第6話 場所
演奏を終えたレコードの針が自動的に戻ってゆく。ドクターは大事そうにLPレコードをジャケットの中に収めると、次なる選曲にとりかかった。
眩いばかりの照明。
コーヒーカップのデザイン。
服。
ドクターの部屋にはご禁制の品で溢れている。これらは彼が裏のシンジケートを駆使して集めたものばかりだ。一般市場ではまずお目にかかれない貴重品の数々、というよりも持っていると知れただけでも手が後ろに回る代物ばかりだ。典型的な一般市民であるシノブには見るだけでも刺激が強い。
高度性風俗規制法――慎みや羞恥心を失った現代人の生活を鑑みて、二十年前に成立した法律である。懸案当初は表現の自由との軋轢や人権侵害との見方もあったが、多くのフェミニストや教育現場から絶大なる支持を得て本法案は議決した。その内、綱紀粛正の名目とは別に、官僚や財界の思惑が絡むようになる。社会倫理委員会は、暴徒鎮圧のためにSIAという特殊部隊まで作ってしまった。
「……と、ビートルズは……お? あったあった!」
ドクターは手にしたレコードをプレーヤーにかけると、A面の終わりの方へと針を落とした。叙情的なピアノソロから始まる優しい曲。ジャケットにはレット・イット・ビーと書かれている。
「さて、君の話に戻そうか」
向き直ったドクターは、少し赤くなった顔でシノブにそう言った。
「えっ?」
「君にSIAを、いや俺様の作った人間兵器を破壊してもらうって話だ」
「ああ……」
とにかく色んな情報を聞きすぎてシノブの感情は混乱を超え、シラけてさえいた。自分の死、SIAにウェポノイド。
高度性風俗規制法は、不健全な思想から国民を守るための法律だとシノブは聞かされている。文化的な社会を構築する上で必要なものだと学校でも教えられた。多少の窮屈さは感じるものの、ドクターが言うほどの悪法だとは思わなかった。だが、法を遵守するために、自分を含め尊い命が奪われているのが事実だとするならば、その感慨はもはや不動のものではない。シノブは揺れていた。
「君はいまの社会をどう思う? 健全なる性秩序の名の下に行われる価値観の矯正を。肌の露出を極端に廃絶したファッション! 扇情的な雰囲気になると、灰一色に塗りつぶされた街並み! 電波に乗せてイヤらしい声を出すなと、アナウンサーの声すら加工しやがる! 公然的な他者とのコミュニケーションを禁じ、異性とは目を合わすことすらはばかられる世の中だ。恋愛パートナーは国が選別する? は! 馬鹿げてるね!」
「でも……法律で禁じないと人間はすぐ羽目を外すから……」
「それが本能ってもんだろうが! じゃあ聞くが、君はなぜあの時、あんな薄暗い路地にいたんだ?」
「それは……あのおじさんが気になって、それで」
「『気になった』、それで充分だね。君は飽きていたんだよ、この世界に。ほとほと嫌気が差していたんだ。がんじがらめの法律、色のない風景、そして禁じられた遊び」
シノブは強烈な背徳感から耳を塞いだ。
社会に唾吐くことすらタブーな現代社会、反国家思想を語るだけでも重罪である。十六歳の少女には、聞くに堪えないセリフのオンパレード。だが、同時に湧き上がる高揚感、これは一体なんなのだろう、とシノブは先ほどから延々と考えていた。そんな中、ドクターは耳を塞ぐシノブの両腕を強引に引き剥がして叫んだ。
「聞けぇっ! お前を殺したのは誰だ! なにがお前をサイボーグなんぞに変えちまったんだ! なんの罪もない少女の人生を狂わせたのは、どこのどいつだっ! 殺せっ! 悪法を押し付ける全ての豚どもに喰らわせてやるんだ!」
突然の剣幕にシノブはただただ恐怖した。
「いやあっ! いやああああああっ!」
ドクターはシノブの両腕を掴んだまま、彼女の体を壁に押し付ける。サイボーグ化されたというのに彼女の抵抗は、ドクターの痩せた腕すら振り解けなかった。
次第に近づくドクターの濃い顔、もうすでに息のかかる距離。
「や、やめてっ……ダメ、きゃあああああっ! ン――」
口を塞がれた。無論、唇で。
まだ生涯、誰のものにもなっていない少女の艶やかな唇は、不条理にも名も知らぬ獣のような男に蹂躙されている。シノブは大きく目を見開き天井を見つめていた。涙も出てこない。
「感じてるか、ああ? 澄ました顔しやがって、バカヤロー。人間生きてるだけで、異性を誘惑してんだよっ! それを否定してどうするっ?」
「いやああ! いやああああああっ!」
「それからな……もう一つ、教えておいてやる……」
ドクターの右腕が離され、シノブの戒めは解かれた。
ホッとしたのも束の間、今度は顔面に強烈な平手打ちが飛んできた。
乾いた音を響かせて、部屋の隅まで転がってゆくシノブ。プルプルと震えながら体を起した。ぶたれた頬に触れ、見上げるドクターの顔。
「どうだ?」
「………………も」
自分でも以外な言葉が口をつく。信じられない。
「もっと……」
あまつさえおねだり。
潤む瞳、うずく体。サマーセーターを押し上げる彼女の胸の頂点は、すでに豆粒大に隆起していた。この脳を貫く痺れる感覚は、先ほどから感じる刺激を遥かに上回っている。そして全身に力がみなぎっていった。
「はははっ! いい様だな、子豚ちゃん。もっと欲しいのなら……」
ドクターはどこからか長さ一メートルほどの金属棒を取り出して、シノブに渡した。
「それを曲げてごらん」
棒を見つめキョトンとなるシノブ。
ドクターは眼光鋭く、彼女の動向を探っていた。その眼差しはシノブの脳をなおも刺激する。自然と顔がポーっとなった。
意を決した彼女は棒を真横に握り直す。通常であれば曲がるはずもない。
だがシノブの白い細腕は、なんの抵抗感もなく金属棒をひん曲げていく。澱みなくまっすぐだった一メートルの金属棒は、二人の眼前で逆U字に変形した。
「う、うそ……」
「はっはーっ! 大っ成功だよチミ~!」
殺人も厭わないような厳しい表情から一転、ドクターは満面の笑みで、シノブに拍手を送っている。当の彼女はますますキョトンとなるばかり。
「ん? いい顔するね~。なにも分からない、いたいけな少女ってな風情だ。聞きたいか? 聞きたいよね? ね?」
シノブはコクコクと首を縦に振る。
「仮にもSIAを潰せと頼んでいるんだ。お茶汲みをさせるためにサイボーグ化した訳じゃない。君もまた人間兵器、ウェポノイドなんだよ」
「わたしが、兵器……」
「そう、ゼロワンを倒すために俺様は何年も研究に没頭した……だが、来る日も来る日も失敗ばかり。しかしある日、性的な快楽を高出力エネルギーに変換する装置を完成させたのさ。それが君の体に組み込まれているんだ」
「快楽を、エネルギーに……?」
「そう! 加えて君の体はあらゆる痛覚がエクスタシーとして置換されるようになっている。攻撃を受けれれば受けるほど感じるって訳だ! さらにいままでの会話で分かったことだが、君は真性のMだっ! まさに相性抜群って訳で……っと、話はまだ途中だぞ、どこへ行く?」
シノブはベッドの上からシーツを手繰ると、それを頭から被り、ローブのように体に巻きつけた。これで見た目には性別も分からない。
「帰ります。出口はどこですか?」
冷たく言い放つシノブをドクターは見返した。
「どこに帰るつもりだい? 君は二週間前にすでに死んでいるんだよ? 勿論、行方不明ってことになっているけどね」
「なら……」
「帰ってどうする? 社会の欺瞞に気付いた君が、機械の体で普通の社会生活が送れると思うのかい? 無理だね! 君はもう、快楽に目覚めてしまった。兵器と言われたことがそんなにショックなのか? ナンセンスだ! 君はもはや人間ですらない! それでも帰ると言うのならこちらも止める気はない、お出口はあちらだ」
部屋の最奥、隣室への戸口をさらに越えたところに頑丈そうな鉄扉があった。
ドクターの話もそこそこに、シノブは足早で鉄扉へと駆け寄る。そのひんやりとしたドアノブを回し、彼女はドクターの部屋を出た。
去り際に聞こえてきたレコードの音が、なんだか酷く悲しく響いた。
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