第4話 暗黒騎士の軌跡
〈宵の国)東方国境地帯……〈魔剣のゴーダ〉を筆頭とする〈イヅの騎兵隊〉対〈不動のデミロフ〉率いる〈明けの国騎士団〉による戦闘―〈イヅの大平原戦〉、戦果。
〈イヅの騎兵隊〉……出動兵力数五十二。負傷兵数十八。戦死者ゼロ。
〈明けの国騎士団〉……出動兵力数二百四十。負傷兵数百八十。被害甚大。
〈明けの国騎士団〉、大将〈不動のデミロフ〉の敗北により、敗走。
〈イヅの騎兵隊〉、装備品への損害複数につき、城塞内工房にて新製・修繕が必要。
今次の拠点防衛戦は、〈イヅの騎兵隊〉の圧勝で幕を閉じた。
「―報告は以上です」
メモを読み終え、慣れた手つきで紙を巻き取りながら、ベルクトが思い出したように付け加える。
「ご命令通り、〈明けの国〉側の戦死者もゼロです」
「ご苦労」
全身に甲冑を着込み、兜だけを脱いだゴーダが執務机に両肘を立てている。
「皆によくやったと伝えてくれ。十分に休息をとるようにとも」
「承知いたしました」
漆黒の鎧兜姿のベルクトが、くるりと背中を向けた。
「待て、ベルクト」
執務室から出て行こうとしていた漆黒の騎士を、何かを思い出した様子のゴーダが呼び止めた。
「これを返し忘れるところだった」
椅子から立ち上がり、ベルクトの前に歩み寄る。ゴーダが差し出した手の中には、先の戦闘でデミロフを退けた〈カタナ〉が、鞘に収められた状態で握られていた。
「……これは?」
ベルクトが兜の下できょとんと小首を傾げて、不思議そうな声を出す。
「何を言っている。お前の〈カタナ〉だろう。さっきは助かった。礼を言う」
そう言って、ゴーダが〈カタナ〉をベルクトに差し出した。
「……。いえ、それはゴーダ様がお持ち下さい」
言われたことが一瞬理解できなかったのか、わずかの間があってから、ベルクトが首を横に振る。
「それはもう、ゴーダ様に差し上げたつもりでおりましたので」
「そういう訳にもいかん。ベルクト、お前はもう少し自分の持ち物に愛着を持ってやれ。幾ら同じように作られている物だとしてもな。戦場で命を預ける相棒だ、大切にしてやることだ」
そう重ね、ゴーダが〈カタナ〉をベルクトにぐいと押しつけた。
「……。左様ですか」
ゴーダをじっと見上げたまま、ベルクトはそっとそれを受け取る。
「大切に、と。確かにそうかも知れません―承知いたしました」
鞘に収まった「相棒」を胸に寄せて、漆黒の騎士はそれを両手で大切そうにぎゅっと握り締めた。
「うむ。分かってくれればそれでいい」
「はい。私の私物はただの道具に過ぎませんが、ゴーダ様から頂いた物は、特別です」
ベルクトが、自分の腰に目を落とす。その視線の先には懐中時計がぶら下がっていた。
「この〈懐中時計〉と、それに〈カタナ〉……大切にいたします」
「ん……う、うむ。そうするといい」
「はい。それでは、私はこれにて」
「お前もゆっくり休むんだぞ、ベルクト」
「ゴーダ様も、ご養生下さい。失礼いたします」
そうして執務室の扉は閉ざされ、部屋の中にはゴーダ一人きりとなった。
「……ふうぅ……」
一人になったゴーダは、緊張を解すように大きな溜め息を吐き出し、全身を締め付けている甲冑の留め具を一つずつ外していった。
身軽になると、そのまま執務室に据えられた革張りのソファへ倒れ込む。
「……あーっ……疲っかれたぁ……」
ソファに顔を埋めたままの自分の声が、モゴモゴとくぐもって彼の耳に届く。
「デミロフ、相当な手練れだったな……。〈蒼石鋼〉の全身甲冑なんて聞いたことないぞ、まさかあんなに硬いとは……洒落になっていなかった……」
全身が軋んで、筋が強張っているのをゴーダは自覚する。
「久々に〈魔剣〉を使ったせいか、鈍っているな。そういえば最近は事務仕事ばかりだったか」
独り言を零しながら、眠るわけでもなくソファの上に突っ伏したままじっとしている。
「私はただ、ここであいつらと静かに暮らしたいだけだというのに、近頃はどうにも物騒だ……。だから嫌なのだ、人間というのは……」
ふいに、ゴーダの脳裏に先の戦場の記憶が蘇る。何百もの足が大地を踏む地鳴りと、甲高い剣戟の音。舞い上がった土埃に混じる血の臭い。
「本当に、嫌になる……」
彼の意思とは無関係に、記憶は尚も蘇り続ける。氷のように張り詰めて肌を刺す空気。手元に伝わってくる戦闘の重圧。そして言葉には置き換えきれない高揚感……。
「……『高揚感』だと?」
倒れ込んでいた身体をむくりと起き上がらせて、ゴーダは自分のその感情に違和感を覚えた。
彼がじっと目線を落とす先で、右手にはまだ戦場の感触が残っている。
「……疲れているな……良くない」
こびり付いたままの血生臭い空気を拭うように、頬をその手で撫でつけた。
自分の顔が笑っていることに気付いたのは、そのときだった。
「……」
表情筋が吊り上がっているのを、無理やり引き延ばす。無言のままソファの前に据えられている長机の抽斗を開け、酒瓶とグラスを取り出す。酒を注いだグラスに、夕陽が溶け込んだ。
酒を一息にあおる。濃いアルコールが喉を焼き、内臓が熱を帯びていく。
「うっ……効くな……この酒は、強すぎる……」
もう一度、確かめるように自分の顔に触れると、そこから薄ら寒い笑い顔は消えていた。ゴーダは何かに安堵するように、深くゆっくりと息を吐き出してソファの背もたれに頭を預ける。
半ば無意識の内に、別の抽斗を開ける。指先の感覚だけを頼りにその中を漁り回る。そして閉じた瞼の薄闇を見つめながら、手元に掴んだそれを指で弾くと、ゴーダは鼻先に熱が灯るのを感じた。
ゆっくりと息を吸い込んで、呼吸を止める。
「……ふうぅ……」
吐き出した煙の臭いは、その身体には馴染まなかった。
「……不味い……煙草なんぞ、最後に吸ったのはいつ以来か。古くなりすぎだ……」
一息だけ吸って、ゴーダは火の点いたままの煙草を宙に弾き飛ばした。くるくると煙の尾を踊らせて、放物線を描いた煙草が絨毯目がけて落下していく。
その光景をぼんやりと眺めながら、ゴーダは虚空に伸ばした左手でぐっと握り拳を作った。
その瞬間、今にも絨毯に落ちて焦げ跡を付けようとしていた煙草が、跡形もなく消失した。
ジュッ。と、目の前で何かが焼ける音がした。絨毯の上に弾き投げた筈の煙草が、ゴーダの手元、長机の上に落ちて灰を散らばらせていた。その真横には、酒を注いだグラスが鎮座している。
それを見て、ゴーダは自分が参っていることを改めて痛感した。
「……外したか。どうにも落ち着かんな」
感情がぐるぐると渦巻いているのを感じて、酷い不快感を味わっていた。滅多に飲まない酒をあおっても、最後に吸ったのがいつかも思い出せない煙草を燻らせても、それは収まらなかった。
「……映画でも観るか」
自分自身に言い聞かせるように呟いて、ゴーダは手元にある〈箱〉の〈ボタン〉を押した。
小さな音を立てて〈ファン〉が回転を始め、チカチカと〈アクセスランプ〉が点滅し始める。目の前の〈ディスプレイ〉に青白い光が灯り、そしてそこに〈ようこそ〉の四文字が浮かび上がった。
ゴーダの執務室兼私室には、この世界のどこにも売っていない酒があり、この世界のどこでも作られていない煙草があり、そしてこの世界にはある筈のない、〈ノートパソコン〉があった。
魔族領〈宵の国〉、東の守護者〈魔剣のゴーダ〉―彼は、異世界からの転生者であった。
***
―魔族領〈宵の国〉東方、国境近郊。人間領〈明けの国〉側、森林地帯。
「人間嫌いの〈宵の国〉の護り手……〈東の四大主〉、であるか……」
そう呟くデミロフの声は、呆然としていた。
「デミロフ様……お気を確かに……!」
蒼い鎧の武人は、後退軍の中程を、狼の騎士アイリィンに支えられながら歩いていた。
「はぁ……はぁ……。このような、真似は……無謀だった……無益でしかなかったのだ……」
熱に浮かされたように呟いて、デミロフががくりと座り込んだ。苦しそうに肩で息をしている。
「デミロフ様、どうされたというのです!?」
デミロフの前に膝を突いて、アイリィンが上官の肩を揺すった。
「我らはまだ戦えました! 何をそのように気を弱くされているのですか!」
「アイリィン……某は、ここでいい……先に、行け……」
「……何を……?」
「先に行けと言ったのだ……これ以上、某に構うでない……」
そう呟いた彼の、〈蒼石鋼〉の両腕の装甲から、血が滴っているのがアイリィンの目に留まる。
「デミロフ様、お怪我を……!」
「構うな……アイリィン……」
デミロフが、懇願するように言った。
「……。失礼します!」
そしてアイリィンが、上官の言葉を無視して蒼い鎧の留め具に両手を回した。
「やめろ……見るな……」
カチャリと、留め具の外れる音が聞こえる。
「見ないでくれ……アイリィン……」
ドサリ、ドサリと鈍い音が二つ聞こえて―傷一つついていなかった〈蒼石鋼〉の鎧の中から、斬り落とされたデミロフの両腕が地面に落ちて転がった。
空気が凍りつき、撤退中の兵たちも、アイリィンも、デミロフも、誰も口を利けなかった。
「……あ……」
何刻も続くような重く冷たい沈黙の後、アイリィンの漏らした声が無音の中にぽとりと落ちる。
「あ……あ……」
顔を青くして、瞬きも忘れて、何が起きているのか理解できない彼女が両手で頭を抱え込む。
「……え……? 何、が……? 何、これ……? あたしは、何を見て……?」
「……アイリィン……聞け……しかと、聞くのだ……」
額に脂汗を浮かべて、デミロフが重い口を開いた。
「〈不屈のアイリィン〉よ……今、この時を以て……お前を近衛兵長に任命する……。隊を、率いて……王都まで無事に帰還せよ……」
「そん、な……何を言っているのですか、デミロフ様……あたしには、貴方の代わり、なんて……」
「アイリィン!」
デミロフの怒声に、頭を抱え込んでいたアイリィンが飛び上がる。その目には涙が浮かんでいた。
「両腕を失くした某に、もはや騎士は勤まらん……お前を育てた某の意思まで、絶やしてくれるな」
そう言ってデミロフが浮かべた顔は、騎士のものではなく、一人の男の顔だった。
「……。……あぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
〈不屈のアイリィン〉のその絶叫は、主を失った狼の遠吠えのようだった。
「はぁ……はぁ……」
〈不屈のアイリィン〉がその場を去ってから、幾らかの時間が経っていた。
デミロフを担いででも帰還しようとするアイリィンに、彼は厳しい言葉を何度も投げた。そして最後には根負けした彼女が、嗚咽を噛み殺し、震える背中を向けて去っていった。
残っているのは、両腕を失ったデミロフと、十数名の殿を務める騎士たちだけである。
「これで、いい……〈イヅの騎兵隊〉の追撃がないとも、言い切れぬ……アイリィンならば、無事に皆を連れ帰ってくれよう……」
座り込んでいた姿勢から、息を整えたデミロフが立ち上がろうとする。支えを失ったその身体はふらふらと危なげに左右に揺れて、なかなか起き上がることができないでいた。
それを見かねた殿の騎士の一人―〈魔剣のゴーダ〉に最初の弓を放った大弓の騎士が、デミロフを支えて立ち上がらせた。
「面目ない……。〈魔剣のゴーダ〉……よもや、これほどとは……」
デミロフが、一歩二歩と重い足取りで歩き出す。
「殿下に……何としても、陳情申し上げなければ……」
ゆっくりと前に進むデミロフに合わせて、彼を支える大弓の騎士が歩幅を合わせて並進する。
「〈宵の国〉を、無為に刺激してはならぬと……。たとえ、生き恥を晒すとしても……某のこの姿を見れば……殿下も、お気を改めて下さろう……」
赤黒く染まった包帯から血が滴る。その痕が、デミロフの足取りを地面に刻み込んでいた。
「それまでは……死ぬわけにはいかぬ……!」
そしてぴたりと、デミロフを支えていた大弓の騎士が歩みを止めた。
「……どうした……?」
木々の生い茂る林の中は風が止み、空気には血の臭いが混ざり込んでいる。
「どうした……なぜ、立ち止まる……?」
訝しんだデミロフが、大弓の騎士の兜を覗き込み、名を呼んだ。
「……ニールヴェルト……」
生ぬるい、嫌な風が吹いた。
「……んんー……それはちょぉっとぉ……面白くねぇなぁ……」
銀の兜の内側で、二つの目がデミロフを嘲笑うように、ニヤと半月形に歪んでいるのが見えた。
「こういうのはよぉ、大袈裟なぐらいがちょうどいいんだぜぇ?」
ケタケタと嗤う大弓の騎士が上げた手には、折れた片刃剣が握られていた。
「貴様……一体、何を……」
「別に大したことじゃねぇですよぉ。ほら、俺ぇ……お祭り騒ぎが好きだからさぁ……」
止まらない嗤い声が、兜の奥で不気味に反響した。
「なぁ、あんたも、そう思うだろぉ?……デミロフ元隊長ぉ……ひははっ」
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