第11話
「はぁ?3か月前の配達記録を見せてほしい?」
「はい。とても重要なことなんです。
あるでしょう?荷物の受け取り時にサインをする、あれです。
あれの控え、そちら側で保存されているはずの分を見たいんです」
「無理無理。これはあくまで、こっちの事務処理用にとってあるものなんだから。どうしても見たいなら、送り主に渡ったものを見ればいいだろう」
「それが、もう処分してしまったらしくて……だから見せてほしいんです」
「だから、さっきも言ったけど、それは内部の資料だから見せられないよ」
エマ直伝、頼みごとをする時の「かわいく」のポーズ。作ろうとした瞬間に言われた。
「もういいだろ?はい、次の方~」
私はとぼとぼと郵便局の外階段を下りた。
以前、お城で確認した通り、私の「新入生の心得」が、発送されたことは確かだった。実際に封筒は、私の手元に来た。しかし私が中を開けた時点では、その冊子は入っていなかった。
結局新しい冊子が手に入ったため、「なぜ冊子がなかったか」というそもそものところは、うやむやになったままであった。
が、昨日、レベッカさんの話を聞いた後、このことに関する「もう一つの可能性」が、私の中で急浮上した。
そうであってほしくはない、でもあり得る「可能性」が。
その真偽を確かめるため、私は今日、城の書物室を訪ねた。
が、3か月前の配達記録は、すでに処分されていた。台帳と照合し、ちゃんと届いたことがわかった時点で捨てるらしい。仕方なく私は、郵便局を訪れた。が、この対応、である。
私はため息をつき、階段の一番下の段で腰を下ろした。大通りは今日もにぎやかだったが、その騒がしさの中、私一人が取り残されていた。
これからどうしよう。
カイの負傷により、フランツの仕事は当分なくなった。
時間のある今こそ、フランツを狙う黒幕探しをする、絶好の機会だ。
でも、私は正直、自分でもどうしたいのかわからなくなっていた。このままではいけない、ということだけははっきりしていたため、とりあえずここまで調べてはみたが、それもはやくも行き詰まってしまった。
「おや、あんた確か、前の白魔道士さんじゃないかい?」
声をかけられ、慌てて顔を上げる。見上げるとそこには、郵便局の帽子をかぶった、一人の老人が立っていた。
「ほら、わしじゃよ。以前怪我を診てもらった。いやー、あのときはありがとなぁ。荷物まで運んでもらって。おかげ様で今は元通り、仕事にも復帰したわい!」
記憶の糸をたどる。怪我を診た……そうだ、ホテルの路地裏でうずくまっていたおじいさんだ。
「……あ、あの時のおじいさん?」
「そーじゃよ。思い出したか。
あー、あんたに礼がしたいと思っておったんじゃ。名前を聞くのをすっかり忘れておって、なにもできんかったが。あー、よかった。いい巡りあわせじゃ」
おじいさんの後ろからは陽の光が射しており、それは後光のように見えた。私は思わず立ち上がる。
「私にとっても、いい巡り合わせ、かもしれません」
郵便局の建物裏は、隣の建物と壁との間に挟まれており、人一人通れるかどうかくらいの狭いスペースしかなかった。
雑草が生い茂り、長く使われていない空間であることがうかがえる。おまけに大きな木の影になっていて、人も全くいない。こういうコソコソしたことをするのには、もってこいの場所だった。
「おう、お待たせお待たせ」
ガチャっとドアの開く音がしたかと思えば、おじいさんがそろりと、裏口の小さなドアから出てきた。
きょろきょろと辺りを警戒しながら、私の方へと歩み寄る。
「これじゃないかね」
おじいさんは、オーバーオールの胸ポケットから、一枚の紙切れを出した。私は高鳴る鼓動を抑え、おそるおそるその紙を見る。
「これです!間違いありません」
すぐさま私は、問題の箇所を目で探した。
「そーか、よかった。まぁ、元々お前さん宛ての配達じゃから、記録を見せても大した罪ではないじゃろう。このくらい、お安い御用じゃ」
その箇所、が視界に入った瞬間、私は大きく目を見開いた。一瞬、息が、止まる。
「おや、おまえさん、急に顔色が悪くなったぞ?大丈夫か?」
「えっ、あ、はい、大丈夫です。すいません。ご足労おかけしました」
「いやいや。でも、本当にこれだけでいいのかい?」
「はい、十分です。本当に、ありがとうございました」
私は、力なくお辞儀をする。
「そうか……じゃあまぁ、仕事に戻るが……、おまえさん、無理しちゃいけんよ」
そう言うと、おじいさんはまた、裏口から建物内へと入っていった。私は、それを確認した瞬間、地面にへたり込む。
なんだろう、この感じ。一言でいえば、ショックを受けた、その一文で表現できる。
でも、それだけでは済まないとてつもない痛みが、心臓を中心に、体全体に響いていた。今まで積み上げてきたものが、全部崩れていくような、そんな感じだ。
配達記録の、受取人のサイン。
それは、クレイン先生のものだった。
私は、冊子の入った封筒を寮の管理人さんから受け取ったが、管理人さんは、おそらくクレイン先生からそれを渡されたのだろう。
「封筒が私の手元に来る前に、冊子はすでに抜き取られた可能性」は、高まったと言わざるを得ない。
薬の件と、今回の件。浮上した人物が同じという事実は、変えようのないものであった。
私は放心状態のまま、その場から動くことができなかった。私の顔の丈ほどの草が、風に揺れ、私の頬を、なんどもこすった。
クレイン先生は、3年間の魔法学校生活で、最後の1年間だけ、私の担任であった。が、私は以前から、先生の研究室にちょくちょく顔を出していた。
先生が薬学の研究者であったことは有名で、私は入学当初から、先生の研究室前を通り過ぎる際、その様子を窓越しに見ていた。それに気が付いたエマが、「どうせなら、正面から入ってみよう」と私の背を押し、研究室のドアをノックさせた。それが始まりであった。
先生は、非常に物腰柔らかで、いつもニコニコ笑っていた。
担任ではない私達を歓迎し、熱心に薬草についての知識を語ってくれた。物覚えの悪い私のために、残って指導もしてくれた。生徒からの人気も高く、エマや私をはじめ、慕っていた生徒は男女問わず大勢いた。
優しくて、穏やかで、怒った姿など見せたことがない先生。
だから私はたまに、先生は、心の奥底では何を考えているのだろうと、疑問に思うことがあった。
先生の本音。近づきづらい部分。その微妙な距離感は結局、卒業まで、変わることはなかった。
そういえば、フランツ騎士団を受けるよう、勧めてくれたのも先生だった。私が就職活動で悩んでいたときだ。
「世界の広さを見るために、一度、王国直属の騎士団でも、受けてみたらどうかな?国中から、色んな人が集まってくるから、きっといい刺激になるよ」
その言葉で私は、フランツを受ける決意をした。
元々受かるなんて思っていなかったから、合格通知を受け取ったときは、仰天した。
すぐさま研究室に走り、通知を先生に見せにいったことを、今でもはっきり覚えている。
そう、私はそもそも、フランツなんて受ける気はなかったのだ。
成績だって、内申点だって、到底受かる見込みのないものだった。
先生、なぜあの時先生は、私に受けてみれば、なんて言ったのだろう。いい刺激?本当にそれだけなのだろうか。私は、なぜ、フランツを受け、そして受かったのだろう。
色々なことを、確かめなければならない。背けたくても、前を見なければならない。私は、地面に手を付き、ゆっくりと立ち上がった。
会いにいこう。クレイン先生に。すべてが単なる偶然であることを、心の隅で祈りながら。
私は、明日の朝、リッツガルドを発つことに決めた。
ホテルに戻り、荷物を詰める最中で気が付く。私はまだ、薬についての途中報告を、カイにしていない。
あの日カイは、「すべてがわからない」と言っていた。誰が信じられるのか、きっと彼は今も、疑心暗鬼の渦中にいるのだろう。
ここを出る前に、カイにだけは会っておく必要がある。そして言おう。レベッカは、まだ、ロイさんの意思を受け継いでいる、ということを。きっとそれだけでも、彼の心は少し、和らぐのではないだろうか。
救護室は、相変わらず足の踏み場もないくらい散らかっていた。
が、以前より若干、物は減っていた。患者さんが減ったせいだろう。私は、足もとに注意しながら、彼のもとへと歩く。
少し具合が良くなったのか、カイはベッドの上で起き上がり、窓から外を見ていた。頭の包帯は残っていたが、顔の方は取れている。
「カイさ……カイ。戻ったよ」
声に驚いたのか、カイはすぐさま振り向いた。
「おまえ……そうか」
彼は、私の頭から足の先までを、上から順に一通り、確認するように見ていく。
「……戻ったんだな」
いつも気難しそうな彼の表情が、一瞬和らぐ。私も知らぬ間に微笑んでいた。
「レベッカさんに会ってきました。あと、猫のニコルにも。すごいね。人の言葉を話せる猫なんて、私、初めてみました」
カイが少し頷く。
「ああ。腹話術もあそこまでいくとすごい。変わったやつだろう?自分の言いにくいことは猫に話させる、なんてな。
庭にもスピーカーを忍ばせて、猫の動きを見ながら声を出しているんだ。
郵便局員もびっくりだ」
私の動きが、一瞬止まる。
「え、腹話術?」
「当たり前だろう。猫は、しゃべらん」
真顔で彼は言った。どうしよう。地味にショックだ。
私は咳払いをし、話題を変えた。
「レ、レベッカさんは、とてもいい人だと、思いました。……その、しびれ薬を入れたのは、彼女じゃないと思う」
「……そうか」
「あと、ロイさんのことも聞いたよ」
彼の瞳が、少し大きくなる。が、すぐに元に戻った。
「……そう、か」
「彼女は、彼女は今でも、ロイさんのことを思ってる。あ、思ってるって言い方が正しいかな?なんというか……ロイさんの志を、忘れていなかったよ」
「そうか。あいつは今でも……」
カイは長いため息をついた。窓からの風が、彼の髪を揺らす。
「なにやってるんだろうな。俺は。ロイの志。俺も、それを貫こうと思っていたのに。
ガキな俺は、ロベルの態度にいちいち苛立ち、リリアとの確執も産み、おまえを信用せず……おまけに今回、このザマだ」
彼は自嘲気味にふっと笑った。
私はすぐさま否定しようとも思ったが、私の安い言葉ではカイの心に届かないと考え、やめた。
代わりに私は、彼の目を見据え、言った。
「……カイ。私、今から行くところがあるんだ。レベッカさんのところで話を聞いて、少し、気になることができたから、それを調べに。
しばらく来られないと思うけど、また、お見舞いには来ますね」
「どこに、行くんだ?」
私は言葉に詰まる。まだ黒と決まっていない現時点で、先生のことを話したくはなかった。
できればこのまま、先生は、今回の件とは無関係であってほしい。私の思い過ごしであってほしい。そんな気持ちが、私の口を閉ざさせた。
「……言えない、のか?」
「あ、いえ、言えないというわけでは……、ちょっと学校に戻ってきます。
私がこの前卒業した学校です。なんか、一般的な薬の調合とかの話を聞けば、今回の解決の糸口に繋がるかな……なんて……ハハ」
笑ってごまかす。
カイの眼光に押され、先生の名さえ出さなかったものの、結局、学校に行く、なんていらないことまで話してしまった。こういう時、私は心底騎士には向いていないな、と思う。
カイはじっと私を見つめていたが、やがて目線を自らの手元に戻した。
「当分仕事はないだろう。好きにすればいい」
「は、はいっ」
私は背筋をピンと伸ばした。報告も終わったので、お辞儀をし、帰ろうと背を向けたその時。
「シュナ」
「えっ」
驚き振り向く。
彼が私の名を呼んだ。初めてかもしれない。
後ろからの西日で、彼の表情ははっきりとは見えなかったが、声だけは、か細く弱々しいものながらも、はっきり、聞こえた。
「……ありがとう」
私は、ショルダーバッグの紐をぎゅっと握り、深々と、お辞儀をした。
建物を出た時、思わぬ人とすれ違った。私も、そして彼女も立ち止まる。
「……リリア」
リリアは、籠に服やタオルを山盛り詰め、建物の門をくぐろうとしていた。服があまりに積みあがっていて、正面からでは、彼女の顔が確認できない。夕陽でできた影も、いつもの何倍も、長い。
「これ、カイさ……カイの?」
「……そうよ。たまった洗濯物。っていうか、あんたどこに行ってたの?世話する人がいないから、私がするしかないじゃない!」
リリアはドスッと洗濯籠を地面に置き、私に詰め寄った。
「ご、ごめんなさい」
「明日からは、あんたがやりなさいよ」
「……ごめんなさい。やりたいのは山々なんだけど、ちょっと用事ができちゃって」
「こんな時に用事?!」
「はい。あっ、でも、帰ってきてからは、私が全部、やるよ。リリアだけに任せるなんてことはしないよ」
「……本当ね」
「うん、本当」
リリアは、フンと鼻を鳴らすと、しゃがみ込み、もう一度籠を持ち上げた。
「あっ、持とうか?籠。ごめんなさい。重いよね」
「このくらい、平気よ」
彼女は、少しよろめきながらも、一歩一歩、踏みしめるように歩いていった。小さな手で、小さな体で。そんな彼女の後ろ姿を、私はただ、ぼおっと眺めていた。
たぶん彼女は、この状況下で、彼女にできることを精一杯、やっているのだろう。
自分から手伝いを買って出たのだろうか。カイとあれだけ仲が悪かったのに。
フランツの絆を、何とかしてつなぎとめようとしている、そんな思いが、彼女の背中から感じられた。
私は結局、彼女が建物内に入るまで、その姿を見届けていた。
その日の夜、私は途中だった荷造りを再開させた。馬車を使っても学校まで半日以上はかかるので、おそらく一晩は学校で過ごすことになるだろう。
リュックに荷物を詰め込み、もう一度忘れ物がないか、身の回りを確認した。
デスクの二番目の引き出しを開けた時、見覚えのある紙切れが、裏向きに入っているのに気が付いた。めくるとそれは、フランツ騎士団に賭けた、あの時の投票券であった。
じっと見返した後、私はそれを丁寧に折りたたみ、ズボンのポケットに入れた。
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