第3話 〈宵の国〉と〈明けの国〉③
「〈蒼石鋼〉……超高硬度鋼か。また随分と希少な金属で装備をしつらえたものだ」
合点がいった様子のゴーダが、呆れた声を出す。
「その装備に注ぎ込んだ資材と資金を全体に回せば、兵力を三割は底上げできたものを」
「しかし、それをたった一人に注ぎ込んだことで、この圧倒的な優位があるのだよ!」
デミロフがおもむろに盾を背中へと回し、メイスを両手持ちに切り替えた。
「もはや、盾など不要」
武装の相性を把握したデミロフの動きは大胆だった。盾による防御を捨ててもまだ優位と踏んでの両手持ちのメイスの圧はこれまでの比ではなく、速さも破壊力も数段の上昇を見せる。すれすれのところでかわしつづけるゴーダの耳に、メイスが空を切る音が絶えず聞こえ続けた。
「どっせい!」
勢いづいたデミロフの、とりわけ大きな一撃が地面に突き刺さる。そこに生じた大きな硬直を突いて、ゴーダが刃こぼれしかけている〈カタナ〉でデミロフの首元に斬撃を放った。
金属同士がぶつかり合う、甲高く不快な音。そしてデミロフの勇ましい声がそれに続く。
「そんななまくらでは、某の〈不動〉の二つ名たるこの甲冑には傷もつかぬぞ!」
「ちっ……!」
デミロフがメイスを振り上げ、重い一撃が飛ぶ。ゴーダは堪らず〈カタナ〉でそれを受けた。
〈不動のデミロフ〉の甲冑と盾と同じく、そのメイスもまた〈蒼石鋼〉製の一振りである。その他を圧倒する堅牢な一撃に、ゴーダの〈カタナ〉は耐えきれなかった。
バキリと鈍い音を立て、〈カタナ〉が真っ二つに折れる。メイスの威力はそれだけに留まらず、受けきれなかった衝撃がゴーダを直撃し、その身体を数メートル後方へと吹き飛ばした。
「〈イヅの騎兵隊〉大将、敗れたり! 〈宵の国〉東方の守護者など、恐るるに足りん!」
我勝機を得たりと、デミロフが勝ち誇った声を上げた。それに押されて周囲の士気も更に高まる。
「〈イヅの城塞〉は、我らが頂戴する! そしてここを〈宵の国〉進軍への橋頭堡としようぞ!」
「……やれやれ……これは、本当に参った……」
デミロフに吹き飛ばされ、地面に倒れ込んでいたゴーダがむくりと上体を起こした。
「この地を〈宵の国〉への足がかりにされては、私の責任問題だ……それに――」
ゆらりと両腕を垂らしながら静かに立ち上がり、ぶつぶつと呟く。
「それに……『東の守護者など恐るるに足りん』だと? 聞き捨てならんな、そればかりは」
「……何を?」
「ベルクト!」
目の前にいるデミロフを無視して、ゴーダが部下の名を戦場に呼んだ。
「は、ここに。お呼びですか、ゴーダ様」
どうやって戦場をすり抜けてきたのか、ベルクトがゴーダのすぐ傍に跪いてみせていた。
「今は何刻か?」
静かに尋ねたゴーダに応えて、ベルクトが腰に吊した懐中時計の風防を開ける。
「只今、十七の刻、四つ分けの二ちょうどです」
「よろしい」
跪いたままのベルクトに頷き返しながら、ゴーダが続ける。
「ベルクト、〈カタナ〉を折ってしまった。お前のを貸してくれ」
「承知いたしました」
そう言うと、ベルクトは美しい所作で〈カタナ〉を収め、それをゴーダに差し出た。
「どうぞ、お使い下さいませ。ご武運を、ゴーダ様」
「すまんな」
「いえ――」
と、謙遜するベルクトの背に、一人の銀の騎士が斬りかかった。
まるで、背中に目でもついているようだった。ベルクトは背後を振り返りもせず、しなやかな身のこなしで一撃をかわす。宙返り、逆立ち、転身と、およそ甲冑を着ているとは思えない動きで間合いを取ったかと思うと、呆気に取られている相手の側頭部めがけて、回し蹴りを叩き込んだ。
「――別段、問題はありません」
気を失った銀の騎士が顔面から地面に倒れるのを見ながら、ベルクトが涼しい声で言葉を継いだ。
「……そういえば……申し遅れていた」
ベルクトから手渡された〈カタナ〉を腰の吊るし具に提げて、ゴーダがデミロフに向き直る。
「我らは、〈イヅの騎兵隊〉。この魔族領〈宵の国〉が君主、〈淵王〉陛下にお仕えする四方の護りの要、〈四大主〉――その中でも最強の誉れを頂く軍勢である」
そして蒼い鎧を纏う武人に敬意を表するように、暗黒騎士はゆっくりとお辞儀をしてみせた。
「我が名は、ゴーダ。四人の魔族最高位が一人、〈東の四大主〉である。この身に賜る二つ名は、〈魔剣〉……〈魔剣のゴーダ〉。〈不動のデミロフ〉、ここに、貴殿の奮闘を称えよう」
ゆったりと落ち着きのある声でそう言ってみせた後、〈魔剣のゴーダ〉が静かに顔を上げた。
「そして〈明けの国〉へ、貴公ら人間の国の王へ、伝え聞かせよ――『〈宵の国〉の東の地は、攻略不可能である』と」
〈明けの国騎士団〉優勢の状況下にあって、ゴーダのその堂々とした口上はデミロフに得も言われぬプレッシャーを与えていた。これまでとは違う嫌な汗が、手のひらに滲み出る。
「っ……剣を持ち替えたところで、なまくらはなまくらよ……! その〈魔剣〉とやらはこの〈蒼石鋼〉の前では無力であると、それが分からぬわけでもあるまい、ゴーダ卿」
デミロフが、ゴーダに負けじと声を張り上げた。
「確かにその通り。我らの〈カタナ〉では、その〈蒼石鋼〉は貫けん」
ゴーダが、鞘に収まる〈カタナ〉の柄に手をかける。そして腰を落とし、抜刀の構えを見せた。
「……だが、デミロフ殿。貴殿の〈不動〉の二つ名を斬ってみせるのに、その鎧を割る必要はない」
ゴーダから迸る闘気に、デミロフが思わず固唾を呑んだ。
「デミロフ。これが正真正銘、最後の警告だ――去れ。兵を退かせて、この〈宵の国〉へ侵攻しようなど二度と考えるな……言っただろう。私は、人間嫌いだと」
気がつくと、デミロフの足は無意識の内に一歩後ろへ下がっていた。
そのことにはたと気付き、蒼い鎧の武人はここで退いてなるものかと食い下がる。
「ぬぅっ! この期に及んで虚勢を張るとは笑止! ここで退くなど、末代までの恥である!」
そう言って、〈不動のデミロフ〉は両手持ちのメイスを上段の構えで頭上に高々と振り上げた。
「……ならば我が〈魔剣〉の神髄、その身を以てとくと知れ」
抜刀の構えを取ったまま、ゴーダが告げる。
「貴殿にとって、次が最後の一撃になると、予め言っておく。全身全霊で臨め」
空気が、ぴんと張り詰める。デミロフは、ゴーダの言葉に気圧されていることを自覚する。そして同時に、武人としての誇りと血潮が滾る感覚も覚えていた。高揚が、身体中を駆け巡る。
「……いざ――」
次の瞬間、〈不動のデミロフ〉が雄叫びを上げた。
「いざ、尋常に勝負!」
デミロフが上段の構えのまま猛烈な勢いで突進をかけ、ゴーダとの距離を一気に詰める。
対するゴーダは、じっと構えたまま微動だにしない。静かに呼吸を繰り返し、飛び込んでくるデミロフを瞬きもせず見据えている。〈カタナ〉は鞘に収まったまま、刃の片鱗も覗かせていない。
ゴーダをメイスの間合いに捉えたデミロフが、全力の一撃を振り下ろした。
その脳裏に、「勝利」がかすめ――。
「――〈魔剣一式:冑通し〉」
刹那の交差の後、沈黙が降りた。
デミロフの渾身の一撃は、空を切っていた。
互いに背中合わせに立ったまま、ゴーダの手にはいつの間にか抜かれた〈カタナ〉が握られていた。超高速の居合抜きを放った刃には、わずかに赤い血糊が貼り付いている。
対するデミロフの〈蒼石鋼〉の甲冑には、傷一つついてはいなかった。
ゴーダが〈カタナ〉を素早くさっと振り、血糊を飛ばす。
刀身が鞘に収められると、鍔がかち合うカチンという小気味のよい音が周囲に響いた。
そしてゴトリと鈍い音を立てたのは、地面に落ちたデミロフのメイスだった。
「……はぁ……はぁ……っ!」
だらりと両腕を垂らして、デミロフが棒立ちになったまま驚愕の吐息を漏らしていた。
「勝負あった。貴殿の負けだ……〈不動のデミロフ〉」
敗北の動揺に言葉を忘れているデミロフの背中を振り返り、ゴーダが別れを告げるように呟いた。
「デミロフ様ぁっ!」
そのとき、銀色の人影が視界の端をさっとよぎった。二人の間に、一人の騎士が割って入る。
全身の至る箇所に狼のレリーフが施された甲冑を纏う、狼の騎士。それが〈不動のデミロフ〉を庇うようにして、〈魔剣のゴーダ〉の前に立ち塞がっていた。
「がるる……」
狼の頭部を模した兜の奥から、まるで本物の狼のような唸り声が聞こえる。
「……よせ……」
デミロフの掠れた声が、狼の騎士の背中へ語りかけた。
「……撤退する……」
「何を仰るのです、デミロフ様! あたしは……あたしはまだ戦えます!」
「命令である! アイリィン!!」
そう叫んだ直後、デミロフがどさりと音を立てて膝を突いた。
「デミロフ様!?」
アイリィンと呼ばれた狼の騎士の声は思わず震えていた。狼狽した様子で、兜を脱ぎ捨てデミロフに駆け寄る。炒った麦のような濃い茶色をした髪と、左の側頭部に結われた短い三つ編みがゴーダの目に鮮明に写り込んだ。
「女……か」
「……ぐるるる……」
デミロフに肩を貸し、ゴーダを威嚇しながら、アイリィンがゆっくりと立ち上がる。
「兵を、退かせるのだ……アイリィン……我らの、敗北である……」
「……承知……しました……!」
アイリィンの狼の如き形相が、彼女の戦士としての誇りと執念と、そして無念を物語っていた。
その後間もなくして、〈不動のデミロフ〉の命令によって、魔族領〈イヅの大平原〉へと踏み入った〈明けの国騎士団〉は、人間領へと引き揚げていった。
それまでの喧噪が嘘のように静まり返った草原の只中で、懐中時計の風防の開く音がする。
「十八の刻ちょうど……こちらも引き揚げる。残業は無しだ」
「承知いたしました」
そうして懐中時計を仕舞い込み、側近ベルクトと〈イヅの騎兵隊〉を引き連れて、暗黒騎士〈魔剣のゴーダ〉は城塞へと帰還していった。
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