第8話
ここまでの緊張は、おそらく就職面接でもなかった。
足がガタガタと震える。そして私は、自分の気持ちにようやく気が付いた。
そう、私はカイが苦手なのだ。
「あんた、顔真っ青よ。どーしたの?」
そんな私を横目で見ながら、リリアは呆れたように言った。
「あんたが出るわけでもないのに」
「シュナちゃんは、今からカイに自作の薬を渡そうとしている。それで緊張してるんだろ?」
ロベルは私の顔を覗き込みながら、肩に手を置いた。
私は驚くも、すぐさま横に一歩移動することで、ロベルの手を振り切った。
今日はコロシアム当日。
私達は、競技場に併設された建物内にある、選手控室の前にいた。
すでに試合は始まっているが、カイの出番はまだだ。
私はカイに薬を渡すタイミングを逃し、こうして控室前で、カイが出てくるのを待っている。
控室には、たとえ選手と同じ団のメンバーであっても、入ることができないのだ。
私が控室に行くことを話すと、ロベルが案内をかってでてくれた。
ロベルが来る、ということは、リリアも来る。こうして私たちは、そろって控室前まで来たわけだ。
「カイに薬渡すだけで、どうして緊張するわけ?意味がわかんない」
「リリア、君はまだわからなくていいよ。この気持ちがわかるのは大人だけだ。
そうだろ、シュナちゃん?甘くほろ苦いその気持ち、俺はわかるよ……ってあ、それなら、俺一緒に来るべきじゃなかったな。いやぁ、空気読めなくてごめん!」
ロベルは舌をだし、ペコペコと首だけで頭を下げた。
どうやら私は、ロベルに壮大な勘違いをされているようだ。
しかし、今の私に誤解を解くだけの余裕はなく、ただただ口を堅く結び、前にある控室の扉とにらめっこしていた。
ガチャ……
その時、突然ドアノブが回り、扉が開いた。私の目が泳ぐ。
「あれっ、もしかして、ロベル?」
出てきた彼は、カイではなかった。
がっしりした体に、太い腕。見上げると、そこには目のくりっとした、ニキビ面の大柄な男性が立っていた。
「……君は…………」
「おいおい。忘れたのかよ。キースだよ。セントクリフの。それにしても、久しぶりだな。どうだ、元気にしてるか?」
キースと呼ばれた、体格のよいその男性は、目を細め、ニコリとほほえんだ。
一方ロベルは、一歩だけ後ずさりをしながらも、
「あ、ああ、元気元気。いやー、懐かしい!」
と、わざとらしい高い声を出した。
「ほんとだなー。何年ぶりだ?お前の顔つき、あの頃となんも変わんねーよ。また手合せしたいもんだ」
キースは、両手を腰に当て、前のめりにロベルの顔を覗き込んだ。
「ほ、本当だな。まったくだ!」
ロベルはまた一歩後ろに下がり、後方の壁に頭を打った。声は裏返っている。
それに引き替えこのキースという男性は、その風貌だけでなく、話し方も堂々としていた。
ふと、以前、賭博屋の店主が言っていた「セントクリフ騎士団のキース」の名を思い出す。
おそらく、この人こそ、その彼なんだろう。
優勝候補の一人とだけあって、あふれ出るオーラが違う。
「ところで、こんなところで何やってるんだ?このお連れの女の子たちは、君のおっかけかい?」
「一般人と一緒にしないで。私はフランツ騎士団の黒魔道士、リリア・クレージュよ」
にこにこと話すキースを、リリアは強い目つきで睨みつけた。こんな大男相手にも物おじしないなんて、さすがはリリアだ。
「おっと、こいつは失礼。この2、3年でフランツのクルーもずいぶん入れ替わったみたいだから、わからなかったよ。へー、それにしても、かわいい魔道士さんだ」
「うるさいわね。私達はただカイが出てくるのを待っているだけよ。あなたに用はないわ」
「かわいい」という言葉に少したじろいだリリアだったけれど、言いたいことははっきり言った。
「なんだ。それならそうと早く言ってくれよ。ちょっと待ってな。今呼んでくる。というか、扉をノックして普通に呼べばよかったじゃないか」
「張り紙見なさいよ。『関係者以外立ち入り禁止』って。
私たちは王国直属騎士団よ。ただでさえ、民間騎士団から恨みを買いやすいんだから。私達がドアノブに触れようものなら、『フランツのクルーが控室に無断で入った!』なんて叫ばれかねないわ。李下に冠を正さず、よ」
そう言い、リリアは扉に張られた紙を指差した。キースは感心したように頷く。
「確かに。さすがはフランツ騎士団の黒魔道士。でも、俺が偶然出てこなかったらどうするつもりだったんだ?」
「今は試合の真っ最中。3分も待てば、一人くらい関係者の行き来はあるわよ。あなたがドアを開けなくても、なんとでもなったわ」
きっぱりと言い切るリリアの尊大な態度に、キースは半ばあきれ顔だ。
が、彼は特に何か言うでもなく、頭に手を当て、ぽりぽりと掻きながら控室へと入っていった。
「あの……今の人、セントクリフ騎士団のキース?」
「え、あ、ああ、そうだよ。すっげぇ強いんだ。まぁ、俺と同じくらい?」
私の問いに、先ほどまで放心状態だったロベルが、我に返ったかのように答えた。
「あんたって、ホント何にも知らないのね」
「す、すいません。勉強不足で……」
「仕方ないよ。キースも王国直属の騎士だから。民間騎士と比べりゃ、あんまり情報も出ないよね」
と、その時、再び控室の扉が開く。カイだ。
カイは驚いたかのように目を丸くしていた。後ろにはキースもいる。
「おまえら……なんで」
「あっ、あの、これ、薬です。その……よかったら使ってください!」
下を向いたまま、私は手だけを突き出した。
心臓の鼓動が一気に高まるのを感じる。
リリアとロベルに対しては、だいぶ普通に話せるようになったが、カイにだけは、まだ敬語を使ってしまう。
「……あ、あぁ」
カイはそっと薬を受け取る。私はすぐさま顔を上げ、ふーっと長いため息をついた。
よかった。ちゃんと渡すことが出来た。
カイには親しい薬屋がいるそうなので、私の薬なんて断られるかもしれない、と思っていた。
「よかったな!わざわざこんなところにまで、薬を届けに来てくれるクルーがいるなんて、お前さんは幸せ者だな!」
キースはカイの背中をはたきながら、大声で笑った。私の騎士団にも、こういう太陽みたいな人がいれば、幾分雰囲気もよかっただろう。
「悪いね。試合前で気が立っているだろうに、こんなところまで押しかけてしまって」
「……いや」
微笑むロベルだったが、カイは顔をぷいと横にそむけた。
長く一緒に働いているはずのロベルとカイでさえ、こんな関係なのだから、私がカイと打ち解けられるのは、当分先の話だろう。
「用、済んだわね。さっさと行くわよ」
リリアが先に歩き出す。私とロベルも二人にお辞儀し、建物の外にあるコロシアム観覧席へと急いだ。
リリアは驚くほど早歩きだった。彼女は、カイにも一言も声をかけていない。
なぜそこまで、リリアはカイと仲が悪いのだろう。カイのロベルに対する態度が、気に食わないのだろうか。
様々な考えを巡らせてはみたが、今はリリアに付いていくことに集中したほうがよさそうだ。気が緩むと、すぐにはぐれてしまいそうだから。
廊下の角を曲がった途端、私は、ずっと前を歩いていたはずのリリアの背にぶつかった。
リリアは立ち止まっており、私はそれに気が付かなかったのだ。
「どーかしたのぉ」と、私の後ろに付いていたロベルが、顔をのぞかせる。
「ロベちゃん……!!」
甲高い声で女性が叫ぶ。リリアの前には、髭を蓄えた筋肉質の男性と、同年代くらいの化粧がいささか濃い、ほっそりした女性が立っていた。
「げっ、母さん」
ロベルの顔が引きつる。女性はリリアと私を押しのけロベルに駆け寄り、人目も気にせず、大きく手を広げ、抱きしめた。
「もうっ!家が近いのに全く帰ってこないんだから!心配しているのよ!大丈夫?ごはんちゃんと食べている?お友達にいじめられたりしていない?」
「え、あ、当たり前じゃないか母さん!俺は元気だよ。それにしても、どうしてこんなところに?」
ロベルはさりげなく彼女の手をほどく。
彼の顔は引きつっていた。口調からも、明らかに動揺しているのがわかる。
しかし女性は、彼の質問にもその様子にも、全く気に留めずに話し続ける。
「ちょっと痩せたんじゃない?しばらく見ない間にこんなにやつれて……
あとでうちのお医様に診てもらいなさい。そうだぁ!お医様に診てもらうついでに、今夜は晩餐会でも開きましょう!ロベちゃんの好きなものだけをそろえた晩餐会!そうすればきっと良くなるわぁ。ねぇロベちゃん?」
女性は愛おしそうに、ロベルの頬を撫でたりつまんだりしていた。
なんなのだろう、この女性は。
母さんとロベルがつぶやいていた以上、彼の母親であることは間違いないんだろう。
でも、なんというか、成人男性にこんな態度をとる母親を今まで間近で見たことがないため、私自身、どういう反応をしていいのかわからない。
「おい、その辺にしておけ。クルー達が見ているぞ」
男性の低い声がロベルの母をたしなめた。女性は振り返る。不服そうな様子だ。
「だって、せっかく久しぶりに会ったのよ~」
「ふん。確かに久しぶりではあるな。最近家に寄り付かんし。いや、寄り付けない、と言った方が正しいか」
男性が皮肉っぽく笑う。
「父さん……」
ロベルは、その男性の目線に耐えられないのか、下を向いた。
男性はフンと鼻を鳴らし、
「私達はカイに会うために控室に向かうところだったのだが、お前たちはなぜここに居る?試合に出られるわけでもないのに」
と吐き捨てるように言った。
『出るわけでもない』ではなく、『出られるわけでもない』という言葉を選んだ裏に、皮肉が込められていることはすぐにわかった。
しかし、ロベルは下を向いたままだ。拳が握られているが、その腕は下がったまま、震えている。
そんなロベルを見て、黙っていられなくなったのだろう。リリアは一歩前に出る。男性を見上げ、何か言おうと一音目を発した、その時、それより大きく鋭い声が、それをかき消した。
「もうやめてぇ!!!!折角ロベちゃんに会えたのに、こんな雰囲気はいやぁぁぁ」
ロベルの母親は、叫びながら床に崩れ落ちると、バンバンと床を叩き始めた。
そのヒステリックな言動に、私達はもちろんロベルの父親でさえギョッとした顔だ。
「か、母さん、俺は大丈夫だから、ね、き、今日は家、帰るから、ね、立って」
ロベルがゆっくりと彼女を抱き起す。
すると今度は、父親の方が彼女に歩み寄り、そっと母親の手を取った。彼女はまだ、なにか聞き取れない言葉で叫び続けている。
「もういい。早く行け」
父親は、暴れる母親を片腕で支えながら、私とリリアに目配せした。
彼の視線の先には、建物の出口がある。扉はあるが、開けっ放しにされており、光が差し込んでいた。
「……行きましょう」
リリアは私とロベルの手を取り、力強く引っ張った。私達は、されるがままに歩き出す。
私は扉から出る前に、一度振り返ってみた。ロベルの母は、まだわけのわからない声をあげながら、父の腕を振り払おうとしていた。
しかし振り払えるはずもなく、腕の中でのたうちまわるように暴れていた。
ロベルの顔も伺う。その横顔は、ただただ青ざめており、うなだれてもいた。
リリアが引っ張ってくれなかったら、歩けていないかもしれない。
リリアはそんな私達を振り返りもせず、ただ前だけを見て、光の方へ歩いていた。彼女の白くか細い手首には、青い血筋が浮いている。
外に出ると、あまりの眩しさに一瞬目がくらんだ。
会場は、試合の真っ最中だった。
歓声と怒号が飛び交う中、私達はリリアに引っ張られながら、観覧席に到着した。
コロシアムは、その名の通り、踊り子さんたちが踊るようなステージとは違い、砂の敷かれた楕円形の、運動場のようなところで行われる。
それを囲むように客席が階段状に配置されており、どこからでも見やすい作りである。私達の席は参加騎士団クルーの専用席で、一番前であった。いわゆる、特等席というやつである。
「ねぇ」
「は、はいっ!」
腰を下ろそうとした瞬間、リリアの強い口調に驚き、再び立つ。
「カイの出番はあとどのくらいなの」
「へっ、あっ、えーと、今戦っているのは……」
「ベルベット騎士団とケイト騎士団よ。見りゃわかるでしょ!」
私は大慌てで鞄から、コロシアムの試合表取り出した。
「あっ……じゃあ、あと5試合後かな」
リリアは私の発言には答えず、黙ってストンと座席に着いた。その隣にロベル、最後に私が座る。
「……なにか飲み物でも買ってきましょうか?何がいいですか?」
「……アップルサイダー」
「わかりました。ロ、ロベルは?」
ロベルはこちらに振り向きもせず、魂が抜けたようにただただ黙って試合を見ていた。
いや、見ているのではなく、放心状態でぼぉーっと遠くを眺めているだけなのかもしれない。
「……なにも、いりませんか?」
「えっ、俺?あぁ……じゃあ、ハイヒールを」
「ハイヒール?」
「あっ、ハイヒールじゃないわ。ハイボールを、1つ」
弱々しい声だが、人差し指を立て、薄ら笑いを浮かべてくれた。私はうなずき、すぐさま屋台へと走った。
屋台は観客席の最後方にあり、ホットドッグやキャラメルのかかったリンゴなどが売られていた。
試合中だけあって、思ったより並ばずにすんだ。
列をなす人々のほとんどは一般人のように見えたが、中には腰に剣をぶら下げている、騎士のような人達もいる。
順番が回ってきたため、私は氷の入った樽に手を突っ込み、アップルサイダーの瓶2つを手に取った。キンキンに冷えており、心地よい。心のもやもやが吹き飛ぶようだ。
瓶を2つ右わきに抱え、もう片方の手でハイボールのグラスを持ち、さらにホットドックが3つ入った袋を左わきに挟んだ私は、よろよろしながら通路の階段を一歩ずつ下りた。
踏み外さぬように下だけ見ていたのだが、階段の中盤に差し掛かった時、私の前に、大きな革靴が一足、立ちふさがった。
顔を上げると、締まった顔立ちの青年が一人、私を睨みつけていた。
耳には大きな輪っか状のピアスがあり、首からも鎖のようなネックレスをじゃらじゃら下げている。背中には、竜だって一太刀でやっつけられるくらいの、大きな剣が担がれていた。
「おまえ、フランツのもんだな」
「え」
「隠しても意味ねーよ。さっき、ロベルと一緒に座るところを見た」
王国直属騎士団のクルーは、普段であれば、できるだけ自らの素性を隠さねばならない。私が返答に迷っているうちに、彼は話を続けた。
「ここ数年、大した手柄も挙げていなさそうなのに、安定して給料が入ってくるなんて、いいご身分、だよなぁ」
彼はズボンに手を入れたまま、私の顔を覗き込む。思わず目をそらしたくなったが、私は騎士団の一員として引いてはいけないと判断し、眉をひそめ、相手の瞳を強くまっすぐ見た。
誰なんだろう、この人は。少なくとも、私達に好意的ではない。
「へぇー。以外に根性あんのね。
あ、そうそう、あともうちょっとで、おまえんとこのカイとかいうやつが出てくるな。
楽しみだぜ。まぁ、年に一度のコロシアムだ。盛り上がっていこうや」
彼は引き下がり、私の右肩にぽんと軽くたたくと、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎて行った。
すぐに振り返ったがその時には、彼はもうすでに、片手にホットドッグを持ち、食べながら階段の一番上ままでたどり着いていた。
誰だったんだろう、彼は。わからないが、なにか胸騒ぎがする。
「ちょうどお腹すいていたんだよ。ありがとう、シュナちゃん。気が利くね。お金払うよ」
「いえ、おごるつもりで勝手に買っただけなので、ドリンクの分だけで結構です」
「それにしても、なんで2つなの?あんたホットドッグ嫌いなの?お腹空いてないの?」
リリアがパンを頬張りながら、不思議そうに尋ねる。私はえぇとかまぁとか言いながら、その質問を適当にはぐらかした。
出店であの時、私は確かにホットドッグを3つ買った。しかし席に戻った頃には2つになっていた。
先ほど会った青年は、私とすれ違った後、ホットドッグを掴んでいた。考えられることは一つ。あの時、彼にホットドッグを「すられた」のだ。
自分だけホットドッグが食べられないことも残念だが、なにより、スリにあったことに今の今まで気が付けなかった自分が残念だ。
もう一度買いに行く気力もなかったので、私はそのまま、ため息をつき、席に着いた。
さっきの男性の話は、二人にはしないでおこう。ただでさえ、ロベルは元気がなく、リリアは気が立っている。こんな時に、我々を快く思わない人物の話なんかすれば、余計に雰囲気が悪くなることは目に見えている。
「おーっと!ここでヨアン選手、メゾーラ選手に抑え込まれたっっ!!!20秒以内に立ち上がらない場合、ここでヨアン選手の負けが決定します!さあっ、どうする!」
司会者のあおりと共に、急に会場が湧き、観客が次々に立ち上がった。
柵の向こうに目をやると、選手が相手の選手に馬乗りになり、首に剣先を当てている。
相手はそれにも関わらず、なんとか立ち上がろうと肘で突いたり地面を押したり、必死に抵抗していた。
が、その状況は変わらない。馬乗りになった選手は、抵抗する相手をけん制するためか、剣を持つ手とは逆の手で、拳を作り相手の頬を殴った。
「さぁ、残り十秒だ、どうする、どうする!」
観客席からは、カウントダウンのコールが叫ばれた。9…8…7…、相手はもう抵抗するのを諦めたのか、腕は力なく地面に垂れていた。
しかし、馬乗りになっている選手はなぜか、殴ることをやめない。
コロシアムでは降参というものはなく、背中が20秒以上地面に付けば負けというシンプルなルール、と、もらったパンフレットには書かれていた。
故意に命を奪う行為は禁止されているが、逆に言えば「殺しさえしなければなんでもあり」であり、このように戦意を失った相手を殴り続けたとしても、なんのお咎めもない。
ただ、騎士団にとって好感度というものは、客を得るためにも一定重要なものであるため、残虐行為や卑怯な手を使う選手は、コロシアムにおいてはさほどは見受けられないらしい。
このメゾーラ選手というのは、おそらく強さをアピールすることと、好感度を保つこと、この二つの境をギリギリでキープするために、殴り続けるという行為を取っているのだろう。
会場からは、「いいぞ!」という声と、「もうやめろ」という声の両方が聞こえている。
その時だった。視界を一つの影が横切る。影は、競技場と観客席を隔てる柵をスルリと飛び越え、馬乗りになるメゾーラ選手に飛びかかった。同時に、カウントダウン最後の数字、1がコールされ、カランカランと鐘の音が高々と鳴り響いた。
「割り込み?!」
私も思わず立ち上がる。メゾーラ選手に飛びかかった人物は、すぐに係員に羽交い絞めにあい、取り押さえられた。
「今のって誰?!」
私は興奮気味に尋ねるが、リリアはしれっと答えた。
「決まってるでしょ?負けてた選手んとこのキャプテンよ。毎年あるわよ。こーゆーの。これこそがコロシアムの醍醐味、なんて言う人もいるし」
「でも、試合中に割り込むなんて、反則ですよね?!」
「まあね。でも、あの状況は負けは確定してたし、それに、盛り上がるでしょ?自分ところの仲間がやられているのを見ていられなくて、飛び込んでいくんだから。
都会の人間って、クールぶってるわりに、こういう人情?みたいなの好きよね。
中には、こういう状況を、対戦相手と示し合わせてわざとやる場合もあるそうよ。試合には負けても、そこの騎士団の人気は上がるし、名前も知れるし。駆け出しの民間騎士団なんかが好む手よ」
「えっ、じゃあ、今のもわざと……?」
「さぁ、どうかしらね。わかんないけど。私が見ている限り、わざとではない気もしたけど……、ねぇロベル?」
「へっ?何、なんて?」
私達はロベルを挟んで会話していたにも関わらず、間の彼は全くのうわの空だったようだ。リリアが話の流れを説明する。
「え、あぁ、今の……ね。どーだろう、わかんないなぁ」
気の抜けた返事が返ってくる。リリアは軽くため息をつき、座席にもたれかかった。
私も、この話は終わったと判断し、目線を自らの膝に戻した。そういえば、そろそろカイの出番ではないだろうか。もう一度、鞄から試合表を取り出す。
「では、次の対戦です。世界に名だたる我らの王国直属騎士団、フランツ騎士団より、槍使いのカイ!!」
試合表から探し出すよりはやく、コールがされた。私はすぐさま顔を上げ、姿勢を正し、キョロキョロと競技場を見回した。
と、その一番右端の門から、カイがゆっくりと姿を現した。
「カイ!負けるんじゃないわよ!」
リリアが立ち上がり叫ぶ。本人の前ではツンケンしているのに、やはりこういう時は応援するのだな、と思う。
ロベルは黙っていたが、さっきまでふらふらさせていた両手を足の上に置き、ぎゅっとズボンを握りしめていた。
「そして対戦者、コロシアム初出場、ザクソン騎士団より、剣士ベルゾフ~~!!」
その姿に、私は一瞬目を疑った。カイとは反対側の門から出てきたその人は、先ほど、私がすれちがった(そしてホットドッグを取られた)青年だったのだ。
「あの人……!」
「シュナちゃん知り合い?」
「あ、いえ、さっき似た人とすれ違って……」
「そうなの?これから試合に出るのに、観客席をうろついていたなんて、肝の座ったやつだねー。でも、初出場なんて言ってたし、カイにとっては、余裕の相手なんじゃないかな。ちょっと、安心」
先ほどまで表情の硬かったロベルは、両手を頭の後ろで組み、空を見上げてふーっと安心したように息を吐いた。
しかし、私は知っている。ザクソン騎士団、確かに賭博屋の店主が話していた「要注意」の騎士団だ。
それにさっきの言動。ベルゾフとかいう彼は、自分がカイと当たることを知って、私に話しかけてきたのだ。
自らの脈が速くなるのを感じた。嫌な予感。全部、取り越し苦労であればいいが。
試合開始の鐘が鳴り響く。カイは槍、相手は大剣。得物の長さは、若干カイの方が長い。
二人とも両手で柄を握っているため、盾はない。両者、構えの姿勢のまま、相手の方に刃を向け、間合いを計っている。
先に動いたのはベルゾフだった。
彼はいきなり真正面から、カイの左腹部に向けて大剣を撫で斬るように振った。
大剣というのは重量がかなりあり、その太刀筋はのろく、鈍い。もちろん当たるはずはなく、カイは地面を蹴り、1、2歩後ろに下がる。
と、次の瞬間、ベルゾフは構え直したかと思うとさらに前に踏み込み、今度はカイの足目がけて刀を突いてきた。
が、早すぎる。
大剣は、その重さゆえ、太刀筋もそうだが、1つの動きをしてから次の動きに移るまでに時間がかかる。一発の威力は絶大だが、必然的に動作1つ1つが遅くなる、というのが、大剣の利点と欠点だ。
しかしベルゾフは、その欠点をまるで感じさせない。最初の振りは、油断させるため、わざとゆっくりしたのだろう。
その素早い攻撃を、カイはなんとか槍の柄の中心ではじいた。
その勢いで少し後方によろめいたが、なんとか軸足で踏みとどまった。
しかし、そんなカイを相手が見逃すはずがない。次の一手、ベルゾフの重い一太刀が、カイの右腹部を直撃した。
刃の部分ではなかったため、切れてはいないだろうが、カイは左後方に勢いよく吹き飛ばされた。背中から地面に打ち付けられたカイは、すぐさま槍を支えに立ち上がるが、片手で脇腹を抑えていた。
口からは黒いものが流れ出るのがわかる。あれは泥が入っただけ?それとも血?ここからはそこまで確認できない。
「ちょっとカイ!なにやってんのよ!」
リリアはいつの間にか柵の真ん前まで出て来て、それを掴みガタガタと揺らしていた。
ロベルはまだ私の隣で座っていたが、ただただ唖然としていた。
ベルゾフの猛攻はさらに続いた。
彼はすぐさまよろめくカイの元へ駆け込み、またもや真正面からその太刀を浴びせた。
動き自体は荒いため、カイは槍の柄を両手で持ち、その中心で受け止めた。
ここは力比べだ。しかし、今のカイがかなり劣勢であることは、誰が見ても明らかだった。
その両腕はブルブルと震え、体は、少しずつ後方に押されていた。それでもカイは、力を緩めることなく必死で、耐えている。
観客席からは、罵声と怒号を浴びせる声が鳴り止まない。
「なにやってんだ!いくら賭けたと思ってるんだ!」
「無名の騎士団相手に手こずりやがって!」
「そこまで堕ちたかフランツ!」
声援など一つもない。私も知らぬ間に立ち上がり、汗びっしょりの手で前の柵を掴んでいた。
どうか、どうか無事で!今の私にとって、フランツの名も、そこでの人間関係も、どうでもよかった。ただ、仲間の無事を祈る、それだけだ。
その時だった。カイは、急に力を緩め膝を曲げた。急にしゃがんだ相手にベルゾフは反応しきれず、つんのめる。
その隙を突き、カイがベルゾフのくるぶし目がけて、足払いをかけた。案の定ベルゾフは、バランスを崩し横に勢いよく転ぶ。
カイはすぐさま立ち上がり構えると、相手の後方から太もも目がけて、槍を突き刺した。
ベルゾフの悲痛な叫び声。会場からは歓喜の声が上がる。
「そうよ!まだやれるじゃない!」
リリアが拳を挙げる。私も叫ぼうとしたが、上手く言葉が出なかった。でもこれで、少し勝機が見えたかもしれない。状況は少し……
「ぐわっ」
しぼり出たようなうめきが、確かに聞こえた。ベルゾフ?違う、カイ、カイの声だ。
ベルゾフは、カイが槍を握り、手がふさがったことを確認してから、先ほどと同じく彼の脇腹を、今度は刃の切っ先で貫いたのだ。カイに油断させるため、あえて自身の太ももを囮にしたらしい。
丁度刺し合った格好であったが、ベルゾフからの一撃のほうがダメージは大きい。
カイはその場でガクンと膝をつく。切られた右わき腹からは、ダグダクと血が流れているのが確認できた。それでも彼は、槍で体を支え、地面に倒れ込まぬよう必死に耐えていた。
一方ベルゾフは、すぐには動かなかった。いや、動けなかったのだろう。
思った以上に太ももの傷が深いのか、よろめき、なかなか立ち上がれない。
そんな状況の中、カイはポケットから何かを取り出した。小瓶だ。私の渡した薬だろうか。口でコルクを抜くと彼は、数量を口に含み、あとはすべて脇腹に流した。
私は試合前、カイに細胞の治癒を促す液状の薬を渡した。液状にすれば、内臓がやられた場合でも、それを飲むことで回復が見込め、更に外傷の時も、傷口に流し込むだけですむ。
必要ない部分にも流れ出てしまうため、ペースト状のものより効果は弱いが、すぐさま使用したいときには、液状の薬が一番便利なのだ。
薬を、使ってくれた。胸が熱くなるのを感じる。どうかその薬が、カイを助けてくれますように。
鎮痛成分のある薬草も混ぜたので、カイの苦しみが少しでも緩和されることを祈った。
ベルゾフが起き上がり、よろよろと膝立ちのカイの前まで寄る。
カイは、目の前に立ちふさがったベルゾフを見上げた。
だが、私は大丈夫だと信じていた。なぜなら私は、今回の薬をすべて即効性のある材料で作ったのだ。おそらく、もう傷の半分くらいはふさがっているはずだ。戦闘を再開できるだろう。
しかし、予想外のことが起こった。
カイは、槍を落とし、そのまま前へと倒れたのだ。
「カイ選手、倒れました!」という実況と共に、会場がどよめく。
薬が、効かない?
私は、自らの体から一気に血の気が引いていくのを感じた。
カイは、倒れたままで必死に、落とした槍に手を伸ばした。
しかし、届かない。腕が震えている?上手く動かせないのだろうか?足先も、ふくらはぎも、微かに痙攣しているように見えた。
まさか、麻痺、してるの?
もしかして、
もしかして私、薬の調合を間違えた?
毒薬変じて薬となる、という言葉もある通り、薬と毒の線引きというのは、非常にあいまいだ。同じものでも、使い方により毒にも薬にもなる。
私の部屋には、様々な種類の材料があり、救護に使用するもの、敵にダメージを与えるもの、それぞれ、その時々のニーズに合った薬を調合し、持っていく。
つまり、使い方によっては毒となる材料も置いているのだ。
手足の痙攣。カイのこの状況は、しびれ薬を摂取した時の症状だ。麻酔にも使い、また敵を麻痺させることもできるため、白魔道士にとっては必須のものだ。
まさかそれを、誤ってカイに渡す薬に混ぜてしまったのだろうか。
いや、そんなはずはない。私はいつも、最後に念のため、少量を「毒味」する。私の体に変化はなかった。間違ったはずはない。でも、それは、少量だったから?大量にとれば、まさか……
カイの前に立ったベルゾフは、起き上がらないカイをしばらく眺めていた。そして、確認が終わると、ゆっくりとしゃがみ込み、カイの毛を掴み上げると、その顔に自らの顔を寄せた。
何かを囁いたようだった。
その後、髪を放し、もう一度立ち上がると、突然、足で思い切り、うつ伏せに倒れているカイの頭を蹴った。
「大丈夫か、カイ選手?!しかし、彼はうつ伏せの状態だ!背中は付いていないため、まだカウントダウンは起こりません。まだチャンスはあります!」
普通なら相手を抑え込み、背中を付つかせて20秒待つところだろう。しかし、ベルゾフはそれをしない。
実況者はチャンスがある、などと言っているが、ベルゾフは自らの勝ちを確信しているからこそ、こんな真似をしているのだろう。
1回、2回と、左足と右足を交互に使い、カイの頭をボールでも蹴るかのように、なぶっている。
「なにやってんのよ!民間騎士団がそんな真似したら、もう仕事こないわよ!カイ!あんたもさっさと立ちなさいよ!なに寝転がってんのよー!!!」
声が裏返りそうになりながらも、リリアは必死に叫ぶ。
しかし、私は大声を出すことも、カイの姿を直視することすらできなかった。
この状況は、自分のせいかもしれない。薬の調合をしていたあの時の記憶を必死に呼び起こすのだが、わからない。ミスをしたのかどうか。柵を掴む手も、知らぬ間に震えていた。
ベルゾフは、一向に蹴りをやめようとはしなかった。
観客席からはブーイングが起こる。
しかし、彼は平気なのだ。好感度が下がろうが関係ない。彼は事実上、パーリット氏専属の騎士。他から仕事依頼が来なくても、全く困らない。
「ちょっと、カイ……なんで動かないのよ……あんたこのままだと本当に死んじゃうわよ……」
震える声でリリアがつぶやく。審判等は、まだ来ない。死ぬほどの状況ではないと判断されているのだろうか。
しかし、かすかに覗くカイの頬は、腫れて、変色しつつあった。
「……ロベル、ねぇロベル!なんとかできないの?」
リリアは、今にも泣きだしそうな顔で振り返り、後ろのロベルを見た。
ロベルは、顔だけは前を向いているものの、座りながら、両掌を組み、がたがたと小刻みに震えている。
「ねぇロベル、あの時、私を命がけで救ってくれたじゃない?もう負けてもいいわよ。ねぇ?」
リリアがロベルに詰め寄る。
彼女は、ロベルが「割り込み」を行うよう促しているのは間違いない。
先ほどの割り込みで、リリアがすぐに「負けてる方のキャプテン」が割り込んだのだと説明していたあたり、通常割り込みは、その団のキャプテンが行うものなのだろう。
しかしロベルは、黙って目線を、下に落とした。
時間が刻々と経過する。カイは動かない。それが、麻痺によるものなのか、戦闘のダメージで動けないのか、もはや、わからなかった。
リリアはじっと、眉をしかめ、唇を震わせながらロベルを見つめていた。
が、ある瞬間、ロベルを背にくるりと踵を返し、闘技場側に向き直る。そして、助走をつけたかと思うと、一気に、柵に手を掛けそれを乗り越えた。
と、それと同時位だろうか、闘技場の門からも、一人の男性が飛び込んできた。
彼はすぐさまベルゾフに飛びかかり、彼をカイから引きはがした。
その瞬間、鐘の音が場内にこだまし、審判達が現場に駆け付ける。男性より一歩遅かったリリアは、目の前でなにが起こったのかわからないのか、その光景を前にし、茫然と立ち尽くしている。
ロベルは最後まで、観客席に座ったままだった。
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