エピソード6 忍耐少女

遥ちゃん1

 教科書のたくさん詰まったランドセルは重たくて、ただ道を歩くだけの登下校はかなり体力を消耗します。数年間同じ道を通ってますが、登下校の辛さはあまり変わりません。


 汗だくになりながらもどうにか家に辿り着いた一人の女の子がいました。家の前でふうっと息を吐き出すとパンパンと両手で頬を軽く叩きます。ハンカチで汗を拭い、無理やり口角を上げました。


 女の子は小学三年生。まだ鍵を貰っていなくて、家に入るためにはインターホンを鳴らして内側から鍵を開けてもらわなければなりません。背伸びをして小さな手を必死に伸ばし、インターホンを鳴らします。


「だあれ?」


 インターホンから聞こえたのは少し間延びした甘ったるい女性の声。誰かの帰りを待ちわびているのでしょうか。女の子はそれを知っているからか、そっと目を伏せながら口を開きました。


「お母さん、遥だよ」

「チッ。あんたか。鍵開けるからとっとと入んな」


 遥と名乗った女の子は知っています。お母さんが帰ってくるのを待っている人は自分ではないことを。それでも他に行き場がないから、お母さんの元に帰らざるを得ません。


 遥ちゃんの家は母子家庭です。一年前までは狭いアパートにお母さんと遥ちゃんの二人で暮らしていました。そこに毎晩のように、違う男性がお母さんを求めてやって来ていました。けれどここ一年は違います。


 遥ちゃんの家にもう一人、同居人が増えました。家にやってくる男性はその新しい同居人だけ。お母さんはその同居人をやけに気に入っていて、同居人のためにと男性をとっかえひっかえする生活をやめました。


 扉が開けば部屋の中からタバコの匂いが漂います。同居人がいない隙にとタバコを吸っていたのでしょう。同居人が帰る頃になれば、灰皿を綺麗にして消臭スプレーで匂いをごまかし、タバコを吸っていたことを隠します。


「あのね、お母さん……」

「言いたいことがあるならさっさと言う!」

「来週の授業参観――」

「行かないっての! その日は智樹はデートなんだって言ってんだろ!」

「でも、先生が――」

「担任がどうとか知らないよ。授業参観なんかより智樹と久々にデートする方が大事だわ」


 授業参観は子供達の授業の様子を見れる貴重な機会。その日のためにわざわざ仕事を休む親御さんも珍しくありません。けれど遥ちゃんのお母さんは違いました。


 智樹というのは今一緒に暮らしている同居人のことで、ここ一年程お母さんがお付き合いしている人のことです。お母さんは遥ちゃんの学校行事ではなく智樹さんとの予定を選んだのでした。遥ちゃんはお母さんに向けて伸ばそうとした手を引っ込めます。


 小さな手の中にはクシャクシャに丸められたお知らせの紙がありました。それもつい最近配られたものではなく何ヶ月か前に配られたもの。お母さんは授業参観の日にちを知っていて、あえてその日に智樹さんとのデートを予定したのです。


 お母さんは遥ちゃんを見てくれません。恋人の智樹さんばかりを見ています。きっと遥ちゃんがいなくなっても、お母さんは探してくれないでしょう。これが遥ちゃんの日常でした。





 智樹さんが帰宅したのは夜七時のことでした。小さな丸テーブルには次々と料理が並べられていきます。遥ちゃんと智樹さんは大人しくテーブルを囲んで、夕飯が並び終えるのを待っていました。


 智樹さんの前には綺麗な茶碗と山盛りのお米。お母さんの前には汚れた茶碗と並盛りのお米。そして遥ちゃんの前には欠けた茶碗と少量のお米。どのお米も美味しそうに湯気を立てています。


 テーブルの上に並ぶおかずはどれも美味しそう。空腹に耐えきれず真っ先に手を伸ばしたのは遥ちゃんでした。けれど、おかずのお皿目掛けて伸びた遥ちゃんの手をお母さんが力一杯叩きます。


「あんたは後! 智樹、先取って」

「いいよ。遥ちゃん、好きなだけおかずを取りな? 遥ちゃんのお米、少ないね。僕のを分けてあげるよ」

「いいって。どうせそんなに食べないから。智樹と違って働いてるわけでもないんだし」

「子供は勉強と遊びが仕事だよ。お腹空いたでしょ。ほら、食べて食べて」


 お米の量が違うことに気付いたのでしょう。智樹さんは自分の茶碗から遥ちゃんの茶碗へ、元々入っていた量の半分程を移してやります。その目はとても穏やかでした。


 お母さんに怒られたからでしょう。遥ちゃんはなかなかおかずに手を伸ばしません。それを見兼ねてか、智樹さんがおかずをいくつかお皿に取り分けて遥ちゃんに渡します。


「いつもごめん。遥、お礼は?」

「ありがとう」

「違うでしょ?」

「ありがとう……ございます」


 やっと人並みの量になった夕飯を見て、遥ちゃんがか細い声で礼を言います。けれどその次の瞬間、目を疑うような速さで夕飯を口に頬張り始めました。


 箸の持ち方はめちゃくちゃです。それでも懸命に、出来るだけ急いで夕飯を食べています。何をそんなに急ぐことがあるのでしょうか。寝るまでにはまだ時間があるというのに、遥ちゃんの食事の速さは異常です。


「お礼なんていいよ。そんなことより、もっと遥ちゃんに食べさせてあげて」

「けど……」

「僕達大人なんかより、これから成長する遥ちゃんが食べなくちゃ。違う?」


 智樹さんの言葉にはお母さんも逆らえません。お母さんに変わって智樹さんが遥ちゃんの様子を伺っています。遥ちゃんに智樹さんの視線を独占され、お母さんは不満そうです。


 テーブルの下でお母さんの足先が遥ちゃんの足首を蹴りました。お母さんの手は遥ちゃんの太腿へと伸び、白い皮膚に爪を立てます。けれど遥ちゃんは眉一つ動かしませんでした。


 これはいつものやり取りなのです。遥ちゃんだけ少なめに用意されるご飯も、それに怒ってご飯を分ける智樹さんも、遥ちゃんに嫉妬したお母さんがする嫌がらせも。もう遥ちゃんは慣れっこです。


「ごちそうさまでした」


 遥ちゃんは一人、先に夕飯を食べ終えるとさっさと後片付けをしてしまいます。そしてお風呂に入る準備をします。急いで食べたせいでしょうか。今日はやけに胃がムカムカとして痛く感じました。





 夜になるとお母さんは仕事に出かけます。夕飯を食べてから化粧をして家を出ていきます。帰ってくるのは次の日の明け方です。遥ちゃんと智樹さんが出かける時間には、お母さんは疲れて寝てしまっています。


 お母さんが仕事の間、遥ちゃんは智樹さんと二人きりです。優しい智樹さんはお母さんがいる間、遥ちゃんのことをお母さんから守ってくれます。けれどそれはお母さんがいる間だけのこと。


「やっと二人きりだね、遥ちゃん」


 お母さんが仕事に行くや否や、智樹さんがニヤニヤと笑いながら遥ちゃんに近付いてきます。智樹さんの大きな手が遥ちゃんの小さな体を抱きしめました。


 その様子だけを見れば、智樹さんは遥ちゃんを母親から守るいい人かもしれません。けれど、遥ちゃんにとっての地獄はここからが本番なのでした。


 遥ちゃんを抱きしめていた左手は少しずつ下がっていき、腰に触れます。背中にあったはずの右手は遥ちゃんの肩に回り、やがて遥ちゃんの胸へと移ります。


 布越しにではありますがはっきりと感じる人の手の感触。腰を支えていたはずの左手はゆっくりと円を描き始めます。智樹さんの顔が少しずつ遥ちゃんに近付いてきます。怖くて目を閉じると唇に生暖かくて柔らかな何かが触れました。


「や……」

「何が?」

「嫌……」


 遥ちゃんの口から零れ落ちた拒絶の言葉。先程までの智樹さんなら遥ちゃんの言葉に応えてくれたでしょう。けれど今の智樹さんは違いました。遥ちゃんの嫌がる声を無視して右手で小さな胸を揉んでいます。


 恐る恐る目を開ければ、そこには目をトロンとさせた智樹さんがいました。視線を少し下に動かせば、ズボンが不自然に出っ張っているのがわかります。股間付近が大きく膨れているのです。


「ねぇ、ダメ?」


 智樹さんの手が胸ではなくお腹を触ります。次第に下腹部へ、太腿へ、そして遥ちゃんの股間部へ、温かな手の触れる場所が移動していきます。衣類越しに触られているのに変な気持ちになります。


「いや、だ」

「遥ちゃんが嫌なら……僕、お母さんと暮らすのやめよっかな」

「なんで!」

「なんでって……僕は遥ちゃんと仲良くなりたいから、こうしてお母さんと暮らしてるんだよ? 僕がいなくなったらお母さん、どうなるかな?」


 お母さんの恋人であるはずの智樹さんは、どういうわけか遥ちゃんのことしか見ていませんでした。お母さんがいなくなるといつも、智樹さんはこうやって遥ちゃんに嫌な行為を求めてきます。


 智樹さんがいなければ、お母さんを止めてくれる人はいません。お母さんはきっとこれまで以上に荒れるでしょう。お母さんのためにも、智樹さんを繋ぎ止めるためにも、遥ちゃんに拒否権はありません。


「……それは、もっと嫌」

「じゃあいいよね。遥ちゃん、一緒に布団に行こっか」


 智樹さんが再び遥ちゃんの体を抱きしめます。ズボンの下から存在を主張する硬い何かがお腹の辺りに当たりました。かと思えば次の瞬間、遥ちゃんの体がふわりと宙に浮きます。智樹さんが遥ちゃんをお姫様抱っこしたのです。


 遥ちゃんの体はベッドの上にそっと降ろされました。仰向けに寝かされた遥ちゃん。その上に智樹さんが覆いかぶさります。小さな遥ちゃんは大きな智樹さんに力で抗うことが出来ません。


「僕がお母さんと一緒に暮らすかは遥ちゃん次第だよ」


 大きな手がするりと服の下に入り込んできて直接肌に触れてきます。やがてその手は遥ちゃんが着ていた服を剥ぎ取ってしまいました。滑らかな肌を温かな手が妖しい手つきで撫でていきます。


 智樹さんとお母さんの仲を繋ぐも引き裂くも遥ちゃん次第。そう言われてしまえば、遥ちゃんは自分の感情を殺すしかありません。智樹さんの行為が進むにつれて遥ちゃんの瞳は光を失っていきます。


 喜怒哀楽を示さなくなった顔。その瞳は目の前の光景をただ映しているだけ。その体が意志を持って動くことはなく、遥ちゃんはただただ智樹さんにされるがままになる、人形となっていました。

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