ブラジャー革命

ジム・ツカゴシ

第1話

 婦人参政権と鉄スクラップの回収とかけてなんと解く? 


 答えはブラジャーの出現。

 なんとも奇妙な取り合わせのようだが、アメリカ産業史に残る史実である。


 十九世紀末頃までの長い人類の歴史では、古今東西を問わず女性は男性と同等の人権が認められない不遇をかこってきた。男女の差別は身分上のことだけに留まらず、女性は過酷な肉体の束縛にも耐えねばならなかった。

 ギリシャ時代の彫刻にも現われるように、豊かな腰は美女の象徴だったが、その上に乗る部分は、中世以降は極端に細いほっそりとした胴回りが理想とされた。これを実現する道具としてコルセットが工夫され、広く西欧に行き渡った。

 コルセットは芯に鉄線を使い胴の部分を締め上げるスタイルで、それは胸の部分をもカバーしていた。こぼれるばかりの胸は好まれず、コルセットの上部で強制的に押し潰していたわけだ。婦人連がこの虐待に不満を待たぬはずはなかったが、なにせ殿方が席巻する社会ではその好みに従わざるを得なかったのだ。


 ところが、産業革命が進み、工業化社会が展開されるにしたがって女性の社会への進出が進むと、女性の地位の向上を目指して欧米の各国で参政権獲得の運動が起きた。その運動の派生で出てきたのがコルセットからの解放だった。肉体を縛るコルセットからの解放は政治上の女性の自由獲得運動と同調することになったのだ。

やがて第一次大戦が勃発すると、アメリカ政府は軍備の拡充のために鉄の生産を奨励したが、目をつけたのがこの女性連によるコルセット追放運動だった。戦争終了までには二万八千トンもの鉄がコルセットから回収されている。


 こうしてコルセットに代わるものとして注目されたのがブラジャーだった。この語はフランス語から出ているところをみると、フランスでも同じ運動が起きていたのかもしれない。

 アメリカのブラジャー業界で忘れられないのが、帝政ロシアからの移民でブラジャーで財をなしたユダヤ人の女性実業家だ。

 イダ・ローゼンソールはミンスクに近い地で1886年1月に生まれた。帝政ロシヤの封建制度に反対する運動家の恋人が日露戦争で徴兵されそうになると、ふたりは共にアメリカに亡命し、ロシヤ系ユダヤ人が多く住むマンハッタンの対岸であるブルックリンに落ち着いた。

 英語もろくに喋れないイダはシンガー社製のミシンを買い込んで縫製で生活の糧を稼ぐ日々が続いた。しかし、元々勤勉家のイダは市民権を得た1912年には6人の針子を従えるようになった。1918年にはやはりロシヤ系の住民が多いマンハッタンの北部で、141丁目とブロードウェー通りの交差点に引越したが、その頃には15人もの従業員を擁するまでになっていた。


 この頃までのイダが縫製するものは女性向けのドレスだったが、コルセット追放運動の影響でコルセットに代わる胸当ての需要が出てくると、夫のウィリアムが工夫をした簡単なものをドレスの付属品として無料で提供していた。ところが、そのうちにその胸当てが評判を得るようになり、ドレスと分離して注文が舞い込むようになった。

 需要に追い風となったのが、第一次大戦中のコルセットからの鉄の回収運動と、1920年の婦人参政権の実現だった。コルセットの代わりに胸当てを使用する女性が時代に先駆ける進歩的な女性と見られるようになり、ブロードウェーのミュージカルにもイダの商品を身に着けた女優が出演した。


 1922年にはイダは「Maidenform」のブランドを発表し、ジェーン・ラッセルのようなその時代を代表する人気女優がイダの作品を使用して映画に出演した。ハリウッドもブラジャーの普及に一役買っていたのだ。

 1929年に起きた大恐慌ではニューヨーク界隈の衣料品業界は壊滅的な打撃を受けたが、イダだけはその影響も受けず、この年には五十万もの製品を出荷している。

1927年にウィリアムが申請した特許にブラジャーの語が使用されていて、この頃までにはブラジャーの語が普及していたことがわかる。

 ブラジャーに類似する商品の特許は実は古くから申請されていて、アメリカでは南北戦争中の1863年が最初とされている。1880年代に出された申請書にはBreast Supportの語が使用され、1904年にはスポーツ・ブラの申請があった。


 イダの事業はその後も発展を遂げ、1943年には二百万個を売り、1960年には千三百万人のアメリカ人女性がMaidenformの製品を購入したといわれる。イダは1973年に死去し娘のベアトリスが後を引き継いだが、1980年には一億ドルの売り上げがあった。

 ロシヤからの移民一世がアメリカだけでなく世界の女性解放に寄与したことになる。


ブラのサイズ

 米国製のブラをプレゼントする際には役に立つかもしれませんのでここにサイズのルールを記して置きます。


 アメリカではブラは「バンド・サイズ」と「カップ・サイズ」の併記になっています。

 乳房の直ぐ下の胸囲に5インチをプラスしたものがバンド・サイズ。計測値が31インチであれば36が値になります。通常は偶数の製品が販売されますので、中間値の際は切り上げるか切り下げる必要があります。その誤差はインチ幅ですので、ピッタリせずに困る女性もいるのかもしれません。

 一方のカップ・サイズは、乳房の最も高い位置の胸周りとバンド・サイズの差で決まります。差が1インチであればAカップ、2インチであればB、その後は1インチ増える毎にC,Dとなり、DDならば5インチの差があるという次第。DDのご婦人は胸囲と突起部の円周との差がなんと10インチもあることになりますね。              

                          

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