第3話
フランツ騎士団。30年前の戦争時、民間自警団であるにもかかわらず、王の危機を幾度も救った伝説の騎士団である。
今ある25の王国直属騎士団の中でも、もっとも知名度があり、かつ、民衆からの人気も高い。
しかし、騎士団のクルー構成というのは、一般的にはあまり知られていない。
というのも、騎士団というのは、もともとが「志ある民衆の集まり」であるため、騎士団としての任務がない時は、一般市民と同じように普通の生活を営んでいる。
国勇軍のように、寝食すべてを仲間と共にし、お城に住み、公私の境なく働くタイプのものではないのだ。
つまり、働いていない時、プライベートな時間を過ごしている間は、普通の民間人なので、素性が割れていると生活しづらい。
よって、王国直属の騎士団員の素性というものは、基本的には非公開なのである。
もちろん、今私の目の前にいる、ロベル・フランツのような例外も存在するのだが。
「君が、シュナちゃん?」
肩くらいまで伸びた薄茶色の髪は、少し癖はあるものの、とてもしなやか。凛々しい眉、青色の優しい瞳、締まった口元。優男、という言葉がぴったりではあるが、同時に、秘めた強さを感じさせる。
この人がロベル・フランツ。この国で一番有名な騎士。フランツ家の若き当主にして、文武両道、才色兼備。
「世の中の褒め言葉は、すべて彼のためにあると言っても過言ではない」とまで評される、フランツ騎士団のキャプテンだ。そんな彼が今、私の名前を呼んでいる。
「呼ばれたら、返事くらいしたらどーお?」
リリアに指先で軽く小突かれ、私は意識を取り戻す。
目の前には、旅の準備をし終えたリリアと、ロベル・フランツが立っている。
なんという、美男美女。そしてお似合いの二人!
ここまで整った人間がこの世の中にいて、しかも今日から私の同僚となることが、未だに信じられない。
「あの、今日からフランツ騎士団に配属となりました、シュナ・ポートマンです。お、お見苦しい点も、か、数々あるかと存じ上げますが、な、なにとぞ、よろしくお願いいたしますっ」
と、訳の分からない敬語を口走りながら、私は勢いよく礼をした。その勢いのあまり、鞄が開き、中の物がこぼれ落ちる。
「……あんたテンパりすぎ」
「ハハッ、これはこれは、可愛らしい白魔道士さんだね」
しゃがみ込み、急いで物を拾い集めながら、私も苦笑いをした。と、その二人の後ろに、もう一人、人がいることに気が付く。
5歩ほど離れた場所にいる彼は、壁にもたれ、腕を組み、不審そうな表情で私を見ている。私の目線にいち早く気が付いたロベルが、彼を紹介した。
「あそこに立ってる、無愛想なのがカイ。うちの槍使いだ。人見知りだけど、気のいいやつだよ」
そのセリフが耳に入ったのか、カイはチッと舌打ちをすると、面倒くさそうにこちらに寄ってきた。
浅黒い、日焼けした肌に灰色の髪。鍛えこまれた体に、細く鋭い眼。彼の前に立ったら、どんな敵でも瞬間的に負けを認めてしまうような、そんな威圧感を放っている。
「おい、一通り自己紹介終わったなら、さっさと行くぞ。日が暮れる」
カイの言い方に、リリアが噛みつく。
「ちょっと!私まだちゃんと紹介してないんだけど!ロベルだって、ね?」
「おまえは入団式の前に、はしゃいで新人と話していただろ。まだ話す気か」
「うるっさいわね!自己紹介ってのは大切なの!いくらやったって足りないわ」
「まぁまぁ、二人とも。あっ、シュナちゃん、気にしなくていいよ。二人、いつもこんな感じだから。それよりシュナちゃん、俺まだ自己紹介できてないけど、わかる、かな?」
急に話を振られた。が、どんな質問にも答えなければと、すぐさま口を開く。
「はい。お噂は、い、田舎にも届いています」
「そうか~!有名なのってツラいよね~、そういう時」
頬を緩ませ、ニヤニヤしながら、ロベルが続ける。
「あ、一応言っておくと、俺がこの騎士団のキャプテンで剣士の、ロベル・フランツです。まぁ、詳しいプロフィールは、『月刊 輝く騎士☆12月号』にも載っているから、参考にしておいて。確か、書物庫にバックナンバーがあるはずだから」
私は、持ってきたメモ帳を鞄から取り出し「月刊 輝く騎士 12月号」と書き込んだ。そんな私を、リリアが睨む。
「さぁ、じゃ、時間もかかるしそろそろ行こうか。このままじゃ、カイにブチ切れられる」
そう言って、ロベル、カイの順に、小走りにホテルから出ていく。私も付いていかねばと、鞄をかけ直し、踏み出そうとした瞬間、リリアが後ろから、グッと私の鞄を引っ張る。
「ねぇ、あんた」
「あっ、はい?」
リリアは顔を近づけ、突き刺すような目で私と目を合わす。
「ロベルにあんまり、近づかないでよね」
その柔らかな唇から出たとは思えないくらいの、低くドスの効いた声に、私は目を丸くした。
基本的に、騎士団は馬か徒歩で目的地に行くものだと思っていた。
しかし、さすがはフランツ騎士団。お金があるのか、ロベルはホテルを出るとすぐに、近くの馬借で馬車を雇った。
魔物達が少ない場所までは、これで駆け抜けるらしい。
客車は、向かい合わせの席になっており、私の隣にカイ、向かいにロベル、ロベルの隣にはリリアが座る。馬車は勢いよく駆けだした。良い馬車だったが、結構揺れた。これが、私のいつも使う安いものであれば、どれほどのことになっていただろう。
「今から1時間ほどで森に着く。そこからは徒歩で行くしかないね。馬なんて入れたら、魔獣のエサをわざわざ持っていくようなものだからね」
ロベルが一人、揺れも気にせず、ペラペラと機嫌よく口を動かす。
他の二人は、そっぽを向き、黙ったまま。特にリリアなどは、かなり不機嫌そうな表情で、手を顎に当て、馬車の外を見つめている。
気まずい。かなり。
私は一応、ロベルのおしゃべりに「はぁ」とか「はい」とか相槌を打つものの、実際は他の二人が気になって仕方なかった。
ロベルはともかく、私、この二人と上手くやっていけるだろうか。
「シュナちゃん、大丈夫?さっきから顔色がよくないけど」
「え、いえ、大丈夫ですロベルさん。は、初めてなので、少し、緊張して……」
「おーいおい。ノンノン、さっきも言ったろ?『さん』なんて付けなくていいって。俺たち騎士団の間に上下関係はない。みんな、お互いがお互いを尊重する『仲間』なんだ。『さん』とか『様』とか付けてると、打ち解けられないだろう?あと、敬語もいらない。わかったかい?」
ロベルの言葉に、黙ってうなずく。しかし、私には、この騎士団クルー同士が「打ち解けた関係」を築けているとは、あまり思えなかった。
学生の時、実技訓練として、何度か今のように、プロの騎士団に同行したことがあった。
馬も持たない民間騎士団だったが、和やかな雰囲気で、移動中も今までの冒険談などで盛り上がり、とても楽しかったことを覚えている。
それは、地方の、民間騎士団特融の雰囲気なのだろうか。フランツ騎士団のような、王国直属で、世間からの重圧も圧し掛かる騎士団は、どこもこのようにピリピリとした感じなのだろうか。
「ちょっとカイ。さっきからあんたの槍が、私の足に当たっているんだけど。馬車が揺れるたびにガンガン当たって。なんとかしてくれない?」
苛立った声でリリアが言う。槍は、対角線上に床に置かれていたが、確かにリリアの脛にふれていた。
「狭い馬車だ。仕方ないだろう」
「仕方ないじゃないでしょ?ちょっと移動させるとか、いくらでも方法あるじゃない」
「ここに置いておくのが、いざという時、一番取り出しやすいんだ。そんなに嫌なら、ロベルか新人に席変わってもらえ」
私は空気を察し、席を立った。リリアはムスッとした顔で「なんで私が」とつぶやきながらも、私の席へと移動した。
カイの向かいに座り、私は俯いたまま、その時間を過ごした。沈黙が私たちを包み、重い時が流れる。
さっきまで調子よく話していたロベルも、リリアの機嫌の悪さを察したのか、黙ってしまった。
こんな時、エマならどうするだろう。この空気すらも吹き飛ばすような明るさで、もっと、みんなとの距離を縮められるのだろうか。長い時間が、ただただ、続く。
森までの1時間、という時間は、結局私には、止まったかのように長く感じられた。が、ようやく馬車が停止し、御者さんから声がかかる。
「お客さーん、着きましたよ」
まっさきに飛び降りたのはリリアだ。さっさと任務を終わらせたい、という気持ちが、全身から発せられている。
私たちを急かし、皆が馬車から降りるのを確認すると、彼女は袖をまくり、一人で先に、暗がりの森へと入っていってしまった。
私は、彼女を苛立たせている原因の一人であろうにもかかわらず、そんなリリアの後ろ姿を見て、素直にかっこいいなと思った。
少し嬉しさがこみ上げ、私もすぐさま、跡を追う。
森は思ったより暗く、湿っており、昼間なのにフクロウの鳴き声がこだましていた。
視界も悪く、下草は膝のあたりまで茂っている。
しかし、そんな陰鬱とした雰囲気をものともせず、リリアはズンズンと、速足で前へと進む。
「あの……目的地、地図見なくてもわかってるんですか?」
「当たり前でしょ?私が入った時も、この洗礼は行われたの。一度通った道は、忘れないでしょ、普通」
振り向きもせず、息も切らさず、リリアははっきりと言い切る。
「それよりあんた、ランタンと獣除け松脂持ってきた?そろそろ焚いたほうがいいわ。魔獣の匂いがする」
え、松脂?私は無言で立ち止まる。
ザクザクと足音を立てていたリリアも止まり、こちらを振り返る。
しばしの無音。
そして。
「早く、松脂を……どうしたの?あんた、まさか……」
「松脂は、私が……用意するんですか?」
リリアの顔が、凍りつく。私も、みるみる血の気が引いていくのがわかった。
「まさか……あんた、松脂持ってきてないの?」
私が頷くより速く、リリアは私の胸倉をつかみ、鋭い声をあげた。
「だって、『新入生の心得』に載ってるでしょ!王国直属騎士団の決まりごとが!戦闘中に戦わないあんたら白魔道士が、必要なもの全部そろえて持ってくるって。そんな当たり前のこと知らないの?!」
すごい剣幕に圧倒され、わたしは何も言えず、只々リリアの真紅の瞳を見た。
目をそらすなんて恐ろしいことはできない。蛇に睨まれた蛙とは、まさにこのことだ。
「どうした?!」
声を聞きつけ、後ろにいたカイとロベルが駆けつける。リリアは私の服を放すと、人差し指を私の鼻に力強く押し当て、二人に向かって叫んだ。
「この新人、松脂忘れたんだって!」
二人も一瞬にして表情を曇らす。
「シュナちゃん、ホント?」
「す、すいません……私……」
すぐさまカイが背を向け、今来た方向に走り出す。
「ちょっとカイ、どこに行くのよ!」
「馬車まで戻る。御者に松脂を借りる」
「あんなの、効果の弱いやつでしょ?」
「ないよりマシだろ!」
そう大声で言い残し、カイの姿は、みるみる見えなくなった。取り残された私たちは、なすすべもなく立ち尽くした。
手が震える。どうしよう。私、初日なのに大変な失敗をしてしまったんだ。
どんな優秀なパーティにも、魔獣除けの松脂は欠かせない。なぜなら、任務遂行において一番大事なことは「いかにリスクを減らせるか」ということだからだ。
実力のある騎士団でも、戦闘が始まれば、いつ何時致命傷を負うかわからない。
いくらすごい魔法が使えても、華麗な技を繰り出せても、「戦闘を避ける」という行為に勝る、身の守り方はない。
戦闘はあくまで最終手段であって、いかにそれを避け、任務達成率を上げられるかが、騎士団の優劣を決めるポイントとなる。
カイはすぐに戻ってきた。ランタンも借りてくれたようで、私は手渡された松脂の蓋を開けた。
「多めに入れろ。これはせいぜい素人の旅行道具だ。俺たちの進むような道を想定されていない」
「はいっ……あっ」
メタルのチューブから、松脂を絞り出す。が、手が震え、落っことしてしまう。
「もぉ!貸しなさいよ、ほらっ」
見かねたリリアがランタンを取り上げ、火の中へと松脂を絞り入れた。火力が増し、特融の匂いが立ち上る。
「ほら、持って!」
私は慌てながらも、すぐさまランタンを持つ。皆のため息が聞こえた気がした。
「まぁとりあえず、気を取り直して、先に進もうか」
落ち着かないまま、先頭を歩くロベルの隣に付く。普通はランタンを持つものが先頭なのだが、なにせ私は、教会の場所がわからない。後ろからのリリアの視線が痛い。私は俯き、皆は無言で、黙々と森を歩いた。
森は薄暗しさを増し、湿った土も、だんだん泥濘に近くなってきたようだ。
すでにフクロウの声はなく、私たちの足音と葉のざわめきだけが、不気味な森に響く。
ロベルはもう、何も話しかけてこない。私は気を取り直し、視線をぬかるんだ足もとに落として、前進することだけに意識を向けようとした。
しばらく歩き続けた後、不意に怪しげな音が、私の耳に入った。
ガサッ……
急に皆の足が止まる。私も足を止める。
何かいる。横の茂みか、それとも後ろ?
ロベルがすぐさま柄に触れる。カイも槍を構え、リリアは手を握りじっと茂みを見渡した。
彼女の口は、何かブツブツと唱えるかのように、すでに小刻みに動いている。
ガサガサッ……
音が近づく。徐々に草木の揺れが大きくなる。まだ、まだ出で来ない……私もそっとランタンを地に下ろし、体を上げようとした、その瞬間。
カイが声を上げ、私に飛びかかろうとした何かを思い切り突いた。
血のしずくが宙を舞い、私の顔にも巻き散る。
と、すぐさま後方にリリアが周り、飛び上がったかと思うと、手を突出し、大声で叫ぶ。
「劫火よ集え フォーコ・ダンシン!!!」
目の前が急に明るくなる。と同時に熱風が吹き、辺りはすでに炎の渦に包まれていた。
「シュナちゃん!こっち!」
と、いつの間にかロベルは、私の右手を掴んでいた。彼は、同意を求めるように頷くと、私の手を引き、前へと一目散に駆けた。
私はかろうじてランタンを左で掴み、引っ張られるがまま地面を蹴った。
ふと脇を見ると、さきほど私に襲いかかった魔獣の躯が転がっている。白いオオカミのようなそれを見た時、私はゾッとした。目が、3つある。魔獣の中でも危険度の高い、ハクツキオオカミだ。
私は、転ぶまいと、只々足もとにだけ注意を払いながら、走った。しかし、ふと気が付く。私は今、なぜ走っているんだろう?二人は後ろで戦っている。このまま駆けていけば、私は、二人を置いて逃げていることにはならないか?
「あ、あの!」
ロベルに聞こえるよう、荒い呼吸の中、必死で叫んだ。ロベルもこちらを振り返り、足を止めた。
「どうしたの?速かったかな?足、大丈夫?」
息を切らしながらも、爽やかに微笑むロベルに、私はとてつもない違和感を覚えた。
「いえ、そうじゃなくて。二人、まだ戦ってるじゃないですか。それなのになんで、私たち走っているんですか?」
「あぁ、あの二人なら大丈夫だよ。フランツ騎士団の名に恥じないくらいの戦士だから。雑魚オオカミなんて一網打尽さ」
「そうじゃなくて、強さとか、そんなの関係なくて。仲間を置いていくなんてやっぱり良くないんじゃないでしょうか……同じ騎士団の仲間として」
「いや、置いてきたんじゃなくてさ。効率の問題だよ。二人でこなせることに四人が当たっても、無駄だろ?その時間に前に進んだ方が、効率よく任務を果たせるんじゃないかな?」
確かに、ロベルの言うことにも一理あった。しかし、相手は凶暴なハクツキオオカミ。奴らは群れで行動する。今頃彼らは、何十匹ものオオカミに囲まれているのだろう。
それでも、乗り切れるの?二人は強いから?
目に汗が入るが、気にならない。
私は、ロベルののんきな様子が、全く理解できなかった。
これじゃあ、あの二人が私たちの囮になったようなものではないか。
「やっぱり、私、戻ります。怪我、してるかもしれないし」
「だからさ、シュナちゃん……」
彼は何かを言いかけたが、私は向きを変え、先ほどの戦闘現場へと駆けだした。
左手のランタンが、ガンガンと私の腕に当たる。が、かまわず私は、まっすぐ正面だけを見て走った。
正直、今自分の取っている行動が、きちんと理解できていなかった。ロベルのやり方こそが、フランツ騎士団流の方法なのかもしれない。しかし私は、頭で考えるのではなく、本能にただ従い走った。
戦闘中に一緒に戦い、守ってこそ仲間だ。その思いだけが先行し、私は息の切れも、疲れも、すべてを完全に忘れて駆けた。
と、だんだん匂いが変わってくる。草や獣の燃えた匂いだ。辺りの草木も、黒く焼けたものが目立ち始めてきた。そして……
そこで見た光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。
辺りは一面、焼け野原。ここがさっきまで、木々が鬱蒼と茂った森であったことが信じられないくらい、視界は開けている。
焼け焦げた草花に混じり、転がってるのは無数の死骸。もちろん、すべてハクツキオオカミ。焼かれたものもあれば、腹を一突きにされ、血まみれになっているものもある。
ほんの数分で、これだけのことを?
これがフランツ騎士団の実力……
私は、惨憺たるその光景に吐き気を覚え、思わず口をふさぎ、しゃがんだ。
しかし、正面から近づいてくる足音に気が付き、すぐに立ち上がった。
「おい、おまえ」
それはカイだった。呼吸はまだ荒く、服や顔のいたるところに、血しぶきが生々しく付いている。と、頬には横一直線に、引っかかれたような傷跡が付いているではないか。
「すぐに手当てを」
「いや、あいつを先に見ろ。足、少しやられたみたいだ」
親指で後ろを指す、カイのその向こうには、うずくまっているリリアの姿があった。
悔しそうに俯く彼女に、私はすぐさま駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
どうやら膝を擦りむいたらしい。少しやけどのような跡もある。
私は両手を合わせ、しっかりと意識を集中させ、手のひらに光を宿す。その光をそっとリリアの傷口に当てる。自然治癒力を引き出し、傷ついた細胞同士を繋げる回復魔法だ。
リリアは黙って、その様子を見ていた。が、その途中、突然小さくつぶやいた。
「逃げるなんて、最低」
意識が乱れ、光が急に消える。その一言に、私は完全に動揺したのだ。
「違うんです、私」
「さっさと続けてよ、回復!時間ないでしょう!」
大声に遮られ、私は黙り、もう一度光を宿そうと自らの手のひらを合わせた。
が、脈はみだれ、手は震え、全く集中できない。光が出ないことで、さらに焦り、混乱する私。
リリアの口が、少しゆがんだかと思った瞬間、彼女は思い切り、振り払うように私の手をパシンと叩いた。
「もういいわよ!ほとんど治ったから!行くわよ!」
その声は、苛立ちや腹立たしさなど、すべての「怒」の感情を爆発させたかのようだった。
私は茫然と立ち上がり、ただ、なすすべなく、その後ろ姿を見つめた。
「おーい、二人ともっ。大丈夫―?」
私を追ってきたロベルが到着。軽い口調で続ける。
「うーわー、さすがだね。ここまで徹底的にやっちゃうと、さすがのオオカミ達も、恐れをなして僕らには近づかないね。それにしても、こんなに短時間でこんなに沢山。さすが我がクルーだ」
そう言ってパチパチと、乾いた拍手を送る。が、その音が一層、場を白けさせる。
カイは下を向き、深いため息をついた。が、すぐに顔を上げ、まっすぐロベルを睨みつけると、無言のまま彼へと詰め寄った。
「ん?どうしたカイ?」
その気迫に押されたのか、ロベルは一歩、後ろに下がる。
「おまえ、逃げたのか?」
「いやぁそんな、逃げるなんて!」
彼はおどけた表情で、カイの肩をポンポンと叩いた。しかし、カイの顔つきは、真剣そのものだ。
「すぐさま加勢しようと思ったんだけどね~。ほら、シュナちゃんの怯えた顔が、俺の目に飛び込んできたわけですよ。で、これはもうさ、守らなきゃって思ったわけ。キャプテンとしてはね。だって、騎士団に参加しての初戦闘で、怪我なんて負わせたら可哀そーじゃん。女の子だし」
「そんな、私」
思わず私は、声を張り上げた。確かに、突然のことでびっくりはしたが、私も白魔道士の端くれ。ハクツキオオカミとの戦闘ぐらい、行ったことはある。
「もういい!うるさい!時間の無駄よ。ほら、さっさと終わらせるわよ。こんなどうでもいい任務!」
リリアはそう吐き捨てるように叫ぶと、始めよりさらに速足で歩きだした。
焦げた枝を蹴飛ばすのだが、「っ……」と小さく声が漏れる。当然だ。彼女の足は、まだ完治してはいない。
「あの、やっぱりもう少し治療を」
「だから、聞こえなかったの?私はとにかく、一分一秒でも早く、この仕事を終わらせたいの!グズグズしないでよ!!」
一人で歩きだすリリアに、他のクルーも黙って付いていく。一応私は、カイにも傷を治療するかどうか尋ねてみるが、彼は黙って首を振った。
なんか、みんな、バラバラだ。
最後尾でランタンを持ちながら、私は重い気持ちで、重い脚を前へと単調に進めた。
この任務は、新採とクルーとの積極的交流の機会として設けられたものだ。だが、どうだろう。親睦は深まるどころか、私たちの間には、ほんの半日前より確実に、深い溝ができてしまったようだ。そして、その責任の一端は、私にある。
その後は特に魔獣に襲われることもなく、順調に進むことができた。森を抜けると、その先には、ぽつんと佇む教会。
そう、私たちはようやく、セントジェームズ教会にたどり着くことができたのだ。
この中には新採の人間のみが入る決まりになっているらしく、私は石段を上り、そっと、ドアを開けた。
美しいステンドグラスからは、光がきらきらと揺れながら差し込んでいる。
シスターから入団の洗礼を受けた時、私の頬を、一筋の涙がつたった。
そんな私に気が付いたのか、シスターは、ゆっくりと私を抱きしめる。
自分の弱さ、情けない気持ち、そして、これからの不安。
吐き出したい気持ちは、沢山あった。しかし、私は何も言えず、ただただ体を震わせ、嗚咽を漏らした。
こうして、私の入団一日目が過ぎた……と言いたいところだが、その日の最もショックな出来事は、夜に待ち受けていた。
この2週間後には次の任務がある、ということで、私達はしばらく、サイモンホテルに滞在することとなった。
私は街中で夕食を取り、疲れた体を引きずってホテルへと帰り着いた。
部屋で休もうと階段を数段上がったその時、ロビー横のパブから、聞き覚えのある声が耳に飛び込む。ロベルの声だ。一緒に話しているのは女の子……リリアのようだ。
フランツ騎士団のクルーが集まっているのだろうか?
私は寝床に付く前に、みんなに、今日一日の出来事を謝りたいという衝動に駆られた。そうでもしないと、不安で押し潰されそうだったのだ。
そっと階段を下り、パブへと近づく。パブのドアは閉まっていた。そのノブに手を掛けた瞬間、ある会話が、私の耳にはっきりと響いた。
「はぁー。あの子、これから大丈夫かな?しょっぱなから忘れ物なんて、ちょっと困るなー」
「本当にそう!あれだけの任務なのにこんなに手こずることになるなんて。ホントありえないんだけど!あーあ。これなら前の方がよかったわ」
ノブに置いた手は自然と止まり、私は凍りつく。「あの子」が私を指していることは、すぐさまわかった。
「でも、ほら、自分で言うのもなんだけど、俺らの騎士団、入るの難しいよね?なんであんな子が受かったんだろ?」
「さぁ。コネじゃないの?どっかの豪邸のお嬢様とか。実力なはずないわよ。
だって、松脂は忘れるし、ちょっとした魔獣に怖じ気づくし。おまけに回復魔法も満足に使えないのよ!
なんで来る人来る人、ダメな人ばっかりなの?ほんと……ちょっとカイ、あんたはどう思う?あの新人!」
少しの間が空き、もう一人の声が漏れる。
「……確かに、少し問題かもな」
全身の力が一気に抜け、私はその場に崩れ落ちそうになった。
が、音を立ててはなるまいと、必死に踏みとどまる。
どうしよう。私は、今、一番聞いてはならない会話を聞いてしまっているのだ。
「もう一度、レベッカに来てもらえないかしら?彼女、性格はイマイチだったけど、腕は一流でしょ?一番の古株に戻ってきてもらえれば、きっと安定するわ」
「いやいや!彼女はもう、引退した身だよ。あんなに引き留めたのに辞めちゃってー。やっぱりいろいろあって、精神的にもしんどかったんだよ。無理させちゃだめだって。ねっ?」
「じゃあ、他になにかいい案ある?」
「案ねぇ……何とかこのままやってくしかないんじゃないの~。
だってこの名門、フランツ騎士団が、短期間でこれ以上、クルー変わるのまずいっしょ。レベッカがやめてからの2年間で、これが3回目だよ?俺、来月号の『月刊 輝く騎士☆』での取材も決まってんのに。
いくら内部事情には一定の報道規制がかかってるとしても、ここまで変われば何かしら感づかれるでしょ?スキャンダラスなことはゴメンなんだよね~」
ガタッと椅子を引くような音が聞こえる。
「なによ、カイ。もう行くの?」
「……今日は疲れた。先、休む」
「もう休むの?」
「そこの口先だけ男とは違って、俺は今日、よく働いたからな」
「ははっ。手厳しいなぁ~カイ。だからあれは仕方なく……」
カランとベルが鳴り、パブのドアが押され、開く。
私は間一髪、扉の裏側に隠れることができたが、そのドアが閉められようとしたその時、カイとばっちり目が合ってしまった。
「……!」
暗闇が辺りを包んではいたが、パブから漏れる光で、彼の表情は、はっきり読み取ることが出来た。
私の存在が予想外だったのか、目を丸くしている。
おそらく彼も、私の今にも泣きだしそうな顔が、はっきり見えているのだろう。
私はすぐさまうつむき、震える声を絞り出す。
「あの……私……本当にすいません……」
泣いてはいけない。涙をこぼしてはいけない。そう頭ではわかっているのに、みるみる視界がぼやけてくる。
溢れる涙の先に、一瞬立ち止まったカイの足もとが見えた。だが、彼は無言のまま、足早にその場を去った。
取り残された私は、体中の力が一気に抜け、その場にへたり込んだ。
床の木に、涙が滴り、にじむ。早く、ここを、立ち去らなければ。そうでないと、この一番見られたくない姿を、一番見られたくない人達に、また、見せることになってしまう。
私は、よろよろと立ち上がり、手すりに片手を添えて、ホテルの階段を上った。
自室に戻り、ベッドに倒れ込んだ直後、私は心の底から、消えてしまいたいと思った。
このまま、こんな毎日が、ずっと、ずっと続くなんて想像しただけで、気が狂いそうになった。
顔をうずめた枕はとても柔らかく、それだけが、今の私を受け止めて、包み込んでくれる気がした。
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