16 振り出しからの2
同日放課後、今この場では蛇とマングースもかくやの睨み合いが勃発していた。
まあ、某片方にとっては至福の見つめ合いタイムだろうが。
朝の一件を腹に据えかねていたりく乃が王子院を屋上に呼び出したのだ。
彼がいつも付き纏ってくるせいで友人からは付き合っていると思われていたし、クラスメイトからは小悪魔系なのかと変な誤解をされてしまった。
(全く、私は誰かと付き合うなら焦らすなんて七面倒臭い真似しないわよ。正攻法ストレートにお願いしますってするわよ、しのりんに)
屋上の風にセミロングの毛先を遊ばせて、りく乃は正面に立つ諸悪の根源たる相手を腕組みして鋭く見据える。
「王子院、言いたい事はわかるわよね?」
痛いくらいの真剣で鋭い眼差しを受けて王子院もとくと頷いてみせる。
「ようやく付き合おうって言うんだろう?」
「貴様いっぺん死ね! 敢えて言うならどうあっても付き合わないの間違いだ」
「あまのじゃくだな~美影たんは」
「……貴様の脳みそはオタマジャクシほどもないようだな」
りく乃は王子院へビシリと指を突き付けた。
「これ以上付き纏わないで! ホント深海レベルの深さで迷惑なの!」
「ツンの試練か」
「日本語理解しろーッ! とにかく皆の前でああいうのは頼むからやめて。晒し者もいいところじゃない。あの時ホント顔から火が出そうだったんだから!」
「ハハハ格闘技は出てたな。かなり効いた」
「つまらん事を言うな」
りく乃が半ギレというか全ギレなので、王子院は困った風情でカリカリとこめかみを掻いた。怒ったカノジョをどうやって宥めようかと思案する小心者のカレピッピも然りだ。
「美影たんは頑固だな。どうしてそんなに付き合うのが嫌なんだ? 別に俺の顔が好みじゃないわけではないだろう?」
「私はしのりんだけが好みね。それ以外は一律畑のジャガイモどころか
「じゃあ王子院家の財力に興味はないのか? 他の女子なら目の色を変えるところだが」
「え、無駄にお金持ってると王子院みたいな人間になるんでしょ? だったら程々でいい」
「くっ交際するにあたって俺に家を捨てろと言っているのか? そこまでの覚悟はあるかと試しているんだな? 駆け落ちしてくれと言っているんだな!」
「言ってない」
「だったら俺の何が不満なんだ!? インスタ映えするイケメンな彼氏、ホイホイ言う事を聞いてくれる金づるたる恋人、果ては尻に敷けて玉の輿にも乗れちゃうだろう結婚相手なんて都合良いじゃないか!」
「……ねえ自分で言ってて悲しくならない?」
「君との愛の前ではこれくらい蚊に刺された程度だ」
りく乃は寒過ぎる台詞に全身が痒くなった。王子院モスキートは言葉だけでも刺された効果を発揮するらしい。
「貴様のそういうところが、無理」
「俺のアイデンティティー全否定! だが俺はリアリストな美影たんも好きだ。愛も恋も理想だけじゃできないからな。脳内の妄想だけで済めば世話はない!」
「貴様がそれを言うな。それに言っとくけど、私は貴様のアニオタ魂まで否定したつもりはないわよ。好きなものは好きでいいと思うもの。それが希望になるなら尚更。単に性格的なキモさが無理って言ってるの」
「ああ、慈母のような優しさに感涙を禁じ得ない!」
「嗚呼対話って何かしら……。どうしてここまで貶されてまだ私を好いているって言えるのか不思議でならないわ……」
「美影たん、君の気持ちはわかってるんだ。だから安心してくれ。必ずリアルで幸せにしてみせる!」
熱い想いをぶつける王子院だったが、りく乃はちょうど登録しているしのりん通信が入ったのか、スマホ画面を見下ろして女子らしからぬだらしない顔付きになった。
「おい美影たん! 俺の本気プロポーズを一体何だと…」
「ああそれ間に合ってまーす。王子院に付き纏われない事がまず第一の私の幸せね」
「知らなかった。美影たんは恋人とは適度な距離感を望むタイプだったのか」
「まさか。相手がしのりんならべったりガムよ」
「ならどうして俺の事は……」
スマホ操作に忙しくぞんざいな応対中だったりく乃がキョトンとして顔を上げ、表情に呆れを滲ませる。
「え、だから好きじゃないからに決まってるでしょ」
「ああハハまたまたー」
「好きじゃないわよ」
「ハハハ冗談が好きだな。俺と君は相思相愛だろうに」
「瞬間的に殺意が湧く時もあるけど、本音を言えば、基本嫌いでもないし好きでもないわ」
それはつまり――無関心。
王子院はその瞬間天が落ちてきたかと思った。
王子院にとってりく乃の無関心はこの上なく痛い所を突かれたも同然だった。
極度のアニオタで変態な自分に寄ってくるのは、表面的な親しさの皮を被った有象無象。彼自身を見ているのではなくその後ろにある大きなものだ。
自分が無味乾燥な記号にでもなった気分を味わって来た彼にとって、一番堪えた。まだ大嫌いと思われている方がマシだった。
「……パ、パードゥン?」
「今だからこそ訊くけど、どこがどうなったら私が王子院を好きだと勘違いするわけ? 散々態度でも言葉でも拒絶の意を表してきたでしょう?」
「…………え?」
「私はしのりん一筋で王子院は眼中にないの」
「…………」
愕然とする王子院に背を向け、りく乃が遠ざかっていく。
彼は初めからそこに生えでもしていたかのように、思考停止のあまり棒立ちになった。
「え、まさかそんな、冗談だよ、な……?」
引き留める手も伸ばせず、大きく目を瞠ったまま瞬きさえ忘れる衝撃のでかさに、彼は白くなり頭からぼろぼろと欠けていく。とうとうそのまま塵になって風に吹き飛ばされた。
きっちりと引導を渡したりく乃は、階段の手すりに掌を滑らせながら少しだけ後ろめたそうに下りてきた階段の方を一瞥する。
――純粋な好意を向けられてて全然ときめかないの?
昼間の百合菜の言葉が頭を過ぎった。
「私は私であって美影じゃないもの。……お父さんと似たような性根の奴なんて願い下げ」
二次元女子であれ、他の誰かを心に住まわせる相手なんて真っ平御免なのだ。
「はあ……」
帰りのリムジンの中で王子院はアンニュイな溜息をついた。
美影クッションに押し付けるように顔を埋め落ち込む彼へと、バックミラー越しにお抱え運転手の澤野が無言で目を向ける。
「なあ澤野、片想いって何だろうな……」
「一方的に相手を好きな事では?」
後部座席で王子院家の令息は血を吐いたかのように苦しげな顔をした。
「澤野、実は俺は未だ……その片想いだった」
「何と、それはまた……」
意外そうに微かに眉を上げた運転手に、王子院は力なく微笑んだ。
「澤野、リアクションが軽い」
「運転中ですので大袈裟な動作は控えております」
「自動運転に切り替えればいいだろう。我が王子院家の特別AI搭載なんだ。余裕で昼寝だってしていいんだぞ。今はもう夕寝という時刻だがな」
「自らで運転出来ますのにAIに任せるのは職務怠慢かと存じます。免許返納ものです」
「いやそこまで厳しく深刻に考えなくとも……」
「私の知能はそのように出来ておりますれば。あと少々言わせて頂ければ、坊ちゃんを送迎するという業務そのものを誇りに思っていますが故に、たとえ正確無比な機械と言えどこの役目を譲りたくはないのです」
「そうか……ありがとう澤野」
「感謝は心より嬉しいですが、元よりそれが私の存在意義ですのでお気遣いは無用ですよ」
「そうか。だが、ありがとう」
「光栄です」
そのまま無言になった車内にはスモークガラス越しにだが黄昏時の斜光が差し込んでいる。
しばらく経って「ふふふ」と運転席の澤野が小さく笑声を漏らした。王子院が窓外にやっていた目を向ければ、ミラー越しのベテラン運転手は笑い声に違わない朗らかな笑みを浮かべている。
「何だ?」
「坊ちゃんらしくないと思いまして。いつも自信満々、迷惑条例違反も同然のゴリ押し上等とばかりに積極性の塊でしたのに。そもそも、お相手の気持ちを知るまでは、誰もが皆片想いです。勘違いだったのなら尚更何が変わったと言うのでしょう? 単純に、振り向かせる術を模索していた頃に戻ったというだけですよ」
「……それはまあ、そうだな」
「幸運にも坊ちゃんには一般的な方々よりも使えるものが余程多い。様々なあの手この手がございましょうに、何を悩んでおられるのですか?」
王子院は唸った。この上なく同感だったからだ。
彼は目的のために家の権限やら人員やらの諸々を使う事に抵抗はない。狡いとか卑怯だとかは思わない。恵まれている我が境遇をこれ幸いと最大限に利用して何が悪いと思える図太さがある。
「フッ、知らず振り出しで足踏みしていただけだったが、これで心機一転、一から
「左様です。この不肖澤野、坊ちゃんの薔薇色の男女交際のためにも微力ながら協力を惜しみません。いつでもどこでもどこへでも、ご入り用の際はお申し付け下さい」
「ああ、頼りにしている」
運転手の優しい助言と激励に、王子院暁は「まっててくれ美影たん!」とまた攻める気満々に不死鳥の如き鮮やかな復活を遂げたのだった。
圧力から解放された美影クッションは、キラキラしい不動の笑顔を浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます