5 王子院家のとある晩餐

 王子院家の夕食は可能な限り全員揃ってと決まっている。

 本日も全員揃った晩餐室というか庶民言葉で言えば広いダイニングでは、どこからか音楽が流れて来ていた。もちろん曲種は優雅なクラシックだ。

 花飾りや凝った燭台の載る白いテーブルクロスを掛けられた長テーブルに六人――王子院暁とその妹、そして両親と父方の祖父母が同席し、静かに銀器を持つ手を動かしている。

 談笑も無駄口の一つもないが、食卓は殺伐としているわけではなく各自マイペースに食べ進めているだけだ。

 両親などは最早言葉なんて必要ない目と目で通じあう何とやらで互いに「あーん」をしてやっている。王子院暁をはじめとした他の家族はその激甘ソース添えな光景に微笑ましい視線を向けていた。

 さすがは彼を造り上げし家庭と言えよう。

 しかしその夜に限っては少し趣が違っていた。


「――そういえば暁、今日は特に機嫌がいいが何か良い事でもあったのかい? たとえば好きな子と最後まで行ったとか」

「ブーーーーーーッッ!」


 最愛の妻から食べさせてもらっていた父親が、突然思い出したような口調で息子暁に劣らない怜悧れいりな目を向けた。

 母親として自分もそれを訊きたかったらしい妻が手元を狂わせて彼の口の端にステーキの塊を押し付けたが、彼は何でもない顔でそれをパクリと食すと「美味しいね」とにこやかに唇の両端を持ち上げる。思い切りステーキソースが顔に付いたままだが、それは「ごめんなさいね」と少女のように可愛らしく小首を傾げた妻から拭ってもらった。

 普段人前では、新人のイタコが見れば「全盛期の英国貴族が憑依しています!」と言わんばかりの紳士の父親だが、家族の前ではややだらしない。

 一方、りく乃を前にした自分そっくりな父親からの不意打ちに、王子院暁は学校では絶対にやらないような滅多にない失態を犯した。

 つまりは口に含んでいたスープを盛大に噴いたのだ。

 幸い、大きなダイニングテーブルなので家族の誰かに掛かったりはしなかった。


「ああもうお父様ってば、それはたった今夕霧ゆうぎりが訊こうと思っていたのに」

「おやおやそうだったのかい? それは悪かったね夕霧。で、どうなんだい暁?」

「そうですわお兄様。いつもは凛々しく端正な顔がこの頃とみにとても楽しい事になっておいでですものね。まあそのお顔も夕霧としては敬愛するお兄様の顔の一つとして辛うじて受容できる範疇ですけれど」

「ぐっ、んごほごほっげほっ、けほっ、ふう……。ダディ、夕霧、それは家族の晩餐の席で追究されるべき話題じゃないだろう。全くデリカシーのない。お母さんもお祖母ばあちゃまもそう思うだろう?」


 りく乃が聞いたら「貴様がデリカシー言うな!」とどやされそうな台詞を口に、食事用ナプキンで口元を拭う王子院が、二人からも注意してやってくれと視線を送る。


「……ん? 何ですかその目は? 仲間からお菓子を分けてもらう時のアニメの美影たんみたいな目つきは?」


 彼同様食事の手を止めた母親と祖母は何かを期待するような目をしていた。

 因みに祖父はこの会話の直前で電話が入って一時的に席を外している。実務を退いたとは言えアドバイスやら何やらを求める者たちからのコンタクトは絶えないのだ。王子院家の食卓の常としてきっと三分と掛からずに解決して戻ってくるだろうが。

 当たり障りのない日常会話をすっ飛ばしていきなり核心を突いてきた父親と妹に内心でたじろぎながら、その後は顔色一つ変えないまま王子院はふうと溜息をついた。


「誤解のなきよう言っておきますが、俺は美影たん一筋です」


 母親と祖母が揃って残念そうな顔をした。

 彼のド深い性癖を知っているだけに誰でも良いからリアル世界での恋人になってくれと思っているのかもしれない。


「でもお兄様、高校入学以来、リアルで好きなレディがお出来にはなったのでしょう? 内緒にしているようですが夕霧にはお見通しです」


 高校入学からはもう一年以上が過ぎて学年一つ上がっているというのに、今までどうしてか気付かなかった母親たちが青天の霹靂のように驚き、闇の世界に一筋の希望の光を見出したように目を煌めかせた。


「暁、お母さんにその話聞かせなさい」

「そうですよ暁、この老骨に夢を見させて頂戴な」


 自分の恋愛事情を家族に晒されるわけにはいかない、と鉄壁の護りで表情を固める王子院だったが、


「ああそうか。あのアニメキャラのお嬢さんに似た子でもいたかな? それでいま猛アタックをかけている、と。だがしかしまだ恋人ではないからお前の矜持が邪魔をして家族には話せない、と」


 父親の洞察力と推理力、勘の鋭さの前ではそんな防壁も薄いドミノ板のようにパタリと倒れた。見事過ぎて屈辱感すら湧かない。今日までバレなかったのが不思議でならない。


「…………そう、です」

「まあお兄様ったらそんな事を気にしてらしたのね。案外お可愛らしい所もあるのですね。けれどお兄様でも落とせないだなんてお相手の方はどのような方なのでしょう?」


 家族から視線の集中砲火を受けて、とうとう彼は観念した。

 ちょうどよく祖父も戻って来た事だし……と、この際ここを恋のお悩み相談室にしてしまおうと前向きに考えた。

 ただでは転ばない。それが王子院暁が時折見せるしたたかさだ。





「――そういうわけで、確実に距離は縮まっているとは思うんですが」


 王子院がまさに今日起きた今までで最高に強烈だった「おしっこ」発言の一件を白状すると、家族たちは一斉に声を揃えた。


「「「「「――それはもう両想いだ(です)!」」」」」


 と。


「は? いやまさか。まだ俺の分が悪いかと……」

「何を言っている暁よ。女子おなごが好きでもない男の前でおしっこなどと甘えるものか!」


 歳を重ねてもなお男前な祖父の喝破に、王子院は気圧されながらもそう言うものかと思い始める。りく乃の前では微塵も見せないが、意外とこの態度でいいのかと葛藤があったりするお年頃なのだ。


「そうだよ暁、お前に大人しく横抱きにされていたんだろう? 口では何と言っていてもきっとそのお嬢さんも満更ではなかったはずだ。照れていただけだよきっと」


 美人母を射止めたにこやかな紳士父の助言が王子院の仄かな自信に追肥ついひを与える。


「夕霧の学校でもお兄様を嫌がる女子などおりませんわ。その方――未来のお義姉様はちょっとあまのじゃくなのでしょう。愛情の裏返しですわ」

「遠慮していたら駄目よ暁。押す時は押す。お母さんだって強引な殿方って好きですもの。……お父さんみたいな。きゃっ言っちゃったわ」

「暁、運命という言葉を信じなさい。昔あなたが生まれた時に道端で声を掛けてきた占い師に占ってもらったら、それはもう強烈な運命の相手の輝きがあなたの星の隣に並んでいたそうですよ。料金が十万もしましたし、次の日にはもうその占い師の姿は影も形もありませんでしたけれどねえ」


 一つ年下の高校一年女子の妹の意見が、母親の好みが、祖母のよくわからない占いが、王子院の心に一石を投じ波紋を大きく広げていく。


 そして王子院暁は、天意を悟った。


「そうか……」


 視界から一枚ベールを取っ払ったように世界が明るく開けた。


「そうだったのか……っ、…………――俺は両想いだったのかあああああ!!!!」


 そうだそうだ、と家族皆が大きく首肯した。

 庭先の王子院家の愛犬が同意するように「アオオオオオーーーーン」と一鳴きした。


 かくして翌日から、王子院暁は両想いを胸に突っ走る事となるのだった。

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