8 等身大人形

「ここにいたのか俺の美影たん。ううういつ見てもまばゆい……!」

「うわっまた来たし。尊いしのりんタイムの邪魔すんのホントやめて! っていうかそもそも今世でもう話しかけてくんな。今すぐ来世に行け」


 所は放課後の学内図書館。

 王子院は性懲りもなく今日もりく乃を捜してまもなく、以前もいた図書館の奥まった場所を突き止めたというわけだった。

 彼女を一目見た瞬間から瞳孔は必要以上に開き、眼底検査用の目薬を点眼したのかといわんばかりに眩しがった。

 今彼は恋の力で自らそんな現象を眼球に引き起こしたわけだが、りく乃の方は真っ黒な煩悩の塊となって自らのスマホを凝視している。表情も女子らしからぬ弛み具合だった。

 王子院は「そんな顔も可愛いな美影たん」とかボケ以外の何物でもない台詞を本気で口にしつつ、ポケットから一枚の封筒を取り出した。

 それを手にどこか躊躇うように話を切り出す。


「なあ美影たん、今度俺と一緒に…」

「五月蠅いってば、今MV観てるんだから邪魔しないでよ!」

「それはしのりんとかいうアイドルのか?」

「当ったり前でしょ! ってかマジで貴様もう口閉じろ。しのりんの天使の如き美声が聞こえない!」


 自分の声でも聞こえないという事実は棚に上げ、りく乃はイヤホンを手で押さえて少しでも鼓膜の近くで最愛の推しアイドルの歌声を聞かんとした。

 普通他のメンバーの声と干渉し合っていて聞き取るのは至難の業だが、りく乃は王子院と同じく奇跡の恋の力でしのりんボイス検出器を耳の内に備えているのだ。


「うっふうぅ~っ声近っ!」


 お高めのイヤホンを買ったのは大正解だったと満足そうに涎を垂らすりく乃は、王子院がすぐ傍にしゃがみ込んで自分のスマホ画面をじっと覗き込んでいるのに気付いて「近いなおいっ」と怒鳴りつつ、自分の匂いを嗅ごうと王子院が小鼻を大きくした瞬間に鼻をぎゅうと抓み上げた。


「現在進行形鼻タッチで嬉しさこの上ないが、何故こうも神は無情なんだ。い、息ができない!」

「まさか貴様……?」


 王子院の顔色にはさして頓着せず、りく乃は何かを察して目を輝かせた。


「きっ貴様ももしかして、とうとうしのりんの良さに気付いたのか? そうなのか? いや絶対そうなんでしょ!? どうなの!?」

「こ、神々しい……」

「やっぱり!」


 恋する相手からの初めてな親しげな笑みに最早二重の意味で昇天しそうになっていた王子院は、彼女が手を離すと恍惚の表情で大きく息を吸い込んだ。だがりく乃がアニメの中の美影のようにキラキラアイになって自分を見ている現実に、肺病でもないのに狂喜して喀血した。

 彼が患部でもない心臓を押さえてハアハアと荒い呼吸を繰り返すそんな様を傍で見ていたりく乃は、更なる感激を示した。


「王子院、私は今まで貴様をどうしようもないアニオタ風情のド変態だと思ってたけど、人間は変われるのね。ああ良かった。現実に目を向ければ、そこには既に天使が降臨していたと気付かずにはいられなかったでしょう?」

「ああ!」

「そうよねそうだよね。毎日毎晩危うくポスターを嘗めそうになるくらいに惹かれずにはいられない女子がいる事に、貴様もようやく気付いたのね」

「確かに部屋の壁サイズに引き延ばした写真なら毎日嘗めているな」

「実行している!? 貴様っ……金持ちだからって小癪な……! ポスター沢山持ってる自慢か、忌々しい。だけど壁サイズしのりん…………超絶欲しい! ハッまさか貴様は金に物を言わせて巨大3Dプリンターで再現した等身大人形まで持ってたりするのか!? そんなの悶絶して死ぬ……!」

「3Dプリンターで?」


 虚を突かれたような顔をしていた王子院の背後に、突如ズガアアアーンと稲妻が落ちた。


「そ、それは盲点だった。よし早速我が王子院家子飼いの研究者たちに造らせよう」

「くっ子飼いの研究者なんて羨ましい!」


 りく乃は至極悔しそうに顔を歪め歯ぎしりする。

 子飼いとか何とか言い方があくどいが、残念ながら二人からは常識という大事なネジがとっくに緩んで抜け落ちていた。


「しのりん推しの同志が出来たのは嬉しい……けど、同時にライバルでもある相手に塩を送ってしまったとは不覚……! お、王子院、ものは相談なんだけど、もし、もしも、万が一貴様に思いやりがあって3D等身大人形を完成させた暁には、是非私にも拝ませてほしい」

「――ッ!? い、今……あかつき、と俺の名前を呼んでくれた……?」

「話の途中で泣くな。文脈から察しろアホ!」


 世紀の奇跡のように感動しかけた王子院暁だが、りく乃の変な所で冷静な突っ込み気質が災いしてすぐにガッカリした。


「つかぬ事を訊くが、美影たんは等身大人形が欲しいのか? 何故に?」


 もちろん王子院が言っているのは「りく乃」の等身大人形だ。

 対してりく乃は「しのりん」の人形だと思っている。

 ここで二人は決定的なすれ違いがある事に全く気付いていなかった。

 自分の等身大人形なんぞを必要とする心理がわからず、真意を問うた王子院だったが、りく乃は信じられない物を見るような眼差しでわなわなと震え出した。


「くっ見損なった。貴様の愛はその程度だったのか! 好きなら偶像でもいいから全身を愛でて弄んでチューしまくりたいだろう!? 同じベッドに横たえて夢が実現した時のための予行練習だってしたいだろう!?」

「予行練習か……なるほど! 自分がどういった体位を取るのかとかの研究か、なるほど!!」


 メンチを切るように凄い形相のりく乃が力説すると、言わんとするところを理解した王子院の脳内がレインボーに輝いた。

 そして大爆発。


「だ、だが、美影たんは大た…ん…っ……っ」

「は? 急にどうし…………っっっっ――――いやあああああああああーーーーッッッッ!!」


 図書館に甲高いりく乃の悲鳴が上がった。

 悲鳴を聞き駆け付けた図書館当番の生徒は、ヘタり込んで放心するりく乃とうつ伏せに倒れた王子院を見るなり、


「きゃあああ! しっ死んでる……!」


 昏倒し、たんこぶを作って二次被害を被った。

 重ねて上がった悲鳴に駆け付けた司書の女性教諭は、


「さ、殺人事件!?」


 慄いたせいで思い切り書棚に背中を打って呻いたものの、気絶はしなかった。


「せ、先生……私……助け…て…………」


 りく乃がゆるゆると何か赤いペンキのようなものに染まった手を伸ばし、息も絶え絶えな声で懇願すると、腰の抜けそうな女性教諭は苦労してじりじりと横に逃げながらゆるゆると左右に首を振った。


「せ、先生……? どうして逃げるんですか?」


 ほぼ全身真っ赤な斑点模様のりく乃がこてんと首を傾けて心底不思議そうな顔をした。

 それがまた「この子サイコ!?」と恐怖を煽る。


「う、うぅ……」


 その時、王子院の呻き声で教諭は少しだけ平静さを取り戻した。


「あっあなた大丈夫!? どこを刺されたの!?」

「うう、う……美影たんの肌蹴たコスチュームが……」

「刺さ、れた……? 誰がです?」


 意識が朦朧としたまま意味不明な発言をする王子院の傍では、りく乃が無表情にも似た顔で疑問を口にした。

 女性教諭は再度震え上がったものの、そこは生徒を護り導く者の鑑、傷付いた男子生徒を護らんとりく乃を押しのけ膝を突く。


「しっかりして! 先生が来たからにはもう大丈夫よ!」


 学生時代何かやっていたのか腕に覚えのあるらしい教諭がりく乃を警戒して臨戦態勢を取る。


「うう……先生? お、俺は一体……?」


 ようやく王子院が正気を取り戻して顔を上げた。

 彼の鼻から下を赤く染め上げた顔が露わになる。貧血気味なのか意識はまだ完全にハッキリしないようだが、破廉恥な想像の余韻でニヤニヤとしているのがまた、血化粧のせいでニタニタと不気味極まりなく笑っているようにしか見えなかった。

 サイコが二人いるホラーの出来上がりだった。


「ひいいいいいいっ!」


 悲鳴を上げた女性教諭が泡を噴いて卒倒した。

 王子院は、思春期男子のピンクな思考であらゆる想像をした結果、りく乃が返り血を浴びまくった殺人鬼と勘違いされるくらいの鼻血を噴いて昏倒したのだ。

 一方、いきなり他人の血、しかも鼻からの噴射物を浴びてりく乃こそ絶望的な気分で気絶したかったが、スマホ画面は赤い汚物で塗れても、しのりんの音声はちゃんと聞こえていたおかげで意識だけは辛うじて保てていたのだった。

 それだけでもしのりんは神、と正直スマホに口付けたかったが、王子院の鼻血が美術技法のスパッタリングのように付着しているのでそれも適わなかった。

 しかも絶句し呆然としているうちにMVは終わってしまっていた。

 もう一度再生すればいいだけの話なのだが、現実を受け止めるだけで一杯一杯だったりく乃は殺気を漲らせる。


「王子院……殺す……!!」


 学校の図書館で本気の殺人事件が起ころうとしていた。





「美影たんには本当に申し訳ない事をした。制服一式は弁償する。だからスリーサイズを…」

「黙れ破廉血野郎!!」


 さすがにそのままでは帰れず、王子院家のリムジンに乗ったりく乃は「わーいリムジンだあ~」なんて喜ぶ気にもなれずどん底気分で、またもや折角のリムジン体験を棒に振った。

 あの後、更に駆け付けた生徒や教諭により殺人事件勃発は未然に防がれたが、無邪気な子供が残酷にもありを踏みつけにするように、無表情でひたすら脚を上げ下ろすりく乃と、何故か嬉しそうに背中に足跡を付けられていた王子院の姿は、墓場に行くまで彼らの脳裏にしっかりと刻みつけられたに違いなかった。





 三日後、どうして自宅の住所を知っているのか、りく乃の家に王子院から大きな荷物が届けられた。差出し元は名前こそ王子院暁だが、どうやら王子院家の傘下の企業のようだった。

 内心非常に不審だったが、あの王子院家から何が送られて来たのかと興味津々の家族も見ているリビングで開封し始めたりく乃は、段ボールの蓋を開けた瞬間、マッハの拳で中身を粉砕した。家族には寸でのところで見られていないはずだ。

 ビックバン的なエネルギーで見事に粉々になった破片は総じて肌色をしていたという。


「王子院……ホント殺す……!!」


 先日の自分の思い違いに気付き、かつてない羞恥で真っ赤になったりく乃が憤慨するのと、同じように荷物の届いた王子院家でほくほくとして箱を開けた王子院暁が、鼻からの出血多量で病院へ搬送されたのはほぼ同時刻だった。その後すぐさま開かれた王子院家の家族会議によって、りく乃等身大人形は危険物シールを貼られて来たるべき日まで、つまりは王子院暁がそれを見ても卒倒しないようになる日まで、稀代の悪霊よりも厳重に封印されたという。

 因みに王子院暁が取り出した封筒の中身は、彼が「これも恋人となる俺の余裕の見せ所だ」と息巻いて購入したしのりんのライブチケットだったのだが、結局は血染めの紙切れに成り果て、無駄になった。

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