戦争成金の末裔は商売人
ハリマオ65
第1話:安田達夫の生い立ち
安田達夫の祖父、安田清は八王子の生糸問屋の次男で、生まれた。しかし、生来、悪ガキで16歳の時、悪友と共謀して店の生糸を闇ルートに流し、ひと儲けした。しかし、これが見つかり親に勘当され家を出た。
稼いだ金で短期間に株を買い、下がるとすぐ売り、大儲けして1920年22歳の時、大きな財産を手にした。
関東大震災の時、都心は焼け野原になったが、武蔵野で奇跡的に地震の影響をほとんど受けずに済んだ。
その後、没落貴族の困窮した生活につけ込んで言葉巧みに高利で金を貸し、その担保に屋敷を取り、借金を返せない事がわかると屋敷を手に入れた。
その後の昭和4年の昭和大恐慌の時も、高利貸しをして政治家、高級官僚、没落貴族、有名人相手に高利貸しをして、金・ゴールド、宝石、絹織物、大判、小判、絵画、書、美術品、陶磁器などを差し押さえて私腹を肥やした。
もちろん裏街道の仕事で、ヤクザに追われ、殺されそうになったり、大変な生活だったが、何とか逃げ通し、終戦を迎えた。そして戦後の闇市で金にものを言わせて悪ガキ達を集め、田舎の百姓から食いものをかっぱらったり漁村で魚を仕入れて闇市で売って大儲けをした、いわゆる闇市成金だった。
戦後の混乱期に大きな家を構え比較的良い生活をして、みんなが食うに困っているのに恵んでやる事もせずに大きな金庫に大金をいれて相変わらず法外な利子で伯爵達に金を貸して大儲けしていた、世間の嫌われ者だった。
その後、戦後の混乱期が落ち着いた1951年8月8日に安田治の妻の明美が産気づいて近くの病院の産婦人科に入院し3日後の1951年8月11日早朝に2950gの元気な男の子、安田達夫が誕生した。
達夫が物心ついた頃には自家用車もあって優雅な生活をしていて、家は武蔵野の一軒家で納屋と離れがあり敷地が300坪ほどある豪邸。戦後の混乱期に元貴族に金を貸して借金が払えなかったのでせしめたようだ。
近くの小学校時代は家が大きいので多くの友達が来て家の庭を走り回って遊んだ。達夫は自分の父が好きではなかったので裕福でない大工、魚屋、トラック運転手の子供達と馬が合い、多くの友達をつくった。
両親は子供達の教育に、余り興味が無く自由にさせてくれた。しかし祖父は、算数だけは、しっかりやっておかないと金勘定で誤魔化されて損すると、うるさく言い、ソロバンと暗算を徹底的に教え込み、間違えると、容赦なく、げんこつが飛んできた。そのため算数の成績は非常に良かった。
達夫が中学に上がると、競争好きな性格から中学のソロバン部に入部して市内、都内の大会に出て賞状をもらう程の腕前になった。中学では数学が学年トップ、英語は近く
にあった教会の娘と仲良くなり英語に興味を持ち始めた。
理科、社会も上位であり、国語も色っぽい小説が、好きになり、熟読し、成績上位だった。つまり動機は不純だが熱い性格であり、それが成績に反映し、近所の名門校、都立国立高校へ入学した。その後も、しっかり勉強した。
お爺さんと、仲が良く、小さい頃から株屋(証券会社)に連れて行ってもらい株の話を聞かされた。儲かると昼飯をおごってくれ、頭を使うと、肉体労働よりも、もっと大きな金が手に入ると、よく話してくれた。
ただ、ケチな性格で小遣いは決してくれず、金のありがたみを知るには、自分で稼ぐ事だと、口癖のように語っていた。辰男は、高校に入っても、浮いた話はなく、特定の女友達もいなかった。
しかし、旅は好きで、友人に自転車屋でもらったボロ自転車にのって、奥多摩、秩父に出かけた。そのうち山登りも始めて、1人で登山するようになった。
また、布きれを探して、竹と、小さな鉄の杭で簡易テントをつくり、山で泊まる事を覚えて、サバイバルが好きになった。奥多摩の川で鮎、その他の魚を釣って食べたり、キノコ、山菜の見分け方も覚えた。5月に、竹の子、季節の山菜を採ってきて、サバイバル生活に興味を持ち、楽しい高校生活を過ごした。
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