葉子ちゃん3

 お母さんが扉を開けると警官がゾロゾロと家の中に入ってきました。室内のありとあらゆる扉を開け、引き出しの中やクローゼットの中、冷凍庫の中に至るまでありとあらゆる所を探しています。


 やがて警官の一人がお父さんの部屋に辿り着きました。そこは葉子ちゃんが今日の午前五時まで裸で過ごしていた部屋です。警官が扉を開けば、室内の異様な光景が隠されることなく広がっています。


「この部屋です! カメラや玩具も揃っています」


 葉子ちゃんはお父さんの部屋について誰よりもよく知っています。昨晩お父さんと一緒に過ごしたあと、片付けをしていないはずです。部屋の中が気になって、ただならぬ様子の警官達をまともに見ることが出来ませんでした。


 お父さんの部屋にカメラや変な形をした玩具があるのは当たり前です。その玩具で葉子ちゃんを弄び、葉子ちゃんの裸をカメラに収めているのですから。だけど警官達の反応を見るに、葉子ちゃんにとっての当たり前は当たり前ではないようです。


 何人もの警官がお父さんの部屋に入っていきます。警官達が部屋から出てくる時には、お父さんの使っていたカメラや玩具を持っていました。そしてそれをどこから持ってきたのかもわからない段ボール箱に詰めていきます。


 パソコンやDVDディスクはもちろん、ベッドのシーツや寝巻きといった何の害もなさそうなものまで運ばれていきます。一杯になるまで物を詰め込まれた段ボールは家の外へと持っていかれました。


「どうして持ってくの?」

「これ、葉子!」

「お父さんの物、どこに持っていくの?」


 どんどんとお父さんの部屋から運ばれていく、お父さんが大切にしていた物達。それを黙って見ていることは出来ませんでした。葉子ちゃんが幼いからでしょう。警官の一人が葉子ちゃんに近付き、しゃがんで目線の高さを合わせます。


「お父さんの物は僕達が大切に保管するよ。お父さんが悪いことをしているかもしれないから、本当にそうなのかを調べるんだよ」

「悪いこと?」

「そう、悪いこと。君は何もされてない?」


 お父さんのしている悪いことと聞いても思い浮かぶことは特にありません。お父さんと夜中にベッドで裸になることが多いですが、それは葉子ちゃんの知っている悪いことではありません。葉子ちゃんにとっての悪いことは、人を殺したりお金を盗んだりすることです。


「多分ない、です」


 葉子ちゃんの返事には不自然な間がありました。ちょっとぎこちない笑顔を浮かべる葉子ちゃん。それを見て、警官がメモに何かを記し始めました。





 家宅捜索なるものがあった数日後。葉子ちゃんは何事も無かったかのように小学校に来ていました。だけど葉子ちゃんがいるのは教室ではなく保健室。葉子ちゃんは授業には出ず、養護教諭の鳥海先生とお話をしていました。


 結局、お父さんは家宅捜索の日から家に帰ってこなくなりました。家から持ってかれた物の中に良くないものがあったようで、今は警察にいるそうです。意味はよくわからないけれど、「児童ポルノ所持法違反」としてテレビに映ったお父さんは悪い人の顔をしていました。


 今日はどうにか小学校まで来たものの、教室まで行くことが出来ず保健室にやってきました。お父さんが逮捕されたせいでしょうか。周りの人の視線がいつも以上に気になってしまうのです。


 住んでいるマンションでは嫌がらせが始まっています。ロリコンと書かれた紙が貼られたり、いたずら電話がひっきりなしにかかってきたり。脅迫の手紙が届くことも多いです。今まで通りに過ごそうにも過ごせません。


 近所を歩けば様々な人から指でさされ、ひそひそ声で何かを言われます。これまで仲の良かった友達は呆気なく離れてしまいました。中には「お父さんに何もされてない?」と突然話しかけてくる知らないおばちゃんもいます。


 今、教室に葉子ちゃんの居場所はありません。お父さんのことをきっかけに「犯罪者の子供」と言われるようになり、教室に居づらくなってしまいました。それでも学校を休みたくなくて、葉子ちゃんは毎日保健室に来ています。


「先生。私、悪いことしてないです。なのにどうして、いろんな人にヒソヒソされるんですか?」


 葉子ちゃんの問いかけに鳥海先生は返す言葉が見つかりません。葉子ちゃんもお母さんも悪いことはしていません。お父さんが悪いことをしたから葉子ちゃんも責められる。そんなこと、小学校低学年の子に説明してどこまで理解出来るでしょうか。


 葉子ちゃんは知りませんが、お父さんの事件はすでにネットで世界中に広まっています。それどころかネット上で住所の特定や家族の特定までされており、どこに逃げても葉子ちゃんの置かれた状況は変わらないでしょう。


「……ねぇ、葉子ちゃん。お父さん、家でどんなだったか、覚えてるかな。お父さんとどんなことをしたか、覚えてるかな」


 鳥海先生が問いかけたのは、葉子ちゃんがこれまで何度も警察の人に聞かれたことと同じこと。警察の人に聞かれた時は何も言えないまま解放されましたが、鳥海先生は警察の人と違います。葉子ちゃんのことを少しですが知っています。


「葉子ちゃんの寝不足とお父さん、関係あるのかな?」


 鳥海先生の言葉に、葉子ちゃんはついに小さく頷きました。





 すぐに言葉にすることは出来ませんでした。それは葉子ちゃん自身も何をされたのかはっきりと理解していないからです。少しの間呻いてからようやく口を開きました。


「お父さんに呼ばれて、夜にお部屋に行くんです。ベッドの周りにはカメラがあって、そのカメラの前で、服を脱ぎます。そしたらお父さんが喜んでくれるから」

「服を脱ぐだけ?」

「なんか、変なことをしました。お腹とか舐められて、パンツを脱いで、変な形の玩具をここに入れるんです」


 葉子ちゃんの指はスカートの中を示していました。鳥海先生の顔が次第に青ざめていきます。


 鳥海先生は葉子ちゃんのお父さんの罪を知っていました。葉子ちゃんの話が正しければ、葉子ちゃんは予期せぬ形でお父さんの犯罪に関わっていることになります。嫌な予感がしました。


「その時、カメラは動いてるの?」

「動いてると思います。お父さんがよく、カメラのデータを確認して褒めてくれましたから」

「そのデータってどこにあるのかな?」

「わからないけど……警察の人が持ってた中にあると思います」


 お父さんは葉子ちゃんの乱れた姿を動画に収めていたようです。そしてそれは今、証拠品として警察に持ってかれている。もしかしたらそのデータはすでにネット上で広まっているかもしれません。


「お父さんのズボンを脱がせたら変な硬い物が出てきて、それを入れたこともあります」

「痛かったでしょ?」

「痛かったし、いっぱい血が出ました。けど、お父さんがいっぱい褒めてくれて、欲しかった物を買ってくれたりしました」


 間違いありません。葉子ちゃんは自覚していませんが、お父さんがしていたことは犯罪です。ただ児童ポルノを所持していただけではありません。お父さんが家に帰ってくればきっと、葉子ちゃんが大人になるまで同じことを繰り返すでしょう。


「……今してくれたお話、警察の人にも出来るかな?」

「どうして、ですか? 私が悪いことしたからですか?」

「違うの。葉子ちゃんは悪くない。でも、今のお話はとても大切なお話なの。警察の人に伝えないといけないくらい、大切なお話」

「大切な、お話……」


 葉子ちゃんが考え込んでいる間に、鳥海先生は受話器を手に取ります。今、あまりにいたずら電話が多く、葉子ちゃんの家では固定電話は使えないようにしてありました。お母さんに連絡するには、個人携帯に電話しなければいけません。


 受話器越しに聞こえるコール音がやけに長く感じます。何回かコールが続いてから、弱々しい「もしもし」という声が聞こえました。


「豊谷小学校の鳥海です。葉子ちゃんについてお話がありまして、ご連絡させて頂きました。葉子ちゃんの体調も良くないようですので、迎えに来ていただけませんか?」


 鳥海先生がお母さんに電話している間、葉子ちゃんは状況がわからずにぼーっとしていました。お父さんにされていたことは警察の人に伝えなきゃいけないこと。それは「お父さんが葉子ちゃんに悪いことをしていた」というふうに考えられます。


 お父さんにされていたことの数々を思い出して、両手で顔を覆って泣き始めました。





 お母さんが保健室にやってきたのは、電話してから一時間後のことでした。お母さんを待っている間に泣き疲れた葉子ちゃんは、ベッドで穏やかな寝息を立てています。目の下に色濃く残っているクマが少し痛々しいです。


 鳥海先生は他の生徒がいないのを確認すると、お母さんと向き合いました。そして葉子ちゃんから話を聞いた時に書いたメモを見せます。


「葉子ちゃんがお父様に何をされたのか、ご存知でしたか?」


 鳥海先生の問いかけにお母さんは俯くばかり。首を縦にも横にも振らず、無言のままです。時計の秒針が進む音がやけに大きく聞こえるほどの静寂。その静寂を破ったのは鳥海先生でした。


「言い方を変えますね。お母様は葉子ちゃんがお父様に何をされていたか、知っていましたよね?」

「…………はい」

「知っていたのに何もしなかったんですか?」

「…………はい」


 お母さんは葉子ちゃんがお父さんに何をされているのか知っていたのに、知らないフリをしていました。葉子ちゃんを助けるわけでもなく、お父さんを止めるわけでもなく、二人の関係をなかったこととして扱っていました。


「葉子ちゃんは毎日寝不足による体調不良で保健室に来ていました。このことはご存知ですか?」

「……保健室に、来ていたんですね」

「家だと寝られないそうです。保健室で寝る時も、私がそばにいないと寝られません。どうしてかはもうおわかりですよね」


 鳥海先生に問い詰められるとお母さんは無言のまま何も話さなくなってしまいます。それが葉子ちゃんに対する罪悪感からなのか、それ以外の理由からかはわかりません。


「失礼ですが正直に言わさせていただきます。お父様がされていたことは立派な虐待です。そしてお母様のした見て見ぬフリをすることも、立派な虐待です。養育放棄です」


 お母さんは鳥海先生の言葉に唇を噛み締めるばかり。否定も肯定もしません。苦しそうな表情が全てを示しています。返事をしないままのお母さんに、鳥海先生は小さくため息を吐きました。


「このことは警察にも、児童相談所にも連絡させていただきます。何か起きてからでは遅いので」


 そう言い放った鳥海先生の眼差しは氷のように冷たいです。お母さんは項垂れたまま小さく首を縦に振ります。遠くで、葉子ちゃんがゆっくりと目を開けました。

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