エヴァーグリーン ②

悲劇は突然、訪れた。アヤコの体が腐敗し始めた。

アヤコは指の腐敗を訴えた。

色が変色し、においを放つ。次第に腐敗は広がっていく。


「おじいちゃん。これ、治るのかな」

「大丈夫。私が何とかしよう」


私はアヤコを病院に連れて行ったが、原因が判明することはなかった。

私はアヤコの指の腐敗を顕微鏡で見る。

どうやらそれは、DNAをコピーし、培養し続けた結果の遺伝子の破損けっそんだった。


皮膚再生の免疫細胞の欠損による腐敗だ。

人は怪我をすると、その皮膚を治す免疫細胞めえきさいぼうが働く、しかし、アヤコにはそれが著しく無かった。

アヤコは日に日に、弱っていき、学校を退学した。


寝たきりになり、ばい菌が入らないように全身に包帯を巻く。

これ以上ばい菌に感染しないように、抗生物質も飲ませた。


「やっぱ治らないんだね」


全身包帯のアヤコは横に寝た状態で、私を見た。


「ごめんよ」

「いいいよ。あのさ、おじいちゃん。私って一体何者なの?」

「何って?」

「本当はおじいちゃん、私の親戚でもないって」


アヤコは自分がクローンであることに気づいている。


「そうか」

「近所のおばさんが言った。アヤコちゃんはクローンで、おじいちゃんは死んだ恋人のクローンを作ったヘンタイだって」


私は何も言えなかった。涙が出た。

アヤコは申し訳なさそうに私を見る。


「ヘンタイって言ってごめんなさい」

「いいや。いいんだ。これは事実だ。死んだ恋人ももう一度、過ごしたいと思ったからだよ」


アヤコは涙を流した。


「………私は、気づいていたよ。最初から何かが違うって」

「そうか」

「でも、知るのが恐かった」


アヤコは苦しそうだった。無理もない。

自分は普通の人間だと思っていたのに、クローンだと知るのは酷だろう。

苦しそうにするアヤコの手を握る。


「アヤコはアヤコだ。もう無理しなくいい。ゆっくり休んでくれ」


私はアヤコの手を離すと、部屋の電気を消した。


「何かあったら、このベルを鳴らしてくれ」

「うん。ありがとう」


私は静かにアヤコの部屋から出た。

私は自室に向かい、研究資料を見た。

過去四十年にわたる研究資料から、アヤコの腐敗を直す方法を見つけ出したかった。

頭の中では既に無理なことに気づいていた。

クローンのDNAコピーの繰り返しによる、遺伝子の欠損。

それによる腐敗は、治しようがない。

 私はそれが無理だと解っていても、探さずにはいられなかった。


私のクローン技術は、成功していなかった。


アヤコは確実に死ぬ。私はどうにも出来ない。

胸が苦しくなる。私は涙が出て、嗚咽した。


 この四十年が無為むいになることよりも、アヤコとの別れが辛かった。

私は一晩中泣き、いつの間にか自室で眠っていたらしい。


ベルが鳴る。アヤコが呼んでいる。

私はアヤコがまだ生きていることに安心した。


「どうしたんだ?」

「ごめんなさい。おじいちゃん。大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」


アヤコは幾分、調子が良さそうに見えた。

私はアヤコを見て安心した。

アヤコは笑う。


「私から提案なのだけど、今日はおじいちゃんの恋人だった愛也子さんになりきろうと思う」

「え?何を言っているんだ?」

「だから、今日一日は、おじいちゃんのことをユウジロウさんって呼ぶよ。私とユウジロウさんは恋人」

「ちょっと待ちなさい」

「いいの、私がそうしたいと思ったからなの」

アヤコは譲らなかった。私はアヤコの言う通りにした。

「ユウジロウさん、私を作ってくれてありがとう」

「ああ。凄く大変だったよ。当時は、非難の声ばかりだった。君のご両親からの理解を得るのは難しかった」



「そう」


アヤコは目を細めた。


「でもね、私の熱意に負けてね。最後は承諾してくれたよ。DNAの提供に」

「そう。ユウジロウさん凄いね」


アヤコの意識は遠のいているように見えた。


「本当に、愛也子のことが心から愛していた。だから、君が愛也子のクローンとして誕生したときは嬉しくて」


アヤコは遮る。


「待って。私は今、愛也子だよ。アヤコじゃないよ」

「ごめんごめん」

「いいの。初めてのデートはどうだったかしら」


アヤコは愛也子に成りきろうとしている。


「動物園に行ったよ。君はお弁当を作ってくれたね」

「何を作ったのかしら」

「おにぎりだよ」


アヤコは笑う。急に真顔になった。


「私、その時、怒ったわね。ユウジロウさんがお弁当の感想を言わないから」


私は驚いた。この話は愛也子しか知らないはずだからだ。私はアヤコを見る。アヤコは笑う。


「どうしたの?ユウジロウさん」

「愛也子なのか?」

「愛也子よ」


私は泣く。アヤコは私の手を握り返す。


「何で泣くの?もう」

「ごめん」

「もう、私は長くないのよ」

「長くないか」

「もう寿命のようね」


アヤコは目を瞑る《つむる》。


「アヤコ?」


私はアヤコの肩を揺らした。アヤコは目を開ける。


「どうして、クローンを作ったのかしら?」

「それは」

「結構クローンって苦労するのよ」

「ごめん」謝罪する私をアヤコは笑う。

「次は来世で会いましょ………う」

アヤコは目を瞑ったまま、動かなくなった。

「アヤコ!アヤコ!」


私はアヤコの肩を揺すった。

アヤコは動かない。私は脈を測ったが、無かった。

全身包帯のアヤコは死んだ。

私は涙を流し、大声で泣いた。


エヴァーグリーン ② (了)

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エヴァーグリーン 深月珂冶 @kai_fukaduki

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