第七章

第七章

それからさらに何日か経ったある日のことである。

「うーん。どうしてですかねえ、、、。」

ブッチャーは、腕組みをして、考え込んでいた。

「あーあ、せっかく、よくなったと思ったのになあ、、、。なんでまたすぐこうなるんだろう。」

俺はちゃんと薬だって出しているのにな、ほかにひどく当たる食品を食べさせたわけじゃないのになあ、、、。俺は、どうしたらいいんだろう。

「水穂さん、俺、どうしたらいいのだか、わからなくなってしまいました。俺も恵子さんも、体に悪いもんを食わしたわけではありません。それに薬だってちゃんと出してます。俺、ほんと、どうしたらいいもんだか、まったくわかりません。」

そういいながらも、ブッチャーは、手拭いで赤く染まった口の周りを拭いてやった。

「水穂さん、ちゃんと薬飲みましたよね。こないだの、強すぎるやつはやめようと言ったんですよね。あの、小杉っていう先生も、頭痛があまりに辛すぎるから、やめようって、言ってくれましたね。だけど、やめて何日も経つのに、なんでやめる前と変わらないんでしょうか。やめたって、こういう風に突然激しくせき込むんですから、それじゃあ、あってもなくてもいいものじゃないですか。」

ブッチャーは、もう一度ため息をついた。

「俺、どうしたらいいのでしょうかね。まあ、いくら薬を変えても周りの人間から見たら、何も変わってないということは、俺の姉ちゃんでもそうだったし。薬強いのにして、よし、これで楽になれるぞっていう、もんじゃないですからね。俺は、その現場は慣れているから、もう、それで大丈夫だって、そういうことにしよう。」

ブッチャーは、そういうように自分でいいきかせて、眠っているだけの水穂をじっと見つめた。何も返答が返ってこないことが、なんだかむなしいところであった。

「水穂さん、頼みますから、ご自身でもよくなろうという気持ちになってもらえないでしょうかね。俺、なんでも受け入れて、水穂さんの世話をするということはできませんよ。俺はやっぱり人間ですし、なんでも、ああだこうだとポンポンポンポン動ける機械じゃないですからね。俺は、ガソリン入れればすぐ復活するっていうもんじゃないんですよ。頼みますから、そこを何とかしてもらえないでしょうか、、、。」

思わずそう愚痴を漏らして、ブッチャーは困った顔で、水穂をずっと見た。

「あ、すみません。俺、変なこと言ってしまいました。もし、水穂さんに聞こえていたら、傷つきますよね。俺、すみません。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

ブッチャーは、それはいけないと思い直し、額の汗を拭きながら、改めて水穂に謝罪した。

「すみません。俺、まったく悪い男というか、もうちょっと口がうまくなればいいのにな。俺は、本当に、くちがへたくそでいつも損をしている。」

それが唯一の願いだが、かなうことはないなあと、ブッチャーは、がりがりと頭をかじった。

「すみません。俺は、申し訳ないことばっかり言って、失礼しました。たぶん、相当苦しかったと思いますから、よく眠ってください。」

その時、恵子さんがやってきた。

「どう、よく寝てる?」

「はい。おかげさまで、寝ています。」

ブッチャーはとりあえず答えを出す。

「そうかあ。今日も、相変わらず派手にやってくれたわよね。あーあ、どうしたらいいのか、わからないわ。もう、何をやってもだめだもんね。あたしたち、こんなに振り回されて、もうたまらないわね。」

「恵子さん。振り回されているのは、俺たちではなく、水穂さんのほうではないでしょうか。苦しんでいるのは、水穂さんですから、俺たちはきっとわからないところだってありますよ。だから、俺たちは、薬出してやるとか、ご飯を食べさせてやるとか、そういうことをしてやらなきゃいけないんじゃないですかね。まあ確かに、恵子さんも疲れてしまうのはわかりますけど、俺たちは、言ってはいけないということだって、あるんじゃないですかね。」

ブッチャーは、一寸涙ながらに言った。

「だから、信じるしかないでしょ。あたしたちは。」

恵子さんは、がっかりとして、ブッチャーの肩をたたいた。

「あの、確かに小杉という医者が出してくれた薬は確かに合わなかったんでしょうけど。あたしたちは、できることは何もないし、ただ、お医者さんの言う通り、指示を守って、それを実行させるだけ。上司に愚痴言われるのが花っていうけどね、お医者さんがどうのこうのと言ってくれるうちが、花だっていうことでしょうね。」

「そうなんですよね。恵子さんもうまい言い方ができるんですね。俺はやっぱり何もできないですよ。俺は、杉ちゃん見たいに、上手くダジャレでのけることもできないし、恵子さんみたいにいいたとえを見出すこともできないわけですか。」

「何言ってるのよ。ブッチャー。あんたのできることは、水穂ちゃんの体を持ち上げて、移動をさせたり、布団をどかしたり、そういうことだってできるはずでしょ。あたしなんてもう50をこえちゃったんだし、そんなことできるわけないでしょうが。ちゃんと、できることはあるって、考え直して頂戴ね。」

恵子さんとブッチャーはそういいあった。水穂はこの間も、深く静かに眠っているのだった。

その翌日。

「こんにちは、小杉です。診察に参りました。」

玄関の戸ががらりと開いて、小杉道子が四畳半にやってきた。

「今日は三日貫徹で、実験を繰り返した結果、この二つの薬が、とてもよい作用をするとわかったものですから、水穂さんで試してみようと思ったものですから。」

小杉道子は、にこやかに言うが、水穂はちょっと怖いなという気がしてしまうのであった。

「怖がらなくても結構ですけどね。ちゃんと実験を繰り返して、安全性だって、確認したんだから。」

「でも、その中で、なん十匹のネズミが犠牲になったんだと思うんだけどなあ、、、。」

ブッチャーが腕組みをして考えていると、

「ネズミと人間は違うわよ。そこはちゃんと考えているから、大丈夫。」

と、道子は、にこやかに笑ってそういうのだった。

「まあでも、あたしたちは従うしかないわ。それは、もう仕方ないから、小杉先生でないと何もできないでしょ。それはもう、あきらめるしかないわね。先生。その薬ってどういうものですか?」

恵子さんがそういったため、それでは、と道子は鞄を下ろして、

「はい。まずこれとこれなんですよ。とりあえず、これは、私が持ってきたサンプルなんですが、とりあえず、二、三日試していただいたら、地元の薬局でも手に入りますからね。」

と、中身を取り出して、二人に見せた。

「これはですね、免疫抑制剤の中でも比較的新しいものなんですが、それぞれ単独で使用すれば、一般的な免疫抑制剤として、SLEなどの患者さんに使うんですよ。でも、水穂さんの場合、症状が複雑すぎて、どれを投与しても、意味はないと言われていました。ですけど、これとこれを併用して投与すると、今まで以上に効果を発揮することがわかったんです。実験はすでに完了していますし、安全性もわかっていますから、投与してみましょうか。」

「うーんつまりこうですか。水穂さんが、生まれて初めての、投与される人間になるということなんですか。」

ブッチャーがそこをちょっと強調していった。

「まあ、今は治験という言葉があるじゃないですか。こういう一般の患者さんで新しい薬の効き目を試すのは、よく行われているんですよ。」

「まあ、そうですがもっと状態の良い人のほうがいいんじゃ?」

「心配は、無用ですよ。ちゃんと安全性も確認されているんですから。じゃあ、投与してみましょうか。」

心配そうなブッチャーをよそに、道子はさっさと薬袋から、二つの粉薬を取り出した。

「本来はカプセルなんですが、今回は、粉のほうがいいなと思って、これにしました。一寸、吸い飲み貸していただけますか?」

「はい。」

恵子さんが、水を入れた吸い飲みを、道子に渡した。道子は、二つの薬を吸いのみに流し込んで、匙で溶かした。

「水穂ちゃん、ほら、起きて。薬、新しいのが来たから。ほら、起きて。」

恵子さんは、眠っていた水穂をゆすぶり起こす。道子が、まだ頭のぼんやりしている水穂に、新しい薬です、と言って、吸い飲みの中身を飲ませた。


その翌日のことである。

ジョチがいつもどおりに、店に出ると、チャガタイが急いでやってきて、

「兄ちゃん電話だよ。何でも鈴木さんというそうだが、ちょっと発音が子供っぽくてさ。敬語というものをあまり理解していないようだから、もしかしたら、外国人だろうな。ちょっと、相談があるというのだが、ちょっと出てやってよ。」

と言った。

「ああ、わかりました。誰のことかすぐわかりますので、すぐでますよ。」

ジョチは、受話器を受け取って、

「はい、曾我です。お電話変わりました。」

と、話し始めた。

「理事長さん、僕だけど、、、。」

電話の相手は間違いなく、ぱくちゃんである。

「あのね、ちょっと相談したいことがあって。蘭さんからはくれぐれも他言しないでくれと言われたんだけどね、どうしても放って置けないの。ちょっと聞いてくれる?」

ぱくちゃんは、心配そうに何か話し始めた。

「実は昨日、蘭さんがうちの店に来たの。それで、水穂さんに新薬の実験に協力してもらうことにしたっていうの。でも、それは保険が利かないので、入手するのに40万が必要なんだって。少しお金を貸してくれないかと、蘭さんはいうんだけど。でも、僕はどうしたらいいのかわからない。なので、相談の電話をしたんだけど。」

やれやれ、蘭も、余分なことばっかりしているな。そんなことしても、無意味なことなのにな、と思いながら、ジョチは質問した。

「ああ、そうですか。蘭さんも頑固というか、単純な男ですね。で、蘭さんに、その40万はお渡ししたのですか?」

「ううんしてない。ただ、蘭さんが、近いうちにとりに来たいって言うんだけど、渡そうかどうか迷ってるの。」

「そうですか。じゃあ、お渡ししないで結構です。まったく蘭さんも、変なところで盲信しすぎるからだめなんですよね。それで水穂さんが迷惑しているのに気がつかないんだからこまったものです。まあいい。連絡してくださってありがとうございます。たぶん、僕たちは、蘭さんを説得しなければなりませんが、そのためには僕一人ではだめで、誰か一人か二人、証人というものが必要になるでしょう。それに、効率よく説得するために、作戦を立てる必要もありますね。それでは、営業時間の開始時刻にそちらに行きますからね。お待ちくださいね。」

蘭も本当に単純な男だなあと、ジョチは半分笑いながら、言った。でも、単純な人ほど、かえって説得するのは難しいということも知っていた。

「そうなんだね。そうなると、水穂さんは、相当悪いの?」

「ええ、まあそういうことになりますね。だから、手の施しようがないという表現を使うんですよ。だけど、テレビとか、そういうものが、まだ可能性があるというような映像をやたら流すから困るんです。そのためには、どれだけの財力が必要なのかを報道しないから、おかしなことになるんでしょ。それをまず第一に教えないと。蘭さんも、そこが不自由ではないから、盲信的になってしまうのではないですか?」

そう、豊かになることは決していいことばかりではないのだ。豊かになって何でもできるから、それはすごいことなのかと思われるけど、そればかりとは、限らない。そこを教えていかないと。

「もう、簡単に死んでしまうという概念はなかなかなくなりましたからね。それが広まってしまうと、かえって命の尊厳というか、その尊さというのでしょうか。それも、忘れてしまうんですよ。そして、次第に誰かに依存するようになって、その人がだめになると、一生懸命神仏にすがって。逆に、水穂さんのようにいなくなったほうが喜ばれる身分の人も存在するんです。まあ、人間社会と言いますのは、複雑で寂しいものですな。いずれにしても、蘭さんは、少しばかり大げさに考えすぎなのかなという節はあります。」

「理事長さん。もう二度と僕のラーメン食べることはないということだね。そこだけははっきりしているんだね。」

電話口でいうぱくちゃんは、一般人らしく、そういうことを言った。

「理事長さんたちは偉いから、そういうすごいこと言えるんだろうけど、僕は、水穂さんにラーメン食べに来てもらえないのが、寂しいなあ。」

「まあ、それは仕方ありませんよ。ぱくさん。その気持ちがあるのは確かにわかりますが、それに振り回されないようにしてください。」

「はい。」

「じゃあ、そちらの営業時間が開始されたら行きますからね。」

「はい。待っています。」

ジョチは、それを言って、電話をきった。続いて、そのまま固定電話で、別の番号を回した。

「あ、もしもし。あの、ちょっと相談したいことがありますので、お忙しいところ恐れ入りますが、来ていただけないでしょうか、、、。」


そして、営業を開始した時刻。いつもの秘密基地、「いしゅめいるらーめん」に、ジョチとブッチャーが来店した。なぜか、証人は多い方がいいという言葉につられたのか、杉三もやってきた。ブッチャーが、富士駅を通りかかったときに、身延線を降りてきた杉三と鉢合わせしたことで連れてきたという。

三人とも、重々しい表情で、ラーメン屋の座席に座る。ぱくちゃんは、急いで水を出した。

「議案書を書いてくる暇がなかったので、口頭になってしまいますが、申し訳ありません。議題は明白ですから、省略させてもらいます。」

「それよりブッチャー。水穂さんは最近どうなんだ?」

ジョチがそういうと、杉三が口を挟んでそういった。ブッチャーは、

「いや、これまで以上に弱ってきているようです。俺から見ても、薬なんて、効いてないなってのがわかるくらいです。あれは果たして、使えるんでしょうか、俺もよくわかりません。確かによく寝てはいるようですが、自然に寝ているというよりも、頭痛を起こして無理やり眠らせているというほうが適切だと思います。」

と、ブッチャーは、事実をしっかり述べた。

「なっるほど。つまり、カウントダウンは近づいているというわけだなあ。」

「まあ、そういうことですね。いずれにしても、薬なんて、役に立つのかどうかと言えば、はっきり言って、無意味ですね。確かに、免疫を抑えるという面では、役に立つということなんでしょうが、そのようなひどい頭痛を起こすようでは、非常につらいだろうなと思いますよ。」

ジョチは、ブッチャーの話を簡潔にノートにまとめた。

「で、ブッチャーさん。その小杉という医者が新たに持ってきた薬ですが、それは、どのような作用をしたのでしょうか。」

「ええ、それがですねえ、、、。」

ブッチャーは、言いながらちょっと詰まってしまう。

「なんだよ。どうしたの?ちゃんと言えよ。」

「それがですね、、、。すみません。一度大喀血した後に、あの小杉っていう医者が来て、その新しいのを持ってきたんですけどね。水に溶かして飲ませましたが、あんまりにも強すぎたらしくて、ご飯の前に顔がパンパンに腫れてしまって、ふらついて気絶してしまいました。それを助けるのには本当にたいへんでした。俺、どうしたらいいのかわからなくて。幸い数時間で戻ったんですが、二度とあれを飲ませる気にはなりませんでした、、、。」

ブッチャーは最後の一文を、ちょっと涙声になりながら言った。

「へえ、あれほどきれいな水穂さんが、そんなに顔が腫れるなんて、本当に珍しいな。一度見てみたいもんだ。」

杉三が、でかい声でそういうと、

「もう、杉ちゃん!俺たちは、介抱するのに、本当に大変で、しまいには、俺たちまでぶっ倒れるくらい疲れたんだぞ!そんなときにつまらない冗談を言わないでくれ!」

ブッチャーのその言い回しから、よほどことは重大だったんだということがよくわかった。

「すまん。まあでも、どんな時でも明るさを忘れず、パーっと行こうな。」

杉三が、またそういうと、ブッチャーは、天井を見上げて号泣してしまった。多分、それが若い男ということなんだろうな、と思われる。

「ブッチャーさんは、まだ経験不足だから、びっくりしただけの事です。でも、それはある意味僕たちでは慰めようがありません。まあ、仕方ないというか、なんというか。」

「いや、こういうときは、変な解説はしないほうがいいよ。つらかったよなあ。お前も。前代未聞の一大事に遭遇したんだもん。泣いて当り前よ。まあそういう時はな、いいとか悪いとか、そういうことはしないほうがいいよ。思いっきり、泣きたければ泣いていいんだ。それに甲乙つけて、若い奴らに劣等感をあげちゃいかん。」

一般的に言って、ジョチの方が、反応としてはよくあるが、若いからと言って、経験不足だからと甲乙をつけるのは、かえって良くない時もある。そうなると、若い奴は、ダメな奴ということになってしまって、さらに劣等感をつけてしまう。

「すみません。杉ちゃんみたいな、慰め方は思いつきませんでした。」

「まあいい。お前さんが、そうやって号泣してくれたおかげで、水穂さんもひどい状態であることは理解できた。それに、道教が、変なところに手を出してきたのもわかったよ。そこを何とか止めないと。そして、蘭が道鏡を盲信しすぎないこと。そこを止めることも、必要だよな。」

杉三が結論付けるようにそう発言すると、

「杉ちゃん、水穂さんの腫れた顔が見たい何て二度と言わないでくれ。あれは、本当に苦しそうで、俺たちは、本当にかわいそうで、たまらなかったんだぞ!」

と、ブッチャーが、でかい声で、そういった。

「つまり、きれいな人ですから、余計にかわいそうに見えてしまったのではないでしょうかね。」

ジョチがそう言うと、

「やっぱりイケメンは得だなあ。」

と、杉三がつぶやいた。

そして会議は、蘭をどうするかという本題に入った。あの頑固な蘭が、道鏡に貢物をするのをどうしたらやめてくれるか、をとにかく徹底的に話し合った。ぱくちゃんは水穂さんの腫れた顔って、想像すると、あまりにもかわいそうで、見ることなんてできないなと思わず首を振った。

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