第25話:夢子が3人目を出産

 また、荻窪、吉祥寺、武蔵小金井、国分寺、国立の立川6店舗は最初から4人体制で開始したが最初は慣れなくて、お客さんを待たせる事もあったが慣れてくると4人でこなせる様になり、ピークは昼の11時から1時だった。

その次が夕方18時から19時の時間帯。各店舗に、大型冷蔵庫を1台ずつ設置した。営業時間は朝9時から、夜21時の12時間とした。


 店舗数が約2倍になったが、3月まで、販売数量は1.5倍程度だった。5月の連休明けの頃から、この店が近所で知られ、徐々に客足が伸び、7月には1.8倍になり、8月は多少減ったが、10月には2倍を超えた。12月には2.5倍に増えてきた。都心に近く、店舗の方がお客さんが多い様だ。この頃、達夫の資産は郵便局の定額貯金などで、1300万円に増えた。


 1982年は、新しい店舗の売り上げが増えたため、立川の別館の製造工場では、忙しく商品を製造していたが、24時間製造をしいると、午前中少し時間が空くので、機械の掃除やメンテナンスをした。そうして1982年の「妻有の里」の純利益総額は2億1千万円で終了し、1983年を迎えた。


 3月を過ぎてから、店舗の売り上げが増えてきて、以前の3倍くらいの売上になり、今年も最低30%以上の利益増が予想された。そうして1983年4月5日、夢子さんが、体調不良を訴えて、お医者さんにかかると3度目の妊娠がわかった。出産予定日1983年10月20日。


 さすがに店長も、銀行員って、意外に好き者なんだと、店長の奥さんと笑った。連絡を受けた達夫は、おもわず、まかたと言ってしまい、銀行中が、笑いの渦となった。家に帰ると、達夫は、夢子に、ご苦労さんといい、ゆっくり休めと言った。この話を母に言うと、家族は多い方が良いよ、私たちは達夫だてした子供がいないが3人の孫ができるのはうれしいと、喜んでくれ、母屋の床の間に来るように言った。


 さて妻有の里は、最初にオープンした店舗が販売数量を伸ばして、夕方に分のおかずとして、買う人が増えてき多様で更に売り上げが増えた。好評な、口コミが増えた様で、今年、オープンした店舗もが期待できそう。半製品を

トラックに載せて運び、運搬時間は、1日3回、8時、11時、15時と決めた。もし店舗に、在庫がある場合は、配送のキャンセルの電話をいれることにした。


 冬場は、水餃子のおいしい食べ方を書いた紙をつけると、注文が増えた。そうして、今年は年間、3億円ペースで順調に売れていった。6月の梅雨も終わり、8月の暑い夏を越えても、昨年の3割増しのペースが続いた。秋に入り、更に売上が伸びてきた。1983年10月17日になると、夢子が産休に入り、1984年2月頃までに復帰しますと告げて帰っていった。


 その後、1983年10月24日に安田家に3000gの大きな男の赤ちゃんが誕生した。次男で健二と命名した。5日後に安田家に帰ってきた。その知らせを聞いた老人ホームに入っている、祖父母の84歳の安田繁と82歳の安田弥生がやってきて、ひ孫の3歳の安田健一と1歳半の安田峰子を見て、可愛いねと大喜びしていた。そうして、孫の安田達夫と夢子さんに3人の子供を作ってくれてありがとうと、出産祝いの厚いのし袋をくれた。


 お礼を言って、お茶を飲んで帰っていった。帰った後のし袋を開けると300万円が入っていた。父にどうしようかと相談すると笑いながら、ケチな金持ちだから、気にせず、ありがとうと行っておけば良いと言ったのでありがたく頂戴した。

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