第6話
「人の口に戸には立てられぬ」なんていうけれど、まさしくその通りだ。
その「人の口」が正しい事をいっているか、そうでないのかなんて、一旦噂になってしまえばどうでもよくなってしまう。本当に噂と言うものは、たちが悪い。
よく晴れたある日の休日。私はリリアとチョコレートのお店へと向かっていた。王都の休日は非常ににぎやかで、風船を売る人や大道芸人等、様々な人達が通りをにぎわせていた。
中には、次回の騎士団対抗武術大会『コロシアム』の優勝者は誰かを予想する、賭博の出店まであった。
「コロシアムって、確かまだ先ですよね?それなのに、もう出店まで出てる……というか、こんなに堂々と賭け事をして、捕まらないんでしょうか?」
「知らないの?コロシアムは収穫祭と同じく、年に一度のお祭りみたいなものだから、そこまで規制は厳しくないのよ。
これだからおのぼりさんは。
っていうか、あんたいつまで私達に敬語使うつもりなの?敬語は禁止って、ロベルが言ってたでしょ?」
呆れた様子で、リリアがため息をついた。
セフのことがあって以降、リリアの私に対する態度は、少しだけ、軟化した。
街ですれ違っても挨拶してもらえるようになったのだ。(今までは無視だった)
そして今回、私はなんと、リリアに誘われ、二人伴って街へ出たのだ。
ちょっとしたことですぐ舞い上がる私は、誘われた時、正直、天にも上るほど、嬉しかった。
え、プライベートでのお誘い?ほんとに?
これ、なんだか友達みたい!!
やっと、フランツ騎士団の仲間入りができた。そんな気分だった。
そして今も、私と連れ立って歩く、見た目だけは天使な容貌をチラチラ見ては、ほくそ笑んでいた。
「……あんた、ニヤニヤしすぎ。気持ち悪い……」
「あっ、ごめんなさい」
謝ってはみるものの、口元は緩んだままだ。
今日は久しぶりの快晴で、心にまで日差しが差し込んでくる。
エマ、クレイン先生、私少しだけ、前進できたかもしれません!そう思いながら私は、軽快に足音を鳴らしていた。
「おー、リリアちゃん、いらっしゃい」
リリアが店のドアを開けるや否や、マスターと呼ばれた店番の男性は、リリアの名を呼んだ。
甘い香りが広がる店内は、前と後ろに分かれており、前側にはショーケース、後ろ側にはイートイン用のテーブル席があった。古くからあるお店なのか、ロッジ風に丸太で組まれた壁に、年季と落ち着きを感じる。
全体が深いこげ茶色で統一されており、「落ち着く大人の空間」が演出されている。
「こんにちは、マスター。今日、新作商品の発売日でしょ?」
「あぁ、ちゃんとリリアちゃんの分は取っておいているよ。でも今日はケーキもあるから、荷物かさばるよー」
「気にしないわ。そのために連れてきたんだから」
マスターが私に目をやる。
なるほど、私は荷物持ちのために連れてこられたのだ。
少し悲しいけど、納得だ。
「へぇ~。リリアちゃんがお友達連れとは珍しい。はっは、おじさん嬉しいよー」
「ちょっと、余計なこと言わないでよ!友達じゃないし。仕事上の付き合いで、面倒みてるだけ」
「仕事と言えば……」
マスターは、何かを思い出したように眉を寄せた。
「どうかした?」
すると彼は、キョロキョロと周りを伺いながら、リリアになにかボソボソと耳打ちをした。
リリアはそれを聞くなり眉間に皺をよせ、「違うわよ」と彼の手を勢いよく振り払った。
「そんな噂、うそよ!」
「そうかい。まー、リリアちゃん強いし、そんな重大事件の後に、のこのこチョコレート屋に来るような人間だとは思ってないから、君が来た瞬間、嘘なんだろうな、と思ったけどね。
ただ、そういう噂が流れてることは、知っておいた方がいいかも」
そう言いながらマスターは、てきぱきとショーケースとは別に置かれていた、チョコやケーキを箱に詰めた。
私は、さっきの小声の会話内容が気になっていたが、何も言わず、彼の手元を見つめた。
「はい、4200ガルドね。そこのお友達、これ持ってあげて」
リリアが支払いをしている間に、私はその3箱を上に重ね、持った。かろうじて前が見えるくらいの高さである。
受け取る時にマスターから、リリアちゃんをよろしくね、とささやかれたことは、彼女には黙っておいた。
リリアが店の扉を開け、外に出たその時、
「あれ、リリアじゃん」
という甲高い声が前から響いた。
「……イザベラ!」
私は前を見ようと、箱の横から顔を出した。そこには、洒落た黄色いワンピース姿の、モデルさんのような女の子が立っていた。
身長はリリアより高く、見下すように私たちを眺めている。取り巻きと思われる女の子たちもいた。どこかで見覚えのある顔のような気もする。
「あんなことがあったのに、のこのこチョコレート屋でお買い物なんて、全くめでたい子ね」
イザベラの嘲笑と共に、取り巻きの子たちもクスクス笑う。
「あんなことって、何?」
強気のリリアに、取り巻きの一人が畳み掛ける。
「あんた、この前の任務で、豪商パーリットに大怪我負わせたんでしょ?しかも、見通しもよく安全な、セフまでの道のりで。あんなところ、事件に巻き込まれる方が難しいわよね」
「あぁ、その噂ね」
リリアは大げさにため息をつき、得意げな表情のイザベラを、キッと見返した。
「その噂は嘘よ。パーリット氏は、怪我一つ負っていないわ。
あなた達、それでも魔道士の端くれ?
そんなちんけな噂を真偽も確かめずにペラペラ話してるようだから、いつまでたっても卒業できないのよ。
間違った情報は、時に騎士団そのものを危機に陥れるからね。まぁ、あなた達が団に属す日なんて、来るのかはわからないけれど」
そう言い放ち、リリアはさっさと歩き始めた。私は一応、彼女らに会釈し、リリアに続いた。イザベラの顔は真っ赤だった。
「あの……さっきのって」
私はリリアに追いつくと、横に並び、遠慮気味に話しかけた。
「さっきのって何?噂のこと?あのバカ女たちのこと?」
リリアの苛立ちは、口調からも読み取れる。
本当は、噂についての方が気になるところだったけれど、考えた末、街中でする話題としてはよりふさわしい方を、選んだ。
「ええと……さっきの女の子、知り合いですか?」
「あの子達、私の養成学校の同級生なの。私、飛び級で卒業したから、彼女たちの妬みを買っているのよ。妬まれる筋合いなんてないっていうのに」
「へぇ、飛び級で……すごい……」
「当然の結果よ、努力したんだから。私は常に、自分より高い場所だけを見ているわ。あんな女達をかまっている暇はないの」
吐き捨てるようにリリアが言う。
リリアの精神的強さは、こういうところからきているのだろう。一方で、敵の多い人生を送って来たんだろうな。私はそのまま、リリアの養成所生活について思いを巡らせていたが、ふと、疑問がでた。
「じゃあ、もしかして、相当若いんですか?リリアさん…じゃなくて、リリアって……?」
「13歳だけど」
「じ、じゅうさん!!!!!」
思わず箱を落とす。
「あっ、ちょっと、なにやってんのよ!」
「わ、私は17歳です」
「聞いてないわよ!ちょっと、箱!突っ立ってないで拾いなさいよ!!」
リリアは今、私と同じくサイモンホテルに滞在していた。
が、一時滞在の私とは違い、長くホテル暮らしをしているようだ。
彼女の実力が、それが可能なくらいの経済的余裕を生み出しているんだろう。
彼女の部屋まで荷物を運びこむと、リリアから、次はハーブティを取ってこいとのお達しが出た。
私が戻ると、彼女の部屋のテーブルには、先ほどの箱とティーポット、2枚のお皿、そして2枚のカップが用意されていた。
「早く座りなさいよ」
「え、いいんですか?」
「……いいから、早く!」
私は少し緊張した面持ちで、おそるおそる椅子に腰かけた。
ドキドキはするが、嬉しい。仲間と一緒に、こうやってお茶ができるなんて。
私は、そわそわした面持ちで、少し、足を上下にブラブラと揺らした。
「私、女の子、嫌いなの」
「えっ!」
いきなりの発言に驚く。
「養成所では、ずっとあんなのと一緒だった。人とつるんで、悪口言って。弱い人間って本当に哀れよね。そうすることでしか、自分を守れないんだから」
一瞬、何を言い出したのかと思ったが、どうやらさっきのイザベラ達のことを言っているようだった。
その出来事からは結構時間が経っているはずなのに、今またその話を出してくるなんて、本当は、彼女たちのことが気になって仕方ないのだろう。
「うーん。私も……ちょっと苦手かもしれま……しれないな。そういえば前も私、あんな感じの女の子たちに悪口を言われたことが……あっ!」
突然、思い出した。あの子達は確か、郵便局まで荷車を引いているときに、私のことを指差し笑っていた子達だ。
そしてその時、急に荷車が軽くなって、スイスイ歩けるようになった。丁度、今日のチョコレート屋の付近だった。
「リリア、確か……3、4週間くらい前。荷車引いている私に、魔法をかけなかった?」
「あぁ、かけたかもね」
カップにお茶を注ぎながら、リリアが続ける。
「あんたを助けたかったというよりは、あの女どもの驚く顔が見たかったのよ。通りすがりの人間に、これ見よがしに悪口言ったりして、本当にたちが悪いわ」
「でも、おかげで楽に荷車が引けました。ありがとう。あんな離れた場所からでも魔法、使えるんですね」
「あんた、使えないの?」
急な問いかけにドキリとする。が、嘘をついても仕方ない。
「えっ、あっ、そうですね。とどかない、かも」
「はぁ~?確かに技術は要するけど、とどくでしょ?普通。よくフランツ騎士団に受かったわね。この際聞いておきたいんだけど、なんかすごいコネでもあったの?」
「えっ、いや、その……」
何か言い訳をしようと、前に乗り出てみるが、特に何も浮かばない。私は俯き、膝に手を当てた。
「……実は、私が一番不思議に思っているんで……いるんだ。フランツに受かったこと。記念受験のつもりで受けただけで、受かるなんて思っていなくて……。成績は、いつも平均点くらいでした。
もちろん、コネもお金もありません。実家も普通の農家だし」
「ふーん。確かにおかしな話ね。今年のフランツ騎士団の倍率、結構高かったらしいわよ。名門養成所の出身者も、この仕事の経験者も普通にいたみたいだし」
リリアはテーブルに肘をつきながら一つ、チョコレートをつまんで口に入れた。
「学校の先生は、運が良かったんだろうって」
「でも、運だけでどうこうなる実力差じゃないんでしょ?なんかあるわね。裏に」
「う、裏!?」
思わず声が大きくなる。リリアはそしらぬ様子で、窓の外を見ながらハーブティをすすっていた。
私の入団には、裏がある。
そんな心当たりは私自身には全くないけれど、フランツ騎士団に、何らかの影が忍び寄っていることは、事実なのかもしれない。
例えば、さっきの噂も……。
思い出した私は、恐る恐る、気になっていたもう一つの話題、
例の噂について、触れてみる。
「そういえば、さっき、イザベラさん?が言ってた噂、も、何か、不穏な感じでしたよね。まるで、フランツ騎士団を貶めるような話だったし」
するとリリアは、膨れっ面のまま、こう切り出した。
「あんた、この前の襲撃について、どう思ってる?」
「え、どうって……」
「あの日、あの辺りには誰も人がいなかったわ。
カイの言ってたように、普通なかなかないことよ。あのにぎやかな街道に、人っ子一人いないなんて。
誰かが事前に人払いしたとしか考えられない」
「人払い……?」
リリアは頷く。
「あの状況、作ろうと思えば結構簡単じゃない?あそこ一本道だし、私たちが通った後、通行止めの看板を立てておけばいいだけでしょう?
セフへの道があれしかないのだとすれば、他の利用者から街や国にクレームが来て、嘘だってばれちゃう可能性もあるだろうけど、別ルートもあるし」
「でも、なんのためにそんなことを」
「加勢されないためでしょ。
人の多い場所で、馬車が山賊に襲われてたら、みんな私達に加勢するでしょ?
憲兵を呼ばれるかもしれないし。
やつらは、それを恐れて人払いしたのよ。
逆に言えば、私達だけなら倒せるって踏んでたのよ。
全く、舐められたもんよね」
ため息の後、「ただ、解せないのは」とリリアが続ける。
「なんで真実とは真逆の噂が流れて、しかもこんな短期間で広まったのかってことよ。
なんだかこっちにも、裏がありそうじゃない?」
そう言って、彼女はカップをテーブルに置いた。
私はただただあっけにとられ、お茶やチョコレートを口にすることすら忘れていた。
エマが「陰謀渦巻く王国直属騎士団」なんて言い方をしていたが、それは大げさな表現ではなかったのだ。
「それにしても、噂って怖いわね。本当のことだけならまだしも、尾ひれとか色々ついて、最終的に怪我をさせたことになってるなんて。
私達がどう釈明しても、この噂は当分流れ続けるでしょうね。またこれで、フランツの権威が失墜する。向こうの思う壺ね」
リリアは乱暴に、大きめのチョコレートケーキをフォークで突き刺した。
「でもどうして、フランツ騎士団を狙うんでしょう。フランツの名誉が落ちることで、誰か得する人がいるのかな?」
「単に、フランツが狙いやすいってだけでしょう?あんたも知ってると思うけど、フランツの顔であるロベルは、5年前に大けがを負った。
復帰しても、前のようには働けないから、弱体化してる今がチャンスってところじゃないの?
王国直属騎士団は、仕事も安定してるし、給料もいいし、他の騎士団から嫉妬されやすいのよ。なんとか蹴落としてやりたい、って思った輩が、最初に目をつけるのが、うち、なんでしょう」
「ロベルの怪我……」
今なら聞けるかもしれない。私はそっと、尋ねてみる。
「昔は、その……すごかったんだね。ロベル。あ、雑誌のバックナンバーで読んだんです。レッドシークドラゴンから仲間を庇ったなんて」
私がそれを言い終わるか終らないかのところで、いきなりリリアは片方の拳でテーブルを叩いた。
「当たり前じゃない!ロベルは元々そういう人なのよ。武勇名高い名門フランツ家の当主なのよ?今は……その、今はちょっと頼りないところもあるかもしれないけど、それは仮の姿なの。だって私、知ってるんだから。ロベルが……」
リリアのあまりの勢いに圧倒される私。それに気が付いたのか、リリアは少し口ごもり、咳払いをした。そしてゆっくりと、続けた。
「……私、知ってるのよ。ロベルの勇敢さを。だって私、昔、ロベルに救われたんだもの」
「救われた……?」
リリアはふと、目線を窓の外に移した。外は晴れ渡り、鳥のさえずる声が聞こえる。
「私、小さな田舎の村出身なの。小さな村って、大規模の山賊集団に攻められたら、ひとたまりもないの。わかる?」
「わかります。私も、田舎町出身なので。近隣の村がやられた、なんて話を聞くと、村中がピリピリしますね」
リリアはゆっくり頷いた。
「……私が6歳の時。隣の村が襲われたという話を聞いて、村の大人たちも警戒はしていたわ。でも、その日は突然訪れた。家には火を放たれ、略奪され、はむかう者は殺された……私の両親もね」
リリアは、私と目を合わさずに、続ける。
「家の一番奥、暖炉の中で私は、必死に声を殺しながらうずくまってた。
震える手を抑え、涙でぐしゃぐしゃになりながら。
でも、やつらは私に気付いていたんだと思う。暖炉の方に、ゆっくりゆっくり歩いてきた。足音がだんだん近づいてきて、もうだめだって思ったその時。
乱暴にドアが開けられた音。それと共に、急に光が指したの。
その直後、山賊たちの怒鳴り声、そして悲鳴。私、恐ろしくてぎゅっと目を閉じ、耳もふさいだわ。
少し経って、次に私の手に触れたのは、温かい誰かの手。
聞こえたのは、大丈夫だよっていう声。
そっと目を開けた時、そこにいたのが、ロベルだった。
顔が、返り血で汚れていて、頬には傷もあった。でも、その笑顔は本当に優しくて、私、そこで初めて、声を出して泣いたの」
リリアは、よどみなく話していた。しかし、テーブルに置かれた手の拳は、少し、震えていた。彼女は、ため息をつく。
「ロベルは、謝ってた。もっと早く来れなくてごめんって。君の家族を、救えなかったって。そして私をそっと抱きしめて、背中をさすってくれた。……それが、ロベル。本来の彼の姿なのよ」
リリアは遠くを眺めながら話していた。
先ほどまで辛そうな表情だったが、ロベルのことを語った瞬間、彼女の口元が、少しだけ、ゆるんだ。
その横顔は、まだあどけなさの残る少女そのものだ。悲しみが映る彼女の瞳、その奥に、あの時のロベルが確かにいる。
私はそんな彼女をじっと見た。
彼女にとって、ロベルは心の支えなのだろう。飛び級できるくらいに勉学に励んだのも、わざわざフランツ騎士団に入ったのも、そんなロベルに恩返しするためなのかもしれない。
「ってちょっと、なにニヤついてるのよ!」
私の目線に気付き、我に返ったリリアは、鋭い目つき私を睨んだ。どうやら私はニヤついていたらしい。
「今の話の、どこがおかしかった!?」
「い、いや、おかしいとか面白いとか、そういうのじゃなくて。その、ロベルを思うリリアの気持ちが、なんというか、ほほえましい?かなって」
「ほほえましい?どんだけ上から目線なわけ?」
「ち、違います、誤解です」
「いつまで敬語使ってるの?敬語禁止ってさっきも言ってたでしょ?ああっ、もー、あんたなんかに話すんじゃなかった。もう帰りなさい!ほら!」
リリアは顔を真っ赤にしながら私を突き飛ばし、部屋の外へと閉め出した。私が廊下であっけにとられていると、再び部屋のドアが開いた。
「さっきの話、ぜっっったいロベルに言うんじゃないわよ!さっきのこと、まだロベルに打ち明けてないんだから!言ったらあんた、ぶちのめすからね!!」
かわいい顔からは信じられないような、恐ろしい言葉が飛び出した。
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