第4話 墜落

 プロペラが回る音がする。揚力と重力が釣り合う出力。左手に握られたコントローラーで出力を上げると、両足が地面から離れた。加速する。体にかかるGが増す。懐かしい空に、俺は帰ってきた。

「明日から部活に復帰してもらいたい。鈍ってはいないだろうね?頼りにしてるんだから」

 先週と同じ職員室、先週と同じ席で菅井が言った。自主的に休部させておいて、どの口が言うんだという反感もなくはない。けれど、それくらいのことは些細なことだ。

「はい!」

 俺は勢いよくうなずいた。

 阻むものの無い空の中で、俺はしばし青と戯れた。急上昇、きりもみ降下。重力と遠心力と慣性力が束になって三半規管を引きずるが、それさえも心地よい。

「おう!やってんな!」

 少し遅れてやってきた仲間たちが、地上から声をかけた。

 ジェットボール部の練習はいつもどおり始まり、いつも通り終わった。まるで初めから何もなかったように。

 ロッカールームでユニフォームを脱ぐと、背後から肩にドンっという衝撃。

「つばさぁ!聞いたぞ。お前一年の頃から恋人がいたんだってな!なんで言ってくれなかったんだよ」

 ぶつかるようにして肩を組んできた岩崎が言う。気のいい奴だが絡み方が少々うざい。それに、耳元で聞くには声がでかい。

「中村だろ?それくらいみんな知ってるだろ」

「それが違うんだって。翼のクラスの……なんつったっけ?あの地味子」

「…………井上」

「そうそう、それそれ!」

「女ァ!?」

 ロッカールームにどよめきが広がる。

「おい翼、なんで連みたいな可愛い幼なじみがいるのに井上みたいな地味子を選んだんだ?」

「……お前にあいつの」

 あいつの何が分かる。

「いや、翼は男の良さが分かってないんだって。……なんなら、俺が教えてやろうか?そうすりゃ——」

 耳に息がかかる距離で岩崎が言った。血液が沸騰する。何が俺を塗り替えるというのか。何が俺とあいつの関係を塗りつぶせるというのか。

「触んじゃねえよホモ野郎!!」

 右手を振って岩崎の腕を振り払う。虚を突かれた岩崎は、ロッカーに背中をぶつけながら尻もちをついた。驚きに目を丸くした岩崎の顔が、一瞬で怒りに歪む。直後左頬に灼熱感、一瞬遅れて後頭部にドラのような金属音。

「テメエ、今なんて言った」

 見上げると岩崎が両目に炎を燃やしながら仁王立ちしていた。俺はふらつきながらも立ち上がる。

「何度でも言ってやるよホモ野郎」

 今度は右頬に打撃。だが、今回は倒れずに踏み止まる。

「男の良さってなんだ馬鹿。お前と井上で何か比較になるとでも思ったのか。お前を選ぶのなんか頸動脈にドス突きつけられても御免だわ。俺の目に入らないところでカマでも掘ってろ」

 右手が鳩尾に突き刺さり、思わず身体を折る。背中に肘による追撃。

「死ね!死ね!」

 床に倒れた俺を、まるで汚物のように何度も何度も踏みつける岩崎。容赦ない暴力に対する戸惑いがさざめきのようにチームメイトの間に広がっていくのが分かる。だが、止めようとするものはいない。いまここに味方がいないことは、肌に触れる空気で分かった。

「くたばれ!」

 そう吐き捨てて岩崎はロッカールームを後にした。遠巻きに見ていたチームメイトたちが少しずつ近づいてくる。

「なあ、コイツどうする?」

「とりあえず、職員室に連れて行かないと」


 ——


「停学ですか。」

 声に込められた不満気な響きを感じとったのか、目の前に座る顧問の菅井は深いため息をついた。

「殴られたのはこっちなのに、おかしいですよね」

「あのな今木、セクシャリティ平等社会で言っていいことと悪いことがあるのくらいお前だって分かるだろう」

 その言葉に俺は力なく笑った。

「平等平等いう割にはノーマルの味方はしてくれないんですね」

「ノーマルなんていうセクシャリティは存在しない。お前は、ヘテロだ」

 菅井はこれまでにないくらい鋭い目をして言った。そのとき、職員室のドアが勢いよく開いて何者かが飛び込んできた。

「どうして今木くんが処分されなくちゃいけないんですか!」

 髪を振り乱して、目に涙を溜めながら井上は菅井に食ってかかった。どうしてこんなに必死なんだろう。

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