葛藤の最中さなかに、盲目の娘は自己をこの悪漢どもに差し出す決心をしたのだ。


「先程、あなた方はお金と仰いました……。此度の周到な襲撃は依頼されたことなのですか……?」


 彼女は声を震わせていた。その胸に両手を当てている。


「ああ、そうだ。依頼主からお前を拉致するように言われている」


 次第に彼女の体も震えていく。強く手を握りしめている。


「なるべくお嬢ちゃんを傷つけるなと言われてる。最高のおもてなしを約束するぜ?」


 そう首領が言うと、悪漢共はいやらしく笑った。


 青年は唇を噛みしめている。彼女が震えている理由、それは恐怖からでは決してない。自分の両親を死に追いやった外道共と会話をしなくてはならないからだ。時間を稼ぐために、偶然居合わせただけの男を無事逃すために、憎しみを、悔しさを押し殺しているのだ。


 堪らず青年は彼女と賊との間に颯爽と立ち塞がると鉄槍を構える。


「私が貴方を護ります!!」


「護衛がまだいやがったか……。囲んで袋叩きにしてやれ!!!」


 人数差を利用するのはどんな阿呆でもする定石である。故に青年はその指示の直後を好機と捉えた。


 素早い一歩とその槍で広がろうとする賊の一人を貫いたのだ。叫び声を上げる賊の太腿から青年はすぐに槍を引き抜くと、そのまま流れるように槍先を次の男へ。鉄槍で刀を弾き、その反動を利用して腹を貫く。一人一撃。そうして、対象を瞬く前に変えて決定的な傷を与える。相手に考える隙を与えない戦略であった。

 そのまま、三人目の賊に槍を突こうとした瞬間、大きな風切り音が鳴り響いた。

 突然の轟音に皆が一瞬動きを止める。


 その困惑を嘲笑うかのように高速で動く大きな物体が、賊の四人を轢き殺した。それは木に衝突すると、そのままへし折ってしまう程に破壊的である。


 青年は愕然とした。木をへし折るほどの質量を持ったその物体は、大人ほどの大きさの石斧であったからだ。


「あ、あ、嘘だろ……。そんな……」


 首領は腰を抜かし、ガクガクと震えていた。恐怖に支配された瞳。その視線の先は石斧が飛んできた方向である。


「キョウハ ニンゲンガ タクサンダナァ〜!!」


 体長が一丈3メートルを超え、黒牛の顔と肌をした鬼がこちらを見て笑っていたのだ。

 そして、その鬼の足元には猿くらいの大きさの小鬼達がキャッキャと跳ねては手を叩き、舞い上がっている。その中の数体は賊の仲間と思わしき男達の生首を掲げていた。


「逃げろォ!! 目が見えなくとも走り抜けェ!!!」


 青年は娘に向かって叫んだ。

 もうこうなっては誰も生き残れない。内に潜む鬼が気付かない所まで、あの娘には逃げて欲しかった。


 にもかかわらず、青年の意識はそこで途絶えてしまう。体に走る強い衝撃が、厄災を呼び覚ました。





 青年は夢を見た。温もりを、幸せをただ感じる夢だ。母の中にいたあの頃の感覚。父におぶられたあの頃の感覚。両親に抱かれたあの頃の感覚。幼少の時に感じる純粋無垢な安心が染み込んでくる。


 青年は両親を知らない。当然その感覚に覚えはなかった。だが、そのような温もりがどこか奥底から溢れてくる。


 目が覚めると青年は娘の膝を枕にし、横になっていた。彼女は青年の黒髪を優しく撫でている。それはなんとも慈愛に溢れた表情であった。

 そんな彼女が映る青年の瞳からは次第に涙が溢れ、その涙は娘の膝へと流れていく。


 既に陽は傾き、空を赤く染めていた。


 周囲には食い散らかされた賊と小鬼。

 血の匂いと赤黒いシミが残る地面。

 青年には見慣れたものだ。しかし、目の前にいるのは無傷のままのあの娘。彼女は煌びやかな黄金の光に包まれている。


 それは封師が操る神聖な光。だが、この娘が持つ光は今まで見てきた誰よりも力強く、誰よりも大きい、美しくも神々しい光であった。



 青年は初めて絶望ではなく、希望によって意識を取り戻した。

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