第7話 謁見③
金色の瞳が、玉座前に居並ぶ〈四大主〉たちをぐるりと見渡す。
「〈四大主〉よ……四方の要、その守護について、近況を余に報告いたせ。〈明けの国〉にさざ波を感じる……戦の種が燻っておるな……」
そう切り出して、頬杖を突いたままのリザリアがリンゲルトを指差した。
「リンゲルト、まずは貴様からぞ」
跪いていたリンゲルトが頭を上げる。肉のない顔に表情などなかったが、リザリアに言葉をかけられた慶びに、頬骨さえも綻んでいるようだった。一呼吸置いて、近況を告げ始める。
「はっ。我が〈ネクロサスの墓所〉におきましては、この半年で三度ほど、〈明けの国〉より小さな侵攻がありましてございます。そのいずれにおいても、〈明けの国〉の兵力は我が兵たちの前に歯も立たず、蜘蛛の子を散らすように敗走しておりまする」
「ふむ、大義ぞ。カースの方はどうなっておるか」
次に王から指名を受けたカースが、統括地〈暴蝕の森〉について報告を上げる。
「我らが〈森〉にも、人間たちが事ある毎にやって来ております。どうやら〈森〉の一部を持ち帰っている様子……害にならぬ人間はそのまま放っておりますが、深みへと踏み入ろうとする者については爪の一枚も残さず始末しております」
「うむ……ローマリア、貴様はどうか」
継いでローマリアが、西の統括地〈星海の物見台〉について語る。
「わたくしの〈塔〉へは、人間の魔法使いの放った使い魔が度々。遠見の魔法で〈塔〉の内部を覗き込もうとした輩もおりました。いずれについても、わたくしの魔力を逆流させて追い返しております。無事に済んではおりませんでしょう……ふふっ」
「……最後にゴーダ、報告いたせ」
そして最後に指差されたゴーダが、〈イヅの大平原〉での先日の戦闘について口を開いた。
「我が〈騎兵隊〉は、つい昨日〈明けの国〉との戦闘を経験いたしました。武装解除と城塞の放棄を迫られた末の状況でありました。特殊な装備の上級騎士まで出張ってきていた様子。撃退いたしましたが、これによって侵攻の手が止まるか、報復の大義名分を振りかざして本格的に戦線を動かしてくるか、気を抜けません。現在、監視を強化させております」
「そうか。皆、大義である」
〈淵王リザリア〉の労いの言葉を受けて、〈四大主〉たちは再び頭を深く垂れた。
「四方のいずれにも、人間が近づいておるということ。この状況、どう見るや?」
リザリアの問いかけに、リンゲルトが身を起こした。
「軟弱で愚かな人間の為すことにございます。我が〈墓所〉に眠る財宝欲しさに愚行に及んでおるのでございましょう。陛下、お許しいただければこのリンゲルト、逆に打って出て領土を奪って参りましょうぞ。本を正せば、あの地は古くは我ら魔族の地でありますゆえ」
「ならん」
リンゲルトの熱の籠もった進言を、しかしリザリアは思慮する間もなく却下した。
「陛下、何を臆することがございましょうか。この老骨めにお任せいただきさえすれば――」
「二度は言わぬぞ、リンゲルト」
〈淵王リザリア〉が、冷徹な視線と有無を言わせぬ言葉で〈渇きの教皇リンゲルト〉を射貫いた。
「余の言葉、聞こえぬとは言わさぬ」
「ぐっ……お、仰せのままに……」
気圧されたリンゲルトはぴたりと口を閉じ、それ以上は何も言わなかった。
「……護りの手薄な箇所を探っているのでしょう」
リンゲルトが黙りこくったところで、ゴーダがリザリアの問いへの回答を引き継いだ。
「ふむ……よい、続けよ、ゴーダ」
リザリアの金色の瞳が、暗黒騎士をじっと見る。
「〈暴蝕の森〉には学者か冒険者と思しき者が。〈星海の物見台〉には魔法使いの差し金……南方と西方は、どちらも力押しでは突破できぬ要所です。対して北の〈ネクロサスの墓所〉と、我が東方〈イヅの城塞〉は力で真っ向勝負を挑む類いの要所。〈明けの国〉はそれらの特徴を理解し、それぞれの弱点を見つけ出そうとしているものと思われます」
「貴様ならそうするというのか? ゴーダよ」
リザリアが冷たい声で問う。答えに詰まることも憚られる重圧が、そこにはあった。
「……私が人間――とりわけ、戦場を机上の遊戯と捉える人間だったとすれば、そうするでしょう」
「その為に配下の者を捨て駒にしてまでか?」
「それが効率的であると判断すれば」
「何の為にや?」
「領土の拡大、名誉と名声、不満のガス抜き……考えられるものは様々です。理由は複雑なのでしょう――あるいは、誰も理由など知らないのかもしれませんが」
「そういうものか」
「そういうものです、人間というのは」
「……ふふっ」
ゴーダの言葉を横で聞いていたローマリアが、思わずクスクスと笑った。
「当を得ているようでいて、その実何も言っていないのと変わりませんわね、ゴーダ。要するに、何も分かりませんけれど、人間の脅威だけが確かにあるということですわ。間違っていて?」
「……そうとも言うな」
兜越しに魔女に一瞥をやったゴーダが、苦々しげに呟いた。
「あらあら、困りましたわね? それでは近い内、もしかすると、この中の誰かが斃れてしまうなんてこともあるのかしら?
人間の手にかかって……ふふっ」
ローマリアの辛辣な言葉に、一同が沈黙した。
「……何を言うかと思えば……私に限って、それは有り得ん」
〈魔剣のゴーダ〉が、きっぱりと否定した。
「ええ、わたくしも、そのようなつもりはなくてよ?」
〈三つ瞳の魔女ローマリア〉が嘲笑する。
「我らが斃れるなどと……侮辱はやめていただきたい」
カースと呼ばれた男が、呆れた様子で首を振った。
「ふん、この程度の探りの入れようでは、どのみち無駄骨よ。儂らの切り札の存在を知らぬままに手札を見透かした気になって、痛い目に遭うだけと分からぬか、〈明けの国〉の連中は」
〈渇きの教皇リンゲルト〉が、不機嫌そうに顎をカチカチと打ち鳴らした。
「威勢のよいものよ」
その様子を玉座の上から見ていた〈淵王リザリア〉が、感情のない声で言う。
「それでこそ、〈四大主〉の地位を預かる者たちよ。その力で以て、このリザリアに奉ずるがよい」
その言葉に忠誠を誓うように、〈宵の国〉最大の戦力を誇る四人は、もう一度深く頭を垂れた。
「それでは陛下、我らはこれにて失礼いたしまする。次の謁見が叶う日を心待ちにしております」
玉座を前に、最古参の〈四大主〉であるリンゲルトが一同を代表して帰路に就くことを告げた。
その言葉を合図にして、皆は一礼した後、玉座に背を向け歩き出した。その先には、いつの間にか再び姿を現した〈四人の侍女〉が見送りの為に整列している。
「うむ……まぁ待て、皆よ」
〈四大主〉たちの背中を、〈淵王リザリア〉が呼び止めた。
「今しばらく、ゆっくりしてゆくがよい」
リザリアが、無表情のままそう言った。
「御言葉ですが陛下、我らは要の守護に戻らねばなりませぬ故――」
「宴の席も侍女に用意させておる。ゆっくりしてゆくがよい」
リザリアが、顔色を変えることなく重ねて言った。
その言葉を聞いた瞬間、ゴーダ、ローマリア、カース、そしてリンゲルトに衝撃が走った。
「(!! リザリア陛下が……! あの、大事なことでも二回は言わないリザリア陛下が!)」
「(に、二度も仰いましたわ!)」
「(『ゆっくりしてゆけ』と、確かに二度仰った)」
「(な、何という事じゃ! よもや宴の席までご用意くださっておったとは! へ、陛下……!)」
そしてゴーダが、兜の上から目頭を押さえた。
「(うっ、陛下……ずっと一人きりで寂しかったのか……)」
ローマリアが、白い絹のハンカチを取り出して目許に当てた。
「(嗚呼、陛下……寂しい思いをされておいででしたのね……)」
カースと呼ばれた男が、直視できずに思わず顔を俯けた。
「(陛下、孤独の寂しさを微塵も感じさせぬ王たる振る舞い、敬服いたしました……!)」
リンゲルトが白骨化した手のひらで、空っぽの眼窩を覆った。
「(おお、陛下……そのお寂しさを汲み取れませなんだ、愚かな老骨めをお許しくだされ……!)」
そして〈四大主〉たちは一斉に玉座の下に駆け寄り、これまでで最も美しい姿勢で素早く跪いた。
「「「「御言葉に甘えて、ゆっくりさせていただきます、リザリア陛下」」」」
一糸乱れず息を合わせて、一同が声を揃えて言った。
「そうか……そういたすがよい」
リザリアの能面のような顔が笑ったように見えたのは、気のせいではなかったのかもしれない。
そしてゴーダは、心の中で一言だけ呟いた。
「(許せ、ベルクト。帰りは少しばかり、遅くなりそうだ)」
***
――同時刻。深夜。〈イヅの大平原〉。
月の碧い光も闇夜に溶けた中、平原を歩く人影があった。
疲れ果てた吐息に混ざって、命そのものまで零れ落ちていくようだった。歩を進める脚は上がらなくなって久しく、ズルズルと足を引き摺る音が夜の静寂を掻き乱す。
人影の後ろには、赤い血痕が点々と続いている。その歩みがただひたすら片道を逝くだけであることは、人影自身が誰よりも一番よく知っていた。
「はァ……はァ……アイ、リィン……お前は、必ず……生き延びる、のだ、ぞ……」
苦しげな吐息が止まり、そしてバタリと鎧を纏った身体の倒れる音が聞こえた。
「……無……念……」
蒼い甲冑が月の光を浴びて、不吉に光った。
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