第2話
部屋が暗いことも、気が滅入る要因のひとつかもしれない。
窓の外についている日よけ扉は閉めてあって、小さなシャンデリアのほのかな光だけが室内を照らしている。
アイスの空き袋とペットボトルがいくつも突っ込まれたくず籠、乱雑に開いたスーツケース、古びた木のドア、アンティークの箪笥。
どうせ窓を開けても風は吹き込まないわけで、それよりは、日差しを避けたほうが暑さ対策になる。
と、頭で分かってはいても、こうも長時間、ジメジメする薄暗がりに身を置き続けると、決意がくじけそうだ。
なにかに追い立てられるように、立ち上がってそーっと日よけ扉を開けてみる。
とたん、真っ白な光がカミソリの刃のように眼を切り裂き、反射的に窓を閉める。ふー、危ない。もちろんそんなわけはないが、感覚としては「死ぬかと思った」だ。
散らかった室内がほんの一瞬生々しく暴き出され、目に残像がチカチカと焼き付く。
ダメだ。
外には出られないし、窓も開けられない。猛吹雪の中、ロッジに閉じ込められたような気持ちで、ふたたびしっかりと窓にカギをかける。
振り出しに戻った。
暑い。それにしても暑い。
寝転がったままケータイをいじる。背中の汗がシーツにしみこんでいくのが感じられる。顔は毎分ごとにほてりを増していく。
さっき開いたページから日本のニュースをチェックする。
平和そうだ。ほんのひととき暑さが紛れ、次々と現れるどうでもいいニュースをポンポンと読み進めていく。
指が勝手に走り、つい勢いで新着メールの通知をタップしてしまう。
あっ。
慌てて閉じようとするけれど、こんなときだけ妙に反応よく新着メール一覧が表示される。
なんてことだ。そもそも私はこのメールを見たくないがために、わざわざアンダルシアくんだりまで来ているのに。
暗い気持ちで眺める受信メール一覧に並ぶタイトルは、どれも不動産屋さんからのものだ。
「佐々木祥子様へ物件のご紹介」。
件名が目に入るだけのことで胸の奥の方が重くなる。
喉がつかえて唾が自然と飲み込まれる。耳の付け根がぎゅっとする。
仕事熱心な不動産屋さんからのメールは、ここのところ2日に一度のペースで届いていて、その内容は見るまでもなく分かっている。
「佐々木様よりご依頼の1LDKタイプの物件、新たに何件か見つかりましたので図面をお送りさせていただきます。お手数ですが、ご覧になっていただきまして、気になったものがございましたら、内見の手はずを整えさせていただきます。その他、要望・ご質問などございましたら、お気軽におっしゃっていただけましたらできる限り対応させていただきます……」
丁寧過ぎる言葉遣いがこっけいでバカみたいなこのメールは、私に決まってある光景を思い出させる。
それは撮ったばかりのようなとても鮮明な映像だけれど、それが頭に浮かぶたびに私の心はずんと重くなる。足の力が抜けて、小さく叫びそうになる。
* * *
大きな窓から赤い西日が差し込むフローリング。リビングにはものが何ひとつ置かれていない。
がらんとしたリビングに立つ私のそばには細身の男性がいて、私たちは並んで立っている。
私は鼻の穴を少し広げ、小さくうなずく。
何かを成し遂げた達成感と、これから起こることが楽しみな期待感。
隣の人も同じ気持ちだろうな、と顔をのぞき上げると、まるで見たことがない表情をしているので、心底驚いてしまう。
お腹が痛いのを我慢しているような、力の入った、でもどこか悲しそうな顔。
「どうしたの?」とほほえみかけると、男の下唇の右端のほうが少しずつゆがんで、ゆっくりと口が開かれる……。
* * *
出かけよう! すんでのところで映像を強制終了させると、がばりとベッドから体を起こした。汗が後れ毛からぽたりと落ちてシーツにシミを作る。
危ない。ダメだ。こんな地獄みたいな部屋で地獄みたいな想像をしてるぐらいだったら、外に出よう。
水だってそろそろなくなるし、どうせいつかは外に出なくちゃいけないのだ。もしかしたら、もしかしたら、だけど、外のほうが涼しいかもしれない。さっきみた強烈な白い光はきっと幻に違いない。
そうだそうだ。そもそも私は今、旅行に来ているのだ。
ヴァカンス。レジャー。エキゾチック。
昼下がりのスペイン情緒を満喫する権利ぐらい、私にはあるはずだ。
下の短パンだけジーンズに履き替える。上は濡れたまま(一歩外へ出れば乾く)で、木彫りのフクロウがついたルームキーと財布、ケータイを持ち、帽子をかぶって部屋を出る。
出る間際、病気がちの小動物のような息を漏らしているエアコンくんに気づくが、そのまま放置する。
お前なんて当然つけっぱなしだ。
少しは頭を、いや、部屋を冷やしておけ。
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