第2話 〈宵の国〉と〈明けの国〉②

 ゆらりと、ゴーダが肩越しに背後を振り返る。


「……去れと言われて去れる程度の事情ならば、このような場所へ兵を率いて来などせん」


 デミロフはもう、頭を下げてはいなかった。仁王立ちで、ゴーダを真っ直ぐに睨み返している。


「ふむ、道理だな……」


 ゴーダが頷く。その右腕が五十騎の〈イヅの騎兵隊〉を押さえ込むように横に伸びていることが、この場の張り詰めた空気を体現していた。


「某の部下が先走った真似をいたした。部下に変わり、非礼を詫びさせていただく」


 そう口にしながらも、デミロフはもう頭を下げはしなかった。蒼い兜の下で鋭い視線が横を向き、付き従っていた大弓の騎士を非難するように睨みつけている。


「何分、血気盛んな若人ゆえ、『野盗』呼ばわりされたことに我慢ならなかったようでしてな」


「これは思いの外、頑固で愚直な騎士たちのようだ。よろしい、ならば改めて、ご用件を伺おうか」


 ゴーダの指は終始品定めをするように鞘を叩いていたが、今はピタリと止んでいた。


「某も貴軍を侮っていた。〈宵の国〉の兵がこれほどに統率と自制のとれた組織たるとは思わなんだ。さすれば、もはや小細工も小手先の会話も不要というもの――単刀直入に申し上げよう」


 両軍の間を、一陣の冷たい風が吹き抜けた。


「――〈イヅの騎兵隊〉よ、ここに投降を勧告する。武装を解除し、城塞を開放せよ」


 天高く飛ぶ鳥が沈黙し、草原を波打たせていた風が不気味に凪いだ。


「……くくく……ははは……」


 肌が粟立つような静寂を破ったのは、〈イヅの騎兵隊〉大将ゴーダの潜み笑いだった。


「何を企んでいるのかと思えば、まさかこれほど分かりやすい要求とは……はははは……」


 そして唐突に、ゴーダの乾いた笑い声も消えて、全てがもう一度静止する。


「……デミロフと言ったか……腹の底に何を抱えているのか知らんが、今の言葉を撤回できるのはこの瞬間が最初で最後だ。どうだね?」


 そう最終警告を口にしたゴーダの左親指は、〈カタナ〉の鍔にかかっていた。


「騎士に、二言などありはせぬ」


 間を置かずに言葉を返したデミロフが既に覚悟を固めているのは、明白だった。


 空気が、氷のように両陣を鋭く刺す。


〈イヅの騎兵隊〉の黒い騎士たちは、主であるゴーダの言葉をただ沈黙の下に待っていた。


〈明けの国騎士団〉のデミロフを中心にした陣内で、銀の騎士たちの硬い息遣いが聞こえる。


 そして張りつめた空気を震わせて、空を飛ぶ一羽の鳥が、何かを告げるように甲高く鳴いた。


「全軍っ、突撃!!」


 デミロフの勇ましい声が、〈明けの国騎士団〉に号令をかける。


「全騎、抜刀を許可する……迎撃せよ」


 ゴーダが鍔を弾くと、カチンと小気味の良い音がして、鞘から水に濡れたように美しい片刃剣が現れた。それを合図に、〈イヅの騎兵隊〉が一斉に〈カタナ〉を抜き、剣先を天に掲げる。


「「「オオオォォォォ!!」」」


 両軍の上げる戦士の咆哮が、〈イヅの大平原〉の空気を震わせた。

 



 両陣営の掛け声に合わせて、戦端が開かれた。


 兵力五十の〈イヅの騎兵隊〉と、兵力二百の〈明けの国騎士団〉。彼我兵力差一対四の両軍が、黒い塊と銀のうねりとなって地鳴りを轟かせながら草原を駆け抜ける。


 両者の前衛がぶつかるより先に届くのは、〈明けの国騎士団〉の弓隊が放った矢である。


 矢が空気を切り裂く気配が〈イヅの騎兵隊〉の耳元を何度もかすめる。黒い騎士たちはその堅牢な甲冑で以て怯まず前進を続けたが、矢を受けた何人かの騎兵は近接戦に入る前に沈黙した。


 矢を掻い潜り、〈カタナ〉の間合いまであと一歩というところで伸びてくるのは、銀の騎士たちが突き出す長槍だった。容赦ない一突きに、更に数人の黒い騎士が餌食となってその場に倒れる。


 矢と槍、〈明けの国騎士団〉による遠距離と中距離の猛攻を抜け、〈カタナ〉の間合いとなる近距離戦へと移行する頃には、ゴーダ率いる〈イヅの騎兵隊〉はその兵力の五分の一を失っていた。


 戦況有利の空気を肌で感じる〈明けの国騎士団〉の士気は、破竹の勢いで上昇していく。


 しかし、〈イヅの騎兵隊〉大将ゴーダはそのような状況にあっても、落ち着いていた。


「負傷したのは何騎だ」


「お待ちを」


 戦場の喧噪の中で、ゴーダと併走していたベルクトが一瞬、人の波の中へと姿を消した。


「負傷数は十八騎。内、戦闘継続不能は十騎。残りの損害は軽微です。戦闘可能兵数、残り四十騎」


 再び姿を現したベルクトが、まるで戦場を仔細に見てきたとでもいうふうに戦況を報告する。


「よろしい……十分だ」


 こくりと、ゴーダが小さく頷いてみせた。


「単一の兵装で構成した我が隊が、中遠距離戦に不向きであることは百も承知」


 怯まずここまで前進を続けたゴーダたちの目前に、〈明けの国騎士団〉の姿が見えた。


「だが、見くびらないことだ……〈宵の国〉東の国境守護を預かる、〈イヅの騎兵隊〉の実力を」


 そして彼のその自信を体現するように、近接戦に持ち込んでからの戦況は様変わりする。


 盾を持たず、〈カタナ〉一本のみを武装とする〈イヅの騎兵隊)は、近接戦での機動力において〈明けの国騎士団〉のそれを遙かに上回っていた。加えてその特徴的な片刃剣の切れ味は凄まじく、間合いを詰められた〈明けの国〉の弓兵と槍兵は得物を切り替える隙もなく斬り倒されていく。


 重装備と物量に物を言わせて畳みかける〈明けの国騎士団〉と、少数精鋭の機動力と技量とで翻弄する〈イヅの騎兵隊〉。近接戦に入ってからの攻防は、一進一退の大混戦の様相を呈していた。


「ぬぅっ。さすがに一筋縄ではいかぬか……これが、〈イヅの騎兵隊〉……!」


 混戦の中、デミロフが感嘆混じりの声を漏らす。


「誉め言葉と受け取っておこう。後で部下たちにも聞かせてやらねばな」


 呼吸一つ乱さずに、ゴーダが落ち着き払った声で返した。


「この状況で大した余裕であるな、大将殿……」


「何、こう見えて齢がいっていてね、場慣れだよ。それに、私は部下を褒めて伸ばす性分なのだ」


 ゴーダが飄々と肩を竦めてみせたのは、これで何度目か。喧噪と剣戟に満ちる戦場であるにも拘らず、まるで平静を崩さないその振る舞いに、デミロフは底知れないものを感じる。


「……この〈不動のデミロフ〉、相手にとって不足なし」


 はっきりと強者と分かる存在への武者震いが、騎士としての誉れが、デミロフを奮わせた。


 デミロフとゴーダ……両雄はじりじりと互いの間合いを読み合う。


 デミロフは左手に中型の盾を持ち、右手には大振りのメイスを握り締めている。


 対するゴーダは、たった一振りの〈カタナ〉に両手を添えて、それを顔の前で真一文字に構える。


 盾を構え、メイスを振り上げながら、デミロフが少しずつ距離を詰めていく。


 ゴーダが〈カタナ〉の刃を返して、じっとデミロフの動きを見ながら口を開いた。


「緊張しているようだな、デミロフ。それだけの重装備で固めておきながら、まだ不安か?」


 デミロフが、にやりと笑った。


「……不安? それは違う。これは、慎重というのだよ……!」


 ゴーダを間合いに捉えたと見るや、デミロフはそれまでの鈍重な動きから一転して、一気に踏み込みメイスを振り下ろした。ごう、と空気の押しやられる音が聞こえ、ゴーダはその一撃を紙一重でひらりとかわす。空を切ったメイスがずどんと重低音を響かせて、地面に大きな窪みを穿った。


 攻撃直後のその硬直を狙い澄まして、ゴーダが〈カタナ〉を振り下ろす。


「ふんっ!」


 猛獣のような力みが聞こえ、デミロフの防御動作が斬撃に間に合い、火花が飛んだ。


「ほぉ……」


 手に伝わってくるその衝撃を受け止めながら、ゴーダが感心した声を漏らした。


「力任せの重装騎士とばかり思っていたが、存外よい動きをする。それに――」


 言いながら、ゴーダがデミロフの防具を見る。


「貴公のその装備一揃い、何か妙な作りをしているな?」


〈カタナ〉の鋭い一閃を防いだデミロフの盾には、傷一つ付いていなかった。


「この〈カタナ〉は生半可な防具は貫くが、掠り傷もつけれんというのは、これが初めてのことだ」


「その奇妙な剣、どれほどの斬れ味か測りかねておったが――」


 デミロフの声音には、自信が漲っている。


「この〈蒼石鋼〉製の防具の前には、その刃は通らぬと見た」


 降り注ぐ陽の光を浴びて、デミロフの装備一式を成す深い蒼が静かに煌めいた。

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