18 トラブルは突然に1

 今日は待ちに待ったしのりんのライブ当日。

 実質は彼女の所属するアイドルグループCHU×3ラブッチュのライブの日だ。

 この晴れの日、りく乃は待ち切れず早々と家を出てライブ会場前の広場に来ていた。

 開場は十三時。現在は朝の九時。

 当然まだ中には入れない、というか来るのが早過ぎる。席は全て指定なので場所取りで並ぶ必要は無いのだが、しのりんに懸けるりく乃の想いはやはり尋常ではないようだ。

 しかし、会場前にはりく乃のような熱心なファンの姿が割かしあった。


 そして、何故か王子院の姿も。


「えっ王子院? どうしてあんたまでこんなに早く来てるの? ハッまさかあんたもしのりんの魅力に気付いて一気に深みにはまったの!? そうなんでしょ!」

「……くっ、何て嬉しそうな顔を」


 そんなわけあるか、と否定しようとしたもののりく乃がいつになく嬉しそうに駆け寄って来てくれたので、王子院は負けた様な悔しさにほぞを噛んだ。


「あーその顔……何だ違うんだ。まあ私もそう簡単に好きなものは変えられないもんね」


 りく乃は彼が依然アニオタ王子院なのだと気付いて早合点した自分を小突いた。

 その時ちょうど会場前の広場に歩いてきた変な三人の視線が二人を捉え、おそらくはりく乃を見てだろう、うち一人が見えている口元部分をやたらとにやにやさせた。

 変なというのは、何故か彼らは皆覆面を着用していたのだ。両目と口元だけが出るタイプの物を。

 おそらく三人共が男だ。

 今は初夏で厚手の服装ではなかったので体格からそう判断できた次第だ。


「自分にコツンとか、可愛い過ぎるだろそれは……! 周りの奴らに見せるものかー!」

「は? 何? ちょっと!?」


 急に発奮したような王子院がりく乃に覆い被さるようにして彼女を両腕に抱き込んだ。

 女性アイドルグループのライブなので会場周辺には相対的に男性ファンの方が多く集まっていて、王子院は気が気ではなかったのだ。彼はこの場に到着して初めてその危険に思い至った。

 しかも直近でもりく乃に注目した覆面男が居たのを彼は気付いていたので尚更だ。


「いやーッ放してよ変態いきなり何!」

「男は狼というだろう。だから君はもっと注意深く行動すべきで――うぐぅっ」


 王子院の言葉が途中で途切れ、彼は地に膝を突く。

 りく乃からみぞおちに肘鉄を見舞われたせいだった。


「おい貴様どの口がそれを言うわけだ? え? 突然痴漢丸出しで抱き付いてきた貴様こそケダモノだろうが」

「ち、違うんだ話を聞いて、くれ……っ」


 腹を押さえたまま立ち上がれずにりく乃を見上げる王子院は、彼女の後方の何かを見てハッと瞠目する。その目には警戒の色が過ぎった。

 りく乃は彼の様子にいぶかりを抱いて自分も背後へと視線を動かした。


 見れば三人の不審な覆面男たちが自分たちの方に歩いてくるではないか。


 わざわざこのライブ会場前の広場にいるのだからライブに来た客なのだと普通は思う。しかし、りく乃には彼らがアイドルのファンにはどうしても見えなかった。何しろ銀行強盗上等と言った感じの覆面だ。場違いも甚だしい。

 本気で訝しく思い始めていると、三人組のうちの一人がスマホを片手に画面と自分たちの方を交互に見て、


「ほらやっぱあれだって」


 同行の男たちへと何らかの確証を与える言葉を放った。

 りく乃の中で言い知れない警鐘が鳴り始める。

 既に声が届く距離に三人組が迫っていたせいもある。


「美影たん、俺から離れてくれ。どうせならそこの角のコンビニでおにぎりでも買っておくといい。昼時になれば他のファンも沢山来るだろうし、良いのが売り切れる前に」

「王子院……?」


 痛みを忘れ焦ったようにして立ち上がった彼は、りく乃を背後に追いやって近付く男たちと正面から向き合うようにした。


「……白昼堂々とよくやるな」

「え、なに?」


 彼は正確に嗅ぎ分けていた。相手が良くない質の人種だと。きっとスマホ画面には王子院暁の顔が映し出されているはずだと。


 彼らは自分を害しに来た連中だろうと王子院は察していた。


 これまでもその手の身の危険と接した経験のある彼は、護身術なり柔術なりの対処手段を身に付けている。荒っぽくも相手を一時的に無力化して王子院家の護衛部隊に連絡を付ける事も可能だった。

 自分一人だったならば。

 だが、この場にはりく乃がいる。絶対に下手は打てない。打ちたくない。


「頼むから早く走って美影たん」


 硬い声で急かされ、やや角度は深くも彼の肩越しに見えた横顔の厳しさからりく乃は現在何か普通ではない事態が進行中なのだと悟る。

 もう一度王子院へと疑問をぶつけようとした矢先、


「王子院暁君だよねえ? ちょっと俺らと一緒に来てくれないかなー?」


 見るからに怪しいとしか言えない男たちが自分たちのすぐ傍に陣取り、王子院へと不穏な文言をぶつけた。覆面ですぐには身元が割れない余裕か、周囲に人目がある場で実に堂々としている。


「王子院……」

「無駄口はいいから君はさっさとここから離れてくれ、邪魔だ」


 声を落としての命令も同然な台詞に、りく乃は一瞬呆気とした。

 彼から直接「無駄口」だの「邪魔」という言葉を浴びせられたのは初めてだった。

 言葉もなく彼女は眉を吊り上げて頬を膨らませて、勢いよく回れ右をする。


「え~行っちゃうよあの子お。ねえあれ王子院君の彼女? 可愛い子だよねえ。俺の知ってるアニメのキャラに凄く似てるし」


 りく乃にも男の声は聞こえたが、違うと否定するよりも瞬間沸騰的な怒りのために無視するという選択肢が上回った。

 王子院のフルネームと顔を知っている辺りターゲットは紛れもなく彼で、何らかの目的を持って彼に近付いてきたのは明白だ。


(歓迎できない類の相手だろうけど、まさかこんな人目のある場所でリンチとか誘拐なんてないよね。護身術的なものをやってるって聞いた事があったし、私がいたらかえって足手纏いだろうし、金持ちで専属の護衛だってきっと近くにいるんだろうし、万一の時には物陰から颯爽と飛び出して彼を護るよね。だから私が案じるだけ無駄よ無駄)


 怒りつつも心配になるりく乃はそう言い聞かせる。

 それが平和に生きてきた一般人的な甘さや油断だとも思わずに。


(さっきのムカつく言葉だって、あれはわざと突き放して私を厄介事から遠ざけようとしてくれたんだよね)


 普段から王子院の変態的思考は理解不能だが、今の彼の思考は的確に理解していた。


(私を巻き込まないようにってさ……)


 チラと去ってきた場所を振り返れば、男たちは今にも王子院を取り囲みそうだった。


(王子院……)


 りく乃はぐっと堪えるように唇を噛んだ。


「王子院君、彼女を護れて安心だって思ってるよな? あの子さえ無事なら自分のペースで行けるって思ってるだろ?」


 覆面の顔をあえて小馬鹿にするように近付けてくる男を王子院は無言で見つめ返した。下手に反抗的な態度を取れば、面白がってりく乃にまで矛先を向けかねないからだ。彼らの一人が彼女をいつまでも名残惜しそうに見つめているのが気に食わないので睨み付けたいのはやまやまだったが、そんな理由から彼は平静を装っていた。


(やむなく美影たんに乱暴な言葉を浴びせてしまったのも、本当ならすぐにでも取り縋って土下座で謝罪したい所だというのに……ッ)


 彼らから目を離すのは隙を生んで危険なので、今現在りく乃がどれくらい離れたのかはわからない。

 有利に動くべきタイミングをじりじりとして計っていると、男たちが互いに意外そうに顔を見合わせた。


「――ほらさっさと人がもっと沢山いるとこに行くわよ!」


 後ろに来た誰かから強く腕を引かれた。

 怒り顔のりく乃だった。


「みみみ美影たんどうして戻ってきたんだ!?」


 王子院は大いに驚き慌てた。


「どうしてって、心配だからに決まってるでしょ」


 身の危険を感じているだろうに、彼女は彼女の勇気を実行したのだろう。

 危険から遠ざけたいが、心のどこかでは自分を放り出してほしくないと浅ましくも思っていた王子院は、利己的な願いが叶い喜んでしまったそんな自分に自己嫌悪する。

 しかし、彼女は彼の自嘲の暗雲を吹き飛ばす剛毅さで燦然と彼の前に再び立っている、立ってくれている。


「俺のために戻って来るなんて……これだから君ってやつは、カッコ良すぎて惚れ直す」

「はあ?」


 王子院にとって相原りく乃は彼が焦がれる正義の魔法少女そのもの、いやそれ以上だった。

 アニメのキャラとは性格が全然違うのは出会った当初からわかっていた。

 正直に言えば、差異を残念に思った時期もあった。

 しかしそれは入学後のほんの最初の頃だけだった。


「ひゅ~う妬けるねえー」

「何だよ何だよ、彼女勇敢じゃんなあ」

「羨ましいぜ。ほんじゃ仲良くご一緒にどうぞ~ってな」


 冷やかすような男の声にりく乃は不愉快な顔を向けるが、王子院はどうして彼らが終始余裕そうなのかここに来てようやく疑問に思った。

 人様に言えないような裏社会に属し表沙汰にならないような恐喝恫喝拉致監禁など、その手の行為こなれていて人の目など意に介さない図太い神経の持ち主たちだとしても、解せない。

 単に覆面で素性が見えない余裕だろうか。

 否、と彼は内心で首を振った。まるで向こうの思惑通りに運んでいるようではないかと思った。


「まさか」


 唐突に思い至る。


「美影たん走れ!」


 彼はりく乃から手を掴まれていたのを逆に掴み直すと引っ張って駆け出した。


「あはははちょっと遅かったな」


 刹那、広場に急発進して空回ったようなタイヤの摩擦音を立てて一台の大型のバンが突っ込んできた。

 無論二人を目掛けて。

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