マフラーの男

 ……カラン……カラン……カラン……

 間を置いて、また三回。玄関の鈴が鳴った。

 玄関扉の外側で、誰かが呼び鈴の鎖を引いている。

 暖炉の火が赤くぜる暖かい居間のソファ、三人の男女は互いに顔を見合わせた。

 主婦あるじ美園よしぞの三音子みねこが、テーブルの上の小型拳銃を右手で静かに持ち上げた。

 ヴァルター社製ポリッツァイピストール……天空ヴァイマル共和国警察の正式採用拳銃、その私服警官用短縮版。

 PPの後に、私服刑事を表す『K』の付いたこの短縮版警察拳銃の正式発売は来年……2031年らしい。しかし、どんなつてがあるのか、良人おっと泥渕どろふち錠太郎じょうたろうの国から内密に試作品を入手して三音子に贈った。

 錠太郎いわく「八年後の2038年採用を目指して、ヴァルター社では大型の軍用拳銃の開発も進んでいる。採用されたあかつきにはピストール38と名付けられるだろう。ぜひとも試作品を入手したい」

 まだ見ぬ軍用銃の話は、ともかく……この38口径二段動作ダブル・アクション式自動拳銃は、動きも精度もすこぶる良い。

 向かいのソファでは、お抱え運転手の黒目くろめ鏡壱きょういち少年が、30サンマル30サンマル弾をチューブ弾倉に目一杯めいっぱい詰め込んだレバー動作式ライフルを手繰たぐり寄せていた。

「奥様……」女中メイド耳原みみはら富喜子ふきこが、三音子を見た。銀縁眼鏡ぎんぶちめがねの奥の大きな瞳に、恐怖の光が宿っていた。

「こんな夜中に、どうやら御客人おきゃくじんのようだ」と三音子。「富喜坊ふきぼう、悪いが応対に行っておくれ」

 それを聞いてハッと息を飲む富喜坊。

 怖がる女中に対し、三音子は続けて言った。

「安心をしな。ウチの玄関扉は表面こそ木の化粧板だけど、中身は頑丈な鉄板だ。ヒグマにだって壊せないさ」

「……でも……もし相手が幽霊なら……」

「幽霊が呼び鈴なんて鳴らすもんかね……大丈夫だ、何かあったら大声で叫びなよ。私と鏡壱きょういち、二人で駆けつけてやるよ」

「……でも……」

「ささ、早くおし」

 主婦あるじに言われ、仕方なしに決心を固め、女中の富喜子はソファから立ち上がった。

 前掛けエプロンの裏からブローニング小型拳銃を出し、スライドを引いて薬室に弾丸たまを送り、安全装置を掛けてエプロンに戻した。

「行ってきます」


 * * *


 暖かい居間から、冷たい廊下に出た。

 燃料あぶらの節約のため、全館暖房用ボイラーの火は落とされていた。発電機は常時動いているが、その余熱は風呂や流しの温水を賄うタンクの加熱に使われ、暖房には回されない。

 富喜子は、冷え冷えとした西洋館の廊下を、玄関へ向かってゆっくり歩いて行った。

 玄関ホールに到着し、あかりをける。

 高い吹き抜けの下、三和土たたきに降りて、まずは扉に穿うがたれた会話用の小さな穴のふたひらいた。

「あの……どちら様ですか」

「どうか援助を」扉の向こうから聞こえて来たのは、落ち着いた男の声。「近くを自動車くるまで通りがかったのですが、ここから歩いて1時間ばかりの所で、凍った路面にタイヤを取られ、道路脇の窪地に落ちて動けなくなったのです」

 男の声も、話し方も、優しい上品な紳士風の印象。

 しかし何だか布一枚を間にはさんだような、モゴモゴとした不明瞭さが残る。

 富喜子は、外灯をけ、扉にめ込まれた二十センチ四方ののぞき窓の引き戸を開けた。

 鉄格子入りの分厚いガラスで出来た覗き窓は、至近距離からの拳銃弾にも耐えると主人の三音子が言っていた。

 覗き窓の外に現れたのは、背の高いコート姿の男。

 身長は百九十センチ位ありそうだ。

 重量挙げ選手もかなわないほどの筋肉の持ち主であることが、コートの上からでも分かった。

 大きな熊を思わせる肉体を持ちながら、立ち姿・たたずまいに、何とも言えない上品さがある。

 まとったコートの美しい色艶いろつやは、おそらくカシミヤ。

 電灯に照らされた男の顔も美しかった。

 見事な形の頭部に、綺麗きれいに撫で付けられた黒髪。

 左右対称の小さめのひたい、長く美しいまゆ。その下で電灯の光を受けて輝く切れ長の目。

 正に、美丈夫とはこの男のためにある言葉……

 顔面のちょうど真ん中から下を、これも高価そうな黒いマフラーでグルグル巻きに覆っている。

 鼻、頰、口、顎……人相の下半分はマフラーに隠れて全く見えない、分からない。

 女中の富喜子が、覗き窓を通して外の男を確かめる間、向こうの方でも覗き窓から富喜子を見つめ返した。

 相手にしているのがこの家の主人ではなく女中だと分かると、男は「どうか御主人におつなぎ下さい」と言った。

 そして言葉を続ける。

「動けない自動車くるまの中に妻を残して来ました。エンジンの回っている間は暖房も効きましょうが、燃料あぶらが無くなったら妻は凍えて死ぬかも知れない……どうか、助けてください」

「まずは御名前を」と女中の富喜子。「それから、お顔をお見せ下さい。そのお顔を覆っているマフラーを取って頂かなければ、主人を呼ぶわけには……」

「名は……や……山田と申します。ただ近くを自動車で通っただけの、行きずりの者です」

「……」

 富喜子は「山田」と名乗った男の、一瞬の躊躇ためらいを見逃さなかった。

(嘘だ……この男は、嘘の名をかたっている)

 玄関扉の内側に立つ女中は、外側に立つ男をさらに攻めた。「どうか、お顔を見せてください」

「そ……それは」と、ますます躊躇ためらう男。

「お顔を隠したまま、主人に会わせろとおっしゃるのですか?」

「いや……これは……顔を隠しているのは何もやましさからではないのです。これは、むしろ貴方あなたのため……マフラーを取って私の本当の顔を見たら、貴方はキット大きな驚きと衝撃と嫌悪を覚えるでしょう。そうならないためにも、私の顔は見ない方が良いのです」

 玄関の外に立つ男の言葉に、女中は(いったい何の話だ)といぶかしむ。

 やはりコイツは……真夜中、人里離れたこの館の敷地へ迷い込んだ、気が狂った男なのか?

「では、仕方がありません」富喜子は言って、これ以上話しても無駄だ、という顔を作って見せ、覗き窓の引き戸を閉めようとした。

「ま、待ってくれ!」と外の男。「わ、分かった……そこまで言うのなら、マフラーを取ろう……ただし……少女よ……お前が、どれほど驚こうが、どれほど衝撃を受けて泣き叫ぼうが、私は知らんぞ」

 言いながら、外の男は、革手袋をした右手をゆっくりと顔へ持っていき、顔の下半分を覆っている黒いマフラーに指をかけると、それを一気に引き下げた。

「ぎゃあああ!」

 覗き窓を通してその相貌そうぼうを見た瞬間……富喜子は両手で自分の頭を押さえ絶叫した。

 ああ、何という醜い……何という恐ろしい顔だ……なまじ顔の上半分が美しいだけに、下半分の醜さ、恐ろしさがこれ以上ない程に強調されていた。

 あまりの醜さ恐ろしさに絶叫し、直後、女中はその場にクタクタと力なく倒れてしまった。

「ああ……やはり……気絶したか」扉の外の男がつぶやいた。

「……だから言ったのだ……こんな醜い恐ろしい顔なぞ見るべきじゃないと忠告したのだ……若い娘が……いや誰であろうと、私の顔を見ては駄目なのだ……こんな恐ろしい顔を」

 男の、美しい方の上半分にある瞳が、一瞬キラリと悲しそうに光った。

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