第9話 崩壊

 山王子ヒルズ・タワー最上階/セレモニーホール・月光の間――。

 だだっ広い空間に敷き詰められた赤絨毯が目にも鮮やか。それ以上に華やかなのは、集いし紳士淑女のいでたちである。

 男性は漆黒のタキシード、ご婦人方はきらびやかなドレス姿。談笑し、アルコールを嗜む。これが国民に清い生活を強いているというのだから笑ってしまう。

「え~、宴もたけなわといった所ではありますが、ここでSIA総理事、峰 忠彦様より、高度性風俗規制法、成立二十周年の祝辞を賜りたいと思います! それでは理事、どうぞこちらへ! ご来場の皆さまには拍手でお出迎えください!」

 壇上の司会進行役は、万雷の拍手でもって恰幅のいい老年を呼び込んだ。その男、峰は手を挙げて会場の来賓たちに応える。

 壇上の袖には、ダークスーツに身を包んだ痩躯の姿もあった。

 ゴホンと一つ喉を鳴らす。

「皆さまに置かれましてはご機嫌麗しく、今日この素晴らしい日を共に迎えますことを、わたくしといたしましても大変嬉しく存じます。一口に二十年と言いましても、色んなことがございました。かく言うわたくしも少々、目方が増えまして、昔のようにはスリムではございません」

 ドッと会場が沸いた。

 SIAに覚えが悪い者からすれば、空々しいばかりである。我が意を得たりと、峰の饒舌は続いていく。

「本法、成立以来。我が国の治安維持は高い水準を誇っております。安全大国日本の名を復活せしめた功労はあまりにも大きく、また本法があってこその現代社会だとも自負しております。ご来場の皆さまに、いま一度申し上げたい。SIAこそが正義であり、本法こそが人間を人間たらしめる至高の社会通念であ――」

 その時である。

 会場を取り囲む、巨大な窓ガラスが割られた。轟音と共に降り注ぐガラス片に、来賓たちはおののいた。ある者は絶叫し、またある者は立ち尽くす。

 あまりに突然のことで一同、次にとるべき行動を決めかねている。

 このまま阿鼻叫喚の中、出口に殺到するか、それとも総理事をお守りして今後の身の保全に務めるか。しかし命あっての物種だと、誰もが状況把握に意識を注ぐ。

 恐慌から脱出した何人かが、ふと天を仰いた。するとそこには背に輝く四枚の羽根を持つ天使が浮遊していた。そのいでたちは目を覆いたくなるような艶姿であった。

「な、なんだ、あの下着姿の娘はっ!」

「狂ってる! しかも空を飛んでいるぞ? 何者だ?」

「は、破廉恥にもほどがあるわ! 誰か、あの痴れ者を引きずり下ろしなさいっ!」

 見下ろす会場内から口々に声が上がる。酷い言われようだが、返す言葉もない。

 突き刺さる好機の目が、シノブの羞恥心を刺激する。それと同時に得も言われぬ快感が、全身を貫いていた。紅色に染まった頬と、潤んだ瞳が自分でも止められない。少女は恍惚の炎でその身を焼いている。

 だが、官能に浸ってばかりもいられない。シノブの体は考えるよりも早く、次の行動に移っていた。かざした両の手の平から、背翼にも負けぬ光が溢れた。それは瞬く間にソフトボール大の塊となって宙に浮ぶ。シノブはそのまま手を払った。

 空を薙いだ手の先から、一条の光が天井に向かってゆく。高出力の破壊エネルギーを内包した光は、いとも簡単に天井を崩壊させた。

「きゃあああああ!」

「に、逃げろぉぉぉぉぉ!」

 会場内が再び恐慌に包まれる。我が身大事にうろたえる列席の高官たちだったが、一番近い出口は天井から崩れ落ちた瓦礫で封鎖されていた。慌てて向きを変える。だが同じ事である。シノブは次々と光の球を生み出し天井を破壊した。会場の出口という出口を潰していく。誰もこの場から逃がさないために――。


「ぜ、ゼロワン! なにをしておるかっ! 早くあのイカれた娘を排除しろ!」

「りょ、了解しました、閣下!」

 壇上で演台の下に隠れていた峰がしゃがれた声で叫ぶ。すると脇に控えていた痩躯の男がハッとなって動き出した。式典に際してテロ対策は万全を期していた。しかし二百階を超える高層ビルの最上階に、窓を突き破って単騎で乗り込んでくるなどという行為を誰が予想できただろうか。しかも露出の激しい見目麗しき可憐な少女が、である。

 普段は取り締まるだけの偶像物がいま目の前で躍動している。そんなシュールな光景を目の当たりにしゼロワンは一瞬、倒錯の世界に囚われてしまったのだ。そんな己を恥じ、いまでは喩えようのない怒りが込み上げている。

「貴様ぁぁぁぁっ!」

 ゼロワンは飛んだ、シノブと同じく背に光の羽根を生やして。それは設計者が同じということ以上に、お互いがすでに人でないことを証明していた。

「喰らえッ!」

 ゼロワンの攻撃、上昇しつつ突き出した右掌から光線を放つ。シノブはそれを真横にスライドしてかわした。かわされた光線は天井を穿つ。

「きゃああああああっ!」

「な、なにをしているっ! 危ないじゃないかっ!」

 ゼロワンの攻撃によって崩落した天井の一部が、ホール内に取り残された人々の頭上に降り注ぐ。無責任にも彼らは、いま自らのために戦っているゼロワンに向かって悪態を吐いた。多くの者は豪華な食事が配膳されたテーブルの下で震えることしかできない。

「くっ、邪魔な……飛び道具は使えんということか」

 ゼロワンは独り毒づく。

 視線を下方から、正面の下着娘に戻した。

 脳内のレギュレーターが効いている。もう動揺はない。

「貴様……あの男の手下だな? SIAの壊滅が任務か。そんなことは……」

 ゼロワンの右手に再び光が集束する。しかし、その形状は球ではない。棒状である。実体のない破壊エネルギーだけによって構成される光の刃。ゼロワンはそれを大きく後ろに引いて構え、

「俺がさせるかぁ!」

 眼前に浮遊する少女に向けて飛んだ。

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