21 またもやのピンチ
患部は鼻なのに何故か尺取り虫のような体勢でコンクリの屋上に横たわる王子院は、気を取り直して立ち上がると手鏡を空に向けて太陽の反射角度を確かめ、鏡面を手で隠したり出したりとしばらく遊んでいるかのようにした。
「ええと、何やってるの?」
「ちゃんと説明するから少し待っててくれ」
言いながらも彼は空へ向けて手遊びまがいの行動を繰り返す。
(時々、ううんいつも彼の行動って予想が付かないし理解不能なのよねー)
一通り目的の作業を終えたらしい王子院から手鏡を返されたりく乃は、その鏡を何となく表裏を引っ繰り返したりして見つめた。
「今は一体何をしてたの?」
「我が王子院家の技術力と権力と財力の粋を集めて拵えた監視網に報せを送っておいた。きっとすぐに助けが来る」
そう確信の声音で言った王子院は、また何を思ったか両手を腰に当てるとしばし真上を向いてにっかと歯を見せて笑みを作った。まるで空にアピールしているかのようだが、りく乃にはその行動の意味がさっぱりわからない。
(……誘拐のストレスでおかしくなったんじゃないといいけど)
失礼にもそう案じ、よもや発狂してここから飛び下りはしないだろうなと緊張の面持ちで慎重にクラスメイトの様子を見守った。
「ねえ、ずっと屋上に居て平気かな。そろそろ下りた方がいいんじゃない? 犯人たちがもし様子見に来たら逃げたってバレるだろうし、その前に何か武器とか隠れ場所とか、とりあえずこの倉庫からは出られそうな逃走経路を探すとかした方がいいんじゃない? 家とか警察に連絡する手段を探すんだっていいし。無為にここで過ごすよりもいいと思うんだけど」
「もしこれが最善と言ったら、君は信じるか?」
「え……えと~……」
この異常事態下では何とも答えにくい質問に、りく乃は目を泳がせる。
信じ切れないという本音を直接言うのは何となく
「そうかそうか、まあそうだよな。信じろと言う方が酷だな。その気持ちは俺も理解できる」
うんうんと首肯して王子院は一人共感を示したが、良案を閃いたのかパッと顔を上げた。
「そうだ美影たん、今日無事に帰れたら俺と付き合ってくれ」
「脈絡! 大体それここで言うべき台詞? 思い付いたように言われても腹立たしいだけなんだけど」
「言って損は無いだろう」
「損得の問題じゃない」
王子院を怒るべきか呆れるべきかでりく乃は判断をつけかねた。
「推しキャラ似だからってどうしてここまでしつこくしてくるわけ? 私はそのキャラじゃないってのはコアなファンなあんたの方が良くわかってるでしょ。それとも結局は橘美影の見かけだけが好きなの?」
りく乃の鋭い問いに王子院は静かに瞬いた。しつこいと言われて傷付いたのかもしれない。
「見かけだけでも物凄く大好きなのは否定しない!」
「へえ、そう……何よやっぱり結局はその程度……」
イラッと来る力説にりく乃は思わず拳を握った。
一体彼に何を期待していたのだろう、と彼女は投げ槍な気分で王子院を睨んだ。
一方、睨まれたにもかかわらず王子院は泰然としている。
「違うのは百も承知だよ」
彼はいつになくからりと微笑んだ。
いつもの鼻血塗れの気持ちの悪い笑みとは質が違っていた。
「取っ掛かりはアニメの美影たんだったが、俺の初恋は君にどんどん塗り替えられていったんだ。リアル美影たんが相原りく乃だったから俺はたったの今でも君に執着しているんだよ」
自分で執着なんて言葉を口にして開き直れる王子院はやっぱメンタル強いな、とりく乃は思った。一大告白も同然の台詞たちに彼女は表情を変えない。
「ふう、どうせ美影たんは動じないと思ったよ……」
王子院は予測済みだったのか苦笑いを浮かべた。
それからしばらく、王子院の意見を容れてりく乃は彼と共に屋上から動かずにいた。
彼の主張するように留まるのが最善だと思ったわけではない。
今日この場では彼を信じてみるのが最善と思っただけだ。何しろ彼は余程りく乃よりも普段から不測の事態への心得や対応策を身に付けている。
立っているのも疲れるので二人はコンクリの床に腰を下ろしていた。そうすれば見上げる天がより高く広かった。
命の保証のない状況なのに屋上はどこかのんびりとしていて、りく乃は屋上扉一枚で本当に世界から隔てられたような気さえした。
空色は段々と夕方に近付いていて、果たしていつまでこうしていればいいのかと気がかりを感じていると、何やら地上の方が騒がしくなった。
「どうかしたのかな」
小さく不安を滲ませるりく乃の前に掌が差し出された。先に起き上がっていた王子院だ。
払い除けたりはせずに素直に親切を受け取ってその手に手を重ねる。
「きっとうちの者が救出に来てくれたんだろう」
「えっホントに!? だけどどうやってここを知ったわけ? まさかさっきの鏡遊びで?」
「察しが良いな。実はこれは公には内緒なんだが、我が王子院家は地球を周回する衛星を所有していて、そのうちの一つは常に日本上空にある。全国のどこからでも光の信号を感知できるんだ。それがたとえ鏡の反射光を使ったモールス信号だろうとな。王子院暁はここだ、と送っておいたんだ」
「…………」
王子院家って何だろう、とりく乃は哲学的に惑ったような遠い目をした。
「物凄く普通じゃないのだけはわかる……っていうか、あんたモールス信号なんて知ってたんだ」
「あらゆる状況下で対処できるよう、一通り有効そうな知識は習得させられたんだよ」
「なるほど、英才教育って凄いわね。そっかだから王子院は色々詰め込み過ぎてちょっと一般常識の方の脳みそ足りなくなっちゃったんだ」
「君のそういうしれっとしたディスりも嫌いじゃないぞ、嫌いじゃないぞ~」
先程の奇行の意図を知り純粋に感心するりく乃へと、王子院は堂々と胸を張った。
「王子院家の技術はもっとすごいぞ。モールス信号の他に念のため保険として俺の顔も宇宙から認識させておいた。これも公には秘密だが、今や王子院家のAI衛星は地上の人間の顔認識までできるレベルにあるからな。実家の方でも俺の位置はここで確定したってわけだ」
そして超特急で最寄りの救出部隊をここへ向かわせたという次第だろう。
「暁様~、救出に参りました~。ご用命のものは万全に整えてございます~。すぐにも突入部隊がそちらへ向かいますのでお待ち下さい~!」
地上から拡張マイクで大きくされた音声も流れてきた。
「ぶっちゃけね、もうあんたん家の何に驚けばいいのかわからない……まあでも、私たち助かったんだ」
王子院は、彼も実際人員が来てやっと心底ホッとできたのだろう、表情からはすっかり力が抜けている。
「そうだな、後は無難にここで待っていればいいはずだ」
理解を示してりく乃が頷いた直後、大きな音を立てて屋上扉が開け放たれた。
「早いね、もう助けが……」
扉の方に視線を向け喜色を浮かべたりく乃だったが、その笑みは半端な形で凍りついた。
同様に、王子院も。
何故なら、そこに居たのは見覚えのある男たち。
自分たちを誘拐した覆面犯たちだったのだ。
しかし車内にいた全員ではなく、記憶している服装から最初に広場で接触してきた三人だとわかる。残りは既に無力化されているのかもしれない。
三人組は全力で逃げてきた人のように肩で大きく息を切らしている。
彼らの方も驚いたのか一瞬固まっていた。
「うおーっツイてるな! あははは運はまだ尽きちゃないみたいだ。どこに逃げたのかと思ったらここにいたのかよ」
「ああ、もう勝算は無いかと思ったがここに来て風向きが変わったなあ」
予想通り、彼らは救出部隊に追われてここに追い詰められたらしい。直前まではお縄になるのも時間の問題と苦々しく思っていただろう。
しかし、屋上には好都合にも人質になり得る少年少女がいた。
二人の命を盾に逃走手段を要求するのも可能だと即座に目算を立てたのか、彼らはそれぞれ口元に歪な笑みを浮かべた。形勢逆転に次ぐ逆転で活路が見出せたと思ったのだろう。
逸る気持ちを抑えられないのも無理は無く、先頭の男が折り畳み式のナイフを取り出した。手首のスナップを利かせてパチンとわざとらしく音を目立たせ、得物の存在を主張する。
大人しくしていろなんていう言葉よりも手っ取り早い手段だからだ。
実際、りく乃は身を強張らせた。
「なあ、間違っても殺すなよ?」
「ははっわかってるって。死んだら人質の意味がねえだろ」
仲間から揶揄されるように言われ、男は声に愉悦を宿しつつ勿体ぶったように歩き出す。
一番の標的は王子院だ。身代金も逃走経路も彼の家の出方次第でどうとでもなる。
実際男の視線は体力的に御しやすい女子のりく乃ではなく王子院に向けられている。
りく乃はチラと王子院を見やった。ばちっと目が合う。彼も自分を気にしてくれているのだ。りく乃は心強く思って一つ決意をした。
(救出の人たちが来るまでどうにか時間を稼いでやるんだから)
故に、彼女は進んで王子院の前に出た。
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