第3話 人崩れ

 勢九郎はないゆり被害の甚大さに愕然とした。田畑や建物が破壊尽くされ、さらに人々の心を砕き打ちのめしているのを実感したからだ。

 世田谷領内の寺社はことごとく倒壊していた。倒れて燃え尽きた屋敷や小屋もあった。一軒の倒れた家屋をのぞくとがれきの下敷きになって家人がこと切れていた。寝込みを大地震が襲ったのだ。崖は崩れ、橋は落ち、道は寸断されていた。村人が集団で欠け落ちした集落もあった。人影のない集落に放置されたがれきや死体はまるで悪夢を見せつけられているかのようで、なんともいえぬ気持に勢九郎はなった。

 「これはいかん、人崩れが始まっている」

 ここ数年の冷害や不作、豪雨や洪水などの災害で疲弊しきっていた農民に地震が追い打ちをかけた。住む家を、田畑を、家族を失って心身ともに打ちひしがれた百姓に勢九郎が「頑張ろうぞ!」と声をかけると無表情のまま立ち去ってゆく。

 瀬田から品川へ通じる二子道を南へむかって行くと、これから親戚を頼って家族とともに逃れるのだという男に出会った。聞けば「海辺近くの品川に住んでいたが、ないゆりが起きて間もなぬゴッーという音とともに海潚が押し寄せてきた。真っ暗ななか、近くの丘へ必死で駆け上り助かった。夜が明けると集落は無くなり、岸辺にはたくさんの残骸や死体が打ち上げられていた。恐ろしい光景であった」と声を震わせながら身振り手振りでその男は語った。海繍とは津波のことをいう。

 数日後、勢九郎は弘明寺にほど近い蒔田まいた郷に吉良頼貞を訪ねた。頼貞は世田谷郷と横浜の蒔田郷にそれぞれ館を持っていたが、ないゆりのときには蒔田郷の館にいた。命は助かったものの館は倒壊してしまい、近くの菩提寺勝国寺を仮住まいとしていた。勢九郎がひと通りお見舞いの言葉を述べると、

 「このないゆりには肝をつぶしたぞ。大地の底から突き上げるように来たかと思ったら、今度は激しい横揺れ。まるで大波にもまれる船に乗っているようじゃった。館がぎしぎしと鳴り響いての、真っ暗闇の中、はいつくばっておったら、姫が肩を抱いてくれてようやく外に出られた」

 と言ってお方様の手を取り

 「本当に父氏綱公に似て肝が据わって頼もしい姫じゃ」

 と頼貞はほれぼれとした表情でお方様に眼を送った。

 頼貞の正室は北条氏綱の娘である。一説に今川家の一族である堀越貞基へいったん嫁いで貞朝さだともをもうけたが離縁して頼貞に再嫁し山木の大方と称し、のちに修禅寺へ出家し高源院と名乗ったとされるが疑わしい。氏綱には複数の娘がいたので別人であった可能性が高い。なお、貞朝は頼貞の養子となり氏朝と改名し吉良家を継いでいる。

 「聴けば、明応七年、戊午というから五十二年前になろうか。それ以来の大きなないゆりであったそうだ。平塚、鎌倉、小田原も大きな被害をこうむったと知らせがきておる」

 吉良氏の蒔田領は蒔田郷を中心に横浜の栗田、藤巻、川崎の上小田中かみおだなかなど小田原と江戸を結ぶ中原街道沿いに点々とあった。

 「それで、世田谷領はどうであったか」

 勢九郎は世田谷領内の被災状況を頼康へ報告した。

 「御屋形様、御領地の世田谷では、御祈願所の満願寺、創建間もない世田谷八幡宮などの寺社がないゆりでことごとく倒壊するなど大きな被害を受けております。とりわけ、旋沢村の泉沢寺は倒壊とともに出火し、あたりは一帯は焼野原となっておりました。さらに地面は大きく畝のように盛り上がったところもあれば、ひび割れて谷のようになっているところもあり、川はせき止められ池のようになったところもございました。百姓らの家屋は倒壊し集落が壊滅状態のところも見受けられました。ないゆりが夜中に起きたこともあり家屋の下敷きとなって死傷者も多数出ていて、配下の者を現地にとどまらさせ救済に当たらせております」

 旋沢村は今の千歳台、船橋、南烏山一帯にあたる。泉沢寺は吉良頼高の菩提寺として延徳三年(一四九一)に創建された。

 「そうか、泉沢寺が焼け落ちてしまったか。で、ご方丈様はどうされておる」

 「はっ、心参上人様は御無事でしたが、伽藍がらんの一切を火事で失い誠に恐れ多く申し訳ないことになってしまい、御屋形様になんといってお詫び申し上げようかと、ご心痛のご様子でした」

 「うむ。そうか、しかしこの大きなないゆりでは致し方あるまい。土地がでこぼこでは再建もさぞ難儀だろう、のう」

 

 「御屋形様、それと」

 といって勢九郎は顔を曇らせながらこう言った。

 「人崩れが心配です」

 「人崩れとはどうしたことか」

 「各所で橋が崩れ、崖が崩れていますが、それ以上に百姓らの多くがないゆりを恐れて逃散し、何処へいったか皆目つかめません。残った者へ声をかけると逃げる始末でございます。ことに奥沢、大蔵、旋沢の各村では集落ごと逃亡し人影がなくもぬけの殻となっておりました。これから田植えの時期となりますが、このような人崩れが起きては作付けどころか、秋の収穫は望めない事態になりましょう。まさに亡弊の国になり果てまする」

 「うむ、百姓どもの欠け落ちか」

 頼貞はつぶやきながら渋い表情を浮かべた。

欠落とは不作や凶作の際、年貢の取り立てや強制労働を命じる領主に対する抗議行動の一つ。いまでいうとブラック企業に対して従業員が一斉に職場放棄、退職を行うのと似ている。届け出は一切せずに、集団で姿をくらましてしまうので、捜索は難儀であった。

 頼貞が「ならばどうしたらよいか」と眼で問うてきた。

 「聞くところによれば、太守、北条氏康様のおられる小田原を初め、鎌倉、藤沢なども甚大な被害が出ており、品川、三浦、伊豆方面では海潚が漁村を襲って漁師や家屋が多数流されたといいます。人崩れは国の危機であり国全体で対処せねばなりません。まずは、お見舞い方々太守様をご訪問されて、今後のことをじっくりとご相談されてはいかがでしょう」

 と勢九郎はお方様に眼を向けて、案を示した。

 「御屋形様、このようなボロ寺生活は、いやです。一刻も早く小田原の実家へ帰りとうござりまする」

 「うむ、わかった、わかった」

といってお方様の手を握って、にんまりとほほ笑んだ。

 「勢九郎。人崩れとあっては、国家存亡の一大事。さっそく小田原へ参るゆえ、そちは、一足先に小田原へ行き、太守様へこの頼貞が参ると伝えよ」

 

 

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