22 境界線を跳び越えて

「王子院、救出の人たちが来るまで絶対に捕まらないで!」

「み、美影たん!?」


 意を決して敵前に立ちはだかると、車内でもりく乃にいやらしい目を向けていた魔女っ子好きの男が、先頭だった男よりも前に出てきた。


「あ~俺この子担当で」

「……うわどうしよ、王子院よりも万倍やだ」


 ボソリと呟かれたりく乃の台詞を王子院だけが聞き取って、彼は喜んでいいのか嘆いていいのかよくわからないような顔をした。しかしそんな自己の内面にかかずらあっている暇は無いと、彼は勇気を奮い立たせる。

 彼は何気なく太陽の位置を確認し現在位置と方角を確かめると、次に自身の背後、つまりは屋上の終わりを見やった。そうして前へ足を踏み出す。


「美影たん、君はどうしたら俺の告白を受け入れてくれるんだ。ここは平安時代をお手本に通い婚で既成事実を作るしかないのか……!?」

「貴様の不埒な思考を今すぐ黙らせてやろうか? そんなのは天地が引っ繰り返りでもしない限りない」


 犯人たちから目は離さずにいたが、ベキバキと指を鳴らし鬼軍曹もかくやな面相に豹変したりく乃へと、犯人たちは何かとても恐ろしいものを見て委縮したような様子を見せた。無論、彼女の背後に居たため顔は見えなかったもののその暗黒オーラ噴出を肌で感じた王子院も。

 しかし彼は、これはいつもの通り、めげなかった。どころか、満面で得意気になる。


「ハハハッじゃあ一度でも引っ繰り返れば俺の勝ちだな?」

「はあ? また今度は何言ってるの? まさかその端からダイブする気? この高さだし落ちたら確実に死ぬわよ。死んだら恋だの愛だのどころじゃないと思うんだけど」

「念のために言っておくと、俺はたとえ死んでも君への恋も愛も下心も欲望も何もかも、何一つ減らない」

「……意味わかんない」

「まあ君に唇一つ触れてないうちに死ぬ気は全く無いがな! フハハハハ!」

「貴様こんな時に最っ低だな!」

「まあそう言わないでくれ。……これでも結構切実なんだ」


 ふざけるでもなく、ちょっとだけ苦くそして珍しくも気弱な雰囲気を醸した王子院に、りく乃は言葉に詰まってしまった。

 救出部隊が迫っている中いつまでも少年少女の茶番を見ているわけにもいかないと我に返った誘拐犯たちがにじり寄る中、王子院は戸惑うりく乃の手を取って屋上の端へと駆け出した。


「えっちょっと待ってそっちって何もないけど本気なの!? とうとう血迷ったの!?」

「おいっお前ら冗談はよせ! 俺たちゃ身代金さえ頂けりゃいいんだよ! ここで死なれちゃそれもパアだ。こっちだって人質にするだけで殺す気は無いから大人しく戻れ!」


 犯人の一人が叫んだが、王子院は足を止めない。


「うそうそうそー!? 今さっきその口でまだ死ねないって言ったくせにもう翻すの? そんなの許さないんだからっ」

「はは」

「はは、じゃないいいーッ」

「わかったから美影たん」


 彼は彼女を振り返って朗らかに笑った。


「俺を信じて命を預けてくれないか?」


 へ、とりく乃は呆然と目を瞠った。


(それって結構究極の選択じゃない?)


「安心しろ、死んでも君だけは護る」


(死んでもなんて、そんなの……そこまで覚悟しなくても――)


 自分の思考にハッとした直後、王子院が繋いだ手に力を込めた。決して放さないとでも言うように。

 それとほとんど同時にとうとう彼は屋上の縁に足を掛け、ぐんと跳ぶようにそのまるで未知なる外側へと大きな一歩を踏み出した。

 りく乃は、気付けば抗うのを忘れたように彼に従っていた。

 王子院を真似て跳ぶように縁に乗っての――跳躍。


「――ッ」


 ふわりと心許なく体が浮いた機に、りく乃を引き寄せた王子院が両腕で彼女をきつく抱き締める。

 頭を護るようにして彼から彼の胸に顔を押し付けられて、視界さえままならないりく乃は、こんなのってない、と思った。


「~~~~~~~~~~~~ッッ!」


 舌を噛まないよう奥歯を噛みしめるりく乃の悲鳴にならない声の尾を引き、塊一つになった二人は地球の法則通りに落下していった。





(重力怖~~~~ッ、王子院の考えなしーーーーッ!)


 りく乃は生まれて初めての飛び下りの感覚に恐怖が勝ってともすれば意識が遠のきそうになった。とは言えそんな危うい中でもしっかり王子院を罵倒するのは忘れない。

 しかし、でも……と別の想いも交錯した。


(このまま死んじゃうなら、お別れなら、王子院のこと一回くらいきちんと考えてあげれば良かった、かも……)


 王子院には助かるための奇跡の手法があるのかもしれないが、何も知らないりく乃はやはり万が一の最悪を考えずにはいられない。

 窮地の際の体感時間はりく乃が自分で思うよりもずっと長かったが、実際は数秒するかしないかのうちにボスンッと何か大きくて深いクッションに沈み込むみたいな感覚が彼女を襲った。

 感じた事のない柔らかな埋没が奇妙で思わずぎゅっと王子院の服を握り締めた。


「いてててて美影たんそこ俺の腹の肉うぅっ!」

「えっ!」


 悲鳴に慌てて目を開け顔を上げれば、視界に入ってきた景色から自分たちはどうやら地上付近に居るのだと悟った。


(これ……)


 よくよく観察すれば、建物の真下には何と大きな大きな衝撃吸収用のマットが置かれていて、自分たちはそこに落下したらしい。人間二人程度なら難なく受け止めるだろう分厚くて大きなマットの真ん中に。


「王子院、どうして知ってたの? あ、下覗いた……ううん、その暇はなかったはずだけど」

「送ったモールス信号には俺の場所を報せる他に、スタントや何かで使う大型のマットを設置するようにも伝えてあったんだ。建物のどっち側にって設置方向も指定した。さっき拡声器からの声できっちりそれを履行してくれたってわかったからな」


 だから飛び下りたらしい。

 りく乃は助かったとの安堵よりも唖然となった。たとえそうでも彼は随分と肝が据わっているし、王子院家の人員の有能さには舌を巻く。


「ところで美影たん、天地が一度引っ繰り返っただろ」


 りく乃は一瞬キョトンとし、


「――あ」


 天地が引っ繰り返らない限りは無しだと宣言した自分を後悔した。王子院はだから余裕そうだったのだ。

 もう一つ、思い出す。


 ――死んでもなんて、そんなの……そこまで覚悟しなくても私は。

 ――このまま死んじゃうなら、お別れなら、王子院のこと一回くらいきちんと考えてあげれば良かった、かも。


 あれは自分でも咄嗟に出てきた気持ちだった。しかし気付いていなかった本音だ。

 彼に聞こえたわけもないのに何となく気まずく思って中々言葉を返せないりく乃だったが、観念したように息を吐く。


「……ホントに全然そんな予定は無かったのに」

「うん?」


 王子院家のボディガードたちが周りに集まる中、依然としての巨大マットの上、話し出したりく乃の傍らで王子院は行儀よく耳を傾けてくれる。


「いつも変な事ばっかしてくるし、いつも変態だし、私はどうしたってしのりんが好きなのにあんたは図々しくも諦めないし、時にはしのりんを悪く言うし、ムカつく奴~ッってずっとそう思ってて、今も思ってるのに」

「ああ、そうなのか」

「そうよ。今だってあんたのせいでこんな死ぬかって目に遭わされて犯人共々フルボッコにしてやりたいくらいなのよ」

「そ、それは遠慮する」

「こんな時だけ積極的に遠慮しなくていいわよ」


 りく乃がじろりと睨めば、王子院はトボケたように明後日を向いた。りく乃は鼻を鳴らす。


「だけど、あんたが死んだりしたら嫌。……本当にねっ……」

「みみみ美影たん……!?」


 王子院は驚いて硬直した。

 自分の前に座り込むりく乃がはらはらと涙を零していたからだ。


「怖かったんだから……! ホントのホントにさっきは落ちて死ぬかって怖かったんだから! 説明もないし、なし崩しに信じたけどホントはもう冷静さが追い付かなくて大変だったのよ馬鹿! 大馬鹿!」

「み、美影たん……その、お、俺は……」

「ああそれも腹立つ。いつもいっつも美影って言うな! 私は相原りく乃だし!」


 りく乃を泣かせたと王子院はショックを受けていた。


「俺は君をこんな風に泣かせたいわけじゃない。どうせ泣いてくれるなら俺たちの結婚式で嬉し涙をっ…」

「じゃかしいわっ」

「ぶほおっ」


 りく乃のクリティカルな掌底突きが決まった。

 王子院は内心で涙する。まさにコメディのような今の無様な格好も含めてこんな失態とも言える事態にしてしまった。

 しかし自分を不謹慎だとも思う。

 広場や屋上での勇ましかった姿も惹かれたが、今の護りたくなる頼りない華奢な姿にも心が持って行かれる。涙目が可愛いなんてクズにも思う。

 幾度となく感じてきた相原りく乃が最愛の女の子だという感情で胸が一杯になった。


「色々悪かった。ごめん、――りく乃!」


 だから彼はもう衝動のままに両腕で抱き締めた。


「泣かないでくれ」


 直前の掌底突き同様に、いつもそうなるみたいに彼女の怒りながらの抵抗も拒絶も甘んじようと覚悟した。


 …………しかし、なかった。


 りく乃は王子院へのよくわからない気持ちがごちゃ混ぜなカオスな気分で服越しの体温を受け入れている。唐突の抱擁に思考が追い付かないのかもしれなかった。

 彼女はしばししてハタと我に返って両手でお約束通りに突き飛ばしたが、大事な大事な王子院家の御曹司が乱暴にマットの上を転がっても、彼のために駆け付けた護衛たちは顔色一つ変えずその場に佇んでいた。

 青春真っ只中の二人の私事なので口出し手出しは無用と思っているのだ。しかも王子院に共感してか、彼らの表情は一様に嬉し気だ。

 まあつまり、色々と理解し弁えている護衛たちなのだった。

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