第9話 兎の心、亀知らず

 なんだかんだで亀丸を振り切って兎月は試写会会場へと急いだ。

 職場から映画館までは徒歩で一五分程度。

 開場と同時にとまではいかなかったが、なんとか最前列の席、しかもど真ん中に座ることができた。


 が、なかなか両隣が埋まらない。

 映画館で前の列に座りたがる人は少ない。

 しかも今回は舞台挨拶はサプライズなので来場者は知らない為、純粋に映画を楽しむ為に来ている。

 故に真ん中辺りの列から徐々に埋まっていく。


 早く誰か座ってよぅ。

 亀丸アイツが来ちゃうじゃん。


 焦る兎月は周囲をキョロキョロと見回し、亀丸がどこに座るか気にしていた。

 だが、檀上に局の女性アナウンサーが現れると、会場は一瞬静寂に包まれ、何が始まるのかとあちこちからヒソヒソと囁く声がした。


「本日は試写会に参加頂き、ありがとうございます。映画の前に作品をもっと楽しく鑑賞頂けるよう、主演のお二人に映画の見どころをお聞きしたいと思います!」

 その言葉で会場は一気に湧き上がり、悲鳴に近い歓声が上がった。

 アナウンサーの女性が主演の名を呼び、壇上に招くがその声は最前列の兎月にさえほとんど聞こえないほど会場の盛り上がりは凄まじかった。

 兎月も例外ではなく、二人が壇上に現れるなり思わず立ち上がりかけた。

 が、膝の上に置いていた鞄が床に転がり、一瞬冷静に戻って鞄を拾い上げ、顔を上げると壇上の憧れの俳優と目が合った。


「大丈夫ですか?」

 声を掛けられ、もう兎月は目がハートになり「はい」と頷くので精一杯だった。


 ああ、もうっ。

 めっちゃかっこいい!

 顔ちっさ!

 肌ツルツル、スベスベ!

 背、たっか!

 髪サラサラ!


 あああああ!

 生きてて良かった!

 この会社で働いてて良かった!

 神様ありがとうっ!


 心の中でそんなことを叫んでいた兎月だったが、ふとその視界の端に嫌なものを見つけ、目だけをゆっくり右横に向けた。

 そしてその存在を認識するなり、ゆっくりと今度は顔ごと横に向けた。


 なぜいる?

 いつの間におる?


 頭の中は疑問符だらけだったが、そこには冷めた目で壇上を見つめる亀丸がいた。

 偉そうに深々と椅子に腰かけ、偉そうに両腕を組んでいる。


 きゃあきゃあ舞い上がっていたテンションはその存在のせいで一気に冷めた。

 声を掛けようか一瞬迷い、兎月は無視することに決め、席にすとん、と座った。


 うん、見なかったことにしよう。

 私は一人、私は一人。

 今日は映画を楽しむんじゃけぇ。

 せっかく生で見れたこの興奮を奪われてたまるか。


 そう気持ちを切り替えようとしたが、兎月の耳には憧れの俳優の言葉は一切入って来ず、代わりに頭の中では亀丸の過去の行動が走馬灯のようにフラッシュバックしていた。


 前から気が付いてはいた。

 入社した時からやたら声を掛けて来て、親切で良い先輩アピールが凄かった。

 直接「好きだ」なんだと声を掛けられたことはないし、服装や髪型を褒められたこともない。

 だが、兎月が烏丸と親しそうに話していたら必ずと言っていいほど亀丸が話に参加して来るし、飲み会の時は必ずと言っていいほど兎月の隣に座ろうとする。

 今日だってこっそり自分も試写会に参加しているし、そしてちゃっかり兎月の隣にいつの間にか座っている。


 これってやっぱり好かれてるってことよね?

 他の女子にそんなことしとるの見たことないもん。

 自意識過剰じゃない、と思う。


 でもさ、私はコイツにどんな態度とって来た?

 どう頑張って思い返しても優しくした覚えもなければ、思わせぶりな態度もとった覚えもないんだけど。

 だって全然私のタイプじゃないし。

 むしろ苦手というか嫌いなタイプだし。


「それでは皆さん、お待たせしました!」


 女子アナウンサーの声でふと我に返った兎月は、檀上から去って行く俳優の姿を見て、一切彼の言葉を聞いていなかったことに気づいて愕然とした。

 そして隣の亀丸を睨みつけ、心の中で亀丸と自分の両方に叫んだ。


 バカッ!


 そして、その後も映画の内容はあまり入って来ず、会場が明るくなってからもすぐには立ち上がる気力が湧かなかった。


「面白かったね」


 亀丸のその一言で気分はさらに逆撫でされ、兎月は無言でその場をいそいそと立ち去った。


 なんで私がアイツのことで頭一杯にしなきゃなんないのよ?

 これじゃまるで……


「そんな訳ないッ! 断じてそんな筈ないッ!」


 うっかり声に出していたが、それに兎月は気づいていなかった。


 その夜。

 月曜日に事業部の試写会担当者と彼に口を利いてくれた烏丸へ礼を言う際、映画の感想も伝えるべきだろうと思い、兎月はネットで映画のレビューを探していた。


「やっぱ良いことばっかり書いてあるなぁ……そんなシーンもあったんだぁ……失敗したなぁ……」

 ブツブツ呟きながら見ていると、ふと個人のブログに辿り着いた。


「ん? んん?」

 読み進めるうちに兎月は確信した。


「……アイツってブログなんてやってたのか」


 そう、亀丸のブログである。

 内容はざっくり要約すると『彼女と試写会に行って来てとても楽しかった』というものだった。


「か、彼女……ってまさか……私?」


 そして、兎月が自意識過剰ではなかったことを知ると同時に彼の中では『彼女』扱いされていたことに驚きと不気味さと気持ち悪さを感じた。


 妄想だろうが見栄による嘘だろうが、いずれにせよそんな風に書かれるのは嫌だ。

 しかも兎月が気づいたように見る人が見れば、このブログは亀丸のものだと分かってしまうのだ。

 なぜならニックネームが『カメ』でプロフィール欄には男性、広島在住、放送部と書いてあるからだ。

『放送部』なので学校の部活とも取れる書き方ではあるが、ブログの記事を読めばそれが地方局の『放送部』であることはバレバレだ。

 おまけに日々の仕事についての愚痴や周囲の人間に対する愚痴も書いてある。


 いかに自分が仕事がデキるかを自慢するような書き方をしている部分もちょいちょいある。

 叱られた時はそういうつもりじゃなかったなどの言い訳が書かれている。


「こんなことブログで書いてどうするよ? 誰が見てるか分かんないじゃん。私が探し当てたってことは他の人だって既にこっそり見てる人いるかもじゃん。コイツ、本当にバカなの?」

 そう感想を言いながら一通り読んだ兎月は勿論、本人に「ブログ見つけたよ」と報告するつもりもなければ、もう見ないでおこうなんてことも思ったりしない。


 ポチッとブックマークしてこっそり毎日読んでやる。

 そして現実と亀丸の頭の中の違いを楽しんでやろう。

 そうニヤリと笑う兎月の頭の中には、試写会の恨みと亀丸の気持ち悪い想いへの対策が渦巻いていた。

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