第2話
このようにブラジャーが普及したのは1920年代以降のことで、十九世紀はもちろん、二十世紀の初頭にも巷には存在していなかった。ところが、時代考証を怠った映画にこれが登場するケースが散見される。
スクリーンに女性の背中が登場する際には目を凝らして注意深く観察する必要がある。1920年代以前を題材にした映画で、ブラウスやスリップの下にブラジャーの紐が微かに現れるのは、関係者が予習を怠ったからで、あり得ないシーンである。安物の西部劇にこのようなシーンが登場することがあるが、監督や演出家の無能振りをあからさまにしていて、映画そのものの質も問われることになる。
筆者は映画ファンではないので見間違いの可能性もあるが、アカデミー賞の対象になるような名画も例外ではないようだ。あのロシア革命を扱った“ドクトル・ジバゴ”に、主演女優が白いブラウス姿で現れるごく短いシーンがある。その背中に瞬間だが、ブラウスを透して横一線の筋を目にする。あの女優はブラジャーを着けていたのではないか?
ロシア革命時代のロシアの庶民にブラジャーが普及していたとは考えられない。どうしたことだろう。
ついでに、真に尾篭な話で恐縮ながら、アンダーウェアーに関して。
米国では、日本でパンツあるいはショーツと呼ばれるものは、どれもアンダーウェアー、あるいはアンダーガーメントと呼ばれている。まさに下着である。
米国のパンツは日本のズボンあるいはスラックスの類のことで、ショーツは短パンを指す。パンツは元々は英国で使われた語ゆえ、日本はこの呼称を英国から輸入したのであろう。
さて、このアンダーウェアーだが、こちらは古代からの歴史が背景にある。エジプトのクレオパトラを扱ったスクリーンに腰を布で覆った男たちが現れるが、あのスタイルが元々と考えられている。
これを最も美化したのが日本のフンドシであろう。シンプルな越中褌などは世界に誇るべきスタイルである。大相撲の力士が締めるマワシは、もう下着の範疇を超えて美術品と呼んでもおかしくない芸術品だ。
十九世紀の西部劇に現れる女性はペチコートと呼ばれるツナギを身に着けている。これが今のようにブラジャーと下腹部を覆うパンティーの上下に分かれたのは、ブラジャーが普及した頃といわれる。だから西部劇にパンティーが出現したらそれはフィクションと考えねばならない。
ペチコートは冬は防寒に役立ったことだろうが、猛暑の西部の夏には不適だったからか、どうも大半の女性は下着を着けていなかったらしい。西部の事情を扱った書に、鞍から逆さまに落馬した女性がアラレモナイ姿を曝したという記述が現れる。
女性と下着で頻繁に引き合いに出されるのが昭和七年に起きた日本橋白木屋の火災だ。着物姿の女性社員が焼死したのは、飛び降りると裾が開いて恥ずかしい姿を曝すことになり躊躇したからだ、あの火災以降日本でも女性が下着を愛用するようになった、という逸話である。日本の女性は遅れていたからだ、とも加えられることがある。
しかし、実際にそれが理由で亡くなった女性社員は存在しなかったようで、直後に経営陣が口実に口にしたことが尾ひれを付けて広まったのが真実らしい。
あの火災は一九三二年で、西欧でもちょうどブラとパンティーに二分される頃の出来事であり、日本女性が外国に比べて遅れていたというのは当時の女性には失礼な誤解である。今日のようなパンティーは西欧でも普及し始めたばかりの時代だったのだ。
ところで、今でもワイシャツの裾は、アロハシャツとは異なり、前部と後部が燕尾服のように中央部が長く脇は短くなっている。それは、その昔はあの前部と後部を股の下で重ねてパンツの代わりにしていたからだ。それがパンツが普及した現代になっても引き継がれている、不思議な例である。
ブラジャー革命 ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi
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