第3話
光。光と熱。
白。光。光。熱。熱風。熱。
エントランス前の小さな通りに勢いよく出た瞬間、あまりの暑さと日差しにすぐに後悔する。
熱。白。白い壁。白い道。
反射。反射。熱。光。
後頭部がずんと重くなり立ちすくんでしまうが、もう引くに引けない。ニューバランスのスニーカーを石畳へ下ろす。
コルドバには昨晩着いた。
マドリッドから電車を5時間ほど乗り継ぎ、お目当てのホテルのお目当ての部屋にチェックインしたのは10時過ぎだったろうか。
夜の暑さは恐れたほどではなく、マドリッドよりも涼しいぐらいだったから、「明日はいろいろと街を見て回ろう」と楽しみにしていた。
目の前にはメスキータという観光名所の寺院があり、少し散歩の足を伸ばせばユダヤ人街というかわいらしい町並みがある。イスラムとヨーロッパとアフリカが絶妙に混ざり合った、“これぞアンダルシア”という観光を堪能できるはずだった。
ところが、今朝になって朝ご飯を食べ、さあ街を見て回るぞと意気込んで外出したとたん、とほうもない酷暑にノックアウトされたというわけだ。
慌てて部屋に避難したのが正午前。ホテルの隣にあるファストフードでいかにも冷凍なピザをビールで流し込んだのが12時半過ぎ。部屋に戻ってふて寝してみても、あまりの暑さに30分も寝られず、そこからは徐々に上がる気温との我慢比べが始まったから、実に2時間ぶりのシャバの空気となる。
暑い。暑い。暑い。
当たり前だが、外の暑さは朝よりもその猛威を増していた。
夏の地中海性気候をひと言で表すなら、巨大なドライヤーがいちばん近い。
四方がガラスで張られた廊下を、何十台もの強烈なライトでぎらぎら照らされながら、巨大なドライヤーからの熱風に向かって歩くところを想像してほしい。
かいたそばから汗は乾き、髪に守られたうなじのところだけじゅぶじゅぶと濡れ、そこから首元へ流れ込んでくる。
光。光と熱。白。反射。光。
光。熱。熱風。熱風。
まず目がやられ、次に首筋がやられ、すぐに鼻や喉がやられる。息をするだけで熱い。
いや、もちろん歩けないことはない。耐えられなくはないのだ。虚勢を張って、ぐんぐんと歩けなくもない。それでも次第に顔が茹だり、血液が煮え、体力が漏れていくのを実感する。死の手応えを感じられる。
とりあえずは水を買おう。
売店のほうへ向かって、夢遊病患者のように100メートルほど歩くうちに、朝との大きな違いに気がついた。
街に人がいないのだ。
朝はまばらではあったが、人がいた。白い肌を真っ赤に染めた観光客、その腕に抱えられてダウンしている赤ん坊、ウンザリした顔でケバブを焼く売店のおじちゃん、腰を曲げて道を掃除する老婦、売り物のコーラをつまらなそうに飲むアルバイト、半裸で自転車にまたがり荷物を運ぶ配達員……。みな暑さを疎みながらも生活を営んでいて、それが観光地っぽい活気を演出するのに一役買っていた。
それがどうだ。たった数時間たっただけで、街はすっかりゴーストタウンの様相だ。
大半の売店はシャッターを下ろし、人通りはみごとに皆無。かろうじて開いている店の店先につながれた犬も、日陰に寝そべり一歩も動こうとはしない。「お前はどうしてこんな時間に外を歩いているんだ?」という目でこっちを見てくる。
誰もいない石畳に、ときおり遠くの寺院の鐘の音が響く。アンダルシアの夏に蝉の声はなく、とても静かだ。静かだからこそ空気の暑さがより純粋に、より冷酷に迫ってくる。
目当ての売店が案の定閉まっていて途方にくれた私は、ついもう少しだけと足を伸ばしてしまう。
一歩進むごとに、顔が、手が、体全体が熱のジェルに包まれ、そこを抜けると、すぐ次のジェルの壁に突っ込む。手にとってつかめるようなまぶしい光。目が開けられない。
止まってもいいのになぜか止まれない。休みたいのについ歩いてしまう。泳ぐように。滑るように。方角を把握するのはそうそうに諦めた。
ようやく開いている売店を見つけても、人と話すのが煩わしくて通り過ぎる。もはや何のために歩いているのかわからない。
顔が熱い。頭も熱い。
唇を舐めると唾が冷たくてビックリする。おしっこは熱いし、唾は冷たい。だいじょうぶなのか、私の体。
そう思ったとたん、まるでスイッチが入ったように頭の中でふたたびあの映像が始まる。止める手立てはなく、私は再び黒い気持ちに落ちていく。
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