第3話 「なぜ?」で覚える
月曜日。
亀丸は呑気に出社し、「地震凄かったみたいですねぇ。マスターカット入ってましたが大丈夫でした?」などと火に油を注ぐような発言をした。
兎月は思わず両手をグーにして力が入る。
だったらもう少し早く出社しろや。
五分前出勤って何?
課長は三十分前には出社してるし、烏丸先輩はいつも十五分前だけど今日は課長と一緒の三十分前だし、私だって今日は早く来たぞ。
実は番組が変わるとCMも多少変わる場合がある。
特番NGなスポンサーもいる為、こういったマスターカットが入った時は気を遣う必要がある。
CMにはそれぞれ流して良い時間帯、ダメな時間帯もある。
アルコール類は平日は夕方から日曜はお昼からとか、おむつやトイレ掃除道具などは食事時間帯を避けるとか細々した決まりがある。
地震の被害は思いの外大きく、連日ニュースでも大きく報道されていた。
それ故、土曜日は烏丸が出勤し、一部CMの差し替えを行ったらしい。
各広告代理店からもCMの差し替え依頼が数件来ているようで、朝からバタバタしていた。
「
烏丸がそう亀丸に注意するが、当の亀丸は「はぁい」と言っただけですみませんの一言もなかった。
「それから、差し替え依頼来てるぞ。今日の夜のと明日のヤツもあるからすぐ直せ。ロック外す時は番組班にも声かけろよ?
的確に指示して烏丸は業務部へと駆けて行った。
実は亀丸、入社五年目でそこそこ経験はあるはずなのだが、未だにこの緊急事態に慣れていない。
そうそうあることではないが、急な変更というものはままある。
なので、こういう時は……とブツブツ言いながらメモ帳を取り出した。
未だにメモがないと動けないのである。
おまけに自分で書いたメモが何のことか分かっていないようで、「こうだっけ?」とか「なんだっけなぁ?」と何とも頼りない独り言が増える。
チラ、と兎月がそのメモを覗き込むとメモしてある内容はなんともお粗末で、
1.ロック解除画面を開く
2.三段目以外を全て外す
3.割り付け画面を開く
4.直す
5.解除したとこと同じところをもう一度全部押す
とだけ書いてあった。
いやいや三段目って何さ?
仕様が変わったら三段目じゃなくなるかもじゃん?
そんな
しかもそのメモ微妙に間違ってるし。
メモすらまともにできないの?
だいたいそんな手順で覚えようとするから未だにメモがないとダメなんじゃん。
手順で覚えるな、理由で覚えろや。
兎月は大きく深呼吸して毒を飲み込む。
学生の頃、なかなかバイト先の仕事が覚えられなかった。
そんな兎月に店長が教えてくれたのだ。
「手順を覚えようとするけん、なかなか覚えられんのじゃろ? どうしてこの作業をするんかな? って考えながら覚えたら早く覚えられるし、応用力も身に着くけん、覚え方変えてみ?」
その言葉で兎月は仕事の覚えが早くなった。
なぜ? どうして? で覚えると無駄な作業も見えて来た。
何の為にこの作業が必要なのかを理解したら、手順もすんなりと頭に入って来る。
間違えた時もどこを修正すればいいかも分かるし、自分が担当していない仕事だって全体が見えて来るし、興味も湧く。
考え方が変わればこんなにも理解できるんだ、と思った瞬間だった。
だから今の亀丸は昔の兎月だ。
手順だけ覚えようとしているから未だに覚えられないのだ。
「……先輩、私も直しがあるんでロック外しますねぇ」
仕方なく助け舟を出し、兎月はそんな自分を「私ってマジ天使だわ」と自画自賛した。
対する亀丸は「ありがと」とどこか萎らしかったが、多分「ラッキー」くらいにしか思ってないだろ、と兎月は亀丸を睨んだ。
CMは全ての作業が終わると一日分の全CMリストを印刷し、最終チェックをするのだが、この時点ではリストはまだ仮の状態だ。
基本、月曜日なら水曜日の作業をするので火曜日のリストは夕方まではまだ放送部にある。
夕方、番組班での作業が終わった時点で最終的なリストを印刷し、その時点でロックがかかり、データの修正ができない状態になる。
そしてそのリストをマスターに搬入し、マスターの人達はそのリストを見ながら実際の放送の進行をチェックするのだ。
兎月と亀丸が話しているロックとはこのことなのだが、亀丸はいまいちその辺りを理解していない。
三段目とか言っている辺り、どのデータにロックがかかっているか、何をするとロックがかかるのかが曖昧なようだ。
つまりはCMがどうやって放送されているか、未だに理解していないということでもあるし、それは仕事の流れを全く理解していないとも言える。
一年経ったら基本くらいは覚えるだろ。
と、兎月は思う。
現に兎月は仕事の覚えは悪くないがかといって良いとも思っていない。
覚えることが山積みで最初はとにかく苦労した。
それでも少なくとも亀丸よりずっと仕事について理解している。
「普通は後輩ができたら飛躍的に仕事がデキるようになるんだけどなぁ」
いつだったか烏丸がポロリと零したことがある。
後輩ができると教える立場になる。
人に物を教えるということは自分がきちんと理解していないとできないことだ。
人に教える過程で自分がどこをきちんと理解していなかったのかが浮き彫りになり、曖昧に覚えていたことや感覚的に覚えていたことに気づく。
それに教え方を工夫することでそれが自分の復習にもなり、そういった面でより一層仕事への理解が深まり、結果仕事がデキるようになる、というのだが。
「兎月さんは俺と課長にばかり質問してたからねぇ」
そう苦笑された。
だって、亀丸先輩の答えは当てにならないんだもの。
兎月は入社当初から亀丸はデキないと見限っていた。
そして、烏丸はとてもデキる先輩だと尊敬していた。
二人の違いはノートだった。
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