第10話 覚醒
ゼロワンと呼ばれた痩躯の男がシノブに迫る。ウェポノイド、秩序の執行人。そしてなによりも自分自身の仇だ。
シノブは顔の前で拳を握り込む。すると拳の中から光が溢れ、一瞬の内にゼロワンと同じような光の刃を作り出した。一閃。打ち込んできたゼロワンの攻撃をいなす。
にらみ合いからの力比べ。光刃同士が高出力で反発し合いバチバチといっている。鍔迫り合いを中心に、空中で二、三度体を入れ替えた。
二機のウェポノイドが計八枚の羽根を全力で震わせる。パワーはどうやら互角である。どちらからともなく間合いを切った。距離を取る。
一瞬の溜めを作り、今度はシノブから切りかかった。
袈裟切り、返す刀で逆袈裟。高速の斬撃だが、全て見切られている。続けて二合、三合と打ち合う。ぶつかった光刃から破壊エネルギーがスパークした。そして上段からの渾身の一撃は、真一文字に構えられたゼロワンの光刃によって受け止められた。
退かば斬られる。暫しの膠着状態。
「おい女ぁ! なんだそのふしだらな恰好は? 恥ずかしいとは思わないのか? お前のような輩がいるから、世の中の秩序が乱されるのだ! そんなヤツは俺が全て排除してやる! 調子に乗るのもいまの内だけだと知れ!」
鍔迫り合いの中、ゼロワンから激しい罵倒を受ける。悔しいがこの恰好では言い返す言葉もない。羞恥心で顔が歪む。でも。
きもちいい。
ドクターに凌辱されるほどではないが、エクスタシーを感じる。「お前は真性だ」、不意にドクターの声が頭をよぎった。いままで自覚は無かったが、どうやら彼の言う通りらしい。これまでの人生で抑圧されていた分、性知識を制限されていた分、その反動は恐ろしく能力に影響している。
力がみなぎってゆく。エクスタシーがエネルギーに変換されているのだ。快感に脳を犯され、シノブはゼロワンの光刃を押し返していく。
「ぬおおおおお! な、なんだこの力は! お、押し負けるっ……ならばっ!」
ゼロワンはシノブの打ち込みに逆らわずに体を捌くと、飛行能力を駆使して体勢を立て直した。そして強烈な蹴りを彼女の腹部に叩き込む。みしり、と鈍い音を立てて爪先がめり込んだ。
「ひゃんっ!」
シノブの体が、くの字に折れ曲がる。
勢いはそれで帳消しになるほど、弱くはない。彼女の小さな体は飛ぶよりも早いスピードで会場の壁へと叩きつけられた。
「きゃああああああああ!」
轟音。崩落する壁。もうもうと粉塵がたちこめる。
壁はシノブの体を中心として、まるで解体作業用の鉄球でもぶつけられたかのように陥没してく。壁材がバラバラと崩れた。すでに会場内は廃墟の様相を呈している。高層ビルという場所が場所だけに、外部からの救助も難航しているようであった。
「あ、あ、あ、あぐぅ……」
壁にめり込んだシノブの体が痙攣している。蹴り込まれた腹部、そして全身を貫く強烈な痛み。それら全てはサイボーグ・ボディの能力によってエクスタシーに置換され、シノブの脳を刺激していった。彼女はいま、かつて経験したことのない、めくるめく快楽と遭遇しているのだ。
「い、いや……だ、ダメだってば……あんっ! はいっ、挿入ってくるぅ、大きいのが挿入ってくるのぉぉぉっ」
声が出る。それも痛みを堪えた嗚咽や、断末魔の類ではない。
喘ぎ声である。
身悶えるシノブの様子にゼロワンは怪訝な表情を浮かべた。彼にしてみれば経験のない状況である。警戒を強め迂闊には近寄らない。
シノブのエクスタシーはまだ続いている。小波、大波、その小さな体に絶え間ない快楽の潮が満ち干きしているのだ。時に伸び、時に小刻みに全身をくねらせる。下唇を噛み締めて目一杯堪えたかと思うと、大声を上げて喚いてみたり。そして遂には最大級の性的快感が彼女を襲った。
「きゃあああああああああっ! だめぇ~、もう死んじゃっ、違っ……あああっ、あああっ! 恐いっ、恐いよぉぉっ! い、い、い、いっ……いっちゃ…………」
シノブの全身がピンと張り詰めた。胸を反らし、下腹部を突き上げた格好になる。そして一際大きくビクっと痙攣すると、そのまま壁の中に沈んでいった。その後、暫らくは声も出さず、延々と小刻みに震えるのみとなる。
その一部始終を目の当たりにしたにもかかわらず、ゼロワンは勝利の手応えを感じてはいなかった。正確には状況を理解し切れていないだけなのだが、あれほどのウェポノイドが、あの程度の攻撃で終わるはずもないと考えていた。やられた振りをして油断させ、近づいたと所を……充分あり得る展開だ。まだ警戒を解く訳にはいかないと。
しかしゼロワンが空中にて待機を続けている間、停滞していた状況に変化が訪れた。会場内の来賓たちが、俄かに動き出したのである。
やっと彼らも避難することに思いが至ったのだろうと、ゼロワンは考えた。しかし実際はそうではなかった。
「おおおおおお……こ、これは……」
一人の紳士が隣に倒れ込む淑女を見て唸った。彼女のドレスの裾が太腿までめくれ上がっていたのである。非常に扇情的なポーズとも相まって男をそそった。
「いやっ、なにを……そ、そんな……はしたない、ですわ……」
紳士は彼女の踝を、ふくらはぎを、膝裏を、内腿を順に舐めた。それはそれは官能的な舌の這わせ方で。その内、女性の方もまんざらではなくなってゆく。
それを見た別のカップルが、お互いのパートナーとは別の男女と突然キスをし始める。ご婦人の方はすでに、ドレスのから下着がはだけていた。倒れ込む二組の男女、どちらからともなく服を脱ぎ始めてしまう。
「な、なんだ、これは……」
ゼロワンは低く呻いた。
自分の目を疑うような光景。
見下ろす会場内にはすでにまともに理性を保っている人間はいなかった。老若男女の別なく劣情に身を任せている。真っ赤な絨毯に映える肉の色彩。反響する喘ぎ声にゼロワンの集音装置が規制対象としてリミッターを作動させた。あのSIA総理事である峰 忠彦さえも、壇上を舞台に、まだ年端もいかぬ少女をパートナーとして淫らなワルツを踊っているではないか。
ゼロワンは恐怖を感じている。実体のない底知れぬ恐怖を。その正体とは、自分の価値観の崩壊に他ならなかった。
ここは道徳を司る至高の場。秩序の神が宿る法の番人、SIAの牙城である。
自分が正義と信じて疑わなかった理性と法が、たったいまそれを作りたもうた人間たちの手によって貶められている。もはや会場は狂気と愛欲が支配していた。
カチャリと硬いものがぶつかり合う音がして、彼はそちらを振り向いた。壁の大穴からあの少女が起き上がる所だった。ゆっくりと、だが確実に壁から這い出してくるその様子に、ゼロワンはさらなる戦慄を覚える。
かてない。
それが彼の出した答えだった。状況からして、この惨状をもたらしているのは彼女のはずだ。かつて一人の狂科学者が生み出した悪魔の発明。ゼロワンの脳裏には自らが体を失うきっかけとなった事件の記憶が絶望と共に蘇った。
理解不能な力と、崩壊した秩序。すでにゼロワンには守るべきものすらない。
少女の羽根が再び輝きを取り戻して、羽ばたき始める。手には光剣を携えていた。
「ゆるさない……」
怒りに震える少女の声。
襲い来る斬撃に、ゼロワンは光刃を構える気力すら残っていなかった。
「まだドクターにだってイカされたことないのにっ!」
二体のウェポノイドが交差する。
落下したのはダークスーツの痩躯のみ。
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