第9話
「ごめん。出過ぎたマネとはわかってはいたが、我慢できなかったんだ。
昔馴染みの騎士団クルーが、あんなごろつきになぶられるのが……でも、本当にすまん!」
こう叫んだあと、私達とセントクリフ騎士団のクルー達を前に、キースは床に膝をつき、頭を床に付けた。
「いいっすよ。団長。あんたがそーゆー性格であることは、はなからわかってますから」
「確かに連覇は懸かってましたが、コロシアムなんてただのお遊びですよ。失格になったとしても、いたくもかゆくもない」
セントクリフのクルー達は笑う。しかしキースは、頭を上げなかった。
「いや、俺が割り込んだのと同じくらいに、リリアちゃんも闘技場に飛び込んでたんだ。俺が行かなくても、あの試合は終わってた。俺は、セントクリフを失格にしただけでなく、フランツのメンツも傷つけたんだよ」
あの時、会場に飛び込んだのは、セントクリフ騎士団のキースだった。
割り込みがあったことにより、試合は一時中断された。
最初は、無関係の人間の割り込み、ということで、審議が長引きそうであった。
が、後でリリアも割り込んでいたことが発覚。
よってフランツ騎士団は反則負け、おまけにセントクリフ騎士団も、試合前に失格という処分が下された。
その決定がなされた直後、私たちは一人のスタッフに声をかけられ、選手控室へと向かった。
どうやらキースが、謝罪のために私達とセントクリフのクルーを集めたようだ。
「頭、上げてくれよ、キース。本当にありがとう。本来であれば俺が行かなきゃいけなかったのに……その……」
「いや、駄目だ。特に俺はロベル、お前に謝りたいんだよ。顔に泥を塗っちまった」
謝り合う二人。そんな彼らを尻目に、リリアは口を真一文字に閉じ、黙ったままだった。彼女は先ほどから、ロベルとも私とも、目を合わせてはくれない。
「まぁいいじゃん、団長、過ぎてしまったことは仕方ないよ。それにさ、団長が顔上げないと、フランツの皆さんもここから離れられないじゃん。カイの具合を見に行きたいだろうに、なっ」
クルーの一人が、そっとキースの肩に手を置いた。その言葉に、キースは慌てて顔を上げる。
「おぉ、そうか。それは申し訳ない。時間取らせちまったな。また改めて詫びにいくから、どうか今は、カイのところに行ってやってくれ。あいつ、顔パンパンだったからな」
私達はキースを含むセントクリフの一向にお辞儀した後、救護室へと急いだ。
私の胸は張り裂けそうだった。怪我の具合も確かに気になった。が、それと同じくらい気がかりなのが、薬のことだ。
もし薬の調合ミスが、今回のそもそもの発端だったら、私はどんな顔でカイに会えばいいのだろう。
救護室のドアを開ける。
部屋自体は広かったが、ベッドが狭い間隔で配置されていて、さらには患者の荷物が床に散乱しているため、足の踏み場はほとんどない。
足もとに注意しながら一つずつベッドを確認する。会いたい気持ち、会いたくない気持ち、その狭間で揺れ動き、吐きそうになる。
カイはドアから最も離れた、窓際のベッドにいた。カイがいたことを確認するも、誰も、我先にとカイのもとに寄ろうとはしなかった。カイはお腹と顔を包帯でぐるぐるまきにされていた。口と、小さな左目だけが、その隙間から出ている。
私は意を決して、自ら最初に、ベッドの脇へ、カイのもとへと駆け寄った。カイは、首を少し傾け、その小さな片目でじっと、私の方を見つめる。
言葉を探す。かける言葉を。
でも見つからない。
本来であれば、大丈夫?とか心配したよ、などがふさわしいのだろう。
しかし今、私はそんな普通の、のんきな言葉をかけられる立場なのだろうか。
「おい」
「はっ、はい!」
私は姿勢を正した。
「後の二人に出てもらってくれ。俺は、お前に、話がある」
カイは刺すような目つきで、じっと私を見つめた。片目だけだったが、その強い視線だけで、私は何も言えなくなった。
ロベルは頷き、ドアへと歩いた。リリアは少しの間、俯きながら、そこに留まっていた。が、居てもどうしようもないと感じたのか、その後、無言のまま去った。
「すいません。私のせいです。私の……カイさんが動けなくなったの、薬が原因なんですよね?」
二人がいなくなった後、私はすぐさま、深く深く頭を下げた。
吐きそうでも、苦しくても、逃げてはならない。たとえ許されることではなかったとしても、私は謝らなければならないのだ。
「……ああ、薬が原因だろう。あれを使った直後に、体が、動かなくなった」
静かに彼は言った。私は、ぎゅっと目をつむる。やはり、そうだったのだ。
カイは黙っている。次の言葉を選んでいるのだろうか。
その沈黙は、長くつらいものだった。が、私がどうこう言える立場にはいないことを、私自身が一番わかっていた。
「……おまえ、もう、この騎士団を去れ」
長い沈黙の後響いたその言葉は、自分でも驚くくらい、心の奥深くに突き刺さった。
泣いてはいけないとわかっていながらも、涙がじわじわとあふれ出てくる。
私は顔を上げないまま、その姿勢のまま、涙をこらえた。
「……これ以上、ここにいるな。今のフランツは、俺たちが思っている以上に危険な状況にある。
入ったばかりのお前なら、まだ間に合う。今すぐここを去れ」
思わず顔を上げる。それに続いた言葉が、私が予想していたものとは違ったからだ。
「どういう……ことですか?」
カイは目を強く閉じ、口を固く結んだ。何か言いにくいことを言うか言わまいか、考えているようだった。試合はまだ続いているため、遠くで実況や声援が響いている。
カイが目を開ける。
「……俺が、今回試合に持ち込んだ薬は、お前のものではない。まだ、お前の実力を、信用していないからだ」
息を、飲んだ。私のでは、なかった?
「知っているかもしれないが、俺には懇意にしている薬屋がいる。
昔、この騎士団の白魔道士だった、レベッカ・アドラーだ。今回の薬は、そこで頼んだ。おまえにもらったものではない」
私は立ち尽くす。どう反応すればいいのかわからない。
自分の薬ではなかった。
それを聞いて、ちょっとでもほっとしてしまった自分に、ひどく罪悪感を覚える。と、同時に、「信用していない」の言葉が、重く心にのしかかった。
「レベッカ・アドラー」
私は意味もなく、その名を復唱した。
レベッカの名は、以前に聞いたことがある。私が、自らの悪口を立ち聞きした時、あのときではなかっただろうか。
「レベッカは、俺の知る限りでは、この国随一の白魔道士だ。特に薬の調合においては、右に出る者はいない。俺はあいつに絶対の信頼を置いている。なのに……こんなことになった」
カイは歯を食いしばる。その手は震えていた。
お世辞などを口にしないカイが、ここまで言うということは、レベッカという人物は相当な腕の持ち主なのだろう。
そんな人が、こんなミスを犯すのだろうか。もしくは、ミスではない、のであろうか。
「カイさんは……今回のことは、その、レベッカ、さんのミスだと思っているんですか?」
「あいつは、こんな陳腐なミスはしない。どちらかと言えば神経質で、細かいところまで気にするやつだ」
そう言うとカイは、右腕を目頭に当てた。
「……正直、俺はもう、わからん。すべてが。
王国直属騎士団は、妬みや嫉みを受けやすい立場にある。特に今のフランツはそうだ。名前の割に、実力が伴っていないからな」
そして、手のひらを握りしめながら、言った。
「前の、セフへの道の一件。あれはベルゾフ達が仕組んだもの、だそうだ」
「えっ」
「さっき試合で、俺が倒れこんだ時に、耳打ちしてきやがった。あいつ……。やつはパーリット商人の子飼いだ。
あいつらは、彼の実質的専属騎士団だった。しかし、王の計らいで、急に俺たちフランツが護衛に着くことが決まった時、パーリット氏は嬉しそうに言ったらしい。『今回は名門フランツに護衛してもらうから、お前らは必要ない』と」
私は思わず眉をしかめる。だって、そんなことを言えば、ベルゾフ達が気を悪くするのは、当たり前、じゃない。
カイも同じ気持ちだったのだろう。苦々しい表情で、続ける。
「あいつらの騎士団は、パーリット氏の実質的専属になるために、悪い評価に甘んじていた。
知ってるだろう?王族以外、専属騎士団を囲うことは禁じられている。
だからパーリットは、任務達成後のザクソン騎士団に、あえて最低の評価をつけ続けた。
最低ランクにいることで、他の依頼がかからず、結果的にパーリット氏の専属になれたからな。
が、今回、パーリット氏は裏切った。その恨みの矛先は、彼だけでなく俺たちにも向いたんだ。
実力もない、でも格式だけはある、このお飾り騎士団に。
だから、商人もろとも巻き込んで、襲ってやろうとなったらしい。
ベルゾフのやつ、俺に勝ったのが余程嬉しかったのか、嬉々として語ってきやがった。
『あの時は失敗したが、今回は俺たちの完全勝利だ』と」
私は少し、身を乗り出す。
「じ、じゃあ、しびれ薬の件も」
「いや、それは違う。俺が倒れ込んだ時、やつは心底驚いていた風だった」
思考が、徐々に絡み合っていく。どういうことなのだろう。
セフの一件はベルゾフとパーリット氏のたくらみで、でも、今回の件は彼らとは関係がない。つまり。
「つまり、つまりフランツには、複数の『敵』がいるということ、ですか?」
絞り出した声は思った以上に震えていた。カイは、瞳を腕で隠したまま、うめくようにつぶやく。
「ああ。……でも、そんな状況、予測できたことだ。
俺はそれを知って、全部知った上で、今まで、万全の態勢で仕事にも試合にも臨んできた……はずだった。
でも、それでも甘かったんだ。今回のことで、フランツが無名騎士団に1回戦敗けしたことで、しかもロベルが割り込みしなかったことで、フランツの名は、堕ちるところまで堕ちた。
フランツを……守っていくことが……あいつの、最後の望みだったのに……」
今まで聞いたことのない、少し上擦った、絞り出したような声だ。
「そんなの……そんなの駄目ですよ。
陰謀だろうが嫉妬だろうが、そんなのに屈するようなフランツ騎士団ではだめですよ。
新参者の私がこんなこと言うのも変ですけど、フランツ騎士団は、国中の人間が知っているような名高い騎士団です。
こんなことで、フランツ騎士の誇りを、失ってはいけない」
気持ちより、言葉より先に、体が動いていた。私は、いつのまにかカイの手を強く握っていたのだ。
カイは驚いたように目を見開き、こちらを見た。それに気が付き、私も我に返り手を放す。
「……すいません」
「……いや、いい」
カイは顔をそむけた。
彼は傷ついているのだ。自分のせいでフランツの名声が堕ちたこと、そして、信頼していた人から裏切られたこと。
でも、本当に裏切られたのだろうか?もしかすると、レベッカは単にミスをしただけなのかもしれない。
また、カイが薬を手に入れてから、使うまでの間に、誰かが毒を盛ったり、すり替えた可能性だってある。
私は、自分にできることを考えた。
薬が自分のではないとわかった瞬間、私は正直、ちょっと安心してしまった。そしてすぐに、罪悪感に襲われた。
だからなのか、私は必死に解決策を探した。なにか、何かこの状況を打開できる術はないかと。
自分の頭が冷静でないことはわかっていた。正直、何が何だかわからない。ぐちゃぐちゃだ。
それでも私は、考えを巡らせた。失意と混乱の中にいる、目の前の彼に、できることを。フランツのためにできることを。
「……あの、もしよければ、レベッカさんの居場所を……教えてもらえませんか?
私、調べてみます。今回のこと。だって、まだレベッカさんが故意にしびれ薬を混ぜたって、決まったわけではないでしょう?」
カイは再びこちらを見る。
「おまえ、自分から深入りする気か?パーリット護衛時もしかり、今回しかり、フランツが今、何者かに狙われていることは確実だ。
レベッカが直接それに関わっているかは、現時点ではわからない。が、関わっていた場合、お前の身が危ないぞ」
「騎士団を志した時点で、覚悟はできています。……私が、この騎士団で一番劣っているのはわかっているんです。だからこそ、何かしたいんです」
私は唇をきつく結び、カイを見つめた。
彼はしばらく黙っていたが、やがて、ふぅと大きなため息をついた。
「……紙とペンを貸してくれないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます