呪われた男爵家
〈岬の赤レンガ屋敷〉の門を過ぎ、敷地内に入ったところで、運転手の
徐々に速度が落ちていると気付いた後部座席の三音子が、「鏡壱、門は閉めなくて良いよ。そのまま機械小屋の方へ
小屋の前に
「ずいぶんと動きの良い運転手だな。よく訓練したものだ」助手席の紳士が言った。平坦な声の中に、少しだけ皮肉の色が混じっていた。
「余計なお世話だ」右手に持ったヴァルター拳銃の銃口を助手席へ向けたまま、三音子が言った。
「さっきも言ったと思うが」と化物紳士。「少しでも彼女の体を温めたい。運転手が
「鏡壱が戻って来るまでは悪いが諦めてくれ。
三音子は後部座席の窓越しにチラリと機械小屋を見た。
鏡壱が機械小屋の鍵を持って戻ると、屋敷の女主人は「さあ、旦那、
* * *
鏡壱が、ボイラー室の鍵を開けて一番に中へ入った。照明が点灯し、開け放しのドアから屋外へ光が漏れた。
三音子が「さあ、中へ」と言って、化物紳士へ向けたヴァルター拳銃を振った。
化物を抱いた化物紳士は、言われた通り素直に小屋の中へ入った。
旧式のボイラーが鎮座するその部屋は、真冬とは思えないほど暖かかった……いや、むしろ暑いと言うべきか。
ボイラー内部を
壁に掛けられた寒暖計は、摂氏四十八度を指している。
館の
カシミヤのコートが汚れるのも、上物のズボンが汚れるのも気にしていない風だ。彼は
三音子は、部屋の隅にあった粗末な丸椅子を入り口付近まで持って行って、そこに座って、
『三時間ごとに交代で見張ろう。まずは私、それから鏡壱、それから富喜子、その次はまた私だ。三時間後にコルトの45口径を持って来るんだ。それまでは母屋に帰って休んでな……ああ、それから、自動車は車庫に戻しておいて』
鏡壱が小屋から出て行き、すぐに車庫へ移動する自動車のエンジン音がした。
「悪いね。こんな小汚くて暑苦しい部屋で……」三音子が部屋の反対側に座る怪物紳士に言った。「母屋の一室を貸してやろうか、とも、一瞬だけ考えたんだ……でも、やっぱり駄目だ。うちの人が居ない
「いや、これで充分だ。むしろ、ありがたい。我々にとって最高の部屋だ」
その時、胸に抱いていた大
その怪しい動きに、三音子は緊張して、ヴァルターの銃口を巨大な赤黒い虫の頭へ向けた。
「ま、待てっ」紳士が慌てて、三音子に言った。「だ、大丈夫だ……
男の言う通り、大
その姿を見て、三音子は
どうやら危険は無さそうだと思い、しかし大
「さあ、約束だ。旦那と
「うむ……それは構わんが……長い話になるぞ?」
「まだ真夜中って時間でもないだろ。夜はこれから、
「ならば本題に入る前に、私自身の話から始めよう……この呪われた顔の……先祖より受けついだこの体に流れる、呪われた血の物語だ」
顔の下半分をマフラーで隠した男が、館の女主人をジッと見返した。
始めは摂氏五十度ちかくあった部屋の温度が……足元の方から徐々に下がり始めていた。
* * *
「建国以来、ハチドリ市国は全平民制を敷いているから、この浮遊する都市国家の住人に、爵位などという代物は無縁の
暗い電球とボイラーの小窓から漏れる赤い光が照らす部屋で、奥の壁に背を預け胡座をかいた男が話し始めた。
* * *
建国以来、ハチドリ市国は全平民制を敷いているから、この浮遊する都市国家の住人に、爵位などという代物は無縁の
私が名を明かせば、
こんな私にも、親もあれば兄弟もいる。
家督を継いだ弟はハチドリ市実業界の一員で、さる富豪家のご令嬢と婚約を結んだと噂に聞いた。いずれ彼らの間に子も生まれよう。
その血筋に、私のような呪われた男が居るとは誰にも知られたくない。本名だけは聞いてくれるな。
仮に……そうだな……
我が
鎌倉、室町、戦国の時代を
歴史ある
鎌倉幕府治世の終わり頃、
森の中に秘密の
盗賊団の首領は、二目と見られぬ奇怪な面の
身の丈六尺三寸というから、メートル法に換算して百九十一センチ……ちょうど私と同じ身長だ。
筋骨たくましく、長く
この恐ろしい鬼の首領に率いられた盗賊団、少数ながら命知らずの豪腕ばかりで、並みの侍では二倍の人数でも歯が立たない。
もちろん土地を治める
盗賊団は、襲撃の
屋敷に帰った
その時、奥方の可愛がっていた一匹の子犬が、わんっ、と吠えて門の外まで行き領主の顔を振り返って見たという。
これは、つまり奥方の居場所を知っているという子犬の訴えと見抜いた領主は、犬を先頭に家来を総動員して森の中へ分け入り、見事、敵の隠し
全身に矢を受け血まみれになった鬼が、死ぬ直勢に
「憎き
この世のものとも思われぬその形相の凄まじさに、奇襲をかけた侍の中にも、糞尿を垂らして失神する者が何人も出たという。
ともあれ、領地を荒らし回っていた盗賊団は壊滅した。
盗賊を率いた鬼の生首は、肉が腐り落ちて骨になるまで荒野に晒された。その余りの凄さに、空を飛ぶ鳥、地を走る獣さえ、さらし首の周囲を避けたという話だ。
……問題は、ここからだ……
日が
奥方が誘拐され秘密の
本人に聞いても「何もされなかった」と言う。
領主も強いてそれ以上は調べようとしなかった。
しかし結果的には、それが鬼の呪いを成就させてしまったのかも知れない。
奥方のお腹に居るのは、果たして領主の子か、それとも鬼の子か……時期的にはどちらの可能性もあった。
堕胎すべきか……しかし、奥方は『何も無かった』と言っている。ならば、それを信じるべきか。
やがて月が満ち、赤子が生まれた。
母親に似た、玉のように美しい女の子だったらしい。
領主、奥方、家来一同、皆ホッと胸をなで下ろしたに違いない。
やれ、良かった、良かった……確かに姫は人の子、領主さまの子じゃ……鬼の子ではなかった、と。
だが、鬼の呪いは確実に
我ら一族の血の中に潜伏し、何十年もの長きあいだ、発現の時を静かに待っていたのだ。
成長した姫君は家臣から婿を取り、二人のあいだに生まれた男子が後を継ぎ、さらに二つ世代が下り、鬼に
鬼を討ち取った領主から数えて四代目の領主に生まれた二人目の男子が、無惨に顔の下半分が崩れた世にも恐ろしい相貌で生まれて来たのだ。
その姿は、かつての盗賊団の首領を描いた絵巻物の顔にそっくりだったという。
当主がその赤子をどうしたか、はっきりとは伝わっていない。
母親の見えないところへ持って行って斬り殺したとも、生きたまま土に埋めたとも、秘密の地下牢に生涯幽閉したとも言われている。
幸いにもというべきか、皮肉にもというべきか……鬼の姿で生まれた次男とは正反対に、お世継ぎたる最初の子は輝くばかりの美少年だったと伝えられる。
しかし、この美少年のお世継ぎにしても、たまたま『鬼の呪い』が顕在化しなかっただけで、その体の中には祖先から脈々と受け継がれた呪いの血が流れているに間違いは無かった。
その証拠に、我が
その『呪い』の最新の成果が……この私、という訳だ。
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