第5話 質問する相手

 翌日。

 朝から兎月はご機嫌だった。

 というのも。


「兎月さん。先日の業務試写会、行けなくなっちゃっただろ? さっき事業部の人に訊いたら試写会に入れてくれるってさ。ペアだから誰かもう一人誘えるよ。友達と一緒に行って来たら?」

 と兎月が尊敬して止まない先輩の烏丸が言ったからだ。

 しかも。

「その日は差し替えが来るのが遅うなってもわしが残るけぇ、仕事終わったらとっとと帰ってええけんね」

 と課長の鮫島までもが言ってくれたのだ。


 好きな俳優が出る話題の映画というのもあって、ずっと見たいと連呼していたお蔭だろうか。

 兎月は幸せすぎて思わず顔がにこにこと綻んでいた。


 だが、兎月が幸せな時に事件は起こるもので。

 そして、それを引き起こすのは専ら亀丸で。


「あ」

 小さい声だったが、兎月はその声に素早く反応した。

 亀丸の「あ」は嫌な予感しかしない。


 テメェ、また私の幸せを奪うつもりじゃないでしょうね?


 スケジュール表と伝送でんそうを見比べて、亀丸は兎月の睨みつける熱い視線に気づく様子は全くなく、受話器に手を伸ばした。


【スケジュール表】広告代理店から送られて来るCMの放送スケジュール表のこと。

スポンサーごとに契約名、期間、どのCMをどの時間帯に流すかが書かれている。

様式は代理店ごとに異なる。スケ表と略す。


【伝送】大手広告代理店が導入している自動的にCM割付を行うシステム。


「あ、お疲れ様です。放送部の亀丸ですけど、ちょっとN社のスケ表見てるんですけどね……伝送とスケ表の割付が違うみたいなんですよ。ちょっと確認して貰えませんか? 具体的にはですね……」


 ん?

 電話の相手は大阪支社か?

 それ、支社に言う前に鮫島課長か烏丸先輩に見て貰った方が良くないかい?


 兎月は小首を傾げて亀丸の電話に聞き耳を立てていた。

 案の定、隣で聞いていた烏丸がたまらず「おい」と声を掛けていた。


「伝送ってあっちでは見られないんだぞ? こっちでまずは俺達に確認してから電話した方が良かったんじゃないか? 向こうは何の資料もなく代理店に話すんだぞ? 代理店は客だ。まずは身内で解決するなり、確証を得てから慎重に事を運ぶべきだろ? 急ぐ気持ちも分かるけど、急がば回れって言うだろ?」

「あ、そうですね」

「「あ、そうですね」じゃねぇ。後でこっちの確認ミスでした、あははって笑えないからなっ。しかもお前が代理店に話すんじゃないんだぞ。支社の人がお前のミスを被らなきゃいけないんだ。もっと慎重にやれよ」

 いつになく厳しい口調で烏丸が言うと、さすがに亀丸も萎らしくなった。


「僕、この仕事向いてないんですかね?」

「バカか。確かに人間だから向き不向きってのはあるけどな。でもな、大抵のことは努力と考え方でどうにかなるもんだ。お前はそのどっちもが欠けてるんだよ。何の為にとか、なぜとか疑問を持って仕事すればもっと理解は深まるはずなんだけどなぁ」

「はあ、そんなもんですかね?」

「そんなもんだよ。で? どこがどう違うって?」

「え?」

「スケ表と伝送で割付が違うとか言ってただろ」

「ああ、コレですか」

「それ以外に何があるよ?」


 まるでコントだな、と兎月は目を細めて二人のやり取りを生温かく見守った。

 そして、案の定、亀丸の勘違いだと分かり、再び大阪支社に謝りの電話をする羽目になったのである。

 が、そこは精鋭揃いの大阪支社。

 まだ代理店には話してませんでした、と事なきを得た。

 亀丸のことを良く理解していらっしゃる、と兎月は感心したのだった。


 そんなことがあったのが午前中。

 その日の午後。

 またもや亀丸が「あ」と嫌な声を上げた。


 そしてまた受話器に手を伸ばしかけて、その手が止まり、「烏丸さん」と隣を振り返った。


「ん?」

 烏丸はパソコンの画面を見つめたまま問う。

「長尺のオンエア時間教えて欲しいって言われてるんですけど、これ前半と後半、どっちに置いた方がいいんですかね?」

 訊かれた烏丸は思わず「は?」と作業していた手を止め、亀丸を振り返った。

「それは俺にじゃなくて支社と話せよ。それにお前が言ってるのって昼のテレショップ系のCMだろ? それって最近入ったCMじゃないだろ。今までどうしてたんだよ?」


【長尺】CMは15秒と30秒が基本。長尺は60秒以上のCMを指す。

特にテレビショッピング(テレショップはその略称)系のCMは60秒、90秒、120秒、180秒とがある。

「今から30分以内にお申し込みの方限定でもう1個おつけします」的な文言が入ることが多い為、オペレーターの配置等の関係でCMのおおよそのオンエア時間を事前に知らせることがある。


「……ですよね」

 亀丸がそう言って受話器を取ろうとするのを烏丸が「待て」と犬でも躾けるように制した。

「まずはその枠内を担当している人に聞けばいいだろ。いつもどういう基準で枠内してるのか。大阪担当のお前がそれをそのまま支社にオンエア時間を連絡してたんだろ?」

「あ、そっか」

 そう言って亀丸の視線が兎月に向いた。

 その兎月はというと、二人のやり取りの間、ずっと心の中で毒を吐いていた。


 お前は入社何年目や?

 何年大阪担当しとんのや?

 ええ加減誰に何を質問すればいいのか理解しろや。


 もはや呆れ果てて広島弁だか何だか分からなくなっている。

「兎月さん、M社って番組の前半? 後半?」

 質問もかなり省略されている。

 二人のやり取りを訊いていなかったら質問の意図が分からない。

 聞いてなかったフリをして意図を聞き返してやろうかとも思ったが、グッと堪えて笑顔を作った。





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