10 声騒動2

 翌日、りく乃にとってこの日の王子院の行動は不可解に過ぎた。


「美影たんおはよう、一言でいいんだ、好きだと言ってくれ」

「何で私がわざわざ? イヤ」

「ありがとう。ではな」

「は……?」


 どう良心的に解釈しても、不可解だった。

 今の会話では日本語が通じなかったとしか思えない。

 しかもりく乃の疑問を煽るように彼は朝教室でそんな奇妙な会話をしただけで、休み時間ごとにどこかへ行っているのだ。

 授業時間になるときちんと戻って来るのは感心だが、りく乃の胸には不審がありありと湧き上がっていた。

 押してダメなら引いてみろ……とは少し違うが、彼女は珍しく王子院が気になって、昼休みも予想通り教室を出た彼の後を追った。程なく彼の目的地が判明する。


「……何だ拍子抜けもいいとこね、生徒会室じゃない。生徒会の仕事でも溜まってたのかしら」


 口の中で小さく呟き、教室に戻って弁当を食べようかと回れ右しようとしたりく乃だったが、生徒会室の扉がしっかりと閉じられていなかったようで隙間から王子院の声が漏れ聞こえてきた。


「よし、でかしたぞ。ああ、データは届いた。これをインプットすればいいんだな? ああこれで――美影たんの心は思うがままに俺の手に!」


 思わず足を止めざるを得ない発言内容に、すごく直感がざわざわしたりく乃だ。


「インプット方法は? ああなるほど。こうやって繋いであとはリターンキー、と。それから読み込むのを待つだけか。皆の迅速な仕事に感謝する」


 どうやら王子院家傘下の相手と通話しているようだったが、仔細はこれだけでは判然としない。通話を切った彼が何か作業に取り組む物音を耳に、りく乃は気配を殺して生徒会室の扉にそっと近寄ると隙間の先へと耳を欹てる。


(これはきちんと暴かねばってそう私の中のしのりんが言ってる)


 彼女はスマホを取り出すと、王子院の番号を呼び出した。

 この前破廉恥な宅配便が届けられた際に差し出し人欄に記載されていたのを、何かの役に立つかもと登録しておいたのだ。

 生徒会室から着信音が聞こえた。彼が大好きな魔法少女アニメの主題歌が流れたのだろうが、


「もしもし美影たん!? いつかきっと俺に電話を掛けてくれると思っていた! 愛のパワーで通じると思っていた!」


 イントロクイズでもするように一秒で取って変な事を言い出した。

 だが今はそんなどうでもいい事項に時間を割いている時ではない。りく乃はあっさり流した。


「……ちょっと体育館裏まで来てほしいの」

「わかった今すぐワープする!」


 直感とある種探偵ちっくな好奇心と使命感に突き動かされるりく乃は、はしゃぎ慌てた王子院が鍵も掛けずに部屋から駆け出して行くのを廊下の陰から見届けると、一応はノックをして生徒会室に他に誰もいないのを確かめてからそっと扉を押し開けた。

 果たして一体そこに何があるのか、足を踏み入れた彼女は明らかな異常に目を見開いた。

 生徒会長たる王子院暁の執務机にはパソコンとそれから伸びる何本かのコードと、その傍に魔女っ子アニメの主人公美影の可愛らしいチビ人形が置かれていた。

 シンプルに、たったそれだけしかなかった。

 故に、解せなかった。

 王子院の自宅部屋のようにここも単なるオタク室と化していたなら、りく乃だって自室の内装の濃さでは負けていないので微塵も動揺などしなかっただろう。


「生徒会の役員たちに気を遣ってるのかもしれないけど、皆はもう知っているはずよね。そもそもあいつが他人なんて気にするとも思えない。それにここは腐っても王子院の机だし、何かあるに違いないわ」


 意気込んでトンとやや強く部屋中央の会長の執務机を叩いてしまったりく乃は、少し大きく響いた音に動揺して手を引っ込めた。しかしその拍子にチビ美影人形に触れてしまい、それは転がって床に落ちて跳ねた。


「あッ」


 一ミリでも汚したら絶対家探しされたと気付く、と冷や汗が出たりく乃は急いで拾い上げ、その拍子に人形のお腹を押してしまった。

 何らかのスイッチが仕込まれていたのか、ジー…と内部で機械が起動した。


「えっどうしよう。まさか時限爆弾とかじゃないよね!?」


 しかしあたふたとした彼女の懸念は、次の瞬間綺麗さっぱり払拭される事になる。


「――オウジインダイスキ。オウジインダイスキ」

「は……」


 人形が喋った……のではなく、人形内蔵の再生機器が音声を再生したのだろう。りく乃の手の中で美影人形は喋り続けた。


「オウジインダイスキ。オウジインダイスキ。オウジイン――」

「――貴様私の声で偽りを申すなあああああーーーーっ!」


 りく乃は思わず叫んで壁に人形を投げつけそうになったが、寸前で思い止まった。

 人形から絶え間なく再生され続けている声はどう聞いても自分の声そのものだったのだが、その謎を解かない限りぶっ壊せないと、彼女はそう判断したのだ。


「何でこんな世も末なセリフを……。そもそも私言ってないのに……!」


 どういう事なのかと考え、りく乃は青くなった。


「ま、まさか私……多重人格者!? だから言った記憶がないとか? それでもってだから王子院はしつこく私にちょっかいかけてくるの? 別の人格の私と友達で? ……ううん悪くすると彼女だったりするのかも!?」


 大いなる運命の荒波に揉まれる気分で、りく乃は絶望して立ち尽くす。


「オウジインダイスキ。オウジインダイスキ」

「うっさいわボケーッ!」


 止めるスイッチを押さないとエンドレス再生なのか、場違いな甘い声だけが生徒会室に響いている。


「いや違う、多重人格なんてそんなわけはないか。そうだったとしてもその人格もしのりんを好きになってるはず、うんそうきっとそう。王子院は有り得ない」


 思い詰めたように壁に頭を打ち付け自問自答を繰り返していたりく乃が自分への自信を取り戻していると、


「美影たんめ、初通話にはしゃいでいたずら電話か? ハハハ可愛い事をするな」


 ポジティブ選手権に出たら絶対的不動の一位を獲得するであろう王子院暁がにやけた顔で戻って来た。


「お? ドアが開いてる。誰かいるのか? むッこの音声はまさか――」

「――貴様、説明しろ」

「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」

「みっ美影たん!?」


 入室早々眼前に突き付けられた物体はピントが近過ぎて視覚からでは何かはわからなかった彼だが、音声からわかった。加えて、それを持つのが誰かもしっかりと感じ取っていた。

 人形を横にスライドさせ微笑むりく乃の姿が予想通り視界に入る。

 しかし普段なら向けられて感極まる微笑も、手に持つ美影たん人形の首を引き千切らん勢いで握り潰しながらだと、そんな感激も凍りつく。


「貴様、何だこれは?」

「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」


 軍紀違反で銃殺だと言い捨てる総統のような声音で、りく乃は訊ねた。

 人形からは依然声が垂れ流されている。


「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」

「そ、それは……」

「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」

「俺もダイスキだ!」

「いちいち応えんでいい! ってか止め方!」

「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」


 りく乃が人形を再度突き付けると、王子院はだらだらと汗を流した。

 さすがにまずいとは理解しているらしい。


「どうやって私のこんな嘘っぱちの台詞を録音したのよ?」

「オウジインダイスキ、オウジインダイスキ」

「じゃかしいわこの嘘吐き人形が!」


 メキッと音がした。


「あああっ乱暴は止めてくれ!」


 りく乃が変に圧力をかけたせいか、音声が徐々に遅く低くなっていく。

 王子院は「あああ」と嘆くものの、なす術なく人形へと視線を向けるだけだ。りく乃が掴んで放さないのだから仕方がない。


「オォウゥジィイィィンダァイィスゥキィィィー…………」


 そしてキーンコーンと予鈴が鳴る頃、事切れるように人形は物言わなくなった。


 その後、りく乃が王子院に吐かせた内容によると、彼はりく乃の声サンプルを王子院家傘下にある研究機関の音声専門家に依頼して、りく乃の声で台詞を作成してもらったらしい。


「全く、いくらかけたのか知らないけど、無駄な事に金を費やし過ぎよ。寄付でもしなさいよ」

「だって美影たんは絶対に言ってくれないだろう?」

「当たり前じゃない」


 冷たくあしらわれ、王子院はですよねー的な沈んだ面持ちで返してもらった壊れた人形を机に置き直した。首の縫い目がほつれていなかったのは幸いだった。

 りく乃はチラと人形を一瞥する。


「全く何でここまでするかなあ。理解不能だわ。王子院、金輪際こういう事はしないで。キモイから」

「……わかった」

「でもまあ、怒って物を壊したのは悪かったわ。だからそのお詫びって言うわけじゃないけど、ちょっとスマホ貸して」

「うん?」


 何をしたいのか掴めずいそいそと差し出すと、受け取ったりく乃は操作したそれを口元に近づけた。


「――王子院、私はしのりんが、大好き」


 それだけを口にして画面をタップする。


「今のは……?」

「声サンプルを分析して作るよりもこれを編集する方が手軽でしょ? そんな嘘音声一つで私のしのりん愛は微塵も揺るがないもの」


 返されたスマホには録音データが一つ増えていた。

 つまり間を消せば…………。


「ああもうお昼食べ損ねちゃったじゃない。そろそろ本鈴鳴る頃よね。王子院も早く戻った方がいいわよ」


 その直後キーンコーンカーンと本鈴が鳴った。


「ああほら」


 りく乃が先に生徒会室を出て廊下を駆けて行く。

 取り残されたような王子院は、次の授業担当の教師に怒られるのを覚悟で呆然とスマホ音声を再生した。

 りく乃の声が室内に響く。


 ――王子院、私はしのりんが、大好き。


 彼は困ったように笑った。


「……ホント気まぐれ。編集なんてできるわけないだろ」


 この全部が自分のための声なのだ。

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