第8話 亀、隠し持つ

 シマさんとの楽しいひと時も終わり、烏丸の読み通り夕方四時にはファイリングを終え、兎月は席に戻っていた。

 シマさんはファイリングしたCM素材をパパッと片付け、サッと全体を見回すと、亀丸のフォローに入るのかと思いきや、烏丸のフォローに入った。


 シマさんにはパソコンがない。

 ファイリング専門のパートなのでパソコンを使う業務がないからだ。

 だからパソコンがなくともできる仕事を見つけ、そこをフォローする。

 もしくはパソコンの持ち主が別の業務をこなす間、そのパソコンを借りて作業することもある。


「私にはパソコンがないから何もしません」

 とか

「ただのパートだし、私の仕事は終わったので時間まで暇を潰してます」

 ということをシマさんはしない。

 パートだろうと何だろうとお金を貰っている以上、時間いっぱい働くという考えだ。

「仕事は雑用だろうと何だろうと探せば何かしらあるものよ。自分で見つけられないなら人に聞けばいいことだし。それに常に仕事を探していれば、全体が見えるようになって仕事の効率も良くなるってもんよ」

 とシマさんは言う。


 が、今回は兎月の為にと亀丸の分も頑張っている烏丸に気づいて、そこをフォローしていた。


 その様子に兎月はなるほど、と心の中で唸った。

 常にデキない奴をフォローするんじゃなくて、今どこに手が足りていないか、今誰が手伝って欲しいかを瞬時に見抜いてそこをフォローする。


 凄いなぁ、さすがシマさん。

 私も見習わないと。


 兎月はそう自身を奮い立たせ、周囲を見渡した。


 他人の言動は常に手本となる。

 良いことも悪いことも。

 他人だからこそ客観的に観察できるので、気づけることも多い。


 烏丸さんも凄い。

 もうほぼ終わりじゃん。

 いつもより早く終われそうじゃん。

 これなら定時で気兼ねなく帰れるじゃんっ。


 そう兎月のテンションが上がりかけたが。


「あ」


 また不吉な亀丸の「あ」が聞こえた。

 兎月は反射的に亀丸を睨みつける。

 が、亀丸はその先を言わずに急に挙動不審に目を泳がせていた。


「どうした?」

 堪らず烏丸が問う。

 が、それでも烏丸は少し躊躇う様子を見せる。

「何だよ?」

 再度烏丸が問うと観念した様子で亀丸は上目遣いに烏丸を見た。


「……お腹、痛い」


 そう言い残して亀丸はトイレへと駆け込んだ。


 その様子に烏丸は勿論、睨みつけていた兎月も一瞬茫然とし、そして深い溜息と共に笑いが零れた。


「無事に試写会行けそうだね」

 シマさんは兎月にそう言って「じゃ、お先」と笑顔で帰って行った。

 シマさんが去った後は何もかもがきちんと整っている。

 何が終わっていて何ができていないか、それがとても分かりやすい。

 中途半端なものもなく、時間内にできないと判断したものは割り切って他の人にやってもらうというスタンスだ。

 途中までやりかけていたものを引き継ぐのは意外と大変だ。

 仕事のやり方は人それぞれなこともある。


 どの仕事にどれだけの時間がかかるか、自分はこの仕事をどれくらいの時間でできるか、そういったことをきちんと理解しているからこその仕事っぷりだ。


「すごいなぁ、シマさん」

 心の声が思わず漏れると、「だよなぁ」と烏丸が賛同した。

「亀丸も部分的にだけどシマさんから仕事教わったことあるんだけどなぁ」

 小首を傾げながら烏丸は苦笑しながらもパソコン画面を操作していた手が軽快に動く。

「お。これで差し替えも全部揃ったし、今日は全員定時で帰れるかもな」

 良かったね、と烏丸が兎月にニヤリと笑ったところで亀丸がスッキリした笑顔で戻って来た。


「腹、治ったのか?」

 烏丸がニヤニヤと笑みを浮かべて問うと亀丸が恥ずかしそうに「ええ、まあ」と笑った。


「じゃ、スッキリしたついでに差し替えやっといて。俺がチェックするから」

「揃ったんですか?」

「ああ。だから今日は定時で帰れるぞ」

 烏丸からそう言って渡された書類一式を受け取った亀丸は意外なことを口にした。


「お。試写会、余裕で行けるね」


 笑顔を向けられた兎月は「はいっ」と返事したものの、その笑顔は引きつっていた。


 お前がそれを言うな、お前が。

 前回誰のせいで行けんかったと思っとるんじゃ。


 心の中で毒吐いた兎月は書類を棚に戻そうとしてふと亀丸の机に目がいった。


 ん?

 んんん?


 思わず足が止まる。


 どこかで見たハガキが置いてあるんですけど?

 それってもしや?

 いや、まさか。

 でもでもすっごく見覚えが。


「亀丸さん、それって……?」


 堪らず兎月が机の上のハガキを指差すと「あ」と亀丸は恥ずかしそうにハガキを手に取った。


「実は僕も観たいなって思ってたから……」


 はぁあ?

 お前も試写会に行くんかい?

 てか、それ胸キュンものだぞ?

 主演の俳優見たさに女子が観る映画だぞ?

 原作は少女漫画だぞ?

 男が観たいって思うか?

 彼女にせがまれて一緒に観に行くってのなら分かるけど、男が一人で試写会で観る映画じゃないぞ?


 ハッ!


 いやいや。

 気づいてましたけどね?

 そりゃあなんとなくそうだとは思ってましたけどね?

 私が行くから行くってか?

 キッモ!

 ドン引きなんですけど?

 無理無理無理!

 絶対一緒に行きたくないっ!


 兎月は心の中でそれだけ一気に捲くし立て、冷めた目で亀丸を見た。

 が、対する亀丸はそんな彼女の目に気づいていない。

 兎月がチラ、と烏丸を見ると、烏丸も若干引いていた。


 烏丸も多分、亀丸の恋心に気づいている。


「……あ。友達に定時で上がれるって連絡して来まぁす」

 一緒に行くとか言い出す前に兎月は先手を打つべく、スマホを手に廊下へ出た。

 今回の試写会はペア試写会だったが後から事業部の人に「一人分にしてもらっていい?」と言われた。

 映画は一人で浸りたい派の兎月は一人で行くつもりだったので一人でも全然構わなかったのだが。


 ペア、か。


 亀丸がこっそり事業部に頼んでいたせいで「一人分」と言われたのだとこの時知った。

 つまりペアの片割れが亀丸コイツだった訳で、そのせいで兎月はペアではなくなったのだ。

 元々一人で観るつもりだったとはいえ、亀丸とペア扱いされるのは我慢ならない。


 友達は仕事が終わらなかったみたいで来れなかった、と後から言い訳するつもりだったが、元から一人だと亀丸も知っているかもしれないと気づいて、兎月は下手な小芝居をする気が失せた。


 バレバレの嘘を吐かれたって分かったら、嫌われてるって自覚するでしょ。


 そう開き直って兎月はスマホを握り締め、すぐに席へ戻った。

 亀丸の様子をチラと伺うも、差し替え作業に真面目に取り組んでいて、兎月の嘘がバレているのか否か分からなかった。

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