第4話
気が付くと、辺りはもうすっかり明るくなっていた。
目を開けるとそこには、見慣れぬ天井。ぼんやりしながらそれを見つめるが、だんだんと、こみ上げるような胸の痛みがあらわれた。
思い出した。ここがどこか、そして、私が今、どんな状況か。
暴力的なまでのギラギラした日の光が、窓から差し込んでいる。私はカーテンを閉めようと、重い体を起こしベッドを下り、窓の前に立った。
私の部屋は二階にあるが、窓は大通りには面しておらず、ホテル裏の小さな小屋、そしてその間を結ぶ狭い路地が見えるだけである。
「見晴し」という言葉には程遠いが、今の私には、分相応の部屋ではある。
視線を少し落とすと、不意にため息が漏れる。私はそのまま、カーテンの先を掴み、閉めようとした、が、その時。
ガタン!!
窓の外から、大きな物音が聞こえた。驚き窓を開け、身を乗り出す。と、そこには、倒れた大きな荷車と……うずくまる人影がある。
一瞬固まってしまうが、すぐに我に返る。
なんとかしなければ!
反射的に靴を履き、私は部屋を飛び出した。
他のお客の目も気にせず、階段を駆け下り、乱暴にホテルのドアを開け、裏路地へと走る。
「あの!大丈夫ですか!?」
白髭の老人が、一人、片足を両手で抱えながら、しゃがみこんでいる。
辺りには、荷車に積まれていたのであろう、沢山の郵便物らしきものが散乱していた。すぐさま駆け寄る。
「あぁ、すいません、お嬢さん。よろめいてしまって……ったたた」
振り絞るような声とともに、ゆっくり起き上がろうとする老人。
「無理して動かないでください。足、見せてもらえますか?」
膝を地面に付き、老人のズボンをめくる。皮膚は真っ赤に腫れていた。
骨折だろうか。
私は印を組み、呪文を唱えながら、そっと患部に手をかざした。小さな光が確認できると、口を閉じ、意識を掌に集中させる。
「……これは……」
老人がかすれた声を上げる。私は深呼吸をし、手を引く。光は徐々に消え、老人の腫れは、幾分かマシになった。
「痛みが弱まった。治ったんかの?」
「いえ、あくまで目に見える範囲での、傷ついた細胞の再生を促しただけです。
光が当たらない、奥の損傷までは治せないので、すぐに療養所で見てもらってください。
骨まで傷ついている可能性もありますから」
「はぁ~~。治ったように見えるんじゃが」
老人はまじまじと、自身の足を見つめる。
私は膝の土を払い、腰を上げた。
老人もゆっくり立ち上がるが、散らばった郵便物を見つけると、思い出したかのように声をもらした。
「そうじゃ!大事なもんが!」
腰を曲げ、拾おうとする。
「あっ、私、拾っておきますよ。荷車も、場所さえ教えてもらえれば、そちらまで運んでおきます」
「いやいや、治してもらったのにそこまでされては……ったた」
再び足を抑え、老人はしゃがんだ。
「無理しないでください。心配にはおよびません。どちらまで?」
「噴水の前にある郵便局じゃ。荷を集め、今から戻るところだったんじゃよ」
「わかりました。目につく郵便物はすべて拾っておきますね」
「かたじけない……ただ、お嬢ちゃん」
「はい?」
「あんた、慌てて出てきてくれたんじゃなぁ。寝間着のままじゃないかい?」
袖に目をやると、確かにそうだ。顔が熱くなっていく。
「荷車を運ぶ」と簡単に言ってしまったが、これは思った以上に重労働であった。
老人を待たせ、一旦上着とズボンを取りに行った私は、その後、彼と別れ、一人、荷車を引きながら郵便局へと向かった。
が、これが相当重い。
あんなおじいさん一人で、これを引こうということ自体が、そもそも無茶だったのではないかと思うくらいだ。
まだ土地勘のない私は、おじいさんのように裏道を進むことはできず、表通りからまっすぐ郵便局を目指すことにした。
まだ春の初めだというのに、今日はやけに気温が高い。太陽も容赦なく照り付け、汗が頬をつたう。だがそれ以上に気になるのは、人の目線だ。表通りなので、平日でもそこそこ人通りはある。
「見てー。あんな大きなのを、あんな小さな子が引いてるよ!ぜんぜん進まないね!」
「こら、あまりじろじろ見てはいけません」
母親らしき女性が、指差す子どもの手を引き、足早に通りすぎる。
こんなことなら、軽々しく引き受けず、人を呼ぶなど、もっと考えを巡らすべきだった。まぁ、今更後悔しても遅いけど。
「ねぇ、あの子ダサくない?田舎の出かな?」
昨日も感じたことではあるが、悪口というのは、どんな音もかき分けて、耳へと飛び込んでくる。
特に、自分に向けられているであろうものはなおさらだ。
私はチラリと、目線のみ、声の方へとやる。
華やかな、黄色いフリルのワンピースを着た女の子と、そのとりまきといった子達が、前から歩いてくる。私をチラチラと見ながら、クスクス笑っていた。
「私、絶対ああいう風にはなりたくない。女子がだらだら汗かいて、本気で力んでる顔って、見れたもんじゃないじゃん?」
一応手を口に当てて言っているのだが、声が大きく、こちらにまる聞こえだ。
わざと聞こえるように言っているのかもしれない。
私は気が付かないふりをして、前を見据え、歯を食いしばりながら荷車を引いた。力を込め、次の一歩を踏み出す。
その瞬間だった。急に荷車が軽くなり、私は勢い余って前へ転げそうになった。
周りの人達も、倒れそうな私と荷車を思わず避ける。
が、その次の私をみて、皆が目を丸くした。私が姿勢を立て直し、軽々と、普通に歩くペースと同じくらいの速度で、荷車を引きはじめたからだ。
先ほどまで悪口を言っていた子達も、あんぐりと口を開けた。
しかし、一番驚いたのは私だ。これは一体どうなっているのだろう。いきなり荷車が、まるで何も積んでいないかのように、軽くなったのだ。
なんで?一度立ち止まり、周囲を見回す。
と、そこに、店に入ろうとドア開ける、ある少女の後ろ姿があった。
丁度、悪口を言っていた女の子たちの後ろ。ドアはすぐに閉められ、少ししか見えなかったが、あのピンクブロンドのツインテール。
あれは、リリアではないだろうか?
「魔法……かけたのかな?」
思わず言葉がこぼれた。確かにリリアであれば、合点がいく。
彼女は黒魔道士なので、攻撃魔法の他、攻撃を補助する魔法も使うことができる。
おそらくリリアは、私に、一時的に筋力が上がるような呪文を唱えたのであろう。
もしそうだとすれば、この魔法の効力が切れる前に、郵便局に着かなければもったいない。
私は取っ手を握り直し、駆け足で郵便局へと向かった。面白いほどぐんぐん進み、町の人の唖然とした顔を、どんどん追い抜いて行く。しかし、「なぜ彼女が魔法をかけたのか」という一片の疑問は、残ったままであった。
郵便局での対応は、正直、腑に落ちないものだった。感謝されることを期待していた私が、勝手に失望しただけ、と言われれば、それまでかもしれないが。
荷車を建物の前に置き、郵便局に入る。すぐさま、傍にいた職員に声をかけるも、相手にされない。
「こっちは忙しいんだよ。用があるなら、窓口に並んで言いな」
「いや、私」と言いかけるが、彼はそんな私を無視して、どこかへ足早に行ってしまった。
仕方なく私は、3、4人が成す列の後ろに並んだ。
そしていざ私の番が来て、事情を話すと、
「じゃあ、荷車と荷物は今、郵便局の前に置きっぱなしなんですか?!」
と、強い口調で叫ばれた。
「え、はい。そうですけど」
「なんでもっと早く言わないんですか!ちょっと誰か、建物前出て!荷車と荷物、置きっぱなしになってんだって!」
慌てて数名の職員が窓口の奥から飛び出す。
私を対応していた職員も、窓口を閉め、走っていった。取り残された私も、一応、荷車へと向かう。
「まだ来てそんなに時間は経っていません」
私の声を気にも留めず、数名の職員はぐるぐると荷車の周りをまわり、あちこちを調べた。
「23番の荷車だ。集配に出たあのじーさんだよ。ったく、面倒かけやがって。おい嬢ちゃん、どういうルートでここまで来たんだ?」
私はルート説明をすると、職員は後輩と思わしき2人の職員に、郵便物が落ちていないか、確認しに行くよう指示を出した。
そして私に
「そういう時は、一人が荷物見張ってもう一人が郵便局に知らせにくるとか、そういう方法を取ってもらわないと。客から預かった荷物が紛失したら、怒られるの、こっちなんだから」
と、早口で捲し立てた。
「……すいませんでした」
私はモヤモヤした気持ちを抱えながらも、頭を下げた。職員はドアを開け、中に戻ろうとしたが、閉める前に、手前にある棚から何か取り、私に手渡した。
「これあげるから、今日のこと、あんまりよそで言わないでね」
昨日といい今日といい、上手くいかない日が続くと、人間、ふさぎ込みたくなるものだ。
ホテルの自室に戻った後、私はベッドの上に座り、枕を思い切りマットレスへと投げつけた。
そして体からベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめ、何か叫ぼうと息を吸った。
が、肝心の「叫ぶ言葉」が思いつかない。
「みんな大っ嫌い!」とか?
でも、嫌われた原因は、私にもあるのではないか?
「バカヤロー」はどう?
でも、それは、一体何にバカヤローなんだろう。周りのクルー?郵便局員?
違う。結局、どんな悪い言葉を叫んでも、最終的にそれは、自分の胸へと突き刺さる。
それがわかっているから、叫ぶ言葉さえ、見つからないのだ。
少し、目が潤む。なんと情けないことだろう。まだ、リッツガルドに来て3日も経っていないというのに、すでに私の心の中は、不安と弱音と、郷愁で一杯だった。
そんな時だった。手紙を書こうと思い立ったのは。
私は勢いよくベッドから飛び降り、先ほど郵便局員から「口止め料」として渡された、便箋と封筒のセットを手に取った。
特に柄が入っているわけでもない、シンプルな青い、横書きの便箋。私はそこに、がむしゃらに弱音、愚痴、様々は負の感情をぶつけた。
便箋はみるみるうちに荒れた文字で埋まり、羽ペンの羽も、乱暴な扱いで少し汚れた。が、気にせず私は、スラスラ3、4枚、あっという間に手紙を書きあげた。
一息ついて、ふと思う。さて、これをどうしよう。誰かに宛てたというよりは、私の思いを吐き出しただけの手紙。
両親には、心配させるだけなので送ることはできないし、クレイン先生には、こんな恥ずかしいものを見られたくはない。
しばらく考え、もう一度、羽ペンを取り、「親愛なるエマへ、この手紙は私のただの、愚痴手紙です。返事はいりません」とだけ、書き足した。
エマが学校の寮から出るのは、もう少し先のはず。だから今ならまだ、届くかもと思ったのだ。
それに、万が一届かなかったとしても、それはそれでいいと思っていた。
しかし。
「いやー、びっくりしたよ。まさかシュナから愚痴手紙が来ようなんてね。ほら、シュナって昔から、あんまり口に出して不満とか言わないじゃん」
そう言いながらエマは、にやにやと私の顔を覗き込んだ。
私は恥ずかしくなり、俯き紅茶をすする。
大きな街のカフェというのは、やはり紅茶一つとっても香りが違う。
柑橘系の爽やかな匂いが、流れる蓄音機の音楽とも相まって、優しく心に染みいってくる。
ホテルの自室で、「お客様が来られています」と呼ばれた時は、本当に驚いた。
この地に来て日も浅い私に、来客など考えていなかったからだ。しかもそれが、一週間前に手紙を出したエマだなんて。
「でも、ホント、手紙に気が付いてよかったよ。郵便が来たの、丁度寮から出る前の日だったし。シュナ、運良いよ~ほんと」
「ごめんね。忙しいのに、わざわざ来てもらって。来てくれるなんて、思ってもみなかったから、その……」
「いやいや、たまたま次の仕事がリッツガルドの近くの街だったから、ちょっと立ち寄っただけだよ。どーせ仕事は3日後だから、もともと寄るつもりだったし、それにしてもさぁ」
「むがっ!」
急に頬に痛みが走る。エマがテーブルから身を乗り出し、思い切り、わたしの両頬をつねって伸ばしたのだ。
「ちょっと見なかっただけだのに、随分やつれてるじゃん。これは相当やられてますなぁ」
「いたっ、はまして、はましてほ、ちょっほ~」
放してと言いたいのに、上手く口が動かない。
「女の子は、笑ってたほうがかわいいよ~。化粧なんかより、断然効果があるんだから。ほらこうやって」
無理やり頬を上に伸ばすエマ。加減を知らないので、とっても痛い。思わず手で払いのける。
「やめてよもぉ。頬に型がついちゃったじゃん」
「うんうん。それだよ。痛いときは痛いって言って、やめてほしい時はやめてほしいって言うこと。一人でグチグチ悩んでても、誰も慰めてくれないよ?」
「……それって、今の私の気持ちを、クルーのみんなに言えってこと?」
「そうそう、『こっそり陰口たたくなんてひどい!とっても傷つきましたぁ』って。
まぁ、私がシュナの立場なら、たぶん言えないけど」
「エマでも言えないことがあるんだね。なんでも言いたいことズバズバ言って過ごしてそうなのに」
カップを手にしながら、私は少し嫌味っぽく言う。
「なに言ってんの!人の気も知らないで……これでも、思ってることの半分しか言ってないんだよ!!……なんて、嘘だけど」
いたずらっぽく笑うエマ。その笑顔を見るだけで、少しずつではあるが、心の靄が晴れていく。
「あっ、シュナ。今ちょっと笑顔になったよ。私のおかげ?!」
「えっ、本当?そうかなぁ……そうかも」
私は少し俯く。自分の頬が温かくなっていくのを感じた。「来てくれてありがとう」の言葉を続けていうべきところなのに、私は黙っている。
「っさて、そろそろ紅茶飲み終わった?」
「あ、うん。あっ、お金は私出すよ。わざわざ来てもらったんだし」
「本当?ラッキー!じゃあ、そろそろ行きますか」
エマは机に勢いよく手を置き、立ち上がった。
「え、もう行っちゃうの?」
自分で出した声だったが、それがあまりにも低く、不安そうなトーンだったので、驚いた。
が、エマはお構いなく、こう言った。
「うん!というか、シュナも行くんだよ!こんなとこで愚痴ってても仕方ないしね。『問題』はちゃんと解決していかないと」
「え、私も行くの?問題って何?」
「今のシュナの状況を考えてた時に、ちょっと気になったことがあってさ。それを解決しよう。さ、行くよ」
カランコロン、と、ドアのベルが鳴る。エマが取っ手を持ち、勢いよく引いたそのドアの隙間から、まばゆいばかりの光が差し込んだ。
なぜエマに、こんなことができるのか、私には皆目見当がつかなかった。
彼女に先導されたどり着いた場所は、お城の裏側に位置する茂みだった。
昔は庭園だったそこは、先の戦い以来忘れられ、今では立派な「荒地」となっている。
元垣根として使われていた庭木が、自由に伸び放題伸び放題だ。
「はい、まずはここを突っ切ります」
「え、ここを!?」
私の返事も聞かず、彼女はガサガサと草木をかき分けていった。
私も慌てて後を追う。
バラやその他のツタ植物なども絡まり合い、とてもすんなりと進めるものではない。
「エマ、速くない?」
沢山の小枝に引っかかり、顔も手も、わたしはすでに傷だらけだ。
「うーん、もうちょっとなんだよー。あ、あったあった。おおー、今でも変わらずありますなぁ」
エマの見つめるその先には、レンガが隙間なく積まれた塀が見えた。お城の塀だ。ところどころ苔むし緑色になっており、ツタも遠慮なしに高く高く、塀に沿い伸びていた。
「まさか、この塀を乗り越えて、お城に忍び込むつもり!?」
息を切らしながらもようやく追いついた私は、背中をそらせ、背丈の三倍はある塀を見上げた。
「そんな。こんな高い塀よじ登れるわけないじゃん。ほら、この下のこの部分見て」
エマがしゃがみ、変色した下の方の煉瓦をコンコンとたたく。私もそれを見る。
「あっ、ここだけ、他のレンガとは、ちょっと色が違うみたい」
「これ、実は取れるんだ。見てて、ほらっ」
手を当て、ゆっくりと煉瓦を押すエマ。
するとそれは、重々しくも動きだし、ドスッと向こう側に落ちた。
「この要領で、ここと、ここと、これを押すと……」
「まって、そんなことしたら、崩れたりしないの?」
「大丈夫大丈夫!他がしっかり石膏で積まれてるから。うううう~」
エマは続けて5、6個のレンガを一つずつ、力を込めて押す。私も躊躇しながら、エマが示した内の一つを押してみた。思ったより固い。
「このレンガを全部落としたら、穴ができるんだ。で、そこから城内に忍び込めるってわけ。
でも、結構力いるでしょ。最近誰もこんなところ、使ってないんだろうなぁ」
「ねぇ、エマ。なんでこんなこと知ってるの?町の人でも、きっとこんなの知らないよ」
「えっ……ええと、そう、言ってなかったっけ?
私昔、この近くの村に住んでたことあるんだ。そこで鶏を沢山飼ってて。んで、たまにとれた卵を、町やお城まで売りに来てたの」
「へぇ。この近く出身なのは知ってたけど、卵、売ってたんだ」
「うん、そこで、城の中のメイドさんや庭師さんと仲良くなって、ここのこと、教えてもらったんだ」
「そんな大事なこと、簡単に教えちゃっていいのかなぁ?」
「さぁ、いいんじゃない?知らないけど」
はぐらかすように、私の質問を突っぱねたエマは、手を払い立ち上がり、大きく背伸びをした。すでに塀には、人一人が潜り抜けられるくらいの穴が開いている。
「じゃあ、私から入るね」
準備体操のように腕を振ると、エマはしゃがみ込み、周りの煉瓦に手をかけた。
「えっ、ちょっと待って!」
「なに?入らないの?シュナ、就職して痩せたし、余裕で潜れるよ」
「いや、今更なんだけど、お城に無断で入って、大丈夫かな?」
「大丈夫だって!ここのお城、結構そういうとこ、ユルいから。
それに、私はともかく、シュナはフランツ騎士団でしょ?!誰かに止められても、騎士団の称号見せたら大丈夫なんじゃないの?」
「そんなことないよ。王国直属騎士団とはいえ、お城に入る為には許可証を申請しないといけないし」
「許可証なんて、どーせ最初に門番に見せるだけでしょ?中に入っちゃえば、誰にも怪しまれないよ。それにそんな正規の方法だと、時間もかかるし、何より私が同行できないじゃん!」
そう言い終わるかどうかのところですでに、エマは、すでに塀の穴をくぐり、足の先しか見えなくなっていた。
私も、穴を覗き込み、恐る恐る潜る。
湿っぽい土の匂いが漂う。
エマに言われた通り痩せたのか、思った以上にするりと、穴を抜けることができた。
「へぇ。ここがお城の内側なんだね。初めて入った」
膝や肩の土を払いながら、空を見上げる。当たり前だが、空は塀の内でも外でも、同じ様子だ。
「よーし、で、これからどうするんだっけ?」
エマがとぼけた顔で言う。
「えっ、エマが言い出したんでしょ?気になることがあるから、それを解決しようって」
「あー、そうだったそうだった。はは。どうも最近、忘れっぽくてねぇ」
「気になることって、何?」
「んー、なんだったっけかなぁ」
「忘れちゃったの?」
私が呆れたような声をだすと、エマはムッとしたのか、人差し指を立て、私のおでこにピタリと当てた。
「もー、シュナ、さっきから人のやることにツッコミばっかりいれてさー。誰のためにここまでしてると思ってるの?!私はいろいろ忘れちゃったから、シュナ、自分でも考えな。フランツ騎士団でグチャグチャもめた、その原因はなに?」
急に胸がズシリと重くなる。
エマと一緒にいることで忘れかけていたが、私は今、やっと決まった就職先で初日から様々な失態を犯し、メンバーにも嫌われるという、中々の危機的状況の中にあったのだ。
「えっと……騎士団でもめた原因は、私の実力不足とか、色々あるけど……」
「そんなの、前々からわかってたことじゃん。今更どうしようもないし。そうじゃなくて、もっと具体的というか、はっきりしたきっかけ」
「きっかけ……、あ、最初に私、魔除けの松脂を忘れて……それでリリアさんたちの機嫌を損ねた」
「そうそう、そうだったね。でもシュナ、松脂を持っていかなくちゃいけないって、知らなかったんでしょ」
「うん。松脂は白魔道士が準備する、とか、そういう細かい王国直属騎士団のルールは、『新入生の心得』に載ってたらしいんだけど、私それを持っていなくて」
「そーだ!そうだよ!それが私の気になったことだ。シュナって小心者だから、大事な用事があるときは、絶対忘れ物とかしないでしょ?そんなシュナが、そんな大事な冊子を持ってないことが変だよ」
この2、3日、様々なことがありすぎて忘れていたが、そうだった。私のそもそもの「つまずき」は、「大事な冊子を持っていなかった」からだったのだ。
「まさか、なくしたわけじゃないよね?」
「あ、いや……それが、確か、入団式の時、前に立った女性は、この冊子は招待状と一緒に、城から郵送した、みたいなことを言ってたんだけど、私はそんなの、見たことなかったんだ。両方とも、同じ封筒に入ってたみたいなんだけど……あ」
「なにっ?」
エマが顔を近づける。
「招待状は、私が学校の寮にいた時に届けられたんだ。いつものように、部屋まで寮の管理人さんが持ってきてくれて。
確かに大きな封筒に入っていて、そのわりに招待状は小さくて。
そうだ、それで私、なんでこんなに大きなのに入れたんだろうなぁって、思った……」
「じゃあ、もともと入っていなかった可能性もあるんだ。うーん。よしっ、目的地、決めた!というか、思い出した」
エマがにやりと笑う。私も彼女の意図が分かった気がして、強く、頷く。
お城の建物内に入るのは初めてだったが、思ったより質素な作りであった。
私はてっきり、様々の宝飾品や価値ある鎧、絵画などが一面に飾られた、そんな豪華なイメージを持っていたが、実際今私が歩いているところは、絨毯もない石畳の通路だ。
両サイドは漆喰の白い壁に鉄製のろうそく立てが埋められているだけの、非常にシンプルな造りだった。
ところどころに木枠の窓もあり、日の光が差し込む。
「はいはい、どいてどいて!」
メイド服を着た女性たちが、両手に食事を持ち、慌ただしく行き来する。香ばしく焼けた、七面鳥の匂いが辺りに漂う。
「今丁度、お昼時なんだね。兵隊さん良く食べるから、この時間帯はいつもお祭りさわぎ。いい時間帯に来られたね」
メイドさんの肘がつばに当たり、ずれてしまったキャスケット帽を深くかぶり直したエマが、小声で言った。
「うん。私たちのことなんて、気にも留めてないみたい。ねぇエマ、もうそのキャスケッド脱いでもいいんじゃない?」
エマは、裏口から城内に入るやいなや、鞄から少し大きめのキャスケッド帽を被ったのだった。顔を隠すためだそうだ。
「いやいや。私、顔割れてるからさぁ。今気付かれたら、一目で侵入者だってばれちゃうの。そうなると、捜査しにくいし」
「捜査なんて大げさな。私はとりあえず、『新入生の心得』がもらえたら、それでいいよ」
「ノンノン!だってその冊子、もとから封筒に入ってなかったんでしょ?ただの入れ忘れかもしれないけど、もしかしたら、誰かに意図的に抜かれていたのかもしれないじゃん!そこのところをはっきりさせたいの。私は」
「意図的って、そんな大げさな」
「わかってないなー。王国直属騎士団って、軍事力の一つの象徴みたいなもんだから、足引っ張ろうとしてるやからは沢山いるんだよ。特にフランツ騎士団なんて名門だから、他国や他の騎士団どんな策略が仕掛けられているか」
「でも、新人の冊子の抜くなんていう、みみっちい嫌がらせするかな?」
「いやいや、そういうところから徐々に……あ、あそこ」
エマは、右側前方にあるドアが開いたままの部屋を指差した。
「確か昔は、あの書物室で、王宮の色んな雑用レベルの事務仕事をしてたんだ。書類の封詰めとか、書き物とか。今もきっとそうだと思う。よーし、調査開始ですぞ!」
腕まくりをしながら、鼻息荒くエマが部屋へと入る。私もきょろきょろと目だけを動かしながら、続く。
昼食の時間帯でもあるので、かなり広い書物室には、たった3、4人しかいなかった。
あくせくと分厚い本をめくる人、大量の本を持ち、よろめきながら歩く人、皆、自分自身の仕事に精一杯で、こちらが足を踏み入れたことにすら、気付いていない様子だ。
入口に面する壁には窓があり、光こそ差し込むものの、残りの三方の壁には天井まで続く本棚がみっちりと配置されており、中々の威圧感がある。もちろん、本も隙間なくぎゅうぎゅうに詰められていた。
「この埃っぽい感じ、変わらないねー。でもラッキーじゃん、ここでも私らのこと、気にも留めてないよ」
「とりあえず、自然な感じで声かけてみるよ」
私は静かに深呼吸をして、一番忙しそうな人に歩み寄った。
「すいません、あの、『新入生の心得』、ありますか?」
「あぁ?!」
その男性は、書き物をしている腕を止めず、こちらを見ようともしない。
「あの、王国直属騎士団の新規採用クルーに配られる、『新入生の心得』ありませんか?」
「さぁ、そのへんにあるんじゃないの?おい、キキ、インクが切れた!もってこい!」
「はいっ、ただいま!」
キキと呼ばれた少女が、両手で大きなインク瓶を抱え、ドスンと机に置く。私はその機を逃さず、少女に話しかけた。
「あの、『新入生の心得』はどこでしょう?」
「うわぁ!お客様!すいません、忙しくて気が付きませんでした。2か月後開かれるコロシアムの準備で、もうバタバタで」
「えー!コロシアム、そろそろあるの!」
エマが急に私を押しのけ、話に入ってきた。目立ちたくないのではなかったのだろうか。
「ええ。今年も国中、いや、他国からも選りすぐりの騎士たちが集まる予定ですよ!」
「エマ、知ってるの?それ」
「うん、もちろん!年に一度、騎士たちが己の武術を競う大会、コロシアム!私いつも、それが楽しみで楽しみでお父様に……って、今は、そんな話しに来たんじゃなかったね」
「そうだよ。すいません、『新入生の心得』ってありますか?」
「あ、はい、『新入生の心得』ですね。ただいま!」
そう言うと、またしても少女は、駆け足で冊子を持ってきてくれた。
私が誰なのか、全く聞きもしない。簡単に手に入りすぎて、逆に心配になるくらいだ。
「ねぇ、1つだけ質問してもいい?」
エマがキキに話しかける。
「この冊子って、ここの人達が編纂して、入団式の招待状と一緒に郵便で送ったんだよね?」
「はい、そうです。沢山残業しました」
「発送漏れとか、ないの?」
ゆるいカールのかかった、ふわふわブロンドヘアの小さな少女は、眉を少ししかめた。
「そんなことはありません!今年は入団する人、少なかったし、ちゃんと違う人の目で、何度もチェックしてから送っています!」
「いや、でも入れ忘れとか」
「そんなことはありません!ちょっと待ってください」
ムキになったのか、彼女はすぐさま台を抱え、本棚の前に置いた。かと思うとその上によじ乗り、一つの紐でつづられた台帳を出してきた。
「ほら、見てください!確認したら、チェックするんです。2人のチェックがないと、郵便には出せません。郵送もちゃんと配達記録便にして、ちゃんと届いたことが確認できたら、リストを消し込んでいくんです。
リッツガルドの文官は、仕事が丁寧なのです!」
得意げに彼女が見せたページには、入団式の資料一式を、いつ誰が揃え封詰めし、誰がチェックしいつ郵送したかが細かく記載されている。眺めながら私たちは、お互いに顔を見合わせた。
「ふーん、そっか。ありがと、キキ!小さいなりでも仕事が速いね」
上機嫌のエマがポンポンと少女の肩を叩く。
彼女も姿勢を正し、
「当たり前ですよ!私ももう11歳。仕事においては、正確さだけでなく、速さも追求していかないと、生き残っていけませんからね!」
と鼻息荒く答えた。
「ねぇ、そんなキキに頼みたいことがもう一つあるんだけど」
予想していなかったエマの言葉に、私は思わず彼女を見る。
「もうちょっとだけ、この書物室見ていっていい?調べものもしたいんだよねー」
何を言っているのだろう。このまま帰れば、すべてが上手くいくのに。
しかし、私がエマを呼び止めるより速く、キキはエマの手を取り、もう片方の手で指を指す。
「調べものならこちらの部屋へ。あの扉の向こうは書物庫になっています。この書物室は作業室と書物庫の二つの部屋で構成されておりまして、こっちの作業室より、本や辞書が充実していますから、どうぞあちらで存分に調べてください!」
キキに手を引かれ歩くエマは、ふと振り返り、私に向かって、こっそりピースサインをした。私が呆れ顔でため息をつくと、彼女はいたずらっぽく笑い、前を向きなおした。
案内を終え、キキが書物庫を出るやいなや、私はエマに迫った。
「なんで!早く帰らないといつ怪しまれるか」
「はいはい、大声ださない。いいじゃん。ちょっとの間だけだよ。だってめったにないっしょ?お城の書物庫なんて来られるの。せっかくだしさ。色々見ておこうよ。思わぬお宝が見つかるかもしれませんぞ」
「泥棒しにきたんじゃないんだから……」
私の返事など聞かず、エマはすでに書物庫の奥へと進んでいた。
先ほどの作業室とは違い、こちらの部屋は、全面が本棚で埋め尽くされているため、かなり薄暗い。明かりは扉前のランプと、天井にある小さな窓からの光のみだ。
突っ立っているのも時間の無駄なので、私も一応、その辺にあった冊子を一つ、手に取る。
そしてそれを棚に返そうとしたその時、上の段にある1つのタイトルが目に飛び込んできた。
「月刊、輝く騎士……」
確かロベルがインタビューされると言っていた雑誌だ。
騎士団内のどろどろした内部事情やスキャンダルなどを取り上げた記事が売りで、騎士マニアやゴシップに敏感な女性が買う雑誌だと、うわさで聞いたことがある。
このような少しマニアックな雑誌の類は、田舎ではほとんど出回っていない為、私はほとんど、読んだことがない。
いくつか引き抜いてみる。丁度3、4年前の号であった。
不倫関係、愛人問題、騎士団同士の摩擦……様々な刺激的な見出しが表紙に踊る。
ロベルが次の発売号でインタビューを受けるということは、これまでも載ったことがあるのかもしれない。
フランツ騎士団について、一応成り立ちや歴史などの「公式」な情報は、入団テスト前に頭に入れていた。
しかし、このような、いわゆる「私的」な情報は、まるで知らない。目次を読み、気になるものがあればページを開く。
『これぞ、騎士の底力!奇跡の生還スペシャル』
でかでかと派手に装飾された文字。その下に「あの日から2年 フランツ騎士団 ロベル・フランツ」という小見出しを見つけた。
ロベルの名声こそ私たちの住むど田舎まで届いていたが、細かいことまでは、正直良く知らない。『あの日』とはなんだろう。ページをめくる手が熱い。
『王歴889年6月、フランツ騎士団は、とある機密任務の為、リッツガルドの遥か南西、トワナ樹海に赴く。
そこで待ち受けていたのは、その凶暴さゆえに誰も手を出せなかった人喰い竜、レッドシークドラゴンであった。
ドラゴンの口から発せられる灼熱の炎になんとか応戦する騎士団クルーだったが、高温の熱風と鋭い爪から繰り出される、息つく間もない攻撃に、徐々に劣勢へと追い込まれる。
足に怪我を負った一人のクルーは、なんとか身をかわそうと立ち上がるが、そこに待ち構えていたのはドラゴンの大きな牙。
もはやこれまでと皆が思ったその時……耳を割いたのはドラゴンの断末魔。
そこには、自らの体を囮にし、食いちぎられる寸前で、ドラゴンの瞳を剣で貫く、ロベル・フランツの姿があった……』
正直、目を疑った。ハクツキオオカミで逃げ出した(本人は私を逃がすためと言っているが)ロベルが、熟練の騎士ですら戦いを避けるレッドシークドラゴン相手に、こんな戦い方を?
『あの時はとにかく必死でした。なりふりなんてかまっていられません。だって、自分の前で大事なクルーが喰われそうになったんですよ?自然と体も動きますよ』
ロベルのインタビューと共に、その壮絶な戦いを想像で描いた挿絵があった。
『騎士としての復帰は絶望的、なんて言われていましたけどね。治療の甲斐あって、今では普通の日常生活を送れるようになりました。
今年中には団にも復帰し、以前のように任務もできるようになると思います。
実は、早く戦いたくって仕方がないのですよ。騎士の血が騒ぐ、とも言うのでしょうか?
まぁ、復帰しても、実際1、2年は、簡単な任務ばかりなんでしょうけどね。腕がなまらないか心配です』
この、どことなく軽い語り口は、いかにもロベルの言葉、という感じがする。「身を挺して仲間を守る、まさに騎士の鏡」などという文が、インタビューの後に添えられていた。
「シュナー、なんか面白いもん見つかった?」
突然エマが後ろから、ひょいっと私の前に顔をのぞかせる。私は思わず声を上げた。
「びっくりした~。あ、うん。フランツ騎士団のキャプテンについての記事を読んでたんだ」
「ほー、『輝く騎士』かぁ。私も騎士のはしくれだけど、こーゆーの全然読んだことないや。面白い?」
「うん、新聞とかにはあんまり載ってないことが書いてあるよ。ほら、これがロベル。絵だけだけど」
「くはぁ。絵だけだとしても、やっぱ噂通りイケメンだね!ね、今度サインもらってきてよ」
「サインね……あ、エマは知ってた?ロベルって、5年前くらいに大けが負ってたって」
「あぁ、なんか、騎士マニアの友達から、ちらっと聞いたことはあるよ。
よく知らないけど。
ほら、有名な王国直属騎士の負傷とか病気とかって、情報規制がかかっているのか、あんまり新聞にも大々的には載らないじゃん。きっと、王国の防衛や威信にかかわるからだろうね」
「威信かぁ。じゃあ、治ったとはいえ、こんな雑誌のインタビューで国中に触れ回ってもいいことなのかな?」
「さぁ、難しいことはわかんなーい。
ロベル様は人気あるから、隠しててもすぐにファンが感づくんじゃない?変なうわさ広まる前に、自分からインタビュー受けたとか」
「そっか……、属してる自分がいうのもなんだけど、有名な騎士団って大変だね」
「そのうちシュナも、雑誌にインタビューされるくらい、人気者になるのかなぁ」
「いやいや。万が一そうなったら、なにかおごるよ」
エマに、何を調べたのか聞いてみると、そもそもなにも調べていませんという、あきれた言葉が返ってきた。
目的を一通り達成した私たちは、書物室のキキ達に礼を言った後、もう一度、来た道を通り城を出た。なんだかんだで緊張していたのか、壁の穴を潜り抜けた直後、私たちは地面にへたり込んだ。
「あー、疲れたー。コソコソ生きるのはしんどいね。」
エマはその場でキャスケットを取りください、土の上に寝転がってしまった。無理もない。
私はともかく、エマは全くの一般人として、この潜入に付き合ってくれたのだ。あっけらかんとしつつも内は、私以上に気を張っていたのだろう。
「ありがとう。色々やってくれて」
私はしゃがんだまま、少し俯きながら、指でちょんと、エマの頬に触れた。
「い~え~。私も久しぶりにお城に入れて、楽しかったよ。それにしても、運よかったよねー。キキとかいうあの子が、全く怪しみもせず、ホイホイいろいろやってくれて」
「ほんとだね。逆に、そんなのでいいの?って、思っちゃったね」
「まー、あの子のことは、あとで告げ口しておこう」
「告げ口?誰に?」
私が首をかしげると、エマは驚いたように飛び起きた。
「いや……さすがにここまで防犯意識が低いのは、お城の文官としてはイマイチだからその……知り合いの兵隊さんとかに、言っておこうかなぁと思って。
ささ、私たちもお腹空いたし、遅めのランチにしよう!私、頑張ったから、おごってね!」
なぜか慌てふためくエマを不思議には思ったが、そこまで気には留めず、私はそのまま立ち上がった。
「結局、『新入生の心得』は手に入ったけど、なんでシュナの手元に渡らなかったのかは、わからなかったね」
エマがハンバーグをほおばりながら言う。朝に行ったカフェとは別の、今度はパブに入り、私たちは昼食を取った。
普通の席は空いておらず、店員さんと対面式のカウンターに座った。私は少し緊張したが、エマは慣れっこなのか、普通にもりもり食べ、モリモリ話す。昼食の時間はとうに過ぎていたので、人はまばらだ。
「やっぱり、単にシュナがなくしちゃっただけなのかなぁ。陰謀説は違うかなぁ」
「うーん。私も、自信がなくなってきたよ。というか最初から、陰謀なんて線より、私が単に、知らないうちになくしちゃってた可能性の方が高かったんだけどね」
「小心者のシュナが……大事なものを……うーん」
もぐもぐと口を動かしながらも、エマは腑に落ちない様子で宙を見つめた。
「でも、今日は本当にありがとね。なんていうか、明日からちょっと頑張れそうかも」
「もー、何回も言わなくていいよ。それに強がらない!知ってるよ?本当は仕事嫌すぎて胸が張り裂けそうなんでしょ?」
「え」
私は思わず身を後ろに引く。エマはとぼけた風でいて、どうしていつも、こんなに核心を突くのが上手いのだろう。
「3年も同じ寮で苦楽を共にしたら、そのくらいのことはわかるよ。ま、いざとなりゃ辞めればいいんだし、気楽にいきなよ」
「……うん」
頷いてはみたものの、私に辞めるなんて選択肢はない。
田舎の両親が苦労して入れてくれた魔法学校、そして、やっとつかんだ就職先。こんな短期間でやめてしまえば、おそらく「ダメ人間」の烙印が押され、再就職も厳しくなるだろう。
私に逃げ道などない。だが、折角のエマの励ましを無駄にするわけにもいかず、「やめちゃえばいいよね」と笑顔を作った。
「で、次の仕事はどこでなの?」
「集合場所はサイモンホテルのロビー。午前10時集合だからそんなに早くないんだ。どこで仕事なのかはまだ聞いてない。内容も。その日の朝、ロベルから告げられるらしいよ」
「そーなんだ。まぁ、新採が来た最初のうちは、きっとゆるい任務だよ。ロベルが前に怪我をしたのなら、なおさら」
「そうだといいけどね」
私たちはその後、日が暮れるまでたっぷりと話し込んだ。持つべきものは友達と、良く言ったものだ。
エマは、今日は一日リッツガルドに泊まり、明日の昼に発つそうだ。私の部屋に泊まっていくかとたずねたが、「一人でのびのびと寝たい」との理由から断わられた。
エマと別れたあと、私は手に入れた「新入生の心得」を熟読し、眠りについた。
不安を挙げればきりがないが、それを考えても前には進めない。具体的な解決策を見出さないと。その力は今日、親友からもらった。
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