4 二人の日常2

「俺は美影たんが好きだ」

「へー。私はしのりんが好き」

「……明日からミニスカートをはいてくる」

「そういうことじゃねえよッ!」


 この乱暴な会話の最中もりく乃は王子院に姫抱っこされている。

 そんな体勢で言い合っていても、傍からは単なる痴話げんかにしか見えないだろう。

 図書館を出て、正門前に彼が待機させていた黒塗りのリムジンが目に入ったところで、りく乃は苦々しい気分になった。

 こいつは本気だと悟った。

 今日はマジで王子院家の豪華な屋敷に連れて行かれると確信した。

 この流れだと両親はおろか広い庭に放し飼いの愛犬にまで紹介されるに違いなく、きっと既に愛犬にはりく乃の匂いを覚えさせているのだろうと十中八九でそう思う。きっと王子院の号令一つでいつでも追跡可能なようスタンバらせているのだろう。そんな姿が容易に想像できた。

 広い庭先を若い女性が何かから逃げているホラー映画が脳裏に過ぎる。もう身の危険しか感じないりく乃だ。


「ちょっと止まってよ王子院」

「泊まってだと!? ま、まだ早いだろ俺たち」


 無言の筒状雑誌アッパー2が決まった。


「下ろしてって言ってんの」

「それは無理な相談だな」

「くっ……!」


 このままでは拉致同然にリムジンに乗せられる。親への紹介はともかく、屋敷で美影たんとやらの格好をさせられるなんて屈辱以外の何物でもない。

 正直リムジンには一度は乗ってみたかったが、りく乃は今日は夕方からしのりんの配信があるのを超絶楽しみにしていた。

 しのりんのグループは、感心にも人気が出てからも律儀に昔同様の定期配信だけは怠らないのだ。スケジュールの関係でライブだったり収録映像だったりと回によって異なるが、必ず世に出ていない新しい映像だ。

 向こうサイドも使い古しではなく新たなパフォーマンスの配信自体に意義を見出しているに違いない。何ともファンには堪らない営業スタイルだ。


「あーもう図書館で満足いくまで配信を拝んでいようと思ってたのに。イヤホンもスマホも準備はバッチリだったのに。馬鹿王子院!」


 りく乃はさてどうやってこの逞しい腕から抜け出すかと思案した。


「この際旅の恥もしのりんの配信のためには掻き捨てよ……か」

「旅? んななな何だともう新婚旅行の相談か!?」


 王子院は完全無視してりく乃は腹を決めた。


「下ろして」

「無理だな」

「お願い……」


 初めてかます女子の武器「上目遣い」と「お願い」に王子院が目を見開いて固まった。


「そ、それで……も、無理、だ……」


 真っ赤になって相当無理をしているのは彼の方だが、りく乃はそんな事はどうでも良かった。

 世界はしのりんのために。

 りく乃の行動全てもしのりんのために。

 それがたとえどれほど恥辱に塗れていようとも……!


「お願い下ろして? ……――おしっこ、したいの」

「――○×※△~÷!?」


 トイレでもお手洗いでもなく「おしっこ」という言葉のチョイスは効果絶大だった。

 とうとう、王子院は力なく屈した。

 りく乃は嘘のようにあっさり解放されて神速で距離を取るのだった。





 アニメ「魔法少女フルーティーマロン」の主人公橘美影と言うキャラは一番人気だ。

 主人公なのだから当たり前と言えばそうだろう。

 王子院も人気キャラナンバー1を好きという巷のファンの王道を驀進していたが、彼の場合は異常に愛が深かった。

 初恋はこの美影で、以来二次元女子をこよなく愛してやまず生涯独身を貫き通す所存であった。

 しかし、高校入学の日に人生設計は激変し、高校二年に上がって新たなクラスの教室に一歩入った瞬間、家族計画は確定したも同然だった。

 何とミラクルが起きて憧れの相原りく乃と同じクラスになれたのだ。

 クラス割発表の掲示板を見ず、友人から教えられてそのまま教室に足を運んでいた彼はこの僥倖を事前には知らなかった。

 彼は感激の余り鼻から流血しクラスメイトたちを初っ端から驚かせたものだった。

 この夢のような現実は、一年時はりく乃のクラスへの突撃アプローチしかできなかった無自覚迷惑男子王子院に大いなるパワーを与えた。

 そして本日の彼もその例に漏れない行動を取っている。


「美影たん! 明日こそは俺の事を好きにさせてみせるからなーーーーっ!」

「お断り!」


 トイレになど行かず、しのりんの配信を王子院に邪魔されず家でゆっくり拝聴するために足早に帰路に就くりく乃は、学生鞄を手に「いーっ」と威嚇するように白い歯を剥き出した。

 そしてすぐさま回れ右をする。


「そんな顔しても可愛いな……りく乃」

「――はっ!?」


 りく乃は不意打ちの名前呼びに思わず足を止め動揺した。

 いつも美影たん呼びのくせに時々こういう仕打ちをかまして来るのが王子院の厄介な所だった。変態の癖に女子がときめく甘いボイスの持ち主というのは関係ない。いくら声が良くとも顔が良くともりく乃は基本男子になど興味はないし、それ以前にしのりんを心底好きなのだが、王子院のアプローチが奇天烈に過ぎるせいか、彼にだけはこうやって唐突に調子を狂わされたりする。それがちょっと悔しかった。

 けれどりく乃が背を向けていたがために、その希少な顔が見えていなかった王子院だ。


「言っておくが俺はしのりんには負けないからな。あと、気を付けて帰れよ」


 それでも幸せそうに彼は頬を緩めた。

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