6 しのりん似の転校生1
「
「畏まりました」
親子ほども歳の離れた少年に慇懃に応じ、緩やかな減速で路肩にリムジンを止めた運転手に短い感謝を告げ、王子院は車のドアに手を掛けた。
普段なら降りた澤野から開けてもらうまでじっとしているのだが、
「澤野降りなくていい」
そんな当然の権利を放棄し時間を惜しむように掌で制するや、何かに急かされるようにけれど傍目の所作は焦らず颯爽としてドアを開け、舗装された地面に革靴の底を下ろした。
登校途中、幹線道路の横道に彼が見たものは、一人の少女。
一人立ち止まって横を向いている。
自家用高級車で毎朝送迎されている王子院とは違って最寄りの駅から歩いて来たのだろう。時間はまだ早いので登校途中の生徒の姿は彼女の他には遠くに数名見えるくらいだった。
「美影たん、一体どうしたというんだ?」
美影たん。
彼がそう呼ぶのは世界広しと言えど一人しかいない。
相原りく乃。
同じクラスの隣の席の女子生徒だ。
彼が心底心酔するアニメ「魔法少女フルーティーマロン」の主人公と瓜二つの彼女は、それまで二次元平面女子をこよなく愛していた王子院がリアルで唯一恋する女の子だ。
もっと近くに行きたくて自然と早足になる彼の目にはもうりく乃の姿しか映っていない。
そんなりく乃は、王子院が見る限り熱の籠った眼差しで曲がり角の先の何かを見つめている。彼女が立つ場所はちょうどT字路だった。
「ふっ、誰かが気を利かせて俺のポスターでも塀に貼ったのか? 実物が今行くぞ」
やれやれ、と王子院は満更でもない様子で前髪を掻き上げた。普通なら勝手にそんな事をされれば気持ち悪いと感じるだろうがそこは王子院暁、りく乃と自分とを都合よく結び付けるためにはいかなる些事にも動じない。むしろ「協力してくれて感謝する」と謝礼さえ差し出すだろう。
距離が近づくにつれ声が聞こえて来た。高鳴っている胸がより一層鼓動を強くする。
頬を染めているりく乃はどうやら誰かと話しているようだった。
「ふっ、ポスターだけでは飽き足らず俺とののろけ独り言か?」
まだポスターの存在を疑いもせず、しかもりく乃に関して何でもかんでも自分本位に持って行く王子院は、脳内花畑のすぐ先が崖である事に全く気付いていなかった。
「あの、あの、あなた本当に違うんですか?」
「ええと、よく間違われるんですけど、僕は違います。だって僕は…」
「ああああでもでも世界にはそっくりさんが三人はいるってい言いますけど、本当にこんなに本人かってくらいに似ているんですねえええええっ! はあはあ……っ」
相手の言葉を食い気味に遮る大興奮の奇声を上げて怪しげな息遣いをし始めるりく乃。
よくよく見れば口の端には光るものが……。
「何だ美影たんめ。あんな顔をして俺のそっくりさんをベタ褒めか……? 待っていろすぐに実物が行く……!」
緩むしかない頬の筋肉を引き締めようと努めながら、王子院は長い脚でりく乃に普通声量が届く距離にまで近付いた。
「美影たんおはよう。印刷物よりもそっくりさんよりもホットな俺を届けに来……――――!?」
「ああんもうすっっっご感激です! まさかうちの学校の転校生だったなんて。これも運命ですし、お願いしますライン交換して下さい! あと出来れば実家の住所も教えて下さい! えへえへえへへへへっ」
角の向こう、テレビアニメの美影たんを見る時の王子院のようにだらしない顔をしてりく乃が対していたのは、りく乃の推しであり彼女が生涯の伴侶と決めているアイドル「しのりん」にしか見えない少女だった。
「な!? こんな所にしのりん……だと!? 何故だ瞬間移動か!? 今日は確か県外公演だったはずだ!」
もちろん憎きライバルの動向は逐一チェック済みの彼だ。
愕然とする彼の目の前では、視野の端っこくらいには引っ掛かっているだろうに彼に全く微塵も気付く事なく相原りく乃がしのりんらしき少女に詰め寄っている。
「きゃーやったあ。ありがとうございます! これでいつでも連絡できますううう! あとこれからはしのりんって呼んでもいいですかあ?」
「え、ええと」
もじもじと恋する乙女そのものでりく乃はその少女の手を取って両手でぎゅっと握り締めた。
「お願いします。私しのりん大好きなんです」
「んなあああっ!? 美影たんからお触りだと!? 魔法少女仲間のアップルとストロベリーにやっていて、俺はいつも画面の前で指をくわえているしかできなかったというのに……っ」
王子院が叫んでも気付かない神経の太さは、魔法少女マロンの敵の「ベジタブルファイブ」に出てくる
因みに牛蒡、独活、セロリ、九条葱、大根からなるのがベジタブルファイブだ。
対する魔法少女たちは主人公マロン(橘美影)、アップル、ストロベリーの三人しかいないので、近いうちメンバーがあと二人は増えるのではとファンの間では囁かれている。
「しのりん、大好きです!」
「えっ」
「赤くなっちゃってしのりんってば可愛過ぎ~~ッッ! はあはあ……今すぐ連れ込みてえええーーーーっ!」
「えっあのっどこに!?」
「……唾付けとくかあ~~~~」
「そのっあのっ僕は……っ」
しどろもどろになる少女ににじり寄るりく乃が、下卑た煩悩をぶつけようとした矢先。
「――――焼き餅チョーーーーップ!」
朝っぱらから道端で不埒思考全開の女子高生へと正義の鉄槌が落とされ……いや、嫉妬に燃えた男子高生からの手刀が落とされた。りく乃と少女を繋いでいた掌と掌が無情にも外される。
「ああっしのりん!」
「あ……っ」
りく乃はともかく、少女が儚げな声を上げてよろけて尻餅をつく。
「いやああああしのりいいいいいーーーーん!!!!」
「ライバルゥゥゥ……――滅ッ!!」
しかも王子院はどさくさに紛れてりく乃を自身に引き寄せ肩を抱いた。
「ふう、これでもう安心だ。しのりんなんぞの毒牙俺が蹴散らしてや…」
「貴様何してくれとんじゃああああああ!!」
言うまでもなく、りく乃のビンタが炸裂した。
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