雪の中の女(2)

「何者だって聞いてんだ!」

 もう一度、女主人が叫ぶ。

 しかし窓の外、粉雪の落ちる庭の真ん中に立った女は、ただ口をパクパクと動かすだけで、声を発しない。

「あんた……ひょっとして、言葉が……」三音子みねこは用心深く白い着物の女にデリンジャーの銃口を向けたまま、目を細めて言った。

 肯定するでも否定するでもなく、窓の外に立つ白い女はジッと三音子を見返している。

 窓の内側に三音子と富喜子ふきこ

 外の庭に白い女。

 三人の美しい女たちの、不思議なにらみ合いが続いた。

 ゆっくり十かぞえるほど時間ときが経ち、そろそろこの静寂に我慢できなくなった三音子が次の行動に出ようとした、その目前……庭に立つ女の身に起きた奇怪な現象……女の体が、少しずつ、透明になっていく。

 まるで活動写真の二重露出のように、女の白い顔が、白い着物が、色を失い、輪郭を失い、周囲の闇と徐々に同化し、消えて、無くなった。

 後に残るは、室内から漏れる光に薄暗く照らされた雪の庭。

 三音子は二連式デリンジャーの銃口を外に向けたまま、おそる恐る開け放しの窓へ近づいた。

「アッ、奥様、危険ですっ、危険ですっ」女中メイドの富喜子が叫んだ。

「なぁに」と女主人。「富喜坊ふきぼう、アンタは、そこに立ったまま、いざとなったら25口径そいつで私を助けておくれよ」

「は……はい」

 用心深く銃を前に出しながら窓際へ歩き、庭をのぞく。

 何もなかった。

 しんしんと雪が落ちて来るだけだ。

(足跡が無い……)

 いろいろ考えるのは後だ……とにかく今は身の安全、室内に居る自分たちの安全が第一、と思い、防錆処理をほどこした頑丈な鋳鉄製の鎧戸よろいどを閉めようとして……はた、と気づく。

(まったく、難儀な体さね)

 女主人は三歩、四歩と後ろへ下がり、女中に命じた。

「富喜坊、窓を閉めておくれ……銃を構えながら同時に鎧戸の取手とってを持つなんて芸当、私にゃ無理だ」

 少女の女中メイドは「はい」と、細い声で答え、銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを左手で上げ、怖そうに窓へ近づいた。

 その背中に、主婦あるじが「大丈夫だ……何だか知らないけど、きれいサッパリ消えちまった。誰もいないよ」と声を掛けた。

「は、はい」と富喜坊。それでも用心深く銃口を庭に向けながら、左手で鎧戸を閉め、かんぬきをして、さらにその内側のガラス窓を閉める。

 そこで、やっと、二人は「ほっ」と息をはいた。

 息をはいて、窓から視線を外し、部屋の入り口方向を振り返った瞬間……ギョッと驚いて、下げていた銃を再び前へ突き出した。

 部屋から廊下へ通じるドアの前に、あの白い着物姿の女が立っていた。

 相変わらず黙ったまま、少し悲しげな目で女主人と女中を交互に見ている。

「い、何時いつの間に! どんな手品を使いやがった!」叫ぶ三音子。

 白い女の右手がゆっくりと上がって、壁の一点を指さした。

「壁? 壁がどうしたってのさ?」

 その三音子の問いには答えず、相変わらず悲しげな目でこちらを見つめたまま、女は、ただ黙って壁をさし続ける。

「奥様……」何かに気づいたように、女中が三音子の方へ顔を向けた。「もしや、あの女は玄関をさしているのでは? あの女の指さす壁の向こう側、その延長線上に玄関があります」

「……」

「あるいは、その玄関も突き抜けた向こう側……岬の根元ねもとの方に何かが有って、それを伝えようとしているのかも」

 この赤レンガ屋敷は、岬の先端を背にして、根元の方へ正面を向けて建っていた。

「仮にそうだとして……それが何を意味するっていうのさ? そもそも一体いったいこいつは何だい?」

 三音子は侵入者をジッとにらんだ。

 うりざね型の顔も、純白の着物に包んだスラリと流れるような体の線も、申し分のない美しさ。

(女の私でさえ、嫉妬を通り越してれするようない女だ……でも、どこか……どこか見覚えがある……間違いなく初対面だってのに……そのはずなのに……どこかで)

 そのとき、白い女の眉間に、わずかにしわが寄った。

 不快か、苦痛か……それを必死にこらえている……そんな顔だった。

 直後、再び女の体から色が抜け始めた。

 さっきと同様、写真の二重露出のように女の体が徐々にけて輪郭がボヤけていく。

 その体を通過して、後ろの壁紙やらガラス戸棚が見える。

 女の体から色が抜け落ちるのと反比例するように、後ろにあるものが徐々に色を増していく。

 やがて白い女は、霧が散って無くなるように消え失せてしまった。

「富喜坊、油断するんじゃないよ」三音子が言った。

 デリンジャーの銃口は、女の消えた辺りに向けられたままだ。

何時いつ何処どこから現れるか、分かったもンじゃない」

「はい」返事をして、富喜坊も油断なく25口径のポケット・ピストルを構え直した。

 一分……二分……三分……

 ようやく三音子が右手を下ろしたのは、女が消えてから五分も経過した頃だった。

 デリンジャーの筒先を誰も居ない方へ向けて、暴発しないように撃鉄を親指でシッカリと押さえながら安全位置まで戻す。

「まったく、ありゃあ何なのさ」手のひらに収まるほど小さな二連式拳銃をたもとに納めながら女主人が言った。「気味が悪いったらありゃしない。富喜坊、もう銃を収めて良いよ……それから用心のためだ。鏡壱きょういちのやつを呼んできておくれ……レバー・アクションに30サンマル30サンマル目一杯めいっぱい詰め込んで来な、てね」

「はい」と答え、サッとスカァトをひるがして、女中の富喜子が居間から出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る