カッパのキュー太郎

夢野中男

第1話 

昭和の初めのころのお話です。

 キューはカッパの10歳になる男の子です。大きな沼に住むカッパの夫婦があきらめかけたころにできた子どもです。だからカッパの夫婦はキューを大変かわいがりました。

カッパは沼の底に住んでいますが、人間と同じような顔も手も足もあります。ただし、子どもから大人になるにつれて、手の指と足の指に水かきが現れ、頭の上の真ん中あたりの髪(かみ)の毛が丸く取れてきてお皿と呼ばれるようになります。さらに、子どもの時は目立ちませんが、大人になると背中に亀(かめ)の甲羅(こうら)のような斑点(はんてん)模様(もよう)が出てきます。そうして、一人前のカッパになるのです。

 カッパの寿命(じゅみょう)はとてつもなく長く数百年も生きるという言い伝えもあります。しかし、実際には人間より短く、長くても50年くらいなので、15歳くらいで大人になるのです。キューは10歳ですが、人間で言うと中学校3年生くらいかもしれません。そろそろ大人に近づいてくる年頃で、頭には100円玉くらいのお皿が出きてきましたが、まだ丸ハゲに見えるだけです。

 カッパは頭のお皿が乾(かわ)いてくると元気が出なくなります。だから、陽が当たる日中は水の中に眠っていて、日が暮れてから動き出します。そして魚を捕(つか)まえたり、時には沼から出て、雑草や人間の作った畑の野菜を食べたりするのです。特にキュウリが大好物なのはよく知られています。

 キューは遊び好きで、お昼頃まで眠らないことが多いのです。キューの頭の皿はまだ小さいので、陽に当たってもあまり渇きません。だから、沼の葦(あし)の間に隠れて、水の上の青い空や遠くの山の景色を楽しむのです。また、若い人間の子を見るのも好きでした。けれども、人間は自分たちカッパに意地悪で、捕まえられたら檻(おり)に入れられ、見世物になると言い伝えられていました。それでもキューは陸の上で生活する人間に憧(あこが)れていました。

 

 ある夏の日のことです。沼の岸辺(きしべ)に人間の子どもたちがやってきました。3人の子どもは葦の間にいるキューによく見えるところまで来ました。どうやら、みんな同じくらいの年齢の女の子のようです。キューは女の子たちが可愛く眩(まぶ)しく見えました。その内の一人の可愛さに気がひかれました。でも、その子は人間です。カッパの自分とは友達にもなれないことは分っています。

 お昼に近づいてきたので、何時までも水の上にいるわけにはいけません。キューの頭も相当乾(かわ)きはじめてきて、眠くもなりました。水の中に戻りかけたその時、女の子の悲鳴が上がりました。

「きゃー、助けてー」

という声ですが、キューは人間の言葉が分かりません。

「サラちゃんが沼に落ちたー、誰か、誰かー」

とさらに大きい声が聞こえました。言葉が分からなくても、キューには大変なことが起きたことが分かりました。落ちた女の子を残して、二人は誰かを探しに走って行ったようです。

キューはおぼれている女の子の近くまで大急ぎで泳ぎました。そして、自分がカッパであることを忘れて、女の子の腕(うで)を捕(つか)まえると、女の子はキューにしがみついてきました。キューは女の子を抱え、岸に向かいました。そして、女の子を抱えたまま陸に上がり、そーっと女の子を下ろすと仰向けにして、女の子の胸を押すと口から水を吐(は)き、息を吹き返しました。

 「だいじょーぶー、サラちゃん」

と女の子のかん高い大きな声とともに、どたどたと足音が近づいてくるのが聞こえ、その後自動車の音も続いてきました。助けを求めに行った女の子二人が案内して、大人たちが駆(か)け寄ってきました。そして、その内の一人のおじさんが女の子を抱いて、

「大丈夫か! しっかりしろー」と言って横たわっている身体を少し起こしました。

間もなく自動車のドアを開ける音がして、

「サラ、サラー、目を開けろー」

と男の人がサラと呼ばれる女の子を揺(ゆ)すりました。すると、かすかに女の子が目を開き、

「お父さん、お父さん」と言ってしくしく泣きだしたのです。そして、消え入るような声で、

「そこの男の子、その子に助けてもらったような気がする」

と言うサラの目の先には、下着も付けていないすっ裸(ぱだか)の少年が今にも逃(に)げ出しそうにしていました。

「そこの少年にタオルを巻いてやって!」

とお父さんと呼ばれたおじさんは持ってきたバスタオルを他の大人に投げました。そして、

「裸(はだか)になって、娘のサラを助けてくれたのか! 何とお礼を言っていいのか」

と言って、少年と呼ばれたキューに抱きつきました。

 タオルを腰に巻かれたキューは言葉も分からず、どうしていいか分かりませんでした。それでもお父さんと呼ばれた人に感謝されたことを悟(さと)りました。でも、キューは人間と関わってはいけないカッパの掟(おきて)を破ってしまい、早くこの場から去らなければなりません。キューはそわそわしながら、作り笑いをしてその場をしのごうとしていました。

 すると、お父さんはキューにどうしてもお礼をしたいと言って、キューを離しません。とうとう、濡(ぬ)れたままのサラとタオルを巻いたキューを、無理やり自動車に乗せて、家に連れて帰りました。

 

サラの家は沼から程(ほど)近く、小高い山のふもとにありました。その昔この村の庄屋(しょうや)で田沼という苗字(みょうじ)が与えられた、大きな家です。今でもサラのお父さんは村の世話役などしている名家なのです。立派な門の両脇には部屋があり、向かって右の方は昔からこの家に仕えていた使用人の泉田(せんだ)という老夫婦が暮らしていました。

家に着くと門の前で、サラのお母さんと使用人の泉田老夫婦が涙を流しながら、皆を待っていました。お母さんはサラに抱きついたまま、キューにお礼をいい、泉田爺(じい)やに早速(さっそく)お風呂を沸(わ)かすように言いつけました。元気になったサラは泉田婆(ばあ)やに世話してもらいながら、お風呂に入って着替えを済ませました。

サラの両親にキューはお風呂を勧(すす)められ、風呂場に行ったものの湯気の立っているお湯に入ったことなどなく、どうしていいか分かりません。浴槽(よくそう)に恐る恐る手を入れてみたものの、熱くて直ぐにひっこめました。見まわすと水の入った桶があったので、それを浴びて済ませました。

 風呂場から出たキューに、お父さんの少し大きい着物が用意されていました。両親はキューにいろいろ聞きますが、キューは「キュー、キュー、○×△※▲」とカッパ語で言うばかりで、さっぱり通じません。

「この子はきっとみなしごで、言葉も知らない可哀(かわい)そうな子なんだ」とお父さんが言って、「キュー、キューとしか言わないから、キュー太郎と呼んで、しばらくの間、家に置いて一人前の人間にしてやろう」と家族に伝えたのでした。

  その日からカッパのキューは、キュー太郎として田沼家に居候(いそうろう)することになりました。キュー自身、カッパの両親と離れて不安でしたが、サラと親切なサラの両親といっしょにいられるので、このまましばらくここにいようと思いました。

 それから毎日、泉田(せんだ)婆(ばあ)やが言葉や習慣を教えてくれて、それが終わるとサラと手まりや鬼ごっこなどで遊ぶのです。キュー太郎は時々カッパの両親のことを思いつつも、自分は人間になったような気分になってきたのです。憧(あこが)れていた人間の仲間と触(ふ)れ合い、何といっても可愛いサラといっしょにいられるので、夢のような毎日でした。


 沼の底では、キューの両親は帰ってこない息子のことが、心配で仕方ありません。昼の間もあまり寝付けず、陸の方に近付き葦(あし)の間に入って村の様子を見に行ったりしました。時々村人が岸のほとりを散歩したり、車が行きかうのを見ることができましたが、キューの手がかりになるようなことは起こりませんでした。たまに小さい釣船(つりぶね)が沼を行きかうこともありますが、大人ばかりで子どもは見当たりません。 

 

 泉田(せんだ)老夫婦から教育を受けたキューは半年もすると言葉も少しずつ覚え、大分人間らしくなりました。田沼家のお父さんが4月から村の小学校に入るように手配をしてくれました。小学校と言っても30人足らずの小さい分校なので、教科書は別々なものの一年生から三年生までいっしょの教室での授業(じゅぎょう)です。サラは4月から二年生になり、キュー太郎は歳が少し上ですが、身体が大きい一年生になりました。キュー太郎は頭の一番上に小さい丸ハゲがあるので、いつも毛糸の帽子(ぼうし)を少し濡(ぬ)らしてかぶるようにしていました。そして一所懸命(いっしょけんめい)、人間に近付くように努力して、たどたどしいながらも他の生徒たちとも交流できるようになりました。そして同じ教室にサラがいることに心が安らぐのでした。

 その年の夏、村の小学校はプールがなく、沼の浅瀬(あさせ)で体育の水泳の授業(じゅぎょう)です。キュー太郎のカッパのお父さんはその様子を遠くで見かけましたが、人間が多くて近寄れません。でも、その中にキュー太郎らしい子どもがいるのを見て、びっくりすると同時に、生きていたと安心して涙を流しました。その夏、キュー太郎のお父さんとお母さんは毎日のように、水泳の授業(じゅぎょう)を見に来るようになりました。

キュー太郎は平泳ぎやクロールなど型にはまった泳ぎではありませんが、特別泳ぎがうまく、先生が言いました。

「キュー太郎、なしてそんなに泳ぎが上手いのだ? 誰に教わったのだ?」

「お、おら、生まれつき、お、泳ぎは、で、出来るよ」キュー太郎はつっかえながら答えました。

「となりの御戸木(おとぎ)町の水泳大会があるのでな、三年生になったらキュー太郎を選手で出すことにするでな」

「わ、かりました」


 キュー太郎はカッパの両親の心配をよそに、ますます人間らしくなり、毎日が楽しくて仕方ありません。家で遊ぶ時も、学校に行く時も、大好きなサラといっしょです。学校の帰りは田んぼのあぜ道を、覚えた歌を歌いながらサラと帰ってくるのです。そして二年があっという間に過ぎていきました。

 夏になり、三年生になったキュー太郎は、カッパの沼で平泳ぎ、自由形、背泳ぎなどを覚え、誰よりも上手に早く泳ぐようになっていました。その夏の終わりにとなりの御戸木(おとぎ)町のプールで、いよいよ、水泳大会が開かれ、分校の三年生代表で出ることになったのです。

 サラのお父さんの自動車で、サラや先生といっしょにとなり町のプールに向かいます。30分くらいで町のプールにたどり着き、御戸木(おとぎ)町水泳大会の横断幕(おうだんまく)のもとに、大勢の小学生から高校生までの選手が集まっていました。 町長の開会(かいかい)宣言(せんげん)とともに小学三年生の部からレースが始まりました。キュー太郎は平泳ぎ、自由形、背泳ぎに出場予定です。先ず25m平泳ぎから始まり、キュー太郎の出番は直ぐにやってきました。

 八人でスタートした三年生の中で、キュー太郎は飛びこみと同時に抜け出し、あっという間にゴールです。他の子どもたちを10m以上も引き離しての優勝でした。それを見た大会関係者をはじめ応援(おうえん)の人や観客は息をのみ、声も出ないくらい驚(おどろ)きました。

続いて25m自由形、25m背泳ぎも圧倒的(あっとうてき)な勝利です。この結果に驚(おどろ)いた大会関係者たちが集まり、キュー太郎を参考として特別に中学生の部にも出てもらうことにしたのです。中学生に混(ま)じったキュー太郎は50mの平泳ぎ、クロール、背泳ぎ全ての競技で圧勝(あっしょう)です。

 ますます驚(おどろ)いた関係者は高校生の部にも、参考で出場してもらうように伝えてきました。

 高校生は100m、200mの競技があり、疲れを知らないキュー太郎はそのすべてに出場しました。高校生の中に入るとさすがにキュー太郎は小さく見えましたが、飛び込んだ瞬間(しゅんかん)トップ争いを演じ、すべての競技で3位以内に入り、何と平泳ぎは1位になってしまったのです。

 キュー太郎があまりにも速いので、その場に居合わせた人たちは、将来のオリンピック選手がこの町から誕生(たんじょう)だと、てんやわんやの大騒ぎです。

 

 そのムードに浸りながらも、大会関係者の数人が疑問(ぎもん)を持ち始めました。キュー太郎を呼んで、身体を調べ始めました。すると何と、キュー太郎の手の指の間に小さいけれど水かきのような膜(まく)があったのです。足の指も普通の子どもより少し長く、やはり指の間に、控えめですが水かきのような膜がありました。水泳の帽子(ぼうし)を取ると頭のてっぺんに500円玉くらいのハゲのような丸い所もありました。背中に目を移してよーく見ると、亀(かめ)の甲羅(こうら)のような筋(すじ)がうっすらと浮かんでいるように見えたのです。関係者は引率(いんそつ)の先生や保護者(ほごしゃ)であるサラのお父さんを呼んで、

「キュー太郎君はちょっと特殊(とくしゅ)な子でねーか。ひょっとしたら人間じゃなくて、カッパの子じゃねーのかや?」

サラのお父さんはサラを助けてくれた時のことを思い出しましたが、

「そんなことはないべよ。うちんち、田辺家の息子だべな」と言ってその場を逃(のが)れました。


 家に帰ってサラのお父さんはキュー太郎に、問いただしました。

「おまんの手を見ると水かきが出始めているよ。キュー太郎、おまんは、本当は人間じゃねえんじゃねえのけ?」

「お、お父さん、ご、ごめんなさい。お、おらーカッパの子だー。サラちゃんがかわいくて、人間の仲間になれんかと、今まで、がー、頑張りました」

「やはりそうだったかー。だけんどおまんはこのまま人間の社会の中では住めなくなる。サラの恩人だが、これ以上ここにおって、大人になってくるとカッパの特徴がもっと出てきて、見世物になってしまうだ。悪いことは言わん。沼に帰った方が良いで」

 キュー太郎は正体がばれてしまった以上、ここにいるわけにはいきません。泣く泣く沼に帰ることになりました。サラのお父さんとお母さんはキュー太郎にキュウリやにんじんなどの食べ物のお土産をたくさん持たせて、泉田(せんだ)夫婦を含め家族みんなで沼に送っていきました。


サラは大きな涙を流し、

「キューちゃん、時々沼のほとりに行くからね」と別れを惜しみました。

「さようなら、元気でなー」

サラのお父さんとお母さん、泉田(せんだ)夫婦もうっすらと涙を浮かべ、口々に別れの言葉をかけました。

 その様子を沼の遠くから見ていたキュー太郎の両親も、事情を察(さっ)して涙を流しました。

 そして、キュー太郎は服を脱いで裸になり、頬(ほほ)に流れる大粒の涙をぬぐいもせず、振り向かずに静かに沼に入っていきました。


 その後、サラが沼のほとりに行っても、キュー太郎は現れませんでした。釣好きのサラのお父さんが泉田(せんだ)爺(じい)と小舟を出したときに、時々キュー、キューと水の中から不思議な音が聞こえてきたとのことです。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カッパのキュー太郎 夢野中男 @imadh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ