第13話
薬を嗅がされたことの経過観察として、私は個室タイプの救護室に入れられていた。
痺れ自体はあれから1日もせずに取れたので、私自身はそれ以上ベッドに寝ている必要はない、と考えていた。
しかし、王国の命にそむくわけにもいかず、私はこの3日間、ただ、天井のシミを眺めるだけの日々を過ごしている。
あの時のことを、ぼんやりと、思い出す。
思い出すが、それは、こういうことがあった、という無機質な「情報」としてよみがえるだけで、感情はそこには乗っていなかった。
まだちゃんと、自分の頭の中で、出来事が処理できていないのだろう。
先生が去り、ロベルとリリアの無事を確認した後、私の意識は急に途絶えた。
薬のせいか、気が緩んだせいなのかはわからない。しかし、その次に目を覚ました時、私は豪勢な馬車の座席に、横たわるように乗せられていた。
相当ランクの高い馬車なのか、揺れもほとんど感じなかった。私はもちろんのこと、フランツ騎士団でも雇えないような、そんな馬車。
救護室に着いた際、私は今回のいきさつを自らクルー達に打ち明けた。
私とクレイン先生との関係、今回の事件のいきさつ、そして、私のような人間が、どうしてフランツ騎士団に所属できたのか。
身を切られるような思いだった。
これらを話すことは、私の無能さ、弱さをすべてさらけ出すのと同じだったからだ。
しかし、ロベルも、リリアも、そして自らの怪我を押して見舞ってくれたカイも、黙って、私の告白を聞いてくれた。
私は、それと同時に、リリア達にも尋ねた。なぜ助けに来られたのか、そして、帰りの馬車のこと。様々なこと尋ねた。
すると、ある一人の人物が浮かび上がった。いつも私を影から支え続けてくれた、彼女の名が。
私は今、そんな彼女を待っている。
今まで彼女はいつだって、突然私の前に姿を現していたので、このように、意識的に彼女を待つのは、もしかすると、初めてのことかもしれない。少しだけ、胸がむずがゆくなる。
「シュナー!お見舞いに来たよ」
ドアの開く音と共に、病室に突然、明るい声が響いた。私はゆっくりと起き上がる。
「……エマ。来てくれたんだね」
体中が熱くなるのを感じる。思わず笑みがこぼれた。
「来てくれたって、自分から呼び出したんでしょー。わざわざ騎士団の通信網使って連絡してきて。
ごめんね。来るの遅くなって。もう、体は大丈夫なの?」
「うん。おかげさまで。というか、ほとんど怪我と言う怪我、してないんだ」
「……そっか」
彼女には、手紙ですべてを伝えていた。
騎士団のみんなが来てくれたこと、冊子のこと、そして先生のことも。
特に、先生に関しては、エマもショックを受けただろう。私と同じく、彼女は、先生のことが大好きだったはずだから。
「でもまぁ、よかったじゃん。いろいろ解決して。シュナ自身も無事で。無事。うん。それが一番。なによりだよ」
「本当に、そうだよね」
私は深々と頷く。
「……で、話ってなに?手紙には、話したいことがある、って書いてあったんだけど」
エマはストンと、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
私は、軽く息を整え、ベッドのマットに正座をした。背筋を伸ばし、膝に手を置く。そしてエマの目をしっかり見つめた後、深々と、丁寧に、丁寧にお辞儀をした。
「おっ、どうした?」
彼女の声には答えず、私は頭を下げたまま、そっと口を開く。
「エマ……、本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで私は、今ここに居られます。本当に、本当に、感謝のしようがありません」
「えぇっ、えっ、何、なになに?なんの冗談?」
エマがすっとぼけた声を出す。
「……みんなから、聞きました。エマが……、エマがフランツのみんなに、学校まで行くよう言ってくれたこと」
「えっ……聞いたって……」
エマは、口ごもる。
私はゆっくり顔を上げ、目をぱちくりとさせる彼女を見つめた。
「あの日、私がこの町を発った後、エマは私を探して、わざわざカイのもとへ訪ねてきたんだってね。
それで、私が一人で学校に行ったことを知ると、私の後を追ってほしいと、血相変えて、みんなにお願いしてくれたんでしょう?
馬車まで用意してくれて」
「え、ま、まぁ、その……」
エマが視線を泳がす。私は少し、微笑んだ。
「みんな言ってた。あのときのエマはすごかったって。
なんか、すごい気迫だったというか、私が危険にさらされるって、確信をもって断言してたって。それに、用意してくれた馬車も、馬も、とってもいいもので、普通の半分くらいの時間で、たどり着けたって」
「そ、そう。それはよかった、よかった~」
彼女はわざとらしく笑った。
私はゆっくり頷いたあと、静かに、尋ねる。
「ねぇ。もし、もしよかったら、なんだけど、なんでそんなことできたか、教えてくれない?」
「えっ」
彼女はうすら笑いを浮かべながら、瞬きを繰り返す。私は、じっとエマの顔を、柔らかい赤毛を見つめた。
「……私、単純に、一人の友達として、知りたいの。
思い返してみればエマは、いつも私が何か悩んでいるタイミングで、私の顔をのぞきに来てくれてた。
それに、エマの指摘はいつも、適格で、確信を突くものばかりで。でも、それって勘が良すぎるというか、ちょっと、不自然な気もしてたんだ。ねぇ。もし、何かあるのなら、教えて?」
エマの顔を覗き込んだ。彼女は、口を半開きにしながら、あっけにとられたように、私の顔を眺めていた。
そして口を閉じ、しばらく俯いたかと思うと、「ぷっ」と急に、吹き出した。
「えっ、私、今、変なこと言った?」
「いや、いやいや、言ってない。全然言ってない。正しいよ。シュナ。あんたの勘は正しい!
いやー、でもまぁ、鈍感なシュナに勘付かれるとは、もう私も潮時ですなぁ」
彼女は頭の後ろで手を組み、背伸びをしながら、ゆっくり立ち上がった。
「うん。そうだよ。ごめんね。私、シュナに隠してたことがあった。私……」
私は深くうなずき、つばを飲んだ。
「私、本当は、リッツガルド王国の、お姫様。プ・リ・ン・セ・ス、なんだよねー」
「……えっ」
一瞬、言葉が理解できなかった。今、なんて?プリンセス?プリンセスって……言ったの?
「え、ふえええええええええええええ!!!!」
エマが慌てて、私の口をふさぐ。
「ちょ、声大きいよ、シュナ!
いくら個室だからって、だめだよ!っていうか、気が付いてなかったの?
私てっきり、全部ばれちゃったんだと思って、仕方なく白状したのに!」
私は必死で、首を横に激しく振る。
「いやいや、そんな、ばれてなかったよ!
いや、なんというか、実はお金持ちのお嬢様とかなのかなーって。私のことを気にかけて、陰で色々情報集めたりしてくれてたのかな、とか思うくらいで。
まさか。ええーー!!!!だって、エマ、全然お姫様って感じじゃないじゃん!」
「あー、そんなこと言う?命の恩人に向かって!!」
「あ、すいません。その……エマ……王女様?」
エマは私の肩を、思い切りはたいた。
「もう!そういうのが嫌だから隠してたんじゃん!
お城の生活って堅苦しくてさぁ。絶対出てやるって思ってたの。
だから、10歳超えた辺りから、公式行事にも出ないようにしてた。
だって、顔覚えられたら、フツーの人にまぎれて、フツーの生活なんてできないでしょ?」
「え……、まぁ、確かにそうだね。
でも……なんか、どうしよう。お姫様だった、なんて、これからどう接すればいいのかわからないんだけど……」
「だーかーら、そういうのが嫌だったんだよ。
……私、こんな性格だけど、お城から出るまで、友達って呼べる人、いなかったんだよ?み
んな、どこかよそよそしいし、言い合いとかもできないし。
そんな中、学校に入って、初めてできた友達、それがシュナ、シュナなんだ。だから、なんというか、思い……入れ?もあるというか……」
エマは、鼻の頭が付くくらいに顔を近づけたあと、強い口調でこう言った。
「だから!シュナはこれからもいつもどーりでいて!いつもどーり、弱音吐いて、私に噛みついて不満を言ってウジウジしてて!
そんな感じでいて!」
「私のいつも通りって、そんな感じなんだ……」
私はわざと、怪訝そうな目つきで彼女を見たが、彼女はお構いなく、「うん、そんな感じ!」と答えた。
「……だからさー。そんなシュナがフランツに決まった時は、本当にびっくりしたんだよ。
今のフランツがガタガタなのは、お城でも噂になっていたから。これは絶対、裏に何かあるなと思った。だって、王国直属騎士団なんて、シュナの成績で受かるはずないじゃん!」
エマはいつも通り、歯に衣着せぬ物言いで、話続ける。
「で、私、家来の人たちに頼んで、こっそりフランツのことや、シュナの近況を、調べてもらうことにしたんだ。
ガタガタの騎士団を陥れたい人なんて、沢山いるだろうから。本当にシュナがピンチになったら、助けるぞって思ってた。
正直……その黒幕の一人がクレイン先生だったってことには、直前まで気が付かなかったけれど……」
「……そうだったんだ」
お互い、俯き、口をつぐんだ。しばらく沈黙が続く。私達にとって、クレイン先生の存在は、それほどまで、大きかったのだ。
でも、私は嬉しかった。この気持ちを共有できる誰かがいることが。心の支えを、一本失ったことは確かだけど、おかげで私は、友との強い絆を、改めて確認することができた。
「まぁ、ばれちゃったけど、よかったよ。シュナが無事でいてくれて。これで、一件落着って感じじゃん?」
「うん、そうだね」
顔を上げ、悲しそうな目をしながらも、あえて笑いかけてくれるエマに、私も歯を見せ、微笑んだ。そう、これでとりあえずは一件落着、なのだろう。
その時だった。コンコン、と、病室のドアをノックする音。エマは、はーいと返事をすると、私に代わり、小走りにドアを開けた。
「シュナ・ポートマンの部屋はここか」
姿が目に映るより早く、威圧的な声が部屋に響いた。エマを押しのけ入ってきたのは、国勇軍の制服に身を包んだ、背の高い男性達であった。
前に出た一人は、私を見下ろし、言った。
「貴様に呼出命令が出ている。直ちに我々と長官室まで来るように」
城内にはこれまで何度か入ったことがあったが、この長官室に立ち入るのは初めてのことだった。
重厚な扉の奥、そこにあるのは一直線に敷かれた赤い絨毯。その先には、黒く光る大きなデスクがある。机の後ろは縦長の大きなガラス窓があり、光が放射線状に差し込んでいる。
窓の前に人の影らしきものは見えるが、どんな人が、何人いるのかまではわからない。
私は後ろを歩く兵隊に促されながら、絨毯を進んだ。
目だけを動かし、辺りを見る。部屋には兵隊が等間隔に立っている。張りつめた空気の中、彼らは皆、冷たい目線で私を見下ろしていた。
エマの姿はすでにない。部屋から私を連れ出そうとする兵隊を、エマは必死に止めようとしてくれた。
しかし、彼らは片腕で、いとも簡単に彼女を突き飛ばした。駆け寄ろうとする私の目の前には、槍。こうして私は、せっかく来てくれたエマと、いともたやすく引き離されてしまったのだ。
エマに対しての、あの乱暴な態度。おそらく、彼らはエマの正体を知らないのだろう。
巨大な机まであと数歩、というところで、兵隊はピタリと足を止めた。
もちろん私も静止し、顔を上げる。
一段高いところにあるその机から、私へ視線を落とすのは、白髪の老人であった。その吊り上がった瞳は、特ににらみつけている風でもないのに、大変な威圧感がある。
「おまえが、シュナ・ポートマンか」
老人の白い口髭が動く。私は、その強い視線を堪えながら、なんとか「はい」と声を絞り出した。蛇ににらまれた蛙の気持ちが、今、まさに理解できる。
「君は、なぜ自分がここに呼ばれたかわかるか?」
「……先日の、クレイン先生の件でしょうか」
「そうだ」
急に、横から声が飛び込む。目をやると、そこには髭を蓄えた筋肉質の男性が立っていた。どこかで見覚えのある顔だ。私は必死に記憶の糸をたどる。
「覚えていないのか、シュナ・ポートマン。
私はジゼル・フランツ。フランツ騎士団の先代団長だ。現在は、軍で大佐をしている」
そうだ。ジゼル・フランツ。コロシアム会場で会った、あの時の、ロベルのお父さんだ。
「まずは、フランツの人間として礼を言おう。我ら騎士団を陥れようとしている黒幕を一人、突き止めたようだな」
「……は、はい」
なんとか返事をする。礼を言われているのはこちらなのに、胸の鼓動は収まらない。
「その功績自体は、素晴らしいものだ。通常であれば、勲章に値するやもしれん。しかし……」
大佐の眉間にしわが寄る。一拍の間。私はギュッと拳を握った。
「おまえの入団自体が、その黒幕の『策略』だったそうではないか」
温度のない言葉が、静かな会議所に響く。私は彼の顔を見据えながらも、押し黙ってしまった。
「実際、噂では聞いていたのだ。
今回の新人が、使えないということを。ただ、これで合点がいく。お前は、はなからフランツにいるべき人間ではなかったのだな」
何か弁解したいと口を開いたが、言うべき言葉が見つからない。
私は耐えられず、下を向いた。フンという、嘲るようなジゼル大佐の鼻息が耳に入った。
「……今後のおまえの進退であるが、前騎士団長の私としては」
「少し、待ちなさい」
ジゼル大佐の言葉にかぶさるように、しゃがれた声が入ってきた。
反射的に顔を上げると、机に肘をついている老人が、両手を組みながら、じっと、私の方を見据えていた。後方から降り注ぐ光が、艶めいたデスクに光る。
「シュナ、と言ったね」
「……はい」
「自己紹介が遅れた。私は、国勇軍の長官を務める、ハリス、というものだ。国勇軍を取りまとめるとともに、王国直属騎士団の管理運営も任されておる」
私はゆっくり頷いた。最初は威圧的に映った長官の姿であったが、彼の穏やかな語り口は、私は少し、安心させる。
「現在の君の立場と処遇は、少し置いておいて……。
私が聞きたいのは、お前さん自身のことだ。どうだった?この3カ月間は。フランツ騎士団に在籍してみて、何を思ったかね」
「何を思ったか、ですか」
意外なことを聞かれ、言葉に詰まる。何かを得ようと宙を仰ぐが、もちろん、そこには何もない。
たった3カ月。そう、思い返せば、たった3カ月間の出来事だった。
だが、その間に起こった様々な出来事や、それに対する思いは、到底「3カ月間」という箱には入りきらないくらい、膨大なものであった。
松脂を忘れた入団儀礼。
悪口を立ち聞きしたサイモンホテル。
郵便屋のおじいさんとの出会い。
お城への不法侵入。
任務遂行中の襲撃。
リリアの過去。
生まれて初めての賭け事。
コロシアム。フランツ騎士団の秘密。
カイの感謝の言葉。
そして、クレイン先生との対峙。
いろんなことを思った。
色んなことを感じた。
自分の弱さ、不甲斐なさ、そして仲間への感謝の念……。それはこの場で、一言で語れるような、そんな類のものではなかった。
「辛かったのかね」
「ち、違います!」
我に返り、反射的に声を返してしまった。
気が付くと、私の頬は、涙で濡れていた。
長官は、この涙を「辛さ」と解してしまったのだ。なんとか言葉に出さなくては。
「確かに、辛い、と感じるときもありました。
でも、今は……今はそう感じてはいません。私は、このフランツ騎士団で、今までにない経験をさせてもらいました。そして……こんなこと自分で言うのもおかしいんですけど」
自然と一歩、前に踏み出る。
「変わった、って思うんです。自分自身が。自分自身の足で、前に進めるようになったんです。
流されてばかりの私が。何かを待ってばかりの私が。だから、確かにしんどい時もありましたけど、それ以上に、私は、自分を変えてくれた、フランツに感謝しています」
ジゼル大佐が、あからさまに大きなため息をつく。
「何を言い出すかと思えば……そんなもの、関係ないだろう。だからなんだというのだ。
フランツは、そんな青春ごっこのために存在しているのではない」
確かにその通りだ。私は目を落とし、唇を噛む。私がフランツにどういう思いを持っているかなど、関係ない。
今、私がここに呼ばれた理由。それはおそらく、私がフランツにふさわしい人間かどうかを判断するため、だろう。
そして、その答えは、もはや明白であった。
そう、わかっている。分かっていたのだ。
最初から。策略も、陰謀も、関係ない。私がフランツ騎士団に見合った実力さえ持ち合わせていれば、そんなもの、なにも関係なかったのだ。
今回の騒動、その根本たる原因は、私の弱さ、そこにあった。それは、誰のせいにもできない。私のせい。私の責任なのだ。私がフランツにどんな思いを持っていたとしても、その罪が消えることはない。
涙が溢れる。止まらない。それは一滴一滴、頬を濡らし、首をつたい、床へと流れ落ちていった。
「もういい。この小娘を下げろ。後はこちらで判断す」
「待てと言ったであろう、ジゼル!」
突然鋭い声が空気を割く。私がそっと瞼を上げると、そこには先ほどの、静かなまなざしがあった。
「シュナよ。私はお前に問いたい。お前は、フランツを辞めるべきか、それとも、残るべきか」
「長官!」
ジゼル大佐が長官の方へ身を乗り出す。が、長官は気にも留めず、ただまっすぐ、私の双眸を見つめていた。
「シュナ、私は、お前に、問いたいのだ」
「私、に」
その問いは、私にとってとても、とても答えにくいものであった。「残りたいか」ではなく、「残るべきか」。そう、私の意思ではない。そうあるべきかどうかが問われているのだ。
客観的に見れば、私は残るべきではないだろう。辞めるべきだ。おそらくそれが、ジゼル大佐はじめ、多くの人の意見だろう。
だってそうではないか。私はもともと、この団に見合うだけの力はない。
残ったとしても、皆の足を引っ張り、クルーの、そして王国直属騎士団全体の名誉を失墜させるだけだ。
私より優秀な白魔導士などごまんといる。今すぐにでも、そんな人たちにこの席を譲るべきだ。
だが、優秀な白魔導士、レベッカは、フランツを辞めた。
ほかのクルーも辞めていった。
今のフランツに必要なのは、一騎士としての優秀さ、なのであろうか。
ロベルの秘密を知り、リリアの過去を知り、カイの思いを知った今、フランツから求められているものは、単なる戦闘能力の高さだけなのであろうか。
『――あなたは、この騎士団を愛している。フランツにふさわしい人ね』
レベッカの言葉が蘇る。
今の私には、それは闇夜にかすかに光る、灯台の灯のように感じられた。
遠くからの、弱い、今にも見失いそうな光。それでも私は今、それを手繰り寄せたい、それだけを頼りに進みたい、と感じた。
私は、そらしていた視線を、長官の深い瞳へと戻した。息を吸い、吐く。
震える唇を一度合わせ、その後、大きく、口を開いた。
「私は、残るべき人間だと思います。私こそ、今のフランツに必要な人間です」
「バカな!自分の立場を考えろ、小娘!
気様ごときが、この格式高い騎士団に」
「黙れ!ジゼル!」
鋭い長官の声に、ジゼル大佐は押し黙る。
私は全身の震えを感じながらも、目をそらさず、長官の目だけを見据えた。
「……そうか、わかった。
まぁ、そういう見方もできるだろうな。
戦闘能力だけで図りきれないものも、世の中には、確かにある」
長官がゆっくりと頷く。そして彼は立ち上がり、右手を横に振った。
「これで決着だ。
シュナ・ポートマンは引き続き、フランツ騎士団クルーとして、任務を遂行するように。以上!」
一瞬、時が止まったように感じた。全身の力が抜け、私は床にへたり込む。
ジゼル大佐は、苦虫を噛み潰したような表情で、顔をこわばらせ、長官と私、その双方をにらみつけていた。しかし私は、それすらどうでもよいと感じるくらい、満身創痍の状態であった。
「シュナ!!」
ゴンッと扉の開く音と同時に、飛び込んできたのは友達の声。
私が振り返るよりも早く、駆け寄ってきたエマは、私に勢いよく飛びついた。
「ごめんね。護衛兵に足止めされちゃって……でも様子は全部、扉の外から聞いてたよ!残留決定、おめでとう!」
そうか、私は、残留することになったんだ。
今先ほどの出来事が、いまだに自分の中で整理できていない。エマに激しく頭を揺さぶられるが、私の頭は真っ白であった。が、うつろな視線のその先に、立ち去ろうと腰を上げる、長官の姿をとらえた。
長官は、去り際に一瞬、こちらを見下ろした。その時の彼の口元が、ほんの少しだけ、緩やかな弧を描いたのを、私は見逃しはしなかった。
その笑みはまるで、私の背中を押してくれている、そんな風に感じられた。
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