9 声騒動1

 所は学校の中庭。時間は放課後。

 ベンチに腰かけるりく乃は、隣に座ってもらったしのりんそっくり君を前に満面の笑みを浮かべていた。

 あたかも目の前の彼がしのりんその人だとでも言うように。

 だがしかし、場所はりく乃の通う高校で、相手の制服はズボンなのでそれは違うのだとわかる。誰でもわかる。


「ぐぬぬぬぬぬっまさかしのりんの襲来か!? 俺への挑戦なのか!? だったら手袋を投げ付けて決闘を申し込んでやる!」


 約一名勘違いしている王子院という男がいるが、貴族でもない高校生男子が冬でもないのに手袋を付けているわけもなく……。


「あああだが手袋がない! くそっ決闘は次回に持ち越しだ!」


 そういうわけで勝手に出鼻を挫かれた彼は、この場は敵情視察よろしく立ち木の陰からコソコソと覗き見ているのだが、


「あのー相原さん、さっきから王子院くんが血眼でずっとこっち見てますけど」

「森の危ない妖精さんとでも思っておけばいいのよ。ああいうのは気付いたって悟られたら負けよ」

「はあ……」


 バレバレだった。


「さあそっくり君、私語厳禁で口ぱくスターーーーット!!」

「はあ……」


 ――口ぱく。

 りく乃はそっくり君に声を出さずにとある文章というか台詞を朗読させていた。

 これはりく乃からそっくり君への「一生に一度のお願い」を行使した結果である。

 その見返りに今度一緒にスイーツバイキングに行って奢るとも確約した。

 当初「え……口ぱくですか? どうしてですか……?」と素直に引いていたそっくり君だったが、実は甘いものが大の好物だったらしく、りく乃が捨て身で「スイーツ奢るから!」と条件をチラつかせた途端「ただ口ぱくするだけならお安いご用ですよ!」と態度豹変の快諾だった。転校してきてまだ日も浅い彼なので、甘味処の場所にあまり明るくなかったのと、男一人でスイーツバイキング店に入るのは正直気が引けていたのとでエサに食い付いたというわけだった。


「はあああ~ッそうしてるとホント目の前にしのりんが降臨したみたい~~~~!」


 歓喜するりく乃の耳にはイヤホンが嵌められている。

 スマホと繋がれて伸びるそのお高めイヤホンのコードの一部には、溝に入って拭き取れず、或いはこびり付いて取れなくなった茶色い斑点があるが、殺人現場にでも落ちていない限りルミノール反応を見られる事も、加えて誰の血痕かまで調べられる事もないだろう。


「……っ……っ……っっっっ! もっともっと喋って~、しのり~ん!」


 目を潤ませ身悶えするりく乃。

 唇を動かすそっくり君。

 りく乃の興奮が増す程に、王子院の顔色は青くなっていく。


「くそーーーー! あんなに楽しそうにッ。俺も入りたいが何となく今は出て行けない役回りな気がするだけに出て行けない!!」


 自分でもわけのわからない台詞を口走っている自覚のある王子院は、嫉妬に駆られて悪役令嬢よろしく傍の木の幹に爪を立てたが、「あぅちッ」運悪くとげが刺さって地味にダメージを被った。

 聴覚にスマホからしのりんの音声を、そして視覚にはそっくり君を配置するという現段階でりく乃の取れる最高最強の布陣を敷いた中庭の至福のひと時は、あっという間だった。

 というか、一分くらいの台詞だったので当然だ。

 たった一分のために甘味を奢るりく乃は気前がいいと言うよりは、やはり変態的しのりん信者と言えよう。

 そっくり君と休日の約束を交わし、手を振ったりく乃はベンチに背を預け伸びをする。


「ああ~マジでもう少し長かったらそっくり君とわかっていても押し倒す所だった。まあでも、たったの一分だけど、されど一分よね。彼には今度スカート穿いてもらうのもありかも」


 げへげへとやらしい笑みを隠しもしないりく乃の念波が届いたのか、廊下を行くそっくり君はぞくりと悪寒を感じたとか何とか。





「君に訊きたい事がある」


 りく乃と別れたそっくり君の背中に、王子院の声が掛かった。


「……本当にわかりやすい人だなあ」


 自分の所に何かアクションを起こしてくるだろうと予想していたそっくり君はそう呟くと、思わず浮かべていた苦笑を引っ込め穏やかな笑みで振り返った。


「何か御用ですか?」

「君は学校に潜入したしのりんなのか?」

「え? いえいえ違いますよ。先日もお会いしたじゃないですか」

「ということは、しのりんもどきか。人騒がせな」


 勝手にそっちが騒いでいただけだろう、との言葉をそっくり君は呑み込んだ。


「だがまあ良かった。先程の美影たん、ああいや相原りく乃とのやり取りなんだが、アレは一体何をしていたんだ?」

「……」


 そっくり君はそれについてはあまり答えたくなかった。

 一歩引いた所で自分を顧みると、自分でも「甘味に釣られて僕は一体全体何をしていたのか?」という疑問が頭をぐるぐると回り、終いには「はてこの僕は本当に僕を僕たらしめる僕の意思によって口ぱくを成していたのか?」という自我への問いに悩まされる始末。

 彼にとっても「たったの一分、されど一分」だった。


「何だどうした押し黙って。ハッまさか人に言えないような事なのか?」

「ああいえ。僕の口ぱくにしのりんの声を当てていただけですよ」

「声を、当てる? 声を……ふむ」


 顎に片手を添えた王子院の目に何かが閃いた光が過ぎった。


「そうか、足を止めさせて悪かった。その後マッチョへの道は順調か?」

「お陰さまで皮一枚分くらいは筋肉が増えました」

「それは何よりだ」

「優秀な方をご紹介頂いて本当に感謝しています」


 生き生きとした少年のように(というか元々少年なのだが)両目を輝かせたそっくり君は、傍目には全く変化のない力瘤を作って喜びを表した。


「君なら理想のマッチョになれるはずだ。応援しているからな」

「ありがとう王子院くん」


 爽やかに会話を締め括るかと思いきや、王子院は急に鋭い目つきでそっくり君を射る。


「ところで、彼女とはどういった取引をしたんだ?」

「取引? ――ああ」


 その目には詰問という言葉がありありと浮かんでいる。しかしそっくり君は意にも介していない顔付きで朗らかにスイーツバイキングの話を告げた。

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